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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第5章 褐色の王子
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閑話:絶望の未来 『後編』

「うそ……だよね。おにいちゃん……しんでないよね」


 レティの手を掴むエトネの指は、声と同じくらい震えていた。彼女は呆然と地面に横たわり、動かないレイを見つめていた。


 防具は砕け散り、残骸が体に纏わりつく。肩から胸までに裂傷がはしり、足がおかしな方向にねじ曲がっている。どのような戦いをすればこうなるのか見当もつかない。ただ、レイは最期の瞬間まで戦っていたのか、手にコウエンを握りしめていた。


「だって……おにいちゃんはしなないんでしょ。そういう技能スキルをもってるんだよね」


 正確にいえば、それは違う。


 レイの持つ《トライ&エラー》は時を巻き戻す力。死なない能力では無く、死んだことを無かったことにするべく時を巻き戻すのだ。体が生命活動を止めれば死ぬことに変わりない。


 不死では無く、死を無かったことにする。


 その違いを幼いエトネには理解しづらかった。戦奴隷では無い彼女は《トライ&エラー》が発動しても、時が巻き戻った事を知覚する術はない。だから、レイの力をぼんやりとしか理解していなかった。


 しかし、レティはエトネの間違いを訂正できなかった。なぜなら、彼女もまた混乱の只中に居たのだ。


 この状況が理解できず、ひたすらに目の前の非情な現実を見つめていた。


(……どうして……なの? だって、お兄ちゃんの《トライ&エラー》は時を巻き戻す。お兄ちゃんが死ぬと時が巻き戻るはずなのに、どうして巻き戻らず、ここに死体があるの!?)


 レイの力が死を引き金に時を巻き戻すなら、すでに時は撒き戻っているはず。レイの死体をレティたちが目にすることは二重の意味であり得ないのだ。


 戦奴隷の対等契約としても、《トライ&エラー》の理としても。この状況は本来なら、矛盾しているのだ。


 だけど、戦奴隷の契約は破棄されている。無垢な肌に刻まれていた焼き鏝のような黒ずんだ奴隷紋は無くなっている。レイとレティたちの間に合った、互いの命を縛る契約は無くなっている。レイが死んだとして、対等契約の執行は行われない。


 矛盾した光景から一つ、矛盾が消えた。残るは《トライ&エラー》が発動していない事だ。


 レティは目の前の信じがたい光景から、遂に真実を理解した。


「……お兄ちゃんは……死のイタミに……負けたんだ」


 それ以外、この矛盾した光景に説明は付かなかった。


 レイは地の底の冷たく、寂し場所で死を受け入れてしまった。死のイタミに屈服したのだ。


 辿りついた真実はどうしようもなく悲しい真実だった。


 屈服したレイを責める事は誰にもできない。レティとて、《トライ&エラー》による死に戻りのイタミを味わっていた。あの魂すら削る激痛。不可逆の時を巻き戻すという法則を捻じ曲げる代償。それは想像を超えるイタミだった。レティとて、心を引き裂かれそうな苦しみを何度も味わってきた。一回や二回ぐらいなら、死のイタミを耐える事も出来る。


 だけど、レイはその激痛を何百と味わい、遂には赤龍を地に引きずり下ろしたのだ。それは誰にもできるような簡単な事じゃない。誰が何と言おうと、偉業と呼ぶにふさわしい行為だ。


 そんな異常ともいえる精神力を持ったレイが死に戻る事を諦めたということは、赤龍戦の時以上のイタミを味わっていたことになる。


 たった一人。


 誰かに縋る事も無く、誰かを頼る事も無く、誰かと触れ合う事も無く。一人で死を受け入れた。


「ああ、あああ、ああああ!!」


 死を受け入れたレイの心はどれほどの苦痛と恐怖に包まれていたのか。レティは主の事を思い涙を流さずにはいられなかった。


「……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」


 嗚咽と共に謝罪の言葉が流れ落ちる。


「一人にして、ごめんなさい。一人で死なせてしまって、ごめんなさい」


 レイが一人で死を受け入れたことに、レティは謝っていたのだ。そんなレティの姿を見て、エトネも涙を抑えきれなかった。レティの背中にしがみ付き声を上げて泣く。


 幼女二人の涙をフィーニスは横目でちらりと見た。だが、彼は直ぐに興味を失ったかのように視線を元に戻した。


 自分の正面。レイとナリンザの死体を挟んだ向う側に居る自分の孫へ向き直った。


 シアラは呆然と、レイの死体を眺めていた。金色黒色の瞳は伽藍洞のように昏い穴のような闇を抱き、身動き一つしない。まるで死んでいるかのようだ。


(おやおや。これは意外だな。この子がここまでの衝撃を受けるなんて)


 フィーニスは垂れてくる前髪を再度かきあげると、面白げにシアラを眺める。すると、フィーニスに向けて罵声が飛んだ。


「貴様! 返せ!!」


 いや、跳んだのは罵声だけでは無かった。フィーニスが髪をかきあげて視線を切った一瞬を見計らい、リザが死角から迫っていた。ロングソードを抜き放ち、地面で蠢く影へと這入ろうとする。


 しかし。


「うるさいなぁ」


 フィーニスはリザの方を見向きもせずに迎撃する。彼女が躊躇いなく踏み込んだ影から、三つの杭が伸びる。リザが不穏な気配に気が付いた時は遅い。彼女の体に向けて鋭い杭が迫り、串刺しにされる―――寸前。


「《超短文ショートカット中級ミディアム引力アトラクション!》」


 死体が現れたことで逃げ惑う村人を掻き分けたダリーシャスの新式魔法が放たれた。彼女の体は見えざる手に引かれて後方へと引きずられる。間一髪、杭を躱すことに成功した。


 そのままダリーシャスの魔法に引き寄せられるリザだが、なんと彼女は足で地面を掴むと踏ん張り、抗おうとしだす。地面に剣を突きさし、一歩でも前に進もうとする。


「何を考えているんだ、貴様! 実力差が分からないのか!」


「離してください! コイツは、コイツは許せないんです!」


 引き寄せる力に抗おうとするリザの姿はまさに狂戦士じみていた。晴れた空を思わせる青い瞳に憎悪の炎が燃え盛り、憤怒を吐く口は歯がむき出しとなる。溢れんばかりの殺意を変換したかのように、全身を大量の精神力が包み込む。


「こ、このわからずや!」


 ダリーシャスは吐き捨てると、魔法をワザと止めた。後ろへと引き寄せる引力が無くなったリザの体は踏ん張りがきかず、勢い余って地面に倒れこむ。すかさず、ダリーシャスがリザの背中を押さえつけた。


 成人男性の体重が掛かってもなお、リザは前に進もうとする。


「離して、離してください!」


「くっ、落ち着け! あれはどう考えても、生物としての格が違いすぎる。何も考えずに突っ込めば、死ぬだけだぞ!」


 ダリーシャスに押さえつけられたリザはフィーニスに向けて叫んだ。


「……返せ! 返せ、返せ、返せ!!」


「本当にうるさいなぁ。返せって……ああ、このダガーかい?」


 フィーニスはようやくリザの方を向いた。禍々しき金色の瞳を見たダリーシャスは自分が死ぬイメージを想像してしまい、身を竦めた。レイと同じ年頃の少年のような見た目をしておきながら、彼が纏う重圧は異常といえた。まさに死が人の形をしている。睨まれただけで寿命が縮みそうになる。


 ところがそんな少年の視線を浴びているにもかかわらず、リザは叫び続けた。


「違う! ご主人様とナリンザ様の命を返せ!」


「……そりゃ、無理な相談だ。ボクが『魔王』だとしても、それは不可能さ。人は死ねば、蘇らない。皆等しく、御霊へと昇って行くのさ。せめて、これぐらいは返してあげよう」


 フィーニスは手で弄んでいたダガーをリザに向けて投げた。手首のスナップを軽く返しただけの簡単な投擲。それなのに高速で飛翔したダガーはリザの肩に突き刺さる。


 肉が裂け、血が流れる肩を気にもせず、リザは唸る。


「殺してやるっ! 今は出来なくても、いつか必ずお前を殺してやる!」


「できもしない事を口にするなよ。……まあ、いいか。口にするだけはタダだしね」


 憎悪の炎を滾らせたリザを意識の彼方へ遠ざけると、フィーニスは再びシアラの方を向いた。ところが、彼女の姿は元の場所に無かった。


 いつのまにか、彼女はレイの傍に近寄っていた。動かないレイの頬に手を当てると、その冷たさに息を飲んだ。


「……ねえ。起きてよ。……冗談でしょ、主様。それとも何かの作戦なの。……そうだよって言ってちょうだい。ねえ、ねえ」


 体を揺するもレイは動かない。力なく、揺らされるのに抵抗することもない。当然、その瞼が開くことも無かった。


 シアラが予知した光景がそこには広がっていた。動かない死体となって帰って来るレイとナリンザ。それを齎した、黒い影を引き連れた白い存在。


 彼女がリザに死を請うほど避けたかった未来が、現実となってそこにはあった。


「ねえ、何とか言ってよ。お願いだから、目を覚ましてよ!」


 奇跡は起こらない。


 死体にしがみ付くシアラにフィーニスは躊躇いがちに声を掛けた。


「……驚いたよ。まさか、君が誰かの奴隷となっていたなんてね。……君の主と知っていたなら、これ以外の結末もあったかもしれない」


 その言葉はフィーニスなりの謝罪に近かった。そして、フィーニスはシアラに向けて手を伸ばした。


「シアラ。我が血を継ぐ子よ。ボクと共に来なさい」


 フィーニスの声色は柔らかく、まるで迷子の子供を導くかのように優しく語る。


「ゲオルのしたことは済まないと思っている。それに信じられないだろうけど、ボクはゲオルに君たちの粛清を命じたことは無い。そもそもボクはカタリナのしたことだって()()()()()()よ。あれはゲオルがボクを思い、先走った結果だ。アイツを許してほしい」


 この場に、人魔戦役を経験した者が居れば天地がひっくり返ったような衝撃を受けただろう。


 人類の暗黒期。その中でも人魔戦役の中盤はまさに暗黒中の暗黒。黒を黒で塗りつぶした様な状況だった。


 あと一歩で世界が闇に包まれていたに違いなかった。魔人種だけが生きていける世界りそうきょうに、エルドラドは作り替えられる寸前だった。


 そこをひっくり返された。それまで費やしてきた人材、手間、時間を全て零にされたというのに、この男は恨んでいないと言い切ったのだ。


 よりにもよって血を分けた娘によって。


 普通の感性をした者なら、血縁といえ怒り狂い、激怒して当然だった。


 そうするべきなのだ。


 それなのに、フィーニスは恨んでいなかったのだ。彼は感情が壊れたかのように、見る者をゾッとさせるほど優しい笑みを浮かべて告げた。


「さあ、おいで。君にこちら側は苦しいだけだろ。ボクの元で……今度こそ家族として共に暮らそうじゃないか」


 何処までも穏やかに、優しげな誘いにシアラは、


「―――ふざけないでよ」


 拒絶する。


「……シアラ?」


「名前を呼ばないで。何が恨んでないよ。何がゲオルギウスを許せよ。アンタらは何時だってそうよ! 何時だってワタシから奪っていく! 島の人たちを! 戦争から逃げた、心優しい人たちをアイツは殺した。それを許せって言うの!?」


 シアラの魂から噴き出たかのような叫びは、まさしく純粋な怒りだった。かつての家族とも呼べた存在を、そして今の家族と呼べる存在を奪われた怒りが彼女を突き動かす。


「主様を殺したアンタはワタシの敵だ!」


 叫ぶのと同時に、シアラはレイが手にしたままの日本刀、コウエンに手を伸ばした。主を無くした刃で自分の腕を軽く切った。


 赤い血なれど、魔人種の血が混じるシアラの血は魔力を帯びている。シアラはそれをコウエンに差し出した。


「コウエン! 今だけで良い、ワタシたちの主を奪ったアイツを倒す力を寄越して!!」


『承知っ!!』


 それは幻聴だったかもしれない。しかし、シアラの耳にはたしかに聞こえたのだ。幼い少女が獰猛な笑みを浮かべながら言ったのを。


 シアラの血を吸ったコウエンの切っ先から紅蓮の炎が巻き起こる。それは真っ直ぐにフィーニスへと突き刺さると、意思を持ったかのようにうねり、炎の旋風を生み出した。


 天に届く旋風にフィーニスは飲み込まれたのだ。赤龍のブレスと同等、いや、もしかするとそれをも凌ぐ業火かもしれなかった。


「―――っううう!」


 当然、刀の齎す熱は激しい。両手で握るシアラの手は瞬く間に火傷に侵されていく。しかし、シアラは刀を下げるような事はしない。


 自らの怒りを形にしたかのような旋風に、刀を向け続けていた。


「これは凄い。……これなら、やれたのではないか」


 リザを拘束するダリーシャスが呟く。


 しかし、彼の期待は裏切られる。


 炎の中に黒い人影が見えたと思ったら、その人影は腕を振るった。それだけで勝負はついた。


 旋風の内側から発生した衝撃波は炎を掻き消すだけでなく、周りの建物すらなぎ倒す。距離を取っていた村人たちすら立っていられない程激しい。


 あれだけ猛々しい炎が僅か一振りで消え去った。誰もが言葉を無くしている中で、一つの存在が姿を見せた。


 白い少年が居た場所に、今度は艶の無い黒い塊が直立していた。まるで黒い塗料を塗ったかのような存在は、人の形をしている。まるで全身鎧のように楕円形の仮面を着けていた。


 その仮面が縦に割れると、中からフィーニスの顔が出てきた。


 彼は当然のように無傷だった。


 火傷一つ負っていなかったが、悲しそうに眉を顰めていた。


「そうか……これが君なりの返事という訳か。……なら仕方ない。人として君は死になさい」


 悲しそうに、心の底から落ち込んだかのようにフィーニスは告げる。同時に、彼の体が地面に蠢く影へと消えていく。現れた時と同じように、影を使って消えるつもりだとその場にいた者達は理解した。


 それを止めることが出来る者は居なかった。ダリーシャスに至ってはあからさまにほっと胸をなで下ろしていた。これ以上の戦闘は起きないと安心していた。


 ところが、消えようとするフィーニスに向けてシアラが静かに宣言する。


「アンタは……絶対にワタシが殺す。何処に隠れようとも、逃げようとしても必ず追い詰めて、殺すわ」


「いいえ、シアラ。私達です。私達、《ミクリヤ》が貴方を殺します。例え、どれだけの時間を費やしても必ず。仇を取ります」


 シアラとリザの宣戦布告を受け取ったフィーニスは嬉しそうに笑みを浮かべると、そのまま影に飲まれて消えた。


 そして、地面に広がっていた影もフィーニスを追いかけるかのように集まり、するりと消えてしまった。


 まるで最初からそこに何も居なかったかのように。影も形も残さず。


 だけど、悪夢を象徴するかのように、レイとナリンザの屍だけは残されていた。






 これは絶望の未来である。しかし、引き継がれる未来でもある。


 レイの死に憤り、敵討ちとして『魔王』を追いかける少女たちは否が応にも『七帝』との戦いに巻き込まれていく。


 まるで『招かれた者』の役目を引き継ぐかのように、世界を滅ぼす存在と対峙する。主が残した一振りの刃と雷を宿したダガーを握りしめて、世界を巻き込んだ戦いに飲み込まれていく事になる。


 皮肉にも、それをレイは一番望んでいなかったというのに。レイの死が、彼女たちを突き動かす原動力だった。


 ―――もっとも、物語はすでに別のルートを選んでいる。これはありえたかもしれない未来だが、同時に選ばれなかった過去となった。


 絶望の未来を選ばず、見ようによっては更に絶望的な未来を選んだレイ。その行く先は神にも分からない。


BADエンドならぬIFエンド。


5章の閑話はこれでお終いです。土曜日曜に5章終了時のステータスと人物紹介を投稿します。

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