こちら、警視庁特命課時空捜査係
『あなたの周りに、神隠しに遭った人はいませんか? 心当たりのある方は、警視庁特命課時空捜査係までご相談下さい。時空を超えて、あなたの大切な方の安否を調査いたします』
***
「……では、こちらのお品をミーナ姫様に」
白っぽい布につつんだ菓子を、侍女に渡し、私は頭を下げた。
「ミーナ姫様は滅多に後宮から出られない御方。初めての商人などにお声など掛けられるはずもないわ」
つんとすました侍女に、にっこり微笑んで、再度頭を下げた。
「お渡し下されば、それだけで結構です。中身は確認していただいてもよろしいですわ?」
近衛兵と侍女は胡散臭そうに私を見たが、中身を確認した後、後宮の奥へと引っ込んだ。私は裏口近くの庭で待っていた。
――暫くの後、「どこっ!? これを持ってきてくれた人はどこっ!!」、と叫ぶ女性の声が聞こえてきた。私はゆっくりと立ち上がった。
後宮の回廊を、はあはあと息を切らせて走ってくる、長い黒髪の女性。白い衣装がよく似合っていた。きょろきょろと辺りを見回した彼女の瞳が、庭に立つ私の姿を捉えた。
「あなたなの!? これを持ってきてくれたのは」
大きく見開いた瞳。わなわなと震える唇。……私は、左手にはめられた銀色のブレスレットに右手をかざした。ぼうっと金色の光がブレスレットから立ち昇る。
『……網膜チェックOK。骨格チェックOK。本人ト断定』
やややつれてはいるが、本人に違いない。私はゆっくりと彼女に頭を下げた。
「ミーナ姫様こと、内田 美奈子さん、ですね?」
ミーナ姫……内田 美奈子さんの瞳が、大きくなった。私は懐から、警察手帳を出して見せた。
「……私、警視庁特命課時空捜査係の、倉橋 里奈と申します。あなたのご家族から依頼を受け、安否確認に参りました」
***
「信じられない……元の世界に戻れるなんて……」
一しきり泣いた後、美奈子さんはぽつり、と言った。とりあえず人目を避けるため、後宮の彼女の部屋に入れてもらった。綺麗な装飾品。身体にも傷はないし、一応無事なようだ。
……彼女に献上したのは、和菓子。そして……包んでいた布は
「……日の丸を見た時は……夢かと思ったわ……」
異世界では、単に白地に赤い丸の布だが……日本人なら国旗だと判る。これで、王宮に閉じ込められた人でも連絡をとることができていた。
「念のため、確認いたしますが」
私は美奈子さんに向き合った。
「……元の世界に戻りたい。それでよろしいですね?」
こくん、と彼女は頷いた。
「辛い事をお聞きするかもしれませんが……こちらの世界で、男女関係を結ばれましたか?」
「……っ……!!」
美奈子さんの顔が歪む。私は思わず美奈子さんの手を取っていた。
異世界。とくに中世ぐらいの時代の世界になると、珍しい女はすぐに被害にあってしまう。レイプ犯罪、なんて言葉がない世界だ。
(男女関係があると……やっかいなのよねえ……)
こちらの世界で人との関係を深めれば深めるほど、この世界から存在を切り取って、元の世界に戻す事が難しくなる。特に男女関係は異世界との縁を深めてしまう。
「あの……妊娠されている事は……」
彼女は首を横に振った。私はほっと一息ついた。子どもがいると……更に厄介になる。
(産まれてくる子には罪はなくても……)
無理矢理妊娠させられて、子どもに愛情を持てないケースも多い。違う世界の血を合わせ持つ子どもは異能を持つことも多く、どちらの親にも受け入れられない事もある。
(でも、宿った命を殺すなんて、できないし)
今回はそうではないらしい。ちょっと、ほっとした。
「では、あなたの記憶をこちらの世界から切り取ります。あなたを覚えている人は、ここの王宮内、でよろしいですね?」
躊躇いもなく、こくん、と頷いた。余程……つらい思いをしていたのだろう。
私は立ち上がり、左手のブレスのボタンを押した。ふあん……と不思議な音が鳴り響く。
「……波動調整OK……反波動出力開始……」
ブレスが金色に輝き……鈴の音のような音が辺りを支配して行く。ゆっくりと、金色の波動が、後宮から王宮内を満たしていく。
――本来、異世界出身の美奈子さんの身体の波動は、この世界にモノとは違う。……美奈子さんの波動を打ち消す波動を発することで、この世界から『美奈子さんの波動』を消し去る。
「……術式完了」
ブレスが元に戻った。私は、美奈子さんに手を差し伸べた。
「終わりました。さあ、帰りましょう? 元の世界へ」
***
「……以上、報告を終わります」
「ご苦労だったな、倉橋君」
眼鏡をかけた、ワイシャツ姿の男性が机に肘をついて、私を見上げていた。端整な顔立ちだが、鋭い目つきは眼鏡でも隠されていなかった。
――時空捜査係 係長 東郷 秀一。机の上のネームプレートにはそう記されている。
「よっ、今回も連れ戻したんだって? どうだった、ブレスの調子は」
私が振り向くと、紺色のつなぎ服を着たやわらかウェーブ頭の男性が立っていた。
「良かったわよ、水野君。相変わらず凄腕ね」
「調整しとくから、ツール一式出しておいてくれよな?」
私は軽く頷き、係長にも一礼して、自分の机に向かった。
――警視庁に時空捜査係が出来たのは、二年前の事。私の目の前で、時空の隙間に吸い込まれた小さな女の子。咄嗟に後を追い、腕を掴んで、元の世界に戻った時――泣き崩れる初老の男性の姿、があった。
『ああ! こんな事が起こっているとは……』
女の子を泣きながら抱き締めた男性が、警視総監 田辺 敬一郎だと知ったのは、その後の事。彼は私について色々と知りたがった。
中学一年生の時です。家族旅行に出かけ、ドライブしていた時に……崖から落ちたんです。そして……時空の隙間に、父母と兄、そして私が取り込まれました。必死に手を伸ばしたけれど……三人は暗闇に落ちて行って……元の世界に戻れたのは、私一人、でした。
その後施設に引き取られた私は、必死に学びました。自分が何故助かったのか、皆はどこに行ったのか、を。そこで気がついたのです……自分に『時空を超える力』がある、という事を。
陰陽師や妖遣い、魔法使いに超能力者……あらゆる『異能』と呼ばれる人達にも会いました。この力を使って、家族を探したい、その為に力の調整ができるようになりたい、そう思って。
今は大学生で就活中です――そう言った私の手を、警視総監は握りしめていた。
『その力を、異世界に飛んだ人々の為に、生かす気はないか?』
――その瞬間、私の就職先が決まった。
国家公務員試験を受け、合格。その後、新設された時空捜査係に配属された。ネーミングが怪しいため、周りからは『姥捨て山』扱いをされているが、こちらの方が好都合だった。
(あまり、何してるのか、詮索されたくないしね……)
上司となった東郷 秀一は、沈着冷静、私の事も胡散臭そうな目で見たりしなかった。
『総監もお前も嘘を言っていないからな』
あっさりそう言って、私を受け入れてくれた。こんな小さな部署、本部エリートだった係長には左遷っぽいのに。でも、係長は文句も言わず、淡々と仕事をこなしていた。
同僚の水野 圭吾は鑑識にいたらしく、手先が器用でいろんな物を作り出してしまう。私がこう言う物が欲しい、と言うと、あっと言う間に設計図を描いて完成させてしまう機械の天才だ。まあ、頭が良すぎて常識がぶっ飛んでいて、組織内では浮いた存在だったらしいが。
計三名がたむろしている小部屋が、時空捜査係、の全貌だ。
『あなたの周りに、神隠しに遭った人はいませんか? 心当たりのある方は、警視庁特命課時空捜査係までご相談下さい。時空を超えて、あなたの大切な方の安否を調査いたします』
――この文句に連絡をくれる人は結構多かった。水野君が言うには、近年『時空の揺らぎ』らしき現象が起きているらしく、あちらこちらで異次元トリップしている人がいるらしい。
『アメリカにも結構いるとの報告があるな』
『本当ですか係長?』
『ああ。FBIあたりが異次元に飛んでいるらしい』
日本で消えた人を探すので、日本人がターゲット、の事が多い。FBIで探したらやっぱり金髪が多いのかしら。そんな事を不埒にも思ってしまった。
「倉橋。明日は休め」
「は?」
私はキーボードを叩く手を休め、係長の方を見た。
「実際に異次元に飛べるのはお前だけだ。今週はもう三件依頼をこなしている。お前に倒れられたら、元も子もない」
結構身体丈夫ですってば。滝に打たれたりもしたし。修行らしい修行はほとんど経験済みですよ、係長?
……と心の中で抗議したが、冷徹な視線を浴びると、口から出てこなかった。
はあ、と溜息を一つ洩らす。
「……わかりました。明日は代休をとらせていただきます」
私の言葉に、係長は軽く頷いた。
***
「さーて、と……」
私は伸びをした。掃除洗濯も終わったし……後は買い物くらいかなあ。
一人暮らしのワンルームだと、家事もすぐ終わってしまう。私は棚の上の写真立てを手に取った。
……家族四人で撮った、最後の写真。
あれから、いろんな世界を巡った。仕事の度に、探しまわった。でも……
お父さんもお母さんも……お兄ちゃんも、まだ見つからない。
この仕事はハッピーエンドばかりではない。異世界で不慮の死を遂げていた事もある。暴行されて、自害してしまった事も。心に傷を負い、せっかく戻ったこちらの世界で不幸になってしまう事だってある。
(それでも……私は……)
『ありがとう! 家族に会えて……本当に嬉しい』
そう言って泣いていた、美奈子さんのようなクライアントがいてくれる以上……頑張ろう、と思う。この力で、出来る限り。迷える人達を元の場所に。そして……いつか
(会えるよね、お父さん、お母さん、お兄ちゃん……)
私は目を瞑って、写真立てを抱き締めた。
***
「えーっと……また王宮?」
一件目のお手紙配布を終えた後、私は別次元へと飛び、街中を歩いていた。
――『お手紙配布』とは、異世界にいることを望んだ人達と、元の世界の人々との、いわば文通の手助けだ。飛ばされた世界で、家族を持つこともある。そういう場合は、『ここに残る』選択肢を選ぶことが多い。なので、安否だけでも、と家族への手紙を頼んだところ、これが好評だった。
黒ヤギさんたら、お手紙食べた……
なぜか、お手紙を配る時にはこの歌を口ずさんでる私。
(食べちゃったらダメだよね……)
と一人ツッコミしながら王宮へと向かっていると……
「……そなた、王宮になにか用か?」
突然、後ろから声を掛けられた。振り向くと……黒いフードを被った女性の姿があった。
「……何故王宮と?」
私が尋ねると、ふふん、と鼻で笑われた。
「先程から、王宮の事を人に尋ねておったではないか。商人の格好じゃが……立ち振る舞いは軍人のようじゃな」
……鋭い。一応警察官だから、武芸は一通り習っている。というか……
(目立たないようにしてたのに……目もいいんだ、このヒト……)
「王宮に行くなら、我が案内してやろう」
「はい?」
私は目を丸くした。フードの下の、金色の瞳と視線がぶつかる。
(……嘘、じゃない)
このヒトは本気だ。私は一礼した。
「……よろしければ、御同行させていただきたく」
「……なるほど。人を見る目もあるようじゃな」
納得したように、ゆっくりと頷いた女性は、『こちらにこい』と私を連れて行った。
***
「ついて来るがよい」
裏口から入った女性は、躊躇う事もなく、さっさと王宮の奥へと進んでいく。私は辺りを伺いながら、彼女の後を追った。
(お城とかの建物の構造からいったら……)
王族しか入れない場所では? すれ違う近衛兵も、女性を見るなり深くお辞儀をし、後に付いている私に詰問もしない。
(ということは……この人……)
かなり高い御身分なのだろう。
(妃……か側室……あたりかしら?)
やがて、王宮の最奥……離れの様な建物の前に来ていた。派手さはないが、凝った装飾がされた柱を見れば、かなり高い身分の御方の住まいなのだろう。
女性が扉を開け、中に入るよう私に言った。私はそれに従い、扉の奥へと足を運んだ。
内装も素晴らしかった。アール・デコに近いかもしれない。階段の手すりやランプなど、曲線の美しさが際立っていた。女官達も彼女の姿に、一歩引いてお辞儀をする。
その中を、コツコツコツ……と女性の足音が響く。
「……ここじゃ」
一番奥の部屋の前で、女性は立ち止まった。女性はフードを脱いだ。現れたのは、燃えるような赤の艶やかな髪。ノックをし、扉を少し開ける。
「入るぞ、叔父上」
「……リアナか」
部屋の中から、男性の声が聞こえた。リアナと呼ばれた女性について、私は部屋の中へ入った。
重厚で落ち着いた感じの、男性らしい部屋。奥のソファに座っていた初老の男性が……驚いたように腰を上げた。白髪混じりの黒髪。深い皺が刻まれた顔。どこかで見た様な……。
「……叔父上。この者、叔父上が探していた者に似てはいないか?」
探していた? 私は眉を顰めた。この次元には、今日初めて来るのに……
男性は黙ったまま、じっと私を見つめ――そして、掠れた声で、言った。
「里奈……か……?」
***
里奈。私の名前。
「あ……なた、は……」
私は目を見開いた。男性はゆっくりと言葉を継いだ。
「……母さんに……そっくり、だ……」
……まさか。顔が引きつるのが判った。
「お兄ちゃん!?」
私は呆然と男性を見た。どう見ても……行方不明になった時のお父さんよりも年上、だ。
「あ、あ……一敏だよ」
お兄ちゃんの名前。お兄ちゃんの。……私は駆け出して、男性に飛び付いた。
「お兄ちゃん!!」
「里奈……里奈!!」
お兄ちゃんも私の身体に手を回し、ぎゅっと抱きしめてくれた。
会えた。やっと……会えた。お兄ちゃんの温もりを逃さないように、私もぎゅっと抱きしめた。暫くの間、私もお兄ちゃんも動かなかった。
涙でかすむ目で、お兄ちゃんの顔を見上げる。お兄ちゃんの顔も……べとべとで歪んでいた。
「良かったな、叔父上」
冷静なリアナの声。私は涙を拭って彼女を見た。
「あり……がとう、私を連れて来てくれて」
「なに、礼には及ばぬ。叔父上が在位中は大層世話になったからな」
……在位? 不思議そうな私の顔を見て、お兄ちゃんが笑った。
「ここの世界で俺は、カズト=イシュクール。ここイシュタル王国の前国王だよ」
***
テーブルの上にはお茶とお茶菓子。女官が入れてくれた。私達は中庭にあるテラスで、午後のお茶を楽しんでいた。
お兄ちゃんは、この館の中庭に落ちたのだそうだ。そのお兄ちゃんを助けてくれたのが……ここで軟禁状態にあった、タニア=イシュクール王女だったとか。
義理の父である国王に邪険にされていた彼女は、王宮内で孤独な想いを抱えていた。そんな彼女だからこそ、お兄ちゃんの不安や孤独を判ってくれたのだろう。やがて恋仲となった二人は、横暴な政治を強いていた国王を退位させ、その後結婚。お兄ちゃんが国王になったそうだ。
「叔父上は貴族を優遇したりもせず、よく民の声を聞いていた。賢王として諸国にもその名を馳せたぞ」
「すごいのね、お兄ちゃんは」
感心したように私が言うと、お兄ちゃんは照れたように笑った。
「現代じゃ、当たり前のことをしただけだよ。女性や子どもの人権なんてこの世界じゃ無視されていたから」
こういう事はよく聞くなあ。現代知識が重宝されて、国のトップや豪商になったりするケース。
「叔母上の妹が我の母、セニア=イシュクールじゃ」
姉と共に軟禁状態にあった幼い妹姫も、お兄ちゃんは解放したのだそうだ。
「母も無体な結婚を強いられることもなく、好いた父と一緒になれたしな。叔父上には大層感謝しておるのじゃ」
……そう言えば。
「リアナはどうして、私に声をかけてきたの?」
「ああ」
とリアナは、ほれ、と部屋の方を指差した。私がそちらに目を向けると……そこには、大きな肖像画がかかっていた。
「あれ……は」
私が持ってる家族写真と……同じ?
「……最後の写真、俺も鞄に入れてたからさ」
絵師に頼んで描いてもらったんだ、とお兄ちゃんは言った。
「あそこの女性、そなたによく似ておったからな。叔父上の心の慰めになるかと、連れてきたのじゃが……」
リアナはふふふと私を見て笑った。
「まさか、本当に叔父上の妹君とはな。世間とは狭いものよのう」
「――父上」
庭から、背の高い男性が現れた。黒髪に黒い瞳――お兄ちゃんに良く似ている。品の良いチェニック姿をしていた。
「里奈、これが現国王で俺の息子、カイトだよ」
私は立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。
「倉橋 里奈……です」
カイトも笑顔を見せた。
「初めまして、リナ叔母上。カイト=イシュクールです」
叔母上!! そうだ、お兄ちゃんの息子……ってことは、私の甥っ!?
「どうみても、年上に叔母上って呼ばれるの……フクザツ……」
私がボヤくと、お兄ちゃんが笑った。
「まあ、仕方ないだろう。俺は時間も元の世界とは違っていたみたいだからな」
ふう……と溜息をついたところで、私は仕事に入る事にした。お兄ちゃんが王族なら、面倒な事にはならないだろう。
「えと……カイトさん?」
「どうぞ、カイト、と、叔母上」
「叔母上はやめて、里奈って呼んでよ」
「ええ、リナ」
にっこり笑うカイトは……非常に心臓に悪かった。すごいイケメンよね、この人。甥だけど。
「……この王宮内に、私の様な黒髪・黒目の女性はいませんか」
カイトの表情が読めなくなった。
「……何故ですか?」
彼女はここにいるのね。そう確信した私は、正直に言った。
「彼女の御両親が娘さんを心配しています。彼女と話をさせていただけませんか。もし彼女が望むなら……」
「……異世界へ連れて帰る、そう言いたいのですね?」
「ええ。それが私の『仕事』なの」
私はカイトの瞳を真っ直ぐに、見た。
「異世界に馴染んで、もう帰らない選択をされる方も当然おられます。ですが、帰りたい、と望んでいるのであれば、本来のあるべき姿に戻すのが、当たり前だと思いませんか」
「……」
カイトは何も言わない。
「無理矢理連れ帰る様なことはしません。どうか、話をさせて下さい」
頭を下げる私に、苦笑交じりの声が聞こえてきた。
「私にもいい格好をさせてもらえないか、カイト。久しぶりに会えた妹に、無能な兄だと思われたくないのだよ」
カイトは暫く黙っていたが……やがて、はあと溜息をついた。
「判りました、父上。……では、リナ、こちらへ。後宮に案内します」
カイトと連れ立って、私は館を後にした。
***
「……エミリ」
後宮の一室。カイトは扉を開け、優しく名を呼んだ
「カイト? どなたかと一緒なの?」
私はカイトについて部屋に入り、一礼した。顔を上げた私の目に映ったのは……黒髪に黒い目、長椅子に横たわる、白いドレス女性の姿。
(……ああ)
私は溜息をついた。女性のお腹は……はちきれんばかりに、丸くなっていた。
私はぺこり、とお辞儀をし、警察手帳を見せた。女性の目が……丸く、なった。
「――警視庁特命課時空捜査係の、倉橋 里奈と申します。田中 絵美里さん、ですね? あなたの御家族から依頼を受け、安否確認に参りました」
***
「そう……ですか。父も母も元気で……」
「ええ。……でも、ずっとあなたの事を思ってらっしゃいます」
絵美里さんは、少し悲しげな目をして……右手をお腹にあてた。
「私は……」
絵美里さんが、ゆっくりと言葉を継いだ。
「……親不孝者だと判ってます。でも……」
カイトが絵美里さんの左手を握った。絵美里さんがカイトに微笑みかける。
「……ここに残ります。カイトと……この子、という家族が、この世界にいますから」
私は彼女に頷いた。
「……承知いたしました。あなたのお気持ちは、御両親にお伝えします。それで、ですね……」
私は鞄から、筆記用具を出した。
「御両親に……お手紙を、お願いいたします」
「わかり……ました」
絵美里さんが、渡したペンで、便箋に書き始めた。カイトが私を見た。
「リナ……ありがとう」
「礼には及ばないわ。本人の意思を尊重する。それが我々時空捜査係の方針ですから」
私はカイトににっこりと笑った。
***
「……里奈」
「なあに、お兄ちゃん?」
帰る準備をしていた私に、お兄ちゃんが言った。
「お前も……この世界で、俺と暮らす気はないか?」
「え……」
私は呆然とお兄ちゃんを見上げた。お兄ちゃんの瞳は……真剣、だった。
「もう向こうの世界には、父さん、母さんもいないんだろ? お前は独りぼっちだ」
「……」
「ここなら……俺がいる。随分先に年を取ってしまったが……」
「お兄……ちゃん」
「この仕事は危険なんだろ? たった一人で異世界に飛んで……かよわい腕で暴力にも立ち向かわないといけない」
「……」
「ここでなら、お前を守ってやれる。お前がここで幸せになれるよう、俺も俺の家族も……」
私は静かに首を横に振った。
「私……今の仕事に誇りを持ってるの」
「里奈……」
「行方不明になっている大切な人の安否を確認する……つらいことだって、あるけれど」
私はお兄ちゃんの瞳を真っ直ぐに見た。
「会いたいって気持ちに、少しでも力になれるなら……私は何度だって、異世界に行くわ」
それに……ね、と私は言った。
「私、今はどこの世界とも、深く繋がる気はないの。だって異世界に飛べなくなっちゃうかもしれないでしょ?」
「里奈……」
「……お父さんとお母さんを見つけてから。そうしたら、この世界でって気になるかもしれない」
「……そう、か……」
私はふふっとお兄ちゃんに笑った。
「この世界の座標軸は空間ナビに登録したわ。これでいつでもここに来れる。また来るから、ね、お兄ちゃん?」
お兄ちゃんは溜息と共に、右手を私に伸ばし、頭をくしゃり、と撫ぜた。
「ああ、待ってる。お前の幸せを……ずっとずっと祈ってる」
私はお兄ちゃんに抱きついて、言った。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
お兄ちゃんの後ろで、カイトと絵美里さん、リアナさんが微笑んでいるのが、見えた。
***
「……あれ? 倉橋さん……」
俺は目を丸くした。異世界から戻って、係長に報告していた倉橋さんが……机に突っ伏して、寝ている。
「……今日は疲れたようだな」
係長の冷静な声が響く。
「ああ、探していたお兄さんに会えたって喜んでましたね、彼女」
俺は係長を横目で見た。係長の表情は変わらなかった。
「係長はお疲れじゃないんですか?」
「……ああ。特にトラブルもなかったしな」
――倉橋さんは、向こうで使ってる『力』は俺が作ったツールのおかげ、だと思ってるけど、本当は違う。確かに、調整したり、増幅したりはしているが……『元になる力』がなければ、そもそも不可能だ。
波動調整や次元の位置確認、緊急時に彼女の身を護り、こちらの世界に強制帰還させる『力』の源は……東郷係長だ。
係長も、倉橋さんと同じ、『次元を渡り歩く力』の持ち主だと知ったのは、俺が倉橋さんの装備を作る事になった時。係長の『力』をツールを通して、異世界で使えるように調整した。係長からは、絶対に倉橋さんに言うな、と言われている。
『言えば、本当に危険な時でも、あいつは俺に気を使って力を使わなくなるからな』
係長が、この世界と倉橋さんの飛んだ異世界との橋渡しをしている。だから、倉橋さんが向こうに飛んでいる時は、係長にもかなりの負担がかかってるはずだ。
――見た目、ぜんぜん変わらねーから、判りにくいけどな。
係長がすっと立ち上がり、倉橋さんの近くに歩いて行った。ぐったりと寝ている倉橋さんを抱え上げ……長椅子の上にそっと寝かせた。上着を寝ている彼女に掛けるのを見た俺は、思わずにやっと笑ってしまった。
「……何だ? 水野」
「いいえ? 何でもないです」
俺はツールボックスを片手に持ち、係長に言った。
「俺はこれで失礼します。倉橋さんは……」
「……しばらく寝かせておく」
「そうですか。では、お先に失礼します」
俺は係長に一礼し、小部屋を後にした。
***
疲れた顔。だが……嬉しそうな寝顔。
「やっと……巡り合えた、か」
――水野が作ったブレスには、異世界の様子がこちらでもわかる機能がついている。本当に危険な時に、助けられるように。こいつは……あまり庇われるのを良しとしないから、嫌がるかもしれないが。
こいつが、『お兄ちゃん』に言っていた言葉。
『私、今はどこの世界とも、深く繋がる気はないの。だって異世界に飛べなくなっちゃうかもしれないでしょ?』
……特定の次元に繋がりを持てば、多次元に移ることは難しくなるかもしれない。そうしたら、両親を探せなくなる。こいつはそう思っているのだろう。
だから、『人との絆』を深く結ぶ事を、こいつは避けている。ここの世界でも。
俺は、寝ている彼女の髪を撫ぜた。
「――早く、見つかるといいな」
少しでも……早く、俺と繋がりを持てるように、なれよ。待ってるのは、お前の『お兄ちゃん』だけじゃない。
……俺は、そっと、開き気味の柔らかい唇に、自分の唇を重ねた。
<Fin>