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神様の子供
作:宮森琥珀



2:俺の力で


翌日は土曜日で学校も無く、俺は午前中からホスピスに向かった。受付で名前を記入していると、聞き覚えのある歌声が聞こえてきた。見れば、ロビーの片隅のソファで幼い女の子を膝に抱き、童謡を歌っている親友の姿があった。男のような低音でもなく、女のように甲高い声でもなく、中性的で不思議なトーンだ。
 数々の歌唱コンクールで入賞してきた真砂。審査員からの評価も常に高く、神秘的な声に皆が酔いしれた。音楽雑誌の取材も何度か受けていた。「柔らかく澄んで響く低音、穏やかで優しい高音の持ち主」などと評されていた。
 今も、通りがかりのスタッフやホスピス利用者が足を止めて聴き入ったりしている。やはり立ち尽くして彼の歌を聴いていた俺の肩を誰かが叩いた。振り返れば、ふわふわとした栗毛の少女がいた。真砂の妹、真波だ。
「今日も来てくれたんだね。……お兄ちゃん、心配してたよ?大地がひどく落ち込んでて顔色悪かった、って」
 病人に心配されるとは情けない。
「昨日は……ショックも大きかったから。今日は昨日よりは落ち着いたさ」
 ならいいけど、と真波は明るく笑ってみせた。この妹は、予想よりもずっと元気に振舞っている。昔から泣き虫でメソメソしている性格だっただけに、違和感を感じる。そのことを疑問に思っていると、彼女はこんなことを口にした。
「私もね、ものすごく泣いたよ。でも、私が泣いてばかりじゃお兄ちゃんだって辛いもんね。笑って、笑って、明るい毎日にしてあげたいんだ。……最期まで」
 心の中でもやもやと沸きあがっていた陰湿な感情が晴れていくようだ。前向きに考えられる真波を俺も見習わなくては。あいつのために、何が出来るんだろう。考え込む俺の横で真波がポツリと呟いた。
「お兄ちゃんの歌、ほんとに綺麗。あと少ししか聴けないなんて……勿体無いなぁ」
 そうだ。歌だ。突然、俺の頭に閃きが走った。音楽と共に生きていきたいと願っていた真砂の歌を、世界に届けたい。
「俺も、勿体無いと思う」
 あいつの心を、声を、歌を。誰にも届けずに殺してしまうなんて、勿体無さ過ぎる。だから、届けてみせよう。世界に。





 月曜日の放課後、俺は音楽室に足を運んだ。そこではすでに声楽部の活動準備が始まっていた。圧倒的に女子部員が多い教室へ踏み込むのは少し戸惑いをおぼえたが、俺は中に入り、様々な視線を浴びつつ、音楽教諭に近づいた。中年の女性教諭は、俺の姿を見て柔和で上品な微笑を浮かべた。
「あぁら、紫村君。珍しいじゃありませんの。どうかなすって?」
「実は、真砂……梅田のことで」
 真砂の名を出したとたん、教諭は顔を歪ませて溜息をついた。白髪交じりの髪に手をやりながら、やりきれなさそうに呟く。
「梅田君……まだまだ、これからですのに。残念、なんて言葉では表現できませんわね……」
 ことのほか真砂を可愛がっていた人だから、辛い気持ちも大きいのだろう。
「先生。梅田が書いていた楽譜を持っていませんか?」
「梅田君が作曲してた楽譜のことかしら。彼が持ってきて欲しいとあなたにお願いしたの?」
「はい……そうです」
 嘘だった。しかし、音楽教諭は仲がいいのは良いことだと喜んで、奥の準備室からどっさりと楽譜を持ってきてくれた。後々お見舞いに伺うと伝えて欲しいと丁寧に頼まれ、俺は胸の奥がチクリと痛んだ。罪悪感を感じないわけではないが、しかし、そうも言っていられない状況でもある。すぐに行動に移さなければ、間に合わないかもしれないのだから。苦い気持ちで真砂の譜面を鞄にしまっていると、一人の女子生徒が話しかけてきた。長いお下げ髪のおとなしそうな彼女は、真砂とよく話していた奴だ。確か、名前は野崎明日香。(のざき あすか)
「あのね……梅田くん、どうしてるかな。元気……かな?」
 おどおどとした話し方だが、声は綺麗だ。さすがは声楽部。普段通りにしていると言うと、安心したように表情を緩めた。
「そ、それでね……紫村くん。梅田くんの楽譜、どうするの?」
 ドキリとした。周囲で聞き耳を立てている生徒はいないが、自然と声が小さくなってしまう。
「どう、って……?」
「……ごめんね。何となくなんだけれど、梅田くんが持って来てって頼んだんじゃない気がするの」
 見かけによらず鋭いな。違ってたらごめん、とあたふたする彼女に苦笑する。とてもごまかせそうにないから、俺の考えていた計画を小声かつ早口で教えると、野崎の顔が輝いた。
「素敵!わ、私も応援するよ。……その、あ、あんまり力になれないとは思うんだけど」
「いや、俺は全然音楽の知識がないから、助かる。……じゃあ、本格的な練習に入るみたいだから、俺はもう行くな」
「うん。……あ、明日、またお話しよう」
 はにかみがちな笑顔を残して、野崎は部員の整列に加わった。俺も音楽室を後にする。いつも部活帰りに真砂と待ち合わせしていた談話コーナーを通り過ぎ、今度は俺が所属する化学部の部室である実験室に向かった。たてつけの悪い戸を騙し騙し開けると、神経質そうな顔をした、部長であり同級生である小野寺睦月おのでら むつきが出迎えてくれた。ちなみに部員はこいつと俺と下級生一人しかいない。来年からは同好会に格下げされることが既に決定している。
「どうした、紫村。景気悪い顔してるぜ」
「そういうお前はいつ見ても神経質な顔してる」
「ほっとけ」
 国立大学を目指す小野寺は、部活から戻るとすぐに家庭教師との格闘が待っている。ストレスで人相が悪くなっても仕方が無い状況ではある。だが、人相と口は悪いが、根はとてもいい奴だ。ふざけんなよ、面倒くせぇと言いながら、人の世話を焼くのが趣味のような人物である。
「あのな、俺、しばらくここに来れない」
「……なんで」
 俺の唐突な言葉に、彼の眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれる。俺たちとクラスが違うし、噂話に加わるような人柄でもない小野寺は何も知らないのだろう。真砂がホスピスに入ったこと、彼が亡くなるまでは出来るだけ傍にいたいことを話すと、小野寺は低く唸った。
「冗談にしては笑えねぇけど……信じられねーな。この年で……末期ガンかよ」
 苦々しげに呟かれるのに黙って頷く。まったくもって同感だった。
「ここのことは気にすんな。……お前の気が済むように、後悔しねぇようにするんだな」
「……ああ。ありがとう」
「でもお前、大学とかどうすんだよ」
 AO入試を狙っていると言うと小野寺は、それだけはちゃんと受けに行けよ、と助言して来た。
「お前が余りにも梅田にかかりっきりだと、逆にアイツも窮屈な思いすんだからな。最低限、自分の生活水準は維持することだ」
 小野寺の言葉でハッとした。そうだ、俺ばかりが暴走しては真砂にも負担がかかる。それに気づかせてくれた、という意味もかねて再度礼を言うと、相手は照れくさそうに実験マニュアルを開いた。本が上下逆さまに引っくり返っているのにも気づいていない。俺は久しぶりに声を出して笑った。












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