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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第1章 始まりの街
2/781

1-2 五年という時間

※7/23 空行と一部訂正。

「ごめんなさい」


 それは、見事な土下座だった。

 長い膝を揃え、薄手のトーガを纏った細い腰を下ろし、白い指先を伸ばし、目にも鮮やかな青の髪は背中で波のように広がる。


 まさしくDOGEZAだった。


「つまり、僕は死んだのですか。神様?」


 出されたお茶を飲みながら、卓袱台の向こうで畳に額を擦りつけている神様に向かい問いかける。


「いいえ。死んではいません。寸前の状態です」


 顔を上げずに神様は言う。


「じゃあ、僕は死んでいないのですね?」


「いや、そうとも言えないのさ。これがね」


 隣でミカンを口に運んでいた男が暢気そうに口を挟む。土下座中の女神と同じく青い髪を目元が隠れるほど伸ばした男は唯一外に晒している口にミカンを放り込む。


 指先をミカンの筋で汚しながらも、その佇まいから僕と同じ人間だとは思えない圧力を感じる。それは土下座中の女神からも感じていた。


 この広くない空間が神達の放つ重圧で歪んで見えそうだ。


 汚れた指を自らのトーガで拭きながら男神は言う。


「あのままの君をほったらかしにしたら、確実に死んでいた。なにせダンプカーに吹き飛ばされた挙句、電柱に激突。即死じゃないのが不思議なぐらいだよ」


「本当にすいませんでした!!」


 女神が顔も上げずに叫ぶ。


「しかもその原因が、君の世界に新しくできたパンケーキのお店に行った、浮かれた神の信号無視による飛び出しが切っ掛けの事故だから。本当にご愁傷様」


「マジすいませんでした!!」


 ついに女神は顔を上げた。綺麗な瞳は涙で潤み、おそらく10人が見たら100人が美しいという顔も涙の跡で見るも無残。


 思わず天井を見上げる。

 大学に向かう雨の通学路。確かに青信号を渡っていたはずだ。なにか周りの叫び声を聞いたと思ったら、意識が途切れ、気がついたらこの純和風の部屋に居て、己を異世界の神と名乗る2人に勧められるままお茶を飲んでいた。


 いまだに夢だと思っている反面、しかし、実感は残っている。ダンプカーに轢かれた時の痛み。濡れたアスファルトの感触。体から血が抜けていき、自分の体が冷たくなっていく感触。


 全ての記憶が現実だと告げている。思い出すだけで背筋が凍る思いだ。


 最初は混乱していたが、話を聞いているうちに心は落ち着いてきた。

 どうやら僕こと御厨玲は死亡一歩前らしい。


 しかし、見下ろした体には傷らしい傷は一つもない。生まれたままの姿からはそれらしい跡が無く、尚更実感は無い。


 というかだ。


「なんで僕はさっきから全裸待機を余儀なくされているのですか?」


「肉体は修復中だからね。とりあえず会話をするために魂だけの状態でここに通したのさ」


 なるほど。


「サービスで股間には白いモザイクを入れといたよ」


「なんともリアクションに困ることするな。礼を言えば良いのかどうか迷うだろ」


 ため息を吐き、目の前の女神を見る。未だに土下座をしている彼女の細い肩は震えている。


「それで…いい加減普通に座ってください。このままじゃ話もできません」


 女神に言いながら卓袱台に置かれたボックステッィシュを掴み彼女に差し出す。


「ううう。人の子の優しさが身にしみます」


 顔を拭き、鼻を噛む女神。ようやく落ちついたのか居住まいを正し、目線をこちらと合わそうとする。


「それで、僕はいつになったら帰れますか? ここがどうやら普通じゃないのは何となく分かったのですけど」


 四方の内三辺を障子で囲まれた6畳半くらいの和室に唯一ある壁にはめられた丸窓の向こう側は宇宙空間だった。


 掛け値なしに大宇宙のパノラマのようなものが広がっている。


 時々、巨大な惑星らしきものが通り過ぎていく。


「うん。ここからが大事な話だ。ところで玲君。グロ耐性は有るかい?」


 唐突に男神が問いかける。


「多少なら。でもあんまり得意じゃないです。死体とかは苦手です」


「じゃあ、これかけて」


 渡されたサングラスをかける。それを確認した男神は自分の後ろの障子を開ける。そこには何か・・が居た。


 何かとしか表現できない。なにせモザイクが掛けられたピンク色の物体としか見えない。


「まあ、死体じゃないからとっても大丈夫かな」


 言われてサングラスを外す。


「これが君の肉体。死体一歩手前の物を復元中さ」


「なんて物を見せやがって! 何考えてやがる、あんたは!?」


 思わず叫ぶ。

 確かにそこには僕が居た。と思う。断言できない程、原型を留めずに、言葉にできない肉塊が同じような和室の中央に置かれていた。


「とりあえず、あれがちゃんとした物に戻るまで5年ほどかかるかな。だから君には5年ほど旅をしてきて欲しい」


「旅行ってどこに? まさか天国とか地獄じゃないだろうな」


 頭によぎるのはダンテの『神曲』。あれもいつの間にか死んでいたダンテが旅をする話だ。


「はっはっはっ。まあ近い所、あ、痛い。何をする、妹よ」


「兄さん、真面目に。自分の管理世界を天国ならまだしも、地獄に近い所と表現しないでください」


 女神がボックスティッシュを投げつける。目元は腫れ、鼻を啜るが、さっきよりも大分マシになったように見える。


「改めて自己紹介を。私はエルドラドを管理する13神が1柱。司るのは時。クロノスとお呼びください。こちらは同じく13神が1柱。司るのは魂。名をサートゥルヌスと」


「言いにくいからサターンで良いよ。今回は妹がすまないね。迷惑をかけた」


「はい。まったく」


 ばっさりと言い切った。


 クロノスは傷ついたように全身を硬直させると、再びいじけた様に部屋の隅に移動した。


「だって日本限定の開店記念グッズがあって、急がないと手に入らないし」


「こら、バカ妹。いいから説明の続き」


「……はい兄さん。この空間は神の観測所。ここでは人間の時間は流れません。復元中の貴方の肉体は厳密には人間ではないので徐々に治っていきますが、貴方自身はここに長居できません。そこで私たちの管理する世界で旅をしてほしいのです」


 立ち上がり、クロノスはもう一つの障子を開けた。


 そこにはまたしても僕が居た。ただし先ほどの肉塊とは違い、少しばかり幼いころの僕が、今日着ていたシャツにジーパンを着せられていた。サイズが合わないから端を折られている。


「こちらにあるのはエルドラドで貴方が過ごす肉体です」


「魂だけの状態の君が、この肉体に入ってもらえば向うの言葉や空気に体が順応してくれるのさ。便利だろ?」


 神は口々に説明する。


「……なんで少し幼いの? これって多分15歳ぐらいの頃だよね」


「今の貴方は20歳との事ですが、もし20歳の状態でスタートしたら、旅の終わりでは貴方の魂の年齢は25歳になってしまいます」


「そうなると矛盾が生じて25歳の魂は20歳の肉体に馴染めない。逆に今なら魂を少し削ることで15歳まで落とす事で矛盾を回避できる。15歳で始めた旅の終わりは20歳だろ」


「ちょっとまて。魂を削るって言ったのか、いま?」


「あちらの修復中の肉体にはすでに貴方の魂を少し削った分を残してあります。そうしないと肉体が無い魂は死体と変わりません。治すどころじゃありません」


「安心しな。削った魂は肉体の修復が終わったら用済みとして消える。空っぽの肉体に魂がすっぽりと嵌る寸法ってわけだ」


「……本当に元に戻せるのだろうな」


 口調がきつくなるのを抑えられない。なにせ自分の命がかかった事だ。慎重にもなる。


「無論。俺が俺に誓う」


 断言するサターンを睨む。


 僕の視線を受け止めて、口元を緩める神。ふてぶてしい態度を崩さない。


「信じてください玲様。私達もこれが最善ではないと思っています。しかしこれしか手段が無いのです」


 一方、クロノスは真摯に。そして真剣に語り、一本のカギを懐から取り出し、開けていない障子に向かい当てる。抵抗もなく鍵は沈み、障子が光ると、そこには重厚なドアが出現していた。


「玲様。どうか5年。貴方の時間を私に下さい。必ず貴方の肉体を復元し、元の時間に戻してみせます」


 クロノスが跪き目線を合わせる。僕はクロノスの顔を見る。見た者を引き込みそうな瞳は、確かに嘘を吐いているようには見えない。


 信じてみようと思った。

 たった5年。海外旅行をするような気持ちで過ごしてみよう。おそらくこんな機会、2度は無いだろうし。


「分かった。あんた達を信じて5年。その異世界に行ってみるよ。だから絶対、僕を元の世界に返してくれよ」


「あ、ありがとうございます!」


 花が綻ぶような笑顔がクロノスに浮かぶ。青ざめきっていた肌に生気が戻り、喜びのあまりに僕の両手を握りしめた。柔らかい掌から、彼女の温もりを感じた。


「必ず。その約束は果たそう」


 15歳の僕を抱えたサターンも扉のそばに立つ。


 僕はクロノスから手を放すとサターンの横に立ち扉を開けた。


 そこは一面、暗闇の海だった。

 下を見ても、上を見ても光など無く、ただ暗いだけの世界。


 サターンが怯む僕を後ろから蹴り飛ばした。


「おい! 心の準備ぐらい」


 振り返り文句を言うも、体が落下していくのを止められない。すでに神達の姿は手に届かない距離だった。


「受け取れ、大事な体だぞ」


 底なしの闇の中、幼い僕と一緒に落ちていく。

 どこまでも、どこまでも。


 ★


 御厨玲が居なくなった和室。無言で視線を交わす神達。ドアは閉まり、壁が溶けていく。いや、壁だけでなく和室そのものが溶けていった。

 露わになった本当の天井には星空のドームが広がる。たくさんの星が半円状の空にちりばめられ様々な色の輝きを放つ。


「席に着きたまえ。時の神クロノス。魂の神サートゥルヌス」


 ドームの中心に置かれた巨大な円形のテーブルに複数の影があった。

 皆、同じトーガを身に纏い、思い思いの姿勢で2柱の方を向く。


 促された2柱は空席に座るとテーブルの上空に幾つものグラフや、数字、そしてどこかの映像を映し出した『窓』が開く。


 その場にいる存在は真剣な表情でそれらを見て、ため息を吐く。


「聞くがクロノス。貴様が選んだ候補者になぜ真実を話さなかった」


「私は嘘を吐いては居りません。光の神」


 クロノスと円卓の対面に座る神が詰問すると、当の女神は涼しげな表情で受け流す。


 横手から爆音と炎がドームに放たれた。クロノスの美貌を炎が撫でるが、彼女は意に介した様子を見せない。


「何故、世界崩壊について説明しなかったって聞いてんだよ。あいつが最後の希望だってのは、他ならぬ貴様が知っておるだろう!!」


「騒ぐな、火の神」


 たける男神の隣に座る女神が睨むと、どこからか水の塊が現れ男神に浴びせられた。


「ぬお!? 冷たいぞ、水の」


「頭を冷やせ。この戯け」


「止めぬか、貴様ら」


 再び威厳のある声が諍いを始めようとする神達を抑えた。


「クロノス。どの世界の英雄を召喚するかは神自身が決めるのがルール。我らがとやかく言う義理は無い。しかし、これだけは聞いておく」


「何を、でしょうか? 光の神ヘリオス」


「後悔は無いな」


「無論」


 クロノスは穏やかな微笑みを浮かべるが、周りの神達は疑わしげな視線を突き付ける。


「まあまあ。御一同。そろそろ彼がエルドラドに着きますよ」


 サターンの茶化すような声が神の視線をテーブルの上の『窓』に引き寄せる。


「さて、玲君。君の物語はどんな結末を迎えるかな」


 魂の神は楽しげに呟いた。


 ★


 気が付くと、森の中に居た。時刻は夜のようだ。

 深く暗い森は一メートル先も満足に見えず、幸運にも僕が居る場所だけはぽっかりと開けているため、幾らか明るい。


 大きく息を吸うと、胸に新緑の香りが充満し、生きている実感はある。


 寝ころんだまま空を見上げると、日本では中々見られない満天の星空が目に飛び込んできた。


 さきほどまで居た不思議空間が夢のようだった。しかし、夢ではない。


 現に自分の手足は短くなり、着ていた服は靴も含めて丈が余る。


 だが、何より一番の違和感はすでに目の前にあった。


「……まいったな。月が青い」


 目に飛び込んできた夜空に一際輝く満月は、白い色ではなくうっすらと青く発光しているように見える。

 少なくとも日本では、ああは見えない。


 だとすると、やはりここは異世界エルドラドとなのだろうか? 周囲を見渡すが生き物が居るようには見えない。


 立ち上がり、大きく息を吸う。右手を前に勢いよく突き出し叫ぶ。


「ファイア!」


 何も出ない。


「火よ!」


 何も出ない。


「火よ、灯れ!」


 何も出ない。


「かーめーはー」


 でたら困る。


 一通り、漫画やゲームで知った呪文を試してみたが期待した魔法は出なかった。


「使えないな、異世界」


 10分程費やし、飽きてきた僕はそろそろ移動しようと思い服の丈を折りつつ気づく。


 暗い森の中。何かの気配を感じた。


「……そこに誰かいますか?」


 返事はあった。言葉ではなく、行動で。


 茂みを掻き分けて奇妙な物体が森から這い出てきた。


 グニャリと不定形な形を保ち、不透明な濁った緑色の体。

 まちがいない。こいつは。


「スライム……だよな」


 驚きと、興奮で体が震える。ようやく異世界らしい物と出会えた。


 おそるおそる手を伸ばすとスライムは何かを感じたのか、ピキィと威嚇のような鳴き声を発した。

 すると森のあちこちから同じような鳴き声が響く。


 いつしか合唱となって四方から響く。

 これは、まずい。本能が異変だと叫んでいる。


 思わず後ずさりすると、がさりと後ろから音がした。


 振り返るとそこにもスライムが現れた。スライムB、いや、Bだけでは無い。気づけば取り囲むようにスライムが何体も結集していた。


 ここにきて恐怖心が体を縛る。何かしら武器になる物はないかと体を叩く。


 しかし、何もなかった。


「ちくしょう! 武器くらいくれよ、神様!!」


 その叫びを合図にスライムが一斉に飛びかかる。

 一体が僕を地面に押し倒すと、複数で抑え込みにかかる。もがいても抜け出せない。すると、スライムが熱くなったと同時に痛みが全身に走る。


「ぐぅあ! がぁぁぁぁぁっ!?」


 森に獣の咆哮のような悲鳴が広がり、肉が焼ける匂いが充満する。


 スライムが僕の肉体を溶かしているのだ。


 痛みで暴れるも、スライム達は僕から離れまいとしがみ付き、じゅくじゅくと溶解液のような物を体外へと吐き出す。服を溶かし、肉を溶かし、むき出しになった神経や骨が直接液体に触れると、痛みは益々ひどくなる。


 一分も経たないうちに、僕は意識が遠のくのをわかった。


 ―――畜生、ここで僕の人生は終わるのか。


 世界が暗闇と共に閉じた。


 ★


 全身を震わせて、飛び起きる。


 背骨に氷を突き刺され、骸骨に手足を掴まれ、胴には見えない杭を打ち込まれ、頭部は灼熱の炎で炙られたような痛みで目が覚めた。


 周りを見渡すと、先程と変わらず、森の中にいた。体を見ると何処にも傷は無く。服もとけていない。


 文字通り、何もなかったようにまっさらだった。



 これが異世界エルドラド、1日目。

 初めての死亡。そして復活だった。




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神がこう土下座とか違和感しかないからな。裏があるのが当然か
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