三章 (4)
5
誰もが寝静まった病院は、あまりにも寂しいものだった。
音もなければ、光もない。
ただひたすらに闇が続くのみなのだ。
するとぽわんとした光が、岳のいる集中治療室に現れる。
それは粉雪のようにゆっくりと舞い降りてきて。
やがてそこには、一人の少年が現れた。
下のほうで一つに結った髪は長く、歩くたびにはらりと揺れる。
彼は黒いローブに身を包んでいて、しかしズボンだけはオフホワイトのジーンズだ。
彼は徐々に岳に歩み寄る。
そして岳の眠るベッドの脇まで来ると、その場に立ち止まった。
彼は胸元から碧色の十字架を取り出す。
月明かりに照らされた十字架は、神秘的な輝きを放っていた。
と、それを岳の胸元にかざして。
涼しい鎖の音の後。
彼は何か、言葉を紡いだ。
聞き取れないほど小さな声で、言葉を紡いでいた。
すると十字架は、淡い光を発して。
それが粉雪のように岳に降り続けていて。
少年はなおも、言葉を紡ぎ続けていた。
外には穏やかな星空が広がっていた。
6
やっと集中治療室と心電図から開放されたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
昨日もそうなのだが、今日も家族がお見舞いに来てくれて。岳は嬉しいと思う反面、やっぱりちょっと、恥ずかしかった。
もう高校生なんだからと、心配を露にする両親に文句を言ってみたりして。それでも内心ではすごい感謝していた。自分は愛されているんだなと、確かに実感することができたのだ。
ただし雪乃は来なかった。もう間近に近づいてきている高校総体の練習で、今朝も早かったのだという。父も会社があるからと「大人しく寝ているんだぞ」と言い残すと、それほどせずに治療室を出ていった。
母は病室の移動が終わってからもしばらくいたが、楽団の練習があるからと「看護師さんに迷惑をかけちゃだめよ。ちゃんと大人しく寝ていなさいね」とやっぱり言い残して出ていった。
岳は「わーってるって。それに動けねぇよ」と、昨日まではかすれていたはずの声を元気にあげると、そんなに子供じゃねぇと唇を尖らせた。
「愛されてるねぇ、少年」
ニヤニヤと笑いながら、病室の隅にいた鈴子は岳に近づいていった。
「そりゃどうもッス」
かつかつと静かな病室に響く靴音を、岳はちょっと不貞腐れながら聞いていた。
言われれば言われるほど、自分が子供に見られているような気がしてならない。
白いカーテンが開け放たれた窓の外で、木の葉がさわさわと踊っていた。
「愛されるっていいことだぞー、少年」
「いつまでも子供じゃないってのに」
「親から見れば、あんたはいつまでも子供だよ」
キシシと笑いながら、鈴子は岳のベッドに腰掛ける。看護師がそんなことをしていいのか? と、岳は不意にそんなことを思った。
「……そりゃ、そうかもしれないですけどね。でも、俺だって十分年取ってますよ」
「十五なのにかい? 少年」
「高校生なんて、もう十分大人ッスよ」
春の陽射しが、きらきらと病室内で輝いている。
広く広く感じる一人部屋の中を、陽光は温かに照らしていた。
鈴子は窓の外を見やりながら、その口元にふっと笑みを浮かべて。
「バーカ。高校生なんざなぁ、まだ十分ガキだっつーの」
鈴子が体重をかけ直すと、ギシッとベッドが微かに軋んだ。
「解る? 少年。高校生なんてね、やってる時は大人っぽく感じるもんなんだよ」
それほど遠くもない過去が、鈴子の瞳には浮かんでいた。
陽光を受けていて、さらにその輝きを増している。
「俺はもう義務教育じゃないんだぞって。だから誰の力もなしに生きていけるんだぞってね。胸張っているようで本当は知らないうちにさ。バカみたいな意地を張っているもんなんだよ。そんで『自分って超スゲェんじゃね!』って、勝手に感じているだけ。実際はまだまだ自分ひとりじゃ何にもできない、未熟なただのひよっこなんだよ」
懐かしい日々は、今となっては馬鹿げた思い出なのだろう。すっごい貶しながらも、鈴子の口調はこれ以上ないくらいに、弾んでいた。
「……そういうモンなんスか?」
「そういうモンっすよ、少年」
どうしてだろうな。本当にそう思っているだけなのだろうか?
今はいまいち解らないけど。いつかは解る時がくるのだろうか……。
微かな静寂が、舞い踊っていて。
疑問に眉根を寄せながら、岳は鈴子に視線を向けた。
鈴子の表情は、どこまでもどこまでも明るく華やいでいて。。
清々しさと輝きに満ちていた過去とで、穏やかな雰囲気を纏っていた。
(……やっぱり今は解らねぇや)
渦巻く疑問をさらに濃くして、岳はふーんと唸った。
小鳥がぴーちく、どこかで鳴いていた。
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