挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
片道15分の恋人 作者:桜庭かなめ

恋人編

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

17/75

4月25日(金)-前編-

恋人編


 今日も僕はいつもの午前七時三十分発、各駅停車八神行きの電車を待っている。
 だけど、今日は昨日までと違うことがある。いつもの電車に僕の恋人が乗っている。先頭車両の一番後ろの扉が開くと栞が僕を待っていてくれる。
 今までもいつもの電車が来ることにドキドキしていたし、今だってドキドキしている。けれど、このドキドキは昨日までのとは違う。不安とかは全然なくて、どんどんと温かい気持ちになる。
『間もなく、一番線に各駅停車、八神行きが参ります』
 来る。栞の乗っている電車が来る。
 その瞬間、ドキドキが昨日のような不安なものになる。昨日、栞と恋人同士になったことが夢のように思えて、本当に夢だったというオチな気がしてしまうから。
 そして、いつもの電車が到着する。
「悠介君。おはよう」
 いた。電車の中に栞がいた。
 その瞬間、ドキドキが再び温かいものになる。恋人同士になっても栞のことを見るとドキドキが膨らんでいく。
 栞は嬉しそうな表情をして僕のことを見る。
「おはよう、栞」
 僕は電車に乗り、栞の隣に立って彼女の手をそっと握る。
 そして、電車は八神に向かって走り出す。その際、栞が僕の方に寄りかかってくる。僕達の触れる部分が手から腕へと広がっていく。
「ご、ごめんね」
「気にしなくて大丈夫だよ」
「……うん」
 そう言う栞の手は汗ばんでいた。栞もまた緊張しているのだろう。
 栞の知らないこともたくさんあるし、知りたいこともたくさんある。僕のことも栞に知って欲しい。だから、栞と話したいことは本当にたくさんあるんだ。
 それなのに、栞を目の前にすると緊張してしまって何も言葉が出ない。だけど、こうして手を繋いで隣に立っているだけで心が和らぐ自分もいる。きっと、今の僕は栞の側にいたい気持ちが一番強いんだ。
「……何を話せばいいのか分からなくなっちゃうね」
 栞は照れ笑いをしながらそう呟いた。
「出会った頃は何気ないことをちょっとでも話せるのに。恋人同士になると、何だか緊張しちゃうの。高津田駅を出発して鳴瀬駅に到着するまでの三分間、とてもドキドキした。今日も悠介君はいるのかな。何を話そうかな。手を繋げるかな。朝の十五分以外にももっと会えないかな……って」
 そう言うと、栞は今までそっと握っていた手を一度離し、恋人繋ぎをする。
「昨日のことが夢なのかもしれないとも思った」
 まさか、僕と同じことを考えていたなんて。思わず笑い声が漏れてしまう。
「わ、私……何か変なことを言っちゃった?」
「そんなことないよ。ただ、僕とここまで同じことを考えていたんだなって」
「そうだったんだ……」
 栞はほっと胸を撫で下ろした。僕と同じような気持ちだったことに安心したのだろう。
 栞にも僕と話したいことややりたいことはたくさん頭の中にあるんだ。でも、実際に僕の前になると緊張してしまってどうすればいいのか分からなくなる。
「でも、僕は栞とこうやって一緒にいることが何よりも嬉しいんだ。それが僕達の中で一番大切な気持ちじゃないかな……」
 って、何を僕は朝の満員電車の中で言っているんだ。栞のことを見ているとどうも僕達だけしかいないように思ってしまう。周りの人に聞かれたと思うと恥ずかしい……。
 栞は僕のことを見てくすくすと楽しげに笑う。
「恥ずかしそうにしている悠介君、かわいい」
 か、可愛いのか……。
「でも、悠介君の言う通りだと思う。私も悠介君と一緒にいられることが本当に嬉しいし、こうしているともっともっと一緒にいたくなるの」
「そうか」
「……そういえば、ここって電車の中だったね。悠介君が恥ずかしそうにしていた理由が分かったよ」 
 恥ずかしそうにしている栞はとても可愛らしかった。
 満員電車の中では恥ずかしくて話せないことがいっぱいあるはずだ。できれば、まずは一度、二人でゆっくりと話せる機会を設けたいところ。
 その後、電車の中であることを意識しすぎたせいか、僕達は何も話せなくなってしまった。そんな中で視線が合うと互いにはにかんで。
 まだまだぎこちないけれど、それでも栞と一緒にいられることがとても嬉しいことに変わりはない。むしろ、その気持ちは大きくなっていくばかり。
『まもなく、鏡原――』
 もうすぐ栞が降りてしまうのか。寂しいな。
「悠介君」
「うん?」
 少し大きな声で名前を言われたのでちょっと驚いた。
 栞は心を落ち着かせるためか、一度大きく呼吸をして、

「帰りも悠介君と一緒にいたい」

 行きだけではなく帰りも、か。
 帰りも栞と一緒にいられたら、と一目惚れしたときからずっと思っていた。栞と一緒にいられる時間がこれまでの倍になる。それがとても嬉しい。
「もちろん。そうしよう」
 僕は栞の頭を優しく撫でた。彼女の髪から甘い匂いが漂う。
「あうぅ……」
 栞はそう声を漏らすと、とろんとした表情になっていく。こんなに可愛い反応をしたにも関わらず、彼女は恥ずかしがることもなく僕のことをずっと見つめてくる。
 そんな中、電車は鏡原駅に到着する。
「栞、鏡原駅だよ」
「えっ、もう?」
 ようやく栞は我に帰ったようで、きょとんした表情をして僕のことを見る。
「ああ、そうだ。また帰りに。いってらっしゃい」
「悠介君もいってらっしゃい」
 栞はそう言って小さく手を振ると、急いで電車から降りるのであった。
 そして、程なくして電車は鏡原駅を出発する。
 今もなお、僕の手や制服に栞の温もりや匂いの余韻がある。でも、それはすぐに消えてゆく。ついさっきまであったものがなくなるのはこんなに寂しい気持ちを抱かせるのか。
 それだけ、僕は栞のことが好きなのだろう。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ