目の前のベットで、僕の彼女、ユリは静かに息を引き取っていた。
いや。《静か》にと表現するには、それはあまりにも痛々しい姿だった。顔のあちこちに裂傷や黒く変色した傷があり、特に右の前頭部には、血のにじんだ包帯がグルグル巻きにされてあった。おそらく最期の最期まで、医師はユリの治療に専念してくれたのだろう。頭の部分以外にも、いくつかの治療痕が残されてあった。
だが、それでもユリは死んでしまった。
享年23。
それは、あまりに早すぎる死だった。
「ユリ……」
震える手を動かしながら、僕は病室の薄暗い明かりに照らされたユリの右手を握る。当然、反応はなかった。いつもアコースティックギターを弾いている、その右手はもう二度とその旋律を奏でることができない。
ユリはプロのミュージシャンを目指している人だった。
ギターで爪が割れないようにと、人差し指だけじっくり伸ばしていた爪も、今やぱっくりと割れていた。
「何で……。ユリが何で」
一緒にミュージシャンの夢を叶えようと2人で約束した、あの日からわずか1年半。交通事故により、ユリは志半ばで、その命を儚く散らしてしまった。
そんなユリの右手から伝わる冷たい感触に、僕は大きく打ちのめされてしまった。
交通事故。
ユリの両親から聞いた、おおまかな話はこうだ。
とある音楽のイベントを終わらせたユリは、知人から借りた車で、そのまま僕のアパートへと向かっていた。イベント会場は隣の県で開催されていたので、高速を使っての長距離移動だった。その途中で、ユリの車が対向車線にはみ出してしまい、事故を起こってしまったのだ。
しかし、唯一の問題点がそこにあった。
警察による実況検分によると、ユリの車が先に対向車線にはみ出して、事故を起こしてしまったらしい。つまり、直接の事故原因を作ったのは対向車の方ではなく、ユリの方にあったのだ。イベントが終わった直後に、ユリが飲酒した事実はない。現場は見通しの良い道路だったので、ハンドルミスが起こる可能性も低い。おまけに、相手方の運転手も死亡してしまったので、第三者の目撃証言だけでは、どうしても事故原因を特定することができなかったのだ。
「まあ、そんな事はどうでもいいんだけどさ」
深夜の病院を出て、すでに自宅のアパートに戻った僕。
そんな僕に待ち受けていたのは、どうしようもない焦燥感と脱力感だけだった。あまりのショックに電気すら点けずに、部屋の真ん中で呆然と腰をおろしてしまう。
そんな僕が両手に持っているのが、生前まで彼女が愛用していたアコースティックギターと、CDプレイヤーだった。家が近いからという理由で、ユリの両親から、車の中に残されていたユリの遺品を、一時的に持ち出すことができたのだ。
ギターは後ろのボンネットに入っていたので、運良く難を逃れたらしい。しかし、CDプレイヤーは助手席に置かれてあったためか、やや上の部分がへこんでおり、再び使えるのかは、もう一度動かしてみるまではよく分からなかった。
「そういえば、僕たちが出会ったときも、ユリはこのギターを持っていたよな……」
彼女のギターをぎゅっと抱えながら、僕は部屋の端に置かれている自分のギターを眺めた。
――いっしょにミュージシャンを目指していこう。
子供の頃からミュージシャンに憧れていた僕は、現在はフリーターをしながら、夜に路上でギターを弾く生活を送っていた。
ユリに出会ったのも、その最中。
いつしか路上で夢を交わしたときも、僕とユリはこのアコースティックギターを手に持っていた。
決して収入に満足できなかった生活を、今日までお互いに励まし合ってきた存在。同じ志を持っていた存在。そして彼氏――彼女。
それが僕とユリの関係であった。
「でもさ、ユリ。お前がいない世界で、どうやって僕一人でミュージシャンを目指していけばいいんだよ。やっと周囲からも認められてきて、あと少し頑張ればプロになれるのも夢じゃなかったのに。……何で、ユリが死ななくっちゃいけないんだよ」
電気も付けない暗闇で、僕は小さく独白を漏らした。
「一緒にミュージシャンの夢を叶えてさ。もっといっぱい、オリジナル曲を作ってさ。それで、大勢の人を感動させてさ。それを、叶えるために今まで頑張ってきたんだろ? だったら何で、自分から車に突っ込んで、死ななくっちゃいけないんだよ!」
もはや、気晴らしにギターを弾く気力すら出てこなかった。――と言うよりかは、ミュージシャンに対する夢とか、もうどうでもいいような気にもなってきた。
これを機に、夢を追う生活にもピリオドを打とうか。
そう考えながら、僕はぼんやりと窓を眺める。
外からの月光が、妙にまぶしく感じられた。
ふと――僕は窓のそばに置いてあった、ユリのCDプレイヤーに目が移った。
ユリはなぜか、時代の最先端であるi‐Podを使うような人ではなかった。『だって音質が悪いじゃん』とユリは理由を述べていたが、そのためにいちいちCDを取り替えるのも、それはそれで面倒だぞ、と僕は笑いながら返したことがある。
まあ、それは関係ないとして、事故当時もユリは何枚かのCDを車の中に入れていた。
しかし、どれも事故の衝撃で使い物にならなくなってしまった。でも本体の方はこの通り、上の部分がへこんでいるだけで、たいした破損は見あたらない。
最期にユリは、どんなアーティストの曲を聴いていたのだろう?
そんな好奇心がぼんやりとわいた僕は、窓まで手を伸ばして、月明かりに照らされたシルバーのCDプレイヤーをつかむ。そして、中を開けてみた。
入っていたのは、一枚のCD‐Rだった。
アーティストがリリースしている通常のCDではなく、自分の好きな曲をパソコンなどに収録して聞く、個人観賞用のCD。
これじゃ、ユリが最期に聞いていたアーティストがよく分からないじゃないか。
「俺は、CDプレイヤーを持ってないし……」
かと言って、部屋に置かれているコンボを使っても、時間帯が深夜なので、近所迷惑になってしまう。
しばらく考えて、僕は仕方なくプレイヤーが壊れているのか実験も兼ねて、ユリのCDプレイヤーを聞いてみることにした。
――CDプレイヤーは、時代遅れの音楽機械。
昔、そんなことを誰かに言われたような気がする。
確かに今の時代、音楽は音質よりも手軽さを求めている傾向になっており、それが着うたやi‐Podのヒットにつながった。音質を重視するユリにとっては、あまり快く思ってない傾向であったけど、別に僕はそうではなかった。ただ、人々の音楽に対する聴き方が変わっただけで、音楽が好きだという根底は全く変わっていないからだ。
物の問題じゃない。ただの価値観の変化。
そんな音楽を聴くための道具、CDプレイヤー。
接続されているイヤホンから声が聞こえてきたのは、僕がそんな結論を出した直後であった。
「ねえ、ケンちゃん。私の声が聞こえる?」
イヤホンから聞こえてきたのは、アーティストの歌声でもなければ、録画された他人の声でもない。
ついさっき、この世から去った僕の彼女。
ユリの声であった。
当初はユリを失ったショックで、幻聴が聞こえてしまったのではないかと僕は思った。もしくは、やや現実論に述べてみると、これはCDに録音されたユリの声であるのか。
「ユリ?」
「よかった。私の言葉、ちゃんとケンちゃんに届いているようだね」
しかし、その可能性はあっさりと消えてしまった。
ユリの返事は、僕の言葉の直後に発した。普通、録音されているCDがここまで都合の良く、返事ができるわけない。
「なんで、ユリが僕の言葉を知っているんだよ?」
「ケンちゃん。信じられないようだけど、今から私の言うことをよく聞いてね。――私の魂は今、このCD‐Rの中に宿っているの。神様が私のために最後の時間を与えてくれたから、このCDが終わる79分間――最後の79分間だけ、ケンちゃんと会話することができるの」
「79分間?」
「うん、そう」
イヤホン越しで、ユリは静かに肯定した。
僕はCDプレイヤーに目線を落としてみると、付属されているリモコンは、ちょうど再生時間が2分を過ぎようとしていた。なぜかCD特有のトラックは、この時、表示されていない。
「気を付けてね、ケンちゃん。今、私の魂はこのCDによって、動かされているの。もしケンちゃんがプレイヤーの停止ボタンを押してしまったら、もう二度と私の声がケンちゃんに届かなくなるの。人間の心臓のようにね。もちろん、CD‐Rの最大収録時間の79分を過ぎちゃっても、結末は変わらないけど……。だから、今の私にできることは、こうやってケンちゃんとイヤホン越しで会話できることだけなの」
「ユリ……」
もはや、ここまで話が超展開すぎると、死んだユリの魂がこのCDに宿ったことを受け止めざるを得なかった。
でも、ユリの言うことが正しいなら、神様も案外ケチなことをやってくれたものだ。
唯一、ユリの存在を確認できるのは、イヤホン越しから聞こえる彼女の声だけ。ユリの姿を見ることもできなければ、肉体に触れることすらできない。
五感のうちの聴覚だけ。
たとえ、それが贅沢な事だと思っても、ユリの声しか聞けないことに、僕は大きな不足感を覚えてしまった。
「ユリは――」
しかし、声だけでもユリ本人しか知らない事実を聞くことはできる。
「何で、自ら交通事故を起こしてしまったんだ? 現場は見通しの良い場所で、そうそう事故が起こるとは思えない。だから、警察は自殺という線も考えている有様なんだ。……まさかユリ? もしかして、ミュージシャンを目指すことに疲れてしまって」
「そうだよね。普通じゃあり得ない事故だから、ケンちゃんがそう思っても仕方ないよね。でも、これだけは信じて。私は最後までケンちゃんと一緒にプロのミュージシャンを目指そうとしていたし、さっきの事故も決して、死にたいから起こしたわけじゃないの」
一呼吸置いて、ユリはゆっくり答えた。
「本当に、私の不注意だったの……」
イヤホン越しがら聞こえてくるユリの声に、僕は黙って聞いていた。
声だけでも、ユリの姿は頭の中で想像できる。
視覚では見えないユリの表情も、目をつぶれば鮮明に蘇ってくるような気がした。
そして今。
事故の真実を吐くユリの表情は、ひどく悲しく、そして後悔の念が込められていた。
事故原因は、はっきり述べると、ユリの単純なハンドルミス。そして、ハンドルミスを起こした原因も、あまりにも単純であった。
「イベントが終わった直後にね。久しぶりに良い曲のフレーズができあがったの」
「フレーズが出来上がった?」
「うん。斬新なアイデアは、いつもポーッって浮かんでくるからね。久しぶりに良い曲が出来そうだったから、あの時の私、ちょっと焦っていたの。早くケンちゃんにこの曲を聞いてもらいたい。早く帰りたい。頭の中がその事でいっぱいになっちゃって、車で帰るときもちょっとスピードを上げてしまったの。そしたら、ついハンドル操作を間違えちゃって」
「……そうか」
プロを目指す者にとっては、コピーだけじゃなく、当然オリジナル曲のレパートリーも重要になってくる。
アマチュアとはいえ、ユリも立派なミュージシャン。
ユリは曲を思いついたら、その衝動に任せて、最後まで書ききる癖を持っていた。そして今回の事故は、それが仇となって起こってしまった。
その代償は非情に重たくて、もう二度と帰ってこない物であって。
「アハハ。バカみたいだよね。こんなことで死んでしまうなんて」
どんどん低くなっていく、ユリの声。
ふと、視線を下げてみると、月明かりに照らされているリモコンは、もうすぐで30分を過ぎようとしていた。79分間という時間は、長いようで短い。
「もっと、ケンちゃんと一緒にギターを弾いていたかったな……。それに、お客さんの嬉しそうな顔ももう一回、見ておきたかったな。もちろん、ケンちゃんと一緒にプロのミュージシャンの夢を叶えて、もっといろんな人に、私の作った歌を聞かせてあげたかったけど」
話題はいつの間にか、事故の原因から後悔の念に移り変わっていた。
『自分が創作をした音楽を、他人に共感されるのって、自分にとっての何よりの喜びだよね』
いつしか、路上でライブ活動していた時のこと。
どういう経緯で、こんな台詞が出てきたのかは分からないが、ユリと会話したときに、ふとユリが発した言葉である。
恥ずかしい事かもしれないが、僕はこの瞬間、本気でこの女性と馬が合うなと思ってしまった。そして、一緒に夢を叶えてみたいとも思ってしまった。
それから1年半、オリジナルの曲を作りながらも、ユリと一緒に彼女の歌声を聞いて生活をしてきた。そして今、ユリは最後の意志を1枚のCDに宿して、声だけのメッセージを僕に送っていた。
声。
イヤホン越しからのユリの声が、どんどん震えてきているのが分かる。彼女の肉体は死んでいるというのに、なぜか鼻をすする音まで聞こえてきた。
泣いている。泣いているのだ。
「でもね。やっぱりつらいんだよ……。もう二度と、こうやってケンちゃんと会話できないと思うと、頭の中がはち切れそうなきらいに。もっと、曲を作りたかった。もっと、いろんな人の音楽を聴きたかった。もっと、いろんな人と話してみたかった。ああ……。言っても言っても、キリがない! 本当はこんな所で死にたくなかった! もっと、ケンちゃんと一緒に生きていたかった!」
ユリの声と同じように、僕の体も大きく震えた。
時間が過ぎていくたびに、ユリの悲痛な叫びが痛いほど伝わってきた。たとえ、ユリの姿が見えなくても、また、触れることができなくても、僕はこれだけは断言できた。
ユリはCDの中で生きている。
79分間という限られた時間。だけど、ユリは最後のメッセージを僕に伝えるために、確かにCDの中で生きていると、僕は実感できた。
リモコンはすでに40分を過ぎようとしている。
今にも爆発しそうな感情を抑えて、僕は久しぶりに言葉を返した。
「ユリ。僕はなぜユリが事故を起こしてしまったのかも分かったし、ユリが生きたかったことも、痛いほど伝わってきた」
頭の中がズキンズキンと痛くなる。
「……でもな。あと40分間。死んだはずのユリと話していると、今度は僕の方がおかしくなってしまいそうな気がするんだ」
僕は頭を強く抑えながら、小さく口を動かした。
「まだ時間は残っているけど、ユリ。もうこれでバイバイしよう」
イヤホン越しの空気が揺れた。
「何を言っているの、ケンちゃん?」
「ユリ。くどいようだけど、お前がこのCDの中で生きているのは、よく分かった。でもな、ユリが生きていると分かった瞬間、今度は逆に僕がつらくなるんだ。1度死んだはずのユリが、生き返ったように声だけ出てきて――そしてまたいなくなってしまうことに、僕はどうしても耐えられないんだ!」
ユリは何もしゃべらない。
音のないイヤホンに、僕は続けるしかなかった。
「これ以上、ユリと話していると、今度は僕の方がおかしくなってしまうなんだ」
1年半の間、僕とユリはいつも一緒に、アコースティックギターを弾いたり、ライブをしてきたりと、夢を追うもの同士の恋愛関係を続けてきた。
それは普通の恋愛関係とは違い、日を追うごとに冷めることはなく、むしろ深くなっていく一方だった。
だが、彼女は唐突に死んでしまった。
その衝撃は、雷が脳天に突き刺さった程度の描写では、到底あらわすことができない。
ベットに横たわっている彼女を見た時、僕はほんの一瞬だけ、後を追いたい気持ちになってしまった。
ユリを失った世界に生きる価値はない。生きたくもない。
そんな気持ちが錯綜したが、さすがに理性がそれを許さなかったので、こうして今は、何とかまともな思考であり続けている。
「僕はユリを愛している。でも、愛しているからこそ、我慢ができないんだ……。今は理性が保ってるから大丈夫なんだけど、これ以上、死んだはずのユリの声を聞いていると、僕も本気でユリの後を追ってしまうかもしれない。死にたくなるかもしれない。それだけはどうしても避けたいんだ!」
「ケンちゃん……」
「ごめん、ユリ。もう耐えられそうにない」
頬に一粒、二粒。
今度は僕が涙を流す番だった。
「だから、もうこれでバイバイしよう」
思い思いに79分間、ユリと話すよりも、こうやって踏ん切りをつけたほうが、精神的にも良いかもしれない。
僕にしても。ユリにしても。
「うん。ケンちゃんが苦しいて言うなら、私もそれでいい」
何かを必死で抑えているような、声だった。
僕は涙で濡れた右手で、プレイヤーに付属しているリモコンを握る。月明かりに照らされているとはいえ、涙で視界が遮られてしまい、再生時間がよく確認できなかった。
四角い紋章のあるボタンに、僕はゆっくりと手を乗せる。ユリの言うことが正しければ、この停止ボタンを押すことによって、ユリは本当の意味でこの世を去ることになる。外的トリガーはこの僕に委ねられているのだ。
「大好きだよ。ケンちゃん。私が叶えられなかった夢。絶対に叶えてね!」
「ああ、必ずだ!」
指先に力が入った――途端、同時にピーッとCDが鳴った。
「…………ユリ」
試しに口を開いても、病院でユリの右手を握ったときと同じように、イヤホンからの反応はない。
ユリが生前まで大事に使っていたCDプレイヤーは、この動きを最後に二度と動かなくなってしまった。比喩ではない。ユリのCDプレイヤーはこれを境に、本当に動かなくなってしまったのだ。
再生時間、43分23秒。
神様がユリに与えてくれた時間は、本当に短いようで長いような、そんな曖昧としか言いようがない時間で終わってしまった。
あれから1週間が経った。
ユリの告別式など、いろいろと忙しい1週間を過ごしていたけど、ようやくユリの家で彼女の親戚たちが集まる機会ができたので、僕もそれに参加することになった。
大広間には多数のユリの遺品が置かれている。親戚のみなさんと一緒にユリの最後の思い出を交わすために持ってきたらしい。もちろん、そこには一時的に僕が預かっていたユリのアコースティックギターや、例のCDプレイヤーなども置かれてあった。
ユリが死んだ日以来、僕はまだユリのギターはおろか、自分のギターにすら触れてすらいなかった。忙しかったのも大きな理由だけど、まだ心の整理ができなかったのが、一番の理由だ。
そんな僕をよそに、ユリの父親が一同に口を開いた。
「今日、みなさんを呼び出した理由は、もちろんユリの生前の思い出を交わすためにもありますけど、もう一つ――ユリが死ぬ直前に作ったという曲を、この機会に発表しようと思ったからです」
曲?
僕の記憶では、生前ユリが曲を書いたのは、確か2ヶ月前が最後のはずだ。
もちろん、その曲は僕もデモテープで一応聞いているし、第一ユリが死ぬ直前に曲を作ったことすら初耳であった。
しかし、ユリの父親が取り出してきたのは、一枚のCD‐R。
そう、あの夜。
ユリの魂が43分間だけ宿った、例のCD‐Rだった。
ユリの父親が、僕に体を向けて事情を説明してくれた。
「ユリが事故で亡くなる直前に、とある音楽のイベントに参加していました。その時、企画者のご厚意によって、新たに録られたのがこのCD‐Rです。ケンさんには最後まで内緒にしておいて、とユリから生前言われてきましたので、その遺言に従ったものです。全部で6曲、このCDの中に入っています。ユリが最後に作った曲……。ぜひ、ケンさんも聞いてください」
そうして、ユリの父親は大広間に設置されているコンボにCDを入れる。
あまりの事態に、僕は目を見開かせるしかなかった。
あのCD‐Rは、すっかり他のアーティストの曲でも入っているものだと思ってたけれど、まさか、ユリ自身の作った曲が入っていたなんて――。
なるほど。ユリが『早くケンちゃんに聞いてもらいたかった』というフレーズは、ここから出てくるのか。
ユリ……。
家のコンボで流れているユリの曲を聞きながら、僕は静かに目をつぶる。
アコースティックギターの旋律と一緒に流れてくるユリの声は、相変わらず綺麗で優しくて――そして、なつかしさが感じられた。
もう二度と聞けないと思ったユリの声。
それがまたこの瞬間に聞けることが、今の僕にとって何よりも嬉しかった。
『大好きだよ、ケンちゃん。私が叶えられなかった夢。絶対に叶えてね!』
ユリの最期に言った台詞が、僕の頭に蘇る。
路上で約束を交わしたあの日、つい僕はこんな言葉を吐いてしまったことがある。
『一緒にプロになるってさ。ミュージシャンって何百人に一人しか叶わない、大きな夢なんだぜ? そんな都合良いことが起こるはずないだろ』
しかし、ユリはアコースティックギターを握りながら、自信満々に口をつり上げた。
『都合が良いからこそ、夢として追いかけていくんでしょ?』
広間に流れたユリの声が、静かに終わる。
曲を流し終えたコンボを見て、僕は大きく納得した。
……あの時、ユリが会話を途中で終わらせることを了承したのには、こんな理由があったのか。
ユリの演奏が終わったと同時に、僕は真っ先にプレイヤーの隣に置かれてある、ユリのアコースティックギターへと歩み寄り――そしてゆっくりと構えた。
ちょっとサイズが小さめだけど、決して弾けないというわけじゃない。むしろ、フィットしているような感じだった。
二人で一つ。ギターで一つ。
僕はギターに語りかけるように、小さくつぶやいた。
「一緒にミュージシャンの夢を叶えていこう。ユリ」
ユリのCD‐Rに収録できる、最大の録音時間は79分54秒だ。そして今日、この場で流れたユリの曲の、合計収録時間は36分31秒。
残りの時間、43分23秒――。
これはあまりにも、都合が良すぎる79分間であった。
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