第十九話 平穏
有明の町の外れに、小さな日本家屋がある。
そこは昔、俺が灰二と共に住んでいた家だ。
俺が多分五才くらいの時から今の屋敷に移るまでの十年間を過ごした。
そこでは灰二に、生きる術と知識を教え込まれた。
俺がただぼーっと空を眺めていれば、雲には種類があると言って語りだし、書物を読んでいると横から割って入ってきて、その内容について討論しようと言い出す。とにかく俺に友人がいなかった頃は、灰二が何とかして俺の相手をしようとあれこれ考えて寂しい思いをしないよいにと灰二なりに配慮してくれていたのだろう。しかし集中して書物を読んでいる時に声をかけられると、少し煩いと思ってしまった時もあったが。
そんな時は黙って家を抜け出したりした。
近所に黄金色に光るすすき畑が広がっていたから、よくそこに行った。すすきは背が高くて、たった五才の俺なんかは隠してしまうほど大きかったから、抜け出した時の隠れ家としては最適だった。それにサラサラとすすきがなびく音が優しく、耳に心地好くて好きだった。そのうちすすきの揺れ動く音を聞きながらうたたねをしたっけ。
サラサラ……サラサラ……
ああ…あの時の音が聞こえてくるようだ。千年たった今も、あの場所は残っているのだろうか。
『……残ってるといいな。』
「何が残ってるといいの?」
ポツリと漏らした呟きが聞こえていたらしい。ちょうど鈴音が書斎に入ってきたところだった。
彼女の手には盆が握られていて、そこにお茶と羊羹が乗っていた。そろそろと近付いてくると、隣にちょこんと正座してそれを差し出してきた。
「お疲れ様です。はい、差し入れ。」
小皿に乗った羊羹を受けとり一切れ口に運んだ。小豆の香りと共にまろやかな甘さが口いっぱいに広がる。
『うま……。』
「美味しい?あのね、白銀から曉に羊羹を差し入れにもっていくと喜ぶからって教えてもらったの。お仕事大変そうだし、私何も力になれないからせめて差し入れだけでもって思って。でも美味しいって言ってもらえて良かった。」
『ん。ありがとう。』
肩を抱き寄せ癖のない黒髪に軽く口づける。一瞬、花の香りが鼻腔をかすめていった。
「お仕事急に増えたね?」
卓上に並べられてる書類の数々に目をやりながら鈴音が言った。
『んー…最近…というより儀式が終わったあとから、大事な内容だから目を通してくれだの、役所に手続きしたいから最高神の俺の許可をくれとかそんなのばっかりなんだ。』
そう言って差し入れにと出されたお茶をすすった。
「この国の仕組みはわからないけど、最高神て重要なんだね。私は役目終わっちゃったけど…【そんなことないぜ?鈴音。】」
突如聞こえてきた声に二人はそちらを振り向いた。 ガラ…と音をたてて襖が開く。
『疾風か。』
「よっ!」
片手をあげて挨拶しながら疾風が入ってきた。相変わらず連絡もなしに突然現れる。
「こんにちは。あ、疾風さんも食べます?ちょうど休憩してたんです。この羊羹おいしいですよ」
「おっ!旨そうだな。ありがとな鈴音」
鈴音が差し出すと、遠慮なくといった様子で羊羹にむしゃむしゃとかぶりついた。
『で?疾風は羊羹食べにきたのか』
「違うって。かといって用はなかったけど……ただ通りかかったからきたんだけなんだ。そんでお前らが話してるのが聞こえてきたからきた」
疾風は羊羹を食べおわり、小皿を下に置いた。
「あ、そうそう。疾風さん。さっきの話で私の役目ってなんですか?」
「ああ。それな?それはさ、巫女としての役目は終わったけど、今度は妻としての役目があるってことになるんだ」
「はい」
「それはつまり、妻である鈴音にしかできないこと。女にしかできない仕事をしなきゃならないってことだ。わかるか?」
「私じゃないとできないこと?」
なんだろう?と首を傾げる鈴音。難しい顔をして悩みはじめてしまった。
「鈴音ぁ、難しく考えすぎだぜ?女にしかできないことって一つしかないだろ?ガキだよガキ。」
『…おい…疾風…』
「ガキって…。ぇ……あ!も…もしかして子供!?赤ちゃん?」
鈴音は驚きで声が上擦った。同時に顔が真っ赤になっていく。
「そ。最高神の妻は最高神の子供を生まなくてはならない!って決まりはねーけど、一部の民衆の間じゃ噂になってるぜ?仲むつまじい二人を見た。そのうち赤さまが生まれたなんて報告があるかも!ってな。まぁ…大体そういうの気にするのは女だけどな」
「えぇぇ?そんなっ。わ…私…まだ赤ちゃんなんて生む予定ないっていうかッ!…ぁ…曉はどうなの…?赤ちゃん…欲しい?」
真っ赤になった顔を隠すように両手で顔をおおいながら上目づかいで聞いてくる。鈴音さん?それは誘ってるんですか?
『鈴音みたいに可愛い娘なら欲しい』
「え!女の子が欲しいの!?…でも私だったら男の子がいいなぁ。曉をちっちゃくしたような感じの子」
鈴音はそれをちょっと想像してみてクスリと笑った。
「母上〜」なーんて言いながら曉をちっちゃくしたような子がおぼつかない足取りで近づいくる。そんな子がうまれたらきっとメロメロになっちゃうだろうなぁ〜と鈴音は思った。
『男は駄目だ。鈴音を独り占めできなくなるだろ?』
「え〜でも絶対可愛いよ〜?じゃあ一姫二太郎にしよう?これで公平」
『駄目』
疾風は本格的に家族計画をはじめた二人を横目に、残りの羊羹に手をのばした。
「絶対男の子!」
『駄目だ。女だけでいい』
「やだぁ。それじゃあ曉だけ嬉しいじゃない。ずるい!」
「……ていうかさぁ、腹の中じゃ性別は選べないだろうよ?お二人さん」
疾風の言葉に二人はピタリと意見をいいあうのをやめた。
『…というかまだ鈴音に子供を生んでもらう気はないから。まだまだ二人でいちゃついてたいし』
「…ぁ……私も。」
鈴音は少し照れながらポツリと言葉を漏らした。その言葉に、曉の表情がにへらと一瞬だらしない表情になったのを疾風は見逃さなかった。
(あーもー、バカツキめ。幸せそうな顔しやがって)
「お〜いバカツキ。鼻の下がのびて若干キモいぞ」
鈴音がえ?と曉の顔を見ると、曉は緩んだ表情を引き締めた。そして鈴音と目が合うと透かさず唇を奪った。
(……詐偽だな…こりゃ)
「ん…。もう、疾風さんいるのにぃ……」
人に見られて恥ずかしそうに曉の胸を押し返す。けれど曉は腰を抱き寄せて離さない。疾風は人がいようがいまいが、すぐに甘いムードになる二人に少し嫌気がさした。というかこの腹立たしい感じは妬ましさからきてるのだろうが。
「……なんか腹立つ」
『羨ましいの間違いだろ?八重とはどうなんだ。上手くいってるのか?』
「なんで八重なんだよ」
「えっ!?なになに?疾風さんと八重さん付き合ってるの!?」
曉の腕から逃れようともがきながら鈴音が興味津々で聞いてくる。瞳がキラキラ輝いてるように見えるのは気のせいだろうか。なんか眩しいなぁ…鈴音。若さか?
「馬鹿。八重とはなんもねーよ。何かあったら天変地異が起こる」
「そうかなぁ…?疾風さんていつも八重さんと美月ちゃんと三人でいることが多いから、たまに夫婦と娘って関係に見えたりするんですよね」
「へ!?ま…まさかっ!有り得ないって」
「…そうですかぁ…?なんか怪しい。疾風さん八重さんのことちょっとでも好きとか思ってるんじゃないですか?八重さん美人さんだから早くしないととられちゃいますよ?」
『鈴音の言うとおりだ。好きなくせに言わないだ疾風は。だから代わりに美月と遊ぶふりして八重の気をひこうとしてるってわけだ。遠回しな奴』
「ばっ…!だ…だからちげぇよ!」
二人に同時に攻められて戸惑うが、八重が好きというのはあながち嘘では無かった。付き合いが長い曉ならともかく、鈴音の感が冴えていることにも驚いた。女ってこえ〜…。
「疾風さん戸惑ってる。図星ですね」
『…図星だな』
「〜〜っ…!ああっもう俺のことはいいっつの!俺をからかうなら怒るぞ」
「からかってませんよ。もしそうなら応援しようと思ってるだけです」
確かに鈴音の目は真剣そのもので、嘘を言ってる目ではない。かと言って急に自分の色恋沙汰に興味をもたれてもそういったことが苦手な自分にはどう対処して良いやら。ふらふらと気まぐれでここに来るんじゃなかったと後悔した。
「俺、帰る」
ただでさえ甘いムードで居心地が悪かったのに、さらに状況が悪くなってきたので、早く退散しようと疾風は立ち上がった。
『八重が待ってるからか?』
「え!?なになに?同棲してるの!?」
これまた鈴音が食い付いてきた。余計なことじゃべるなよバカツキ。
「違うっつの。鈴音は曉が浮気しないようちゃんと見張ってるんだぞ?」
「ぇ…曉が浮気…」
『…鈴音…?なに本気にしてるんだ』
想像もしたくない嫌な単語をきいてシュンとなる鈴音。それを曉がそんなわけない、一切ないと弁解(?)してる。悪いなバカツキ。また今度くるぜ!疾風は今のうちにと、二人が気づいてないのを見計らって外へと出ていった。
「曉が浮気なんてやだよ?」
『するわけないだろ?千年間ず〜っと鈴音ひとすじなんだから』
「…うん。そうだね。曉は浮気しないと思う」
『当たり前だ』
「うん、ごめんね?あ、そろそろ休憩終わりにする?」
『そうだな。疾風、お前はどうす……………………『「あ…いない」』
二人が気づいた頃にはすでに疾風は部屋から出ていった後であった。
『逃げたな』
曉がフッと楽しそうに笑った。たまに思う。曉って優しいけど時たま黒い部分が見える時がある。恐くはないけど、意地の悪いことをしてくる時があるからちょっとSなのかなって思った。
じっと見て分析してると、曉が何も語らずこちらを見つめてきた。
――ドキッとした――
まるで一瞬時が止まったよう。沈黙は言葉を交している時より気まずい雰囲気になると思う。それも面と向かってだと。ふいに恥ずかしくなってきて、目をそらした。
何かしゃべってくれればいいのに。なのに彼は私を見つめてくるだけ。その瞳からは何を思っているのか想像はできないけれども。
するとクスリと横で笑い声がした。
「なんで笑うの」
いきなり笑われてちょっと不機嫌になる。曉はおかしそうに口元から白い歯を見せて笑っている。
『いや、鈴音が可愛いから』
理由になってないよ。
『鈴音がちょっと見つめただけで顔真っ赤にしちゃうから。可愛くてつい意地悪したくなる』
やっぱりSだ。それって私をからかって楽しんでるってことでしょ?
「ムッ」
頬をふくらませて怒ったそぶりを見せると、怒ってるのに可愛いと笑われる。あのね曉…私怒ってるつもりなんだけど。
「む〜…そんなに笑わないでよ。私もう部屋戻るから」
カチャカチャと盆に空になった茶碗と小皿をのせて、片付けようと立ち上がった。
しかし突然強い力で腕を引っぱられて、鈴音の体は横転してしまう。
「きゃあっ!」
結果、鈴音は曉の胸に飛込んでしまうかたちとなり、怪我はなかったもののいきなり何をするのかと余計に膨れっ面になった。
『まぁそう言わずに俺の側にいてくれないか。一人は退屈だし寂しいから』
「………うー。…わかったよ…」
『ありがとう』
曉は嬉しそうに笑うと、片腕で鈴音を抱きながら、もう片方の腕で仕事を始めた。
こんなに密着してはやりづらいのではないかと思ったが、曉はご満悦の様子なので鈴音はそのまま身を委ねておとなしくしてることにした。
クスクス…
どこからか笑い声が聞こえる。
クスクス…
『八雲。あの子でしょ?――が大事にしてる子って』
「…ええ。先日有明をうろついているところを見かけました。間違いありません。あの者が巫女でしょう。充分利用価値はあると思います」
八雲と呼ばれた男は主の前にひざまづきながらそう告げた。
『…巫女の力を利用するのもいいけど、僕はあの子が欲しいな』
「では奪いにいきますか?」
『そうしたいけど、――――がいるからね。少し難しいかな。一番いいのは彼女のほうからきてもらうことだね。ま…問題ないか。僕と――は同じだから―』
「……はい」
八雲は静かに頷いた。
『さぁ…鈴音。君は僕のモノになるんだ』
男は金色の瞳を細めて笑った。
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