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契約社員物語
作:関なみ



第七話  夜の海で


「大矢・・・」
ドアを見つめた。確かに大矢の声。
でも、ドアノブに手がすぐには伸びなかった・・・。

「少しだけ・・・」
ドアの向うで小さな声を聞いた。
ふうっとため息を吐いて、ドアを開ける。
背の高い彼の顔が入り口の上の方でじっと見つめていた。

「どうかしたの?大矢」
心臓はドキドキと落ち着かないが、年上らしく笑顔も添えて訊いた。
「少しだけ話をさせてもらえませんか?」
「え?あ・・・朝の事は気にしてないよ。忘れて!」
「それもありますが・・・。出ませんか?外に・・・」
彼の真面目な表情に心がざわつく。
「下の車で待ってますから」
彼は、私の返事も訊かずに踵を返して行った。

侘びたいのかも知れない。
あれで、結構律儀なとこもある。
私は急いで用意を済ませて、部屋を出た。

「大矢、ごめん。お待たせ〜」
車の助手席に乗り込みながら、わざと明るく言った。
「・・・・・」
何なの!無視!・・・大矢は黙りこくって、車を走らせる。
「どこ行く気?」
少しムッとして言うと、
「飯、食ってから話します・・・」

それから、訳のわからない沈黙が続いた。
立ち寄ったイタリアンレストランでも、大矢は無言でパスタを啜る。
私が、「ねえ」と声をかけても知らん顔・・・。
挙句の果てに食べてる私を睨むように凝視する。
ついに切れた。
「ちょっと!大矢!何なのよ!用がないなら帰るわよ!」
「出ましょうか・・・」
「ちょっと!・・・」

何なの一体!何か事件でもあったのだろうか・・・。
私の事を怒っているように思えた。
もしかしたら、あの朝拒否した事を今になって怒っているのか・・・。

 
 車は夜の海へ遣ってきた。
波止場には、オレンジの街灯が灯り、波にゆれるヨットの穂先がリズミカルに上下動を繰り返すのを照らしていた。
遠くで船の汽笛の鳴く声もしている。

 黙って大矢が車を降りた。
私も後に続く・・・。
無言のままで、船を係留するコンクリートの岸壁に腰を下ろした。
大矢の髪が夜の浜風に撫で付けられ、眉間にしわを寄せて目を細める。整った顔にしばし見惚れる・・・。
しかし、何故、このイケメン君は、こんな夜に年上の女なんかとムーディな海に来ているんだろう。
私は、彼が解らなかった。

「森野さん、多田さんの事好きだったんでしょう?」
突然、大矢が話を切り出した。
「えっ?な、なんで・・・」
「わかりますよ。森野さん単純だし。・・・・辛くないですか?」
「ふふっ!びっくりした。あんたに多田君の事心配してもらってんだ」
意地悪な言い方だと思ったけど、あっさり気持ちの中へ踏み込もうとする大矢に腹が立った。
「大丈夫だよ!私、恋に泣くほど少女じゃないし、今は仕事も楽しいし・・・。ほら、結構男っぽい性格だからそんな事で悩むタイプじゃない。浅田さんにきりっとしてたらドキっとするって言われたよ!どう?大矢」
ふざけて、彼に流し目を送った。
「ぶっ!わかりました。男らしいですよ」
やっと、大矢が普段の顔をした。

「話って、多田君の事?」
「いいえ。俺自身の事」
「何?言ってみ」
「宴会のとき・・・、森野さん、俺を皿で殴ったでしょう」
「ゲロ!思い出した?」
「あの時は意識ありましたから・・・」
「え?」
「あんまり、貴方が優しいから、思わず本音吐いちゃったんですよ・・・激痛が走った時はショックでした」
「大矢・・・」

 潮騒が大きくなった気がした。
あの時の彼の言葉が記憶のゴミ箱から出てくる。
『俺、お前を愛してる』
間違いなくそう聞こえたが・・・。ジョークだと思っていた。

海を見つめたままの大矢の横顔を怪訝な顔で見つめる。
そして、
「悪いジョーダンは止してよ!怒るよ。年上をからかうモンじゃあない!」
どきどきと浮き足だつ心臓とは反対に、ははは・・・と軽く笑い飛ばした。
「考えて見なさいよ!これでも私は三十だよ。完全に大人じゃん!大矢や、他の若い子に太刀打ちできないって!」
テレ隠しもあったけど、私は彼に同情されているような気がして、強い語気で言ってしまった。

「そう、言われると思ってましたよ」
大矢が深い息を吐く・・・。
「でも、俺の正直な気持ちですから。だから、あの朝、本当に嬉しかった。俺だけの森野さんとの時間が来たような気がして・・・。ちょっと舞い上がりすぎてしまいましたけど」
フッと彼が微笑を向けた。
淋しそうな微笑・・・。

「俺、歳の事なんか考えてなかったですよ。多田さんの事は気になってたけど」

次の言葉を聞くのが恐いくらいだった。それ程、大矢は正直な気持ちを話してくれている。
私なんかのために・・・。

「貴女が本当に好きです」

このフレーズにビクッと体が反応した。
上昇していく体温をどう止めたらいいのか・・・。
表現の方法が解らなかったが、私は確かに幸せな気分を味わっている。
でも、何も答えてあげられない。
彼の事をどう思っているのかさえ、解らなかった。

ただ、どうあれ、私の答えは既に決まっている。

「大矢・・・ありがとう」
「森野さん」
「でも、聞かなかった事にする。貴方の事は嫌いじゃない。多田君の事も関係ない。だけど、やっぱり貴方とは良き同僚でいたい・・・。貴方を好きになってしまったら、私、きっと一緒に仕事出来ない。今の関係を大切にしたいの・・・」

 風が当たって停泊したヨットのマストがカラカラと音をたてる。暗い海には、とても悲しい響きだった。

「解りました・・・。覚悟はしてたから・・・。ホントに忘れてください。俺、貴女の気持ち理解できるから」
と、大矢は立ち上がった。
「帰りましょう!送ります」

私は、『これでいい』と心で繰り返した。
前を歩く大矢の背中を見つめていると、あの朝の広い胸を思い出し、すがり付きたい気持ちがした。でも、慌てて打ち消す。

後悔はない。二人には、これしか選択肢はないから。

彼にはもっとお似合いの人がきっと出来る。
こんな七つも年上の女じゃあなくって・・・。







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