【第三章】 七夕の二人
第一節 下北沢のニート
ここは、小山内の華燭の宴より83年前の、2007年6月の下北沢である。
悲劇はここから始まった。
ミニスカにラメ入りのパンストが妙に色っぽく、白いコスチュームのブルーラインが目を引くお姉さんが、コドモダケを片手に笑顔を振りまいている。
「今、セールやってま〜す。どうぞお立ち寄りくださ〜い。」
ここ、下北沢南口商店街では、コドモとBUの携帯戦争の真っ只中にあった。
戦争といっても、2007年の日本の戦争というものはこの程度のものである。
北朝鮮やイラク問題など、国際政治的に日本は不安定な立場にあるにも関わらず、日本国民に危機意識は全くなかった。
数十メートルおきに乱立した携帯ショップは、どこも新規0円を連呼している。
「うっ、、」
商店街の雑踏の中をぬぼぅ〜っと歩く、ナイナイの矢部のようにひょろっとしたタイプの男。
山田春樹、下北沢在住の19才である
彼は、一番街商店街を登りきったところにある、私立高校へ通う高校3年生である。
しかし本人は、引きこもりの登校拒否中で、ニートまっしぐらであった。
おまけに、友達は受験勉強で手一杯である。
(こんな自分にかまう友人など一人もいない。)
春樹も十分に分かっていた。
下北沢の街を、散歩しては、喫茶店へ顔を出す毎日であった。
昨日は一番街の途中にある、古い物ばかりの喫茶店に寄り、ニガニガブレンドで一日つぶしていた。
(今日は、ジャズ喫茶かな。)
そう思った春樹は、小田急線を渡り南口商店街に降りた。
ビリヤード場の側を通り、線路沿いの道を行くと、春樹の横をカップルが追い越した。
二人は、すぐ右のラブホへ入っていった。
こういうのを、春樹は好まない。
ニートまっしぐらのわりには、間違っていると思ったことには決して流されない。
古いくさい良識と、芯の強さを持っていた。
それなのに、、、。
春樹は、近くの国立大学附属中学を受験した。
先生から、太鼓判を押されるほどであったが、なぜか、結果は失敗であった。
受験に失敗した時から、全てが変わった。
目的を失い、家族からも厄介者扱いされつづけた春樹であった。
周りの目がそうなのだから、嫌でもこうなってしまう、当然といえば当然、の結果だった。
ラブホの向かいに、真空管をディスプレイしたジャズ喫茶がある。
「カラン〜カラ〜ン。」ドアをあけると、
釈由美子に似た、綺麗なバイトの女の子が迎えてくれた。
第二節 おさななじみ
「いらっしゃいませ、、、、、お決まりですか。」
JBL4343からは、大きめの音量でジャズが流れている。
他のお客に気兼ねするわけでもなく、そのバイトの子は寄ってきた。
「な〜んてね、春っち、昨日来なかったね、隣座っていい?」
島田夏子19才、世田谷線沿線にある、名門女子高の3年生である。
ジャズ喫茶で、バイト中であった。
「うっ、、。」 春樹はこれ以外の言葉を口にしたことが無い。
「うん、あ、はい、
アイスコーヒですね。」
「ねぇ春っち、
私、今日6時にあがるから。」
「うっ、、。」
(こんな自分にかまう友人など一人もいない。)
春樹も十分に分かっているはずであった。
しかし、、、
名門女子高の3年生が、夏の受験戦争真っ只中なのに、毎日喫茶店でバイトし続けている。
これは、あり得ない事である。
春樹は、夏子が今なぜここにいるのか、全く気づいていなかった。
春樹にとって夏子はおさななじみ、ただそれだけだった。
小学生の時、すでに可愛かった夏子は、人気もあったが、イジメも多かった。
雪の降る朝、下駄箱の上履きには泥水が入っていた。泣きべその夏子に、
「大丈夫だよナッチン、こんなの平気だよ。」と笑いかけていた。
手を真っ赤にして、冷たい水で上履きを洗い、宿直室に忍び込んでストーブで乾かしたのは春樹だった。
塾の帰りに中学生に囲まれて、いたずらされそうになった時には、自転車で突っ込んでいって夏子を助け、逆にボコボコにされた春樹だった。
泣きべその夏子を、春樹はいつも全力で助けた。
しかし、今の春樹は自分で作った殻に閉じこもったままで、夏子はただのおさななじみであった。
それでも、夏子は、ずっと春樹のことを信じてきた。
今でも、、春樹の負担にならないよう、ひっそりと信じ続けている。
第三節 夏子の想い
下北沢の街並みを春樹と散歩する、、。
「春っち、今日はきてくれてありがとねっ。
明日も来てくれる?」
二人だけの時間は夏子にとって、切ない思いを忘れていられるひとときであり、
辛いことも、将来の不安も、全てを明日の元気に変えられる時間であった。
夏子のそばには、
いつも春っちがいたの。
春っちの
まっすぐなところがすき。
春っちの
やさしいところがすき。
春っちの
全てが、、好き。
原宿を歩いていて、スカウトされたこともある、釈由美子に似た、美少女の気持ちは、春樹には、全く届いていなかった。
「春っち、
おなかすいたぁ、
カレー食べよっ。」
「うっ」
南口商店街を、茶沢通りに向かって下っていって、駄菓子屋をすぎたあたりを、右に曲がる。
路地の奥に、行きつけのカレー屋がある。
夏子のおじさんがやっているカレー屋で、夏子のお気に入りである。
春樹は、カレーよりも、ロジャースのBBCモニタスピーカから流れる音楽の方を気に入っていた。
野菜カレーを堪能し、店を出たところで、春樹は突然、キラっと輝く光を2、3個見た。
次の瞬間、
「ブチッ」
という鈍い音と共に夏子が春樹に倒れ掛かってきた。
誰も知らない、、人類絶滅の危機の始まりであった。
第四節 別れと出会い
今、関東中央病院の脳神経外科病棟で夏子は目覚めることなく眠っている。
原因不明の脳内出血であった。
何が起こったのか、結局、誰にも分からなかった。
春樹自身も何が起こったのか、全く理解できていない。
夏子がいないということがどういうことかを理解できないまま、下北沢の街を、一人で、当てもなく彷徨っている。
春樹の頭の中は、だんだん、夏子のことで一杯になってきていた。
頭や心から溢れ出る、夏子への感情が、、、自分の何かが、、、変わってきていた。
すると、ふと妙な変化に気づいた。
あの光である。
ときどき見かけるあの光は、気にしなければ全くわからないような一瞬の光であるが、
確かにそれは、存在した。
そして、この光を見た日から、毎晩、同じ夢を見るようになっていたのである。
夢の中に出てくる女性は、どこか夏子に似た30才くらいのお姉さん、という感じだった。
この女性の微笑みに、次第に、春樹の心は癒されていった。
そして、この女性と会うことが、日に日に楽しみになっていったのである。
この頃は、あの光は、部屋の中でも、見るようになってきていた。
春実と名乗ったその女性と、毎日、夢の中ではあるが、二人で野原を駆け回ったり、
デパートでウィンドウショッピングしたり、海岸で寄り添ったりしていた。
そしてついには、、、春樹は、春実と夜を共にするようになった
第五節 メッセージ
夏子の事故から1ヶ月後の2007年7月。
春樹は、夢で、春実と夜をずっと過ごすようになっており、一日中ベッドから出ることがなくなっていた。
親が見る限りでは、病状はますますひどくなってきており、引きこもりが深刻になっているように思えたのである。
夏子への思いと夢で見る春実は完全に重なっていた。
寝ているのか起きているのか、昼なのか夜なのか、夢か現実か、春樹には、もう分からなくなっていた。
そんなある日、春実が急に夏子の容態を告げ、助けを求めてきたのである。
その夜の夢は、変にリアルで、夏子の入院している関東中央病院でのやり取りであった。
春樹には、両親の姿が見えた。
(あ、おばさんが泣き崩れている。
おじさんの右手がおばさんを抱きかかえていて、左手は硬く握り締められている。
おじさん、震えているみたいだ。)
医者が夏子の両親に説明していた。
「夏子さんは、残念ですが、回復の見込みはありません。
脳内出血のあとが、あまりよくありません、
原因不明のため、手術もできないんです。
ICUへ移りますが、せいぜいもって、あと半年、春まで、
といったところです。
申し訳ありません。残念ですが、手の施しようが、、」
夏子の容態を、夢で知る事となった春樹に、春実は話し続けた。
「春樹さん、お願い。
大切なものは何かを考えて。
人は、不完全で弱いわ。
不完全だから、努力するの。
弱いから決意するの。
春樹さん。
あなたは
今、進まなくてはならない。」
春実は真剣な顔つきだった。
「だから、考えて、
今、しなくてはならない事。
今、あなたに必要な決意。」
「もう時間がないの。
春樹さん、私たちを助けて!」
春実は切羽詰った様子だった。
「お願い、時間がないの。」
「春実っ!」
自分の寝言で目を覚ました。
春樹は、夢の中の、春実の言葉をしっかりと覚えていた。
春樹の何かが吹っ切れた、目に見えない大きな力が背中を後押ししたようだった。
「ナ ッ チ ン、、。」
面会時間をとっくに過ぎた、明け方未明、バイクの音が一番街商店街に響いた。
第六節 告白
2007年7月7日未明。
七夕の朝の病棟は静まり返っていた。
ナースステーションには看護婦も見当たらない。
病室に走る春樹、
「夏子?」
夏子は病室にはいなかった。
「ICUか、夢の通りだ。」
実際、夏子はICUにいた。
症状は安定していたが、ヘアネットに防塵服を着てICUへ入っていくと、そこには、家族がいた。
この瞬間から、春実は夢に出てくる、綺麗なお姉さんでは無くなった。
「夢は、現実へのメッセージ、
春実は、どこかに実在する。」
春樹はそう確信した。
家族は、迷惑そうに春樹を見た。
「おまえさえいなければ、、。」
口に出さなくても、そういう思いが伝わってきた。
夏子は眠っている、ただそれだけのようだった。
決して目を開けることのない夏子に向かって、春樹は言った。
「ごめんな、夏子、
俺が助ける、きっと助ける。
はっきりと分かった、
ずっと君が好きだったこと。
はっきりとわかった、
大切なものが何か。
はっきりとわかった、
何をすべきか。
ありがとう、夏子
もう、俺は逃げない
愛してる 夏子。」
七夕の朝、二人の思いは、互いに届かぬ形で通じ合った。
それから春樹は、夢で春実に助けを求めようとしたが、何度見ても夢というものは、思い通りにはならない。
夢での春樹は、自分で腹が立つほど、相変わらず能天気で、春実との快楽の夜を過ごしていた。
絶望の中、夏子のいない街へも出なくなった。
春樹はどんどん春実に惹かれていき、引きこもりは完全なものとなった。
夢の中で春実は言った。
「私は今、28才。
26才のとき、父、
小山内英治のいた
アメリカへ渡ったの。
父はMITの教授をしてたわ。」
春実の時代はC60@C240@C540型多重フラーレンTMR素子を使った時空跳躍が可能となっている。
春樹の夢は、未来から転送されてきたフラーレンの中に封入されたナノマシンが春樹の脳の海馬を直接刺激した結果であった。
毎晩、春樹の部屋で見た光はフラーレンが到着した瞬間だったのである。
「MITか、」春樹は呟いた。
第七節 春樹の決意
自分の今の状況と、決意すべきことのギャップの大きさに始めて気がつく春樹。
一人ではどうしようもない状況にあり、いつもなら現状逃避していた春樹。
しかし、今ここには、これまでと違う春樹がいる。
(出来る事だけやったんじゃあ駄目だ。
やることは決まった。できない事をどう解決するかだ。
しかし、一人ではできないことだなぁ。ちょっと当たってみるか、。)
春樹にもかって友人は少なからずいた。
どうやって解決するか、どうやって、MITに乗り込むか、親友だった和也を訪ねた。
「お、春樹、珍しいな1年ぶりくらいじゃん。」
思いつめた顔の春樹を見て、和也は、はっと息を呑んだ。
「元気そう、、じゃ、なさそうだなぁ。
まあ、あがれよ。」
春樹は、話し始めた。
「和也、たぶん、、
信じないと思うけどな、、、」
延々と、夢の話を聞かされた和也は、たまったものではなかった。
それでも、和也は言った。
「しかし、大丈夫か?
頭いっちゃったんじゃない?
それより、高校卒業しろよ。
出席日数ねえぞ、お前。」
夏子のために影になって、夏子を守り続けてきた春樹のことを知っている和也である。
和也は今でも、春樹の親友であった。
(犯人が春樹であるはずがない)
和也にとって、夏子の事件はどうも腑に落ちなかった。
「なあ、ナッチンのためなんだろ。
春樹は昔から、
ナッチンのことになるとなぁ。」
春樹の夢物語を全てではないにしろ、否定することなく受け入れてくれた和也であった。
「ナッチンねぇ、、、。
だいたい、いまごろ気がつく奴がいるかって〜の。
まっ、しょうがねぇなぁ、2〜3日待ってろ。」
春樹は思った。
「確かにな、高校に行っていないんだから、大学の前に高校だな。」
出席日数も足りなければ、単位も足りない。いろいろ相談したが、
「MITじゃあねぇ。」
学校も家族も相手にしてくれるわけはなかった。
和也も同様であった。
第八節 親友はハッカー
「MITじゃあね、そんないい手があったら、俺が先に行ってるよなぁ。」
インターネットで調べても、そんなうまい話が検索できるわけがなかった。
アマチュアハッカーを自称する和也も今回はお手上げである。
「当たってみるかな。」
和也は国内の、インターネットチャットに投稿してみた。
『MITへぜひ入学したいんです。どなたか助けてください。』
翌日になっても返事は来ない、夕方に来た返信は、中傷ネタばかりであった。
「これじゃあ、だめだな、
そうだ、この手だ!」
こんどは、タイトルを変えてみた。
『(極秘)MITのサーバへ最速で潜入できる手段を競う』
そして、これを日本のチャットではなく、海外のチャットに流したのである。
和也はデタラメな進入方法を書いて投稿し、最速だろうかと問うてみた。
すると、3分とたたないうちに、それではだめだ、こうしろ、ああしろ、
とものすごい反響になっていた。
どうやら、極秘だの潜入だのはハッカーの琴線に触れるようで、競うと
したものだから、われこそと思う世界中のハッカーから返信が来たのである。
和也は次に、将来に至る代々の学長へ天誅を下す、として、将来の学長へ
メールを送信する潜伏型時限メールの設置方法、
MITに外部の人間が堂々と入り込んで我々の天誅サーバを設置する方法、
など、場を盛り上げるように見せかけて、必要な手段をどんどん取り入れていったのである。
最後に、和也は、ボストン近くに住んでいると思われる二名のハッカーに的を絞って、
本来の目的を伝え、協力を求めていた。
ネオ、ジャックの二名である。
彼らは時空を超えた冒険と恋人の命を救うストーリに魅力を感じ、快く引き受けてくれたのであった。 |