第五十五話 結婚
「おはようございます!森野さん」
「おはよう!早いね、大森さん」
朝の相変わらず混んだロッカールームから出ると、家庭用品担当の大森さんと一緒になった。
「森野さん、二日連休だったんですね。珍しいですね」
「あ、そうなのよ。いろいろと有ってね」
「じゃあ、知らないですよね?」
「何かあったの?」
大森さんは、目線を上向きにして、口を尖らせた。
「私より若いのに浅田さん、結婚決まったみたいですよ。一ヶ月後、ここを辞めるって…。結婚準備に入るんですって!」
「ええっ!!」
突然の事で本当に驚いた。
「多田君が結婚……。へえ…」
当然といえば当然なんだが、つい先日の浅田さんの泣き顔を思い出して、信じられない気持ちだった。
「おお!無事、出勤したか!ミッチ!」
私は、通路をぼうっと歩いていると、三原に肩を叩かれた。
「おはよう! ありがとう三原! もう、抱きつきたい気分だ!」
「ほう!今日はテンション高そうだね。話ついたんだ、彼と」
「うん……」
少し、照れ臭かったけど、彼のお蔭で歩と元通りになれたんだ。
「幸せだったか?」
「うん、幸せだった……」
彼の優しい微笑が、暗くなりがちな心を包んでくれた。
「じゃーん!」
三原の目の前に、右手の甲を指を広げて見せた。
「うわ!指輪! 大矢さん、ついに魔よけの指輪を買ったか! これ、完全に僕除けだろ?嫌な奴!」
「ははは……。そうみたい。すごい気にしてたもん」
三原は、不機嫌な顔をして、私に顔を近づけて言った。
「こんなもんで、百戦練磨の僕を遠ざけようなんて、甘いって言っとけ」
「へえ?」
「ジョーダンだって。目は覚めてますよ!」
ここに帰ってくると、三原や、仲間達がいる。
歩と別れた後の淋しさは、結構癒されている気がした。
昨夜、漸く神戸に着いたのは、もう午前二時を回っていた。
私の部屋まで行くと言う歩と、きりがないからと車の中で別れた。
彼が朝の便で発つのは解っていたし、一緒に居れば居るほどまた泣き顔を見せてしまいそうだったから。
でも私は自分を褒めたい。
心はきりきりと痛んで叫びそうだったのに、歩の車を笑顔で、手を振って送り出した。
別れてからの辛さは、酷いものだった。
明け方まで、体から力まで抜けて一人泣き崩れていた。
「もう九時だね……」
と、ポツリと私が言うと、三原が私の方を振り返った。
「歩の乗った便、もう飛び立ってる頃だ……」
「そうか…。暫くは淋しくなるね……」
『遠距離恋愛』……。こんな言葉が脳裏を過ぎる。
暫くは、会いたくても会えない。淋しがる心を抱きしめて、会える時だけ夢見て、帰りを待っていくんだ。
「ミッチ……」
三原が、真面目な顔をして私をじっと見つめた。
「なあに? らしくない真顔で…」
「頼れよ! 辛い時は。友達だし……、いいね」
「うん……。ありがと……」
三原の優しい言葉に胸がつまった。こみあがる涙をグッと飲み込んで言った。
「さあ! 売り場に行こう!今日も忙しくなるよ!」
「OK!ミッチ」
今日も私は全開で頑張る!!
朝礼の後、葉山主任に呼び止められた。
「森野、今日三時から夏休みに向けて、各売り場のチーフ会議があるから会議室に集まれ」
「あ、はい。三時ですね」
「ところで、浅田君があと一ヶ月で辞めるの聞いたか?」
主任は少し困惑した様子で尋ねてきた。
「はい、今し方聞いたところです」
「ううん……。まさか、もう退職とは思ってなかった。文具については契約社員でありながらまかせっきりだったから、後任が思いつかなくってなあ。パートで廻すのもちょっと……。お前のところで持ってもらうと助かるんだが……」
主任の言葉に驚いた。それでなくっても、三原がやっと慣れてくれたから、なんとか遣っているのに!
私は少しムッとして答えた。
「主任、これ以上仕事が増えたら、三原が辞めちゃいますよ。きっぱりお断りします!」
「そうか…。じゃあ、募集かけるか……」
「そうしてください」
私は、ムッとしたままで売り場へ戻ろうとした。
「森野!お前は大丈夫だよな? 結婚とか言うなよ」
と、一言残して、葉山主任は、困った様子で頭を掻きながら立ち去っていった。
私は主任の思いがけない言葉に立ち止まった。
結婚……そうだ。もし私が歩と結婚したら、ここで仕事なんて続けてゆけない。
『俺が戻るまで、左手の薬指は空けて置けよ』
歩の言葉が妙に現実めいて思い出された……。
若い子なら許されることでも、様々に責任を負って然りの私の年代には、仕事はもちろん、結婚にだってそれ相応の責任がある。乗り越えるハードルは高くなっていく。
甘えや成り行きに流されないで、自分を見つめ直していかないと、仕事も、歩の事も悩むことになってくる。
私は、あらためて、この一年が至極大切な時であることに気付かされた。
「森野さん!」
文具売り場から、浅田さんが私を見つけて走って出てきた。
「浅田さん、驚いたよう。結婚するんだ、いよいよ……」
浅田さんは、ポッと赤くなってはにかんで、コクリと頷いた。
「それで、森野さん。よかったら今日、一緒に食事しませんか? 彰人が、久々に会いたいように言ってるんで」
「ええ?お邪魔じゃないの? 私は、嬉しいけど」
「じゃあ、帰りに待ってますね」
浅田さんは、まだ十代の、可愛い笑顔を浮かべて走り去った。
多田君が懐かしかった。
私と歩の始まりを唯一知ってる人……。私の七年間を傍で見ていた人……。大矢歩を、公私共に知っている人。
私も歩のことを素直に心起きなく話してみたい。そうしたら、もっと気持ちが楽になるかも知れない。
浅田さんの誘いを喜びながら、私は、忙しい売り場へ戻った。
|