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第一部―竜殺―13
「がふっ――!」
 空を切る剣の音と同時に黎治から悲痛な呼気が漏れた。竜の尾による一撃で吹っ飛ばされていく。
 あり得ないほどに簡単な失策だった。
 単純なフェイント。ブレスと見せかけただけの動きに安々と引っかかったのだ。
(どうしてだ……。こんな単純なやり方に……)
 らしくない。黎治は自信過剰ではなく、経験からそう思う。
 アマツにいた頃の黎治は、臆病者と揶揄される程に用意周到と言われていたのだ。そして、だからこそ難しい仕事もこなすことができたのだし、結果としてアマツの暗部最強の称号である『凶ツ風』を与えられるまで強くなった。いくつもの暗殺、破壊工作、誘拐、妨害工作。あらゆることを警戒し、一瞬で仕事を果たす。国の首長である帝、そしてアマツという国に仇なすものに怒りの鉄槌を下してきたのだ。
 付けられた二つ名は『凶ツ風・怒槌の戦鬼』。
 黎治は吹っ飛びながらも、必死に態勢を立て直しながら思考を続ける。
 俺らしくない原因はなんだ? 俺は何故勝負を急いだ? 俺は焦っているのか?
 唐突に思い出す言葉があった。
――お前は国を護ってる。俺が認めるぜ。俺が認めりゃ、この国全部が認めたも同じことだからな。喜べよ、馬鹿野郎。だけどな、国を背負っちゃいないんだよ。お前は負けていいと思ってるだろ? 自分の代わりがいると思っているんだろ? 俺は負けちゃいけねぇんだ。負けたらアマツの民全てが路頭に迷っちまう。今は俺の代わりもいねぇ。だから、負けれねぇんだ。俺はお前を使うぜ? こき使って、使って、使って、使い倒して。そんでお前が疲れ切ったら少しいい目を見せてやる。てめぇが護ったものが何か見せてやるよ。だから死ぬなよ? 俺が裏の人間と約束したのはこれが初めてだ。まぁ、裏の人間を信用したのが初めてなのかもしれねぇな。てめぇと約束したんだ。だから、代わりはいねぇんだぞ。約束しろよ、黎治。
 もう死んだ男の言葉だ。黎治との約束を果たすこと無く、死んだ男。今でこそ言えるが、黎治はその男が、大好きで同じくらい大嫌いだった。
 俺に欲しくもない称号を与えてこき使ったあげく、死んですらも俺に仕事を残した馬鹿帝。
 これが負けられない戦いか、バカ帝。
 地面に足と剣を突き刺すようにして減速する。
(俺が負けたとして単独で竜に勝てる存在は――ここにはいない)
 自分の状態を確認する。横合いからの攻撃だった為、片側の肋骨が三本ほど折れているが、戦っている最中に治る程度の損傷と判断。呼法に支障はない。そんなヤワな鍛え方はしていないのだから。武器も手放してはいない、気力も充分だ。
 黎治は思考を加速していく。
 これだけ距離を離された状態からなら間違いなくブレスが飛んでくる。黎治は全力で叫びを上げながら跳躍。
 背後には村があるのだ、この角度はまずい。
「おおおお!!」
 黎治の予想通り、竜はブレスを放とうとしていた。口から漏れる邪悪なまでの赤が、黎治の叫びを追って斜め上方へと斜角を調整してから発射される。
「耐えられるか、竜斬」
<至極当然に>
 竜斬の返事を待たずに、幅広の剣の腹を見せるように構え、ブレスに対しての盾とする。
 瞬間、赤が視界を埋め尽くした。柄を握る手から『ジュ』という自らの肉の焼ける音が聞こえながらも、剣を離すことはしない。ブレスの勢いに押され、村の方へと体が持って行かれる感覚。炎に質量すら感じる。凄まじい勢いで景色が流れる中、黎治はもう一つらしくないことをする。何かを背負っている人間はもう一人いるのだ。たまには戦闘中に誰かを信頼するのもいいかもしれない。
 ブレスの高熱にさらされながら、黎治は大きく声を上げる。
「グズルーンっ!!」
 仲間の名だ。


 黎治の叫びを受け取ったグズルーンの行動は早かった。赤い線が自らの上に達するよりも速く補助刻印で目標位置を書き込み、描いた魔法陣に手を当て起動分の魔力を注ぎこむ。
「起きよ、神なる文字(フサルク)! 刻まれし意を示せ!」
 魔力を帯びた文字はグズルーンの唱える起動呪文を受け、その役目を果たす為に世界へと命令を出す。
 すなわち刻印術のラグズ(水)系統、水撃と呼ばれるものを補助刻印で強化した魔術式が起動する。
 それは水の柱だった。地面から間欠泉のように吹き出した水の柱は少し斜めになりながら、上空へと伸びていく。
 水の柱と炎のブレスの先端同士が激突する。
 空で水蒸気が爆発した。
 高熱の炎塊と水の柱が互いに打ち消しあう。
 グズルーンは炎が飛んできた方向を見ていた。どこか錆色を思わせる赤茶色の竜が、かなりの速度でこちらに向けて飛んできている。その姿に雄大さすら感じてしまう威容だ。空の覇者という言葉がふさわしいとさえ思える。
 だが、グズルーンは怯むこと無く、隣でいつものように佇むリザに不敵な笑顔で言ってのける。
「あれが竜か。なんだ大したことがないではないか、私の刻印術でブレスは無効化できるのだから」
 グズルーンが黎治の心配をしないことには理由がある。グズルーンには見えていた。水の柱を蹴り、水蒸気爆発の勢いとその蒸気による煙幕すら利用した黎治が竜へと飛ぶように向かっている姿を。
「さぁ、ここからは戦争だぞ」
「お嬢様、あまり興奮されませんようにお願いいたします」
「レージ殿に負けるようでは貴族の名折れだ! だが頑張れ、レージ殿!」


 ブレスに流されていた以上の勢いで黎治は空を駆けていた。
 凄まじい勢いで突き上げて来た水の柱は地面とほぼ変わらないほどの跳躍を可能にしてくれていたし、水蒸気爆発による加速の後押し、蒸気による煙幕は黎治にとって有利に働いていた。
 剣を右手を引き刺突の構えで固定しながら握った山刀とともに左手を添える。
 竜へと向かい直進、空中なので方向転換はしにくい。せいぜいが、剣の角度で方向の微調整程度しかできないが、それでも充分だ。竜の視線はグズルーンたちに固定されている。水の柱で気を取られたことと、竜自身もブレスの威力を計りきれていないことが幸いしたのだろう。
 竜のそれは過大評価だった。黎治を殺すには幾分か足らない威力ということがまだ分かっていなかったのだ。
 竜が黎治に気づく。黎治は刺突の構えから態勢を変えない。方向は完璧、避けられる状態ではない。
 それでも竜は首をずらし、頭部への一撃は回避する。
 黎治の剣は、人間で言う鎖骨のあたりに半分ほど刀身を埋める形で突き刺さる。
「グオオオォォォォ!!」
 竜が叫ぶ。
 相対速度も相まっての一撃だ、深手と呼んでいい。
 黎治は竜の背中に降り立つ。突き刺さった剣を楔にしつつ、山刀を首へと渾身の力で叩きつける。
「おお――っ!!」
 鱗が切れる。再度振りかぶり、叩きつける。荒れる足場の中、最初に山刀を叩きつけた場所と寸分違わぬ位置に振り下ろしている正確さは黎治の実力だ。
 竜が暴れる。黎治が振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。
「グズルーンっ!!」
 再度黎治が吠える。叫びからほとんど時間をおかず、第二の仕掛けがグズルーンによって作動する。
 轟という風切り音と共に、村の方向から何かが飛んでくる。
 それは矢と言うには大きすぎる代物だ。黎治と街の青年たちが切り出した材木による矢がグズルーン達の刻印術によって打ち出されている。
 風の刻印術の応用。圧縮した空気で打ち出された攻城弓に匹敵する程の矢が、竜めがけて打ち出されている。下手に動きを乱せば矢の直撃、しかし、暴れなければ黎治の断首が待っている。竜は一瞬だけ逡巡したのだろう。黎治にも矢にも注意を払わなかった一瞬――
 竜の翼に矢が二本突き刺さった。
「――――!!」
 竜の絶叫は女の金切り声を想像させた。竜の翼は大気のマナを掴む役目も果たすものだ、だからこそ巨体が浮かぶことができる。
 それが壊れた。
 結果は単純にして明快だ。翼を失ったものは問答無用で地に落ちていく。
 錐揉みしながらグングンと高度を下げていく中、黎治は楔となっていた剣を引き抜く。痛みに竜が吠える中、黎治は竜から離れ、地面を陥没させながらも着地した。 
 そして轟音。竜が地に落ちた音だ。


 もうもうと竜の墜落により巻き上げられた砂煙が舞っていた。
「はぁっ、はぁっ」
 荒れた呼吸を隠そうともせず、黎治は移動する。竜が落ちたのは黎治が設定した戦闘区域ギリギリの場所だ。これ以降奥にはグズルーンの刻印術も仕掛けられていない。目的の場所に近づき疾走をやめた黎治の目の前に、グズルーンとリザがいた。
「レージ殿! やったな、竜が堕ちたぞ!」
「死体を確認するまで油断するな」
 竜が落ちた場所は見えるはずだ。砂煙が激しすぎて見えないが――
「避けろ!!」
 砂煙の向こうに赤い光が見えた瞬間、黎治は叫びながらリザを蹴り飛ばしていた。
「きゃっ!」
 蹴り飛ばされたリザはグズルーンを巻き込んで横へと吹っ飛ぶ。黎治もその反動を利用して横へと飛んだ、と同時に灼熱のブレスが横を通り過ぎる。
 横へと飛んだまま、器用に側宙で態勢を整え、光の出所へと剣を構えながら黎治は駆ける。
「これでっ、終わりだっ!!」
 剣がそれにぶち当たった瞬間、砂煙が衝撃と剣閃によって払われた。
 晴れた砂煙の中、黎治の剣は竜の首の半ばまで食い込んでいた。
「う、ぐ、ぐ、ぐおおおおおおおおおおおおっ!!」
 叫びを上げながら、力を込めていく。ゆっくりと剣が進む。首から流れる竜の血が徐々に増えていく。すでに地面は竜の血で血溜まりが出来ている。
「キ、キサマ、ワレ、ヲ、コロ、スカ……」
 竜が言葉を発したことに驚く必要もない。勝負はここで決するのだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 剣が残り四分の一へと達する。
「キサ、マ、ノ、名……ハ」
「――っ、二度は名乗らないっ!!」
 黎治が剣を振り抜いた。竜の首が轟音とともに地に落ちる。噴出する血を体に浴びながら黎治は剣を空に掲げて叫んだ。初めての勝ち戦の時のように心の限り。
「ぉぉおおあああああああああああああっ!!」 
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