(3)
安藤さん――類香さんは、思い返しただけでも鼻血が出そうなくらい妖艶だった。くっそ、やっぱりいいわ、生身。あんなに弾力があるものだったっけ、すっかり忘れてた。
那奈はその姿を変えることはできなかった。火葬された時に着ていたお気に入りのオレンジ色のワンピースのままの姿なので、幽霊なのにどこか陽気で明るいイメージだった。当然ながら那奈を抱くことなどできない。自分でするのを手伝ってもらうことはよくあるが、結局接触しているのは自分の手なわけで、手淫以上の何物でもない……あー……健全な男子としては、なあ。
それに、やっぱり那奈の死因が死因なだけに生身の女を抱くのは怖かった。またあんなことになったら……だからといって殺しても死にそうにないような女はタイプじゃない、どうしてだか昔からちょっと儚げな女が好きだった。那奈は、そういう見た目だった上に話すと結構面白いやつで、笑い方がかわいかったんだ。
類香さんは……那奈とは違う。艶やかで健康的なボディ、豊満な胸、そしてあんな風に妖艶に俺を誘惑しておきながら喘ぎ声がめっちゃかわいくて、M気味なのがすっげえツボった……何、そのギャップ。ヤバい。好みが変わってきたんだろうか。
「すっごい……よかった」
事後、あんな美女にそんな事言われてみろよ! 狂うわ。
俺は……一生このままだと思っていた。ひとり老いてゆく俺の傍で、いつまでも若く明るい那奈の幽霊。それこそ、那奈から「陽ちゃんじじくさい」と愛想を尽かされる日が来るまで。セカンドバージンならぬ、セカンド童貞のまま。しかし類香さんのように那奈を遠ざけられる人もいる、と知った今、正直言えば揺らいでいた。
類香さんを抱いている間、那奈の事はこれっぽっちも頭を過らなかった、と言えば嘘になる。でも体の良い言い訳――俺は生身の男なんだ、幽霊とはHできないんだ……そう繰り返しながら溺れていた。一人、夜道を帰りながら、いつ那奈が戻って来るだろうかとドキドキしていたのに道中は顔を出さなかった。
部屋に入ると気配はする。
「那奈? 帰ったの? ただいま」
「おかえり」
その小さな声は、いつもの明るい那奈の声ではなかった。何か察したのだろうか。
「どこにいる?」
「陽ちゃん……」
反射的に声の方を……足もとを見ると、そこにいたのは手のひらサイズの那奈だった。
「えっ、なに!? な、なんでお前……」
しゃがみ込み掌に乗せ顔の近くまで持ち上げた。持ち上げた、と言っても質量があるわけではないんだけど。
「陽ちゃん……陽ちゃん……」
「なっ、なに泣いてんだよ。なに、これどうやったら元に戻るの」
「もう……無理」
類香さんのあの怪しげな祭壇が脳裏に浮かぶ。何か、されたんだろうか。
「む、無理ってどういうこと」
「陽ちゃん……今まで、どこ行ってたの……私、見えなかった、陽ちゃんが見えなかった。探したんだよ?」
身体が小さいと声も小さくて、多分わんわん泣いてるんだろうけどか細い泣き声しか聞こえない。
「それ、に、何、この匂い……」
ハッ。こ、香水? いや、お香? そんなものは焚いてなかったはずだぞ。
「頭、痛くなる……」
那奈は俺の手からフッと消えると、隣の部屋へ入って行った。どうやら類香さんのことは気付いてはいないようだが、何らかの変化を感じたことは明確だろう。そんなことで那奈が元に戻るかどうかはわからなかったが、慌ててシャワーを浴びゴシゴシと身体を擦り、シャンプーも3回した。
しかし寝室に入っても、那奈は見当たらない。呼んでも出てこない……また、消えたのか? それとも完全に……?
類香さんは、彼女を作れば成仏する、と言った。それはどの時点なんだろうか。確かに類香さんとHはしたけれど「正式にお付き合いしましょう」みたいな話はしていない。
Hはしたけど……Hは……や、やばい……思い出した……鎮まれって。こんなとこ那奈に気付かれたらなんて言い訳すりゃいいか。
大体、那奈が俺に彼女ができたからって成仏するとは思えなかった。やきもち妬いてジャマしたりするだろ、普通。……いや、しないのか? 今までそういう状況になった事がないからなあ……
それにしても……まさか、このまま消えてしまうのか?
*
「陽一、お前最近さあ……」
朝、やはり那奈を見つけられず一人で大学へ行くと、三好 尚登が声を掛けてきた。何となく俺の後ろを覗き込んだり、キョロキョロしながら。もしかして……一瞬ギクっとした。
「ななななに」
「……いや、何でもない」
尚登は特に親友とか仲がいい、というわけではないが、似たような講義の選択をしたりするので何となく協力体制を組む仲だった。しかし踏み込んだプライベートを話したことはない。
「何だよ、言えよ」
「何でもないって」
しつこく問い詰めると、ようやく口を開いた。
「お前のその、背後についての……いや、気を悪くすんなよ、まあなんていうか」
「見えるのか」
「えっ、あ? あー、……いいのか、お前わかってるんだな?」
「女がいる、ってことだろ……なんだよ、何で今まで黙ってたんだよ」
「こういうのはよほど邪悪じゃない限り、言っちゃいかんことになってんだよ。それに、彼女ちょっと……いや、それはいい、置いといて、彼女もオレが見える人間だって気付いてないとは思うけど。ここ数日見ないけど何かあったのか?」
「えっ……」
「なんで顔赤くしてんだよ」
「やっ……」
「やっ、じゃねえよ、吐け! 吐きやがれ!」
その口調がただ面白がっているわけではない事に少し違和感。俺は相手を明かさずに、実は年上のお姉さまに誘われて、という話をした。話している間も茶化す風はない。
「お前、馬鹿か! そんなことしたら彼女、怨霊になるぞ。大体見てたんじゃないのか」
「それが……その彼女の家は結界張れてるから、って……いや、マジで、厨二病とかじゃなくて」
それを言った途端、尚登の目の色が変わった。
「その人……この大学内か」
「……う」
「やっぱりそうなんだな――誰だ。風見か、安藤か」
押し殺したような声で睨み付けられ背筋が凍った。
「な、なん……」
「年上っつったな、安藤、類香だな。……ヤッた、って……はあぁぁ……この、馬鹿!」
「バ……って、お、お前だってあんなのに誘われたら……」
「そう言う問題じゃないんだけど……あ、もう時間だな。また昼休み、ここに来てくれ。もし、霊の彼女さん現れたら捕まえとけよ」
「あ、ああ……」