【第六章】 ケインズの野望
第一節 夏子の奇跡
ところで、桜も過ぎ、八重も葉桜となってきた2008年4月。
春樹は2128年の春実とお互いの気持ちを伝え合っていた。
夢と短波を使って。
夏子を助けるための、自動手術がプログラミングされたナノマシンは完成していた。
そのナノマシンはフラーレンで転送可能であった。
問題は、フラーレンが到達する場所、つまり、光が発生する場所は2008年の夏子の鼻の中である必要があった。
ここからナノマシンが脳へ進入するのである。
脳内の出血部位まで移動し、腐った細胞を切除、DNAレベルから再生し、元通りにする。
寸断された神経回路のシナプス結合を復元し、ド−パミンの分泌を正常に戻す。
これらのことを4機のナノマシンが分担して行うのである。
難しい脳外科手術をマシンで自動的に行おうというのである。
そのためには、ナノマシンの存在位置を探査する、フラーレンファインダが必要であった。
春樹は、近くにある神社の隣の大学へ、ニセ学生証で入り込んだ。
工作室には必要な機材は全てそろっていた。
装置を何とか完成させると、病院へ向かった。
夏子のいるICU、その控え室には、看護婦と家族が付き添っていた。
(中には入れてくれそうにないな、、)
春樹は、院内放送を使った。
「夏子さんの容態が変化しました。血液投与準備のため担当看護婦はセンターへ、ご家族の方は血液検査のため、第二診察室へ至急お越し下さい。」
驚く家族とナースは、ICUを飛び出していった。
ICUでは、春樹がフラーレンファインダに、夏子の頭蓋骨の正確な座標を入力していた。
鼻の座標を入力すると、まもなく鼻腔が光った。
6時間後、春樹は自宅で夢を見ていた。
手術は成功したとのメッセージだった。
夏子は数日後には目を覚ますはずである。
「目を覚ました夏子に何を話そうかな。」
春樹は、二人の将来の希望に思いを馳せていた。
第二節 フラーレンファインダ
さて、ゴールデンウィークの人ごみの中、春樹は下北の街で光を追いかけていた。
フラーレンファインダをもって、街中をうろついていた。
光は一度ではなくて、10秒間隔でつぎつぎに発生していた。
「どうやら、フラーレンを一度に複数転送することはできないようだ。」
春樹の疑問は、どうやって未来にたんぱく質を転送しているかだった。
「ある地点にナノマシンを送り込む。
次に、タンパク分子を摘出したナノマシンを未来へ送り返すフラーレンが必要なはず。」
「だとすると、夏子の手術の時のように座標データが必要で、ナノマシンはある瞬間その座標に留まっている必要があるはずだ。」
夏子のいた喫茶店を出て、わき道を左に折れて下っていくと、角にイタリアンレストランがある。
店のメニューの下で日向ぼっこをしていた猫が、ピクッとして逃げ出した。
「あ、あった。」
フラーレンファインダにはナノマシンの影がくっきりと映っていた。
そして、ほんの10秒ほどでピカっと光り、影は消えた。
フラーレンがナノマシンを捕捉し、未来へ戻った瞬間であった。
「動物性たんぱく質って猫でもOKなのか?」
(未来の人間はこんなものを食っているのか、)
春樹はなんだか、情けなくなってきた。
そのまま、商店街の通りへ戻ると、ドーナツ店の前でまた光を見た。
しかし、そこには猫も動物らしき物体もない。フラーレンファインダにも、ナノマシンの影は映っていなかった。
「気のせいかな、、」なんとなく気になるので、猫を追っかけてそこらじゅうを歩き回る。
下北沢の街は意外と猫が多い。
今度は北口を越えて、コドモショップを通り過ぎて、科学教材店の前あたりにくると、ピクッと動いた猫を見つける。
フラーレンファインダにもくっきりと写っていた。
「世界中の人類へのたんぱく質の提供であるから、相当な量が必要なはずだ。
分子レベルではひっきりなしにやっていないと埒が明かないんだな。」
こんどは、マシンの位置めがけて、自分の靴を手で持って、ひっぱたいてみた。
マシンはどこかにいったか壊れたようで、探知しなくなくなった。
「俺の考えが正しければ、この場所へフラーレンがナノマシンを捕獲にくるはずだ。」
その場所へ靴をおいていると、10秒後には、光とともにブチっという音。
靴に穴でも開いたのかもしれないが肉眼では見えない。
ちょっとにおうので、多分そうなのだろう。
「やっぱり、夏子の場合はこの状態だったのか。」
そうなると、さっきのドーナツ店の前でみた光は、何故、、ふと疑問が浮かび上がった。
「あれが、フラーレンだとしたら。」
ナノマシンが待機していない空間で光った光、
「フラーレンは何を捕捉して未来へ帰っていったのかな。
第三節 ウィルスの解明
2008年5月、春樹は夏子の意識が回復したのを確認した。
ICUからは出ていないが、退院は時間の問題であった。
ケインズのフラーレンは何を持ち帰っているのか。
ケインズへの疑惑を明らかにするために、最重要なこととなった。
フラーレンファインダで空中のフラーレンの位置がわかれば、その座標を送信し、その時間より少し前の時間を狙って、春実がフラーレンを打ち込み、ケインズより先に採取すれば、何を送っていたのかが判明するというわけである。
空中での光を探しあるいた。空中で光ったフラーレンの座標と時間を春実に送信した。
春実が転送した、回収用の大型フラーレンは、ケインズのフラーレンをまるごと捕捉し、2128年に持ち帰った。
春実の分析結果は、、意外なものであった。
それは、大気中のウィルスであった。
2100年には存在しない、インフルエンザウィルス。
インフルエンザを必要とするのはZ-PDRウィルスしかない。
インスフルエンザウィルスを培地として、Z-PDRウィルスは繁殖する。
インフルエンザの培地が必要なのは、Z-PDRウィルスを大量に繁殖させるためとしか考えられない。
「役に立たずに、開発が中止されたウィルスを、なぜ今頃。」
春実と春樹の疑問は、そこにあった。
謎のウィルスにより動物へ感染し、慢性化したと考えられていた拒たんぱく質症は、
元は、発症後数日で回復するアレルギー症のようなものである。
「拒たんぱく質症を引き起こしているのがZ-PDRウィルスだとすると、、、分かったわ!」
春実は言った。
感染力が絶大のウィルスである。
「何度も感染すれば、慢性化したように見せかけることができるわ。」
夢で、春実は春樹に必死で説明していた。
「人類が常に、拒たんぱく質症に感染しているようにするためには、地球にZ-PDRウィルスが蔓延していればいいの。
そのためには、培地となる大量のインフルエンザウィルスが必要だったのよ。」
目覚めた春樹は、春実の言葉を思い出していた。
(実際には、ウィルスを世界中にばらまくことは不可能だ。
しかも、人類を絶滅の危機にさらして、世界政府にどんなメリットがあるというのか。)
世界政府への疑惑を抱きながらも、春実の考えは極端なように思えた。
第四節 ケインズの正体
2127年 春実は渡米後すぐに、世界政府の監視下に置かれ、地下実験施設に軟禁されていた。
ここから、春樹へフラーレンを放ち、夢で連絡を取り合っていたのであった。
そして、2128年、ついにケインズの野望が明らかになった。
この時、ケインズは、ちょうど世界政府の正面ホール、セキュリティゲートを通過していた。
「ケインズ総裁、レベル1武器所有ありません。
お入りください。」
セイラからクリアーのアナウンスが流れた。
セイラとは24時間、世界政府の全てのエリアで、レーザ銃、EMP砲、刃物などの武器チェックを
行っている、セキュリティ人工知能システムである。
武器となる可能性のある物質、行動を全て自律的に判断し、排除する能力を持っていた。
武器チェックのあと、ケインズとテクノクラートたちは地下実験室へ向かった。
春実はケインズを睨んだ、
「博士、あなたは、自分が世界政府の総裁になるために、人類を破滅に導いたのですね。
あの失敗作があなたを変えてしまったのですか。
あなたを尊敬していた私の家族を殺してまで、あなたは何を手に入れたの?
総裁の椅子、それだけ?
世界が、全人類が、あなたを信じ、あなたに期待していたのに。
あのウィルスさえ、失敗しなければ。」
泣き崩れる春実に、ケインズは薄笑いを浮かべ、ゆっくり話し始めた。
「そうではないよ、春実君。」
「Z-PDRウィルスは最初から害虫駆除用に開発したものではないのだよ。
人類が、滅亡の危機に瀕するように、わざわざ、私が、開発したものだ。
しかし、あのウィルスは地球上では5分程度しか持たない。」
葉巻の煙を春実に吹きかけながら、ケインズは続けた。
いつの間にか、春実の両腕を、世界政府の秘密警察が掴んでいた。
「感染を、持続させるためには、常にウィルスを、大気中に充満させておかなくてはならない。
どうやって、ウィルスをばら撒くかって?
だから、世界中に合成たんぱく投与センタを作ったのだよ。」
全ては、ケインズとテクノクラートたちのシナリオであったのだ。
「しかし、Gプロテインを作られた時は、私もさすがに焦ったよ。
合成たんぱくが不要となっては、センタが閉鎖されてしまう。
そうなると、拒たんぱく質症が一過性であることがばれてしまうからね。」
真相を聞いて、春実は愕然とした。
「小山内も無茶をしたものだ。」
遠くを見つめて話すケインズはどことなく残念そうだった。
「Gプロテインの製造方法を公開するとは、想定外だった。」
屹っと見つめる春実を見て、ケインズはテクノクラートに聞こえないように静かに言った。
「そうか、君はもう自分の使命を、自分の運命を知っているのだね。」
夏子のことは、ケインズも知っていた。
そして、実験室を出ながら、テクノクラートや春実に聞こえるように、そして、冷ややかに言った。
「さて、歴史を元に戻そう。夏子さんには、もとの植物状態に、戻ってもらわなくてはな。」
ケインズは、自らの野望を達成させるためには、夏子の行動を拘束する必要があった。
夏子の過去の行動で、未来の春実に遺伝子的な影響が出てはならないのである。
そのためには、ケインズはどうしても夏子の意識を奪う必要があった。
第五節 夏子の使命
手術用ナノマシンは、時空をずらして4機転送していたが、春樹からの電波は全て傍受されていた。
ピンクノイズでカモフラージュされた情報も解析され、4機のマシンは全て追尾されてしまっていた。
短波を使った過去との通信は、小山内とケインズとで考えたものであったからである。
ケインズは、その4機のデータから病院の夏子の頭蓋骨の座標を特定していたのである。
夏子は意識が回復したものの、まだICUからは出ていない。
「このままでは夏子が危ない。」
春実は春樹へ助けを求めた。
春実からの緊急メッセージは春樹にある決意をさせた。
「ケインズは、必ず夏子を攻撃にくる。」春樹は確信した。
しかし、回避するすべはなかった。
春樹は、一瞬の隙を見て、ICUに入り込み、夏子が眠っていたベッドを、少しずらした。
ICUを出て、夏子を監視しようとしたそのとき、ICUに光が見えた。
「もう来たのか!」
夏子の元の頭の位置だった。
フラーレンファインダにはナノマシンが写っていた。
「あと10秒っ」
春樹は、看護婦の手を振り払い、ICUに飛び込んだ、もう猶予はなかった。
「あと6秒で、次のフラーレンが来る!」
いくら、フラーレンを破壊しても、10秒後には、次のフラーレンが攻撃に来るだけであった。
夏子が死なない限り追撃の手は止まない。
「バシッ!」
ナノマシンを叩き落とした。
しかし、夏子の頭の位置を割り出し、次のフラーレンを送り込むことは彼らにとっては造作も無い。
「ちょっと、あなた、何なんですか!」
医師や家族にひきとめられる春樹、
手を振り払って、夏子のベッドへ飛び込んだ。
そして、夏子の頭をずらし、自分が横になった。
「早く、降りなさい、何してるんですか!」
医師が春樹を引きずり落とそうとしたそのとき、
誰も気がつかなかった、、。
「ブチッ」という鈍い音と共に、春樹の意識はなくなった。
ケインズは、夏子と思われる座標の生命体が、2008年5月に植物状態になったことを確信し、安堵のため息をついた。
「ふうっ、世話をかけやがる。」
ところで、Gプロテインによる昆虫へのリスクを小山内は想定していた。
Gプロテインで強化された細胞を分解する、分解酵素を大量生産させる製造方法が何処にあるかも知っていた。
その製造方法は、なんと、春実の遺伝子の中に埋め込まれていたのである。
さかのぼること120年、夏子の遺伝子から交配を重ねて、4世代後の春実にその情報が完成されるようになっていた。
つまり、島田夏子は春実の祖祖母にあたる。
通常の人間には理解できない情報伝達の仕組みであった。
このことを、ケインズは小山内から聞いており、夏子の性交には正確なDNAで構成された人工精子が必要とケインズは思い極めていた。
誰ともわからない男、例えば春樹の様な男と関係を持ってしまっては、分解酵素の製造方法は正確に伝達されなくなってしまうと考えていたのである。
第六節 テクノクラート
人類の大半が、これまでと変わらない生活を営んでいる2130年6月。
一見平和であるが、一部の特権階級は、Gプロテインを服用し、スーパー・ヘパ・シティに転居を終えていた。
肉食昆虫の襲撃で命を落とす人間が報道されるようになっていたが、交通事故死のニュースほどではなかった。
昆虫の大繁殖で人類、動物の滅亡が始まるまで、あと4週間であった。
世界政府が小山内を殺害しなくてはならなかった理由、それは、
Gプロテインは昆虫への過剰投与で、肉食化させてしまったが、その昆虫から身を守るもっとも確実な方法は、人間もGプロテインを摂取することであった。
Gプロテインを摂取した人間を肉食昆虫は食べなかったのである。
4週間後に人類滅亡が始まれば、Gプロテインはシティの外にいる人間に高く売れるようになる。
一部の特権階級が更に巨万の富を欲しいままにできるのである。
このために、小山内は命を落としたのであった。
そして、Gプロテインの効果が明らかになるにつれ、Gプロテインはケインズの読み通り、一部の特権階級と富裕層にのみ投与されていった。
さて、小山内の焼け焦げた自宅は、すっかり片付けられ、今はただの広場になっていた。
しかし、その地下実験室は今も存在し、その下に無停電サーバルームが今も稼動している。
タイムスリップ装置を完成させたときから、フラーレンの全ての座標データは、小山内の地下研究室へ集められていた。
人類滅亡まで、あと3週間。
今そこには、ケインズが立っていた。
全システムのパスワードは、小山内だけでなく、ケインズの記憶にもあったのである。
そして、生命維持装置を稼動させるため、サーバールームのシステムを再起動した。
ここは、世界政府に監視されているシステムであった。
小山内のシステムをケインズが再起動したということは、世界政府にとって不可解なことであった。
十分な富を得たテクノクラートにとって、ケインズはやっかい者になりつつあった。
テクノクラートの次の抹殺ターゲットはケインズとなった。 |