ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
     選択。
 ――……疲れた。
 少女は部屋と呼ぶにはあまりにも豪華な、檻と呼ぶには些か粗末な濡れた土牢にその身を落とすと、その場に失神するかのように倒れこんだ。
 床のあちこちに繁殖した黒カビや、部屋の隅から時折現れるムカデなどの害虫が、この少女が住まう牢がいかに不衛生か見る者に伝えるだろう。
 日の出と共に起こされ、日が沈むまで食べ物も水もろくに与えられずただただ周りの男たちと共に働かせ続けられている少女の体は既にボロボロだった。
 肌に未だ馴染まぬ重い足枷が少女の体を更に追い詰め、精神までをも蝕んでいく。
 あまりの疲労に少女はろくに何かを考えることも話すことも出来なかった。
(いつまで続くんだろ……)
 ぼんやりと靄がかかった薄い思考の中、少女が思うのは――思うのも憂鬱になるほど漠然とした疑問。しかし、女の身には遥かに過ぎた労働に意識すらも危うくなった少女の頭は、そんな疑問の答えが出るのを恐れるように答えが出る間際、呆気なく少女の頭からその答えを、疑問を霧散させた。
(ま、いいや――……明日もまた、頑張んなきゃ……)
 寝る寸前、全てを放置した小さな少女が思うことはただ一つだった。

 今から約五日前、突然異世界に落ちた少女は選択を迫られていた。
 『6ゆ』(女)の道を選ぶか、それとも『6sb』(男)の道を選ぶのか。
 少女の前に立っていた細長い耳を持った女性が泣きながら狼に従い右へとふらふら歩き出した。
(あぁ……次は、私の番だ)
 消えてしまった小さな背に、今まで隠れて見えなかった光景がより明瞭に少女の視界に広がり、その――あまりにも現実離れした……あまりにも信じがたい光景に未だどこか夢心地にいる少女は、先ほど船の上で傷ついた頬の傷がシクリと痛むのを感じた。
 「これは現実なのだ」と、少女の思考が現実に追いつけない代わりに、少女の生きた肉体が、少女の今にも崩れ落ちそうな脆い心に、優しく教えているようだった。
 ブルブルと、震えそうになる身体を必死に押さえ少女は前を向く。
 先が見えない不安が重く少女の肩に圧し掛かった。

「zg!」
 大きな野太い声が、少女の頭に響き少女は改めてここが彼女の知らない世界、異世界なのだと実感する。すると、目の前に佇む狼の頭を持つ者達がいったい、この世界でどのような扱いを受ける者達なのか――……少女の冷静な部分が気になってくるから不思議だ。
 “冷静”が少女に囁く。
 相手を知ることで活路を見出せと。
 鋭い歯をむき出しに、血に餓えた狂犬のようにダラダラとよだれを垂らし、金の瞳を鋭利に光らせる狼の頭を持つ者達。
 彼らは、彼らを前にしてもなお、未だ嫌悪も怒りも見せず、能面のような無表情で前にいる自分たちをじっと見つめてくる人間を面白そうに観察すると、最後にニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
 そして、そんな彼らを前にし、内心発狂してしまいそうなほどの恐怖を抱える少女に陽気な口調で話しかける。先程、彼女に対し容赦ないムチを振るった狼だ。
「6ゆt?」
 ニタニタと不気味な笑みで少女に何事か話しかけてくる狼の頭を持つモノ。
「――……」
 言葉が全く理解できない少女はその質問に対し、ただ無言でそこに居るしかない。
 じわりと、熱くもないのに背中に一筋汗が流れた。
「c;sm6sbt?」
 硬直する少女にふと生暖かい異臭が吹き付けられた。目の前に居る狼の頭を持った者達の吐息だ。食をとった直ぐ後なのか――酷く血なまぐさかった。
 まるで何事かを確信でもしているかのように再度尋ねられた問いかけ。それは、どこか自信が満ちていて、実際立っていることさえやっとな少女の精神ココロを更に追い詰めた。
 気を抜けば思わず、腰を抜かして立てなくなりそうなほど恐ろしい恐怖。それは、全く見知らぬ人間に自分の経歴全てを知られているかの如く不気味なものだ。
(まさか……私がこの世界のものじゃないって知ってる? でも、まさか――)
 この世界において少女はあまりにも知らないことが多すぎた。
 当たり前だ。
 少女はこの世界の住人ではなく、別の世界の住人なのだから。
 しかしそれ故に、そのたった一つの疑惑は少女の内でジワジワと繁殖し、錆びのように少女の心に纏わりつく。
「x3、さおq?」
 もう一度問われ、少女は思わず息を呑む。
 聞いても全く理解できない言語が、ニタニタとまるで何事かを確信したかのように笑う狼の頭を持つ者達の嗤いが、徐々に徐々に、少女のなけなしの精神を壊していく。
(どうしよう。どうしよう。どうしよう。)
 先ほど決心したばかりの思いが揺らぐ。
 ぐるぐると、なんの打開策も無く、ただそこに頭を真っ白くして佇むことしかできなくなった少女は、それでも必死に考えた。
 もう、良いんじゃないか?
 弱った心に悪魔が囁く。
 もう、十分じゃないか?
 揺らいだ決意に悪魔が息を吹きかける。
 お前が生きてたって誰が喜ぶ? そんなんで本当に、生きている意味はあるのか?
 長年少女が我知らずしてその小さな体に溜めに溜め込んできた暗い暗い不の思いが、風が吹かれて舞い散る埃のように少女の心に渦巻く。
 暫くして、あまりにも長い凛の沈黙に耐え切れたのか、痺れを切らした先程の狼がムチでピシリと地面を叩いた。
「f7hd¥!」
 鋭い唸りが少女の耳を貫き、未だ白紙の、何の答えも持たない凛に細いナイフを突きつける。
「-…っ!!」
「さおq?!」
 薄皮が一枚。
 ナイフの刃先でうっすらと切れた。
 ピリッとした痛みが少女の首に走った。
(死ぬの――……私?)
 そうなって、ようやく少女の思考がまるで悪夢のような現実へと向き始めた。
 今か今かと少女の答えを待ちわびる狼へと彼女は地面へと落ちかかっていた視線を向ける。
 血に餓えた、金の瞳がそこにはあった。
(こんなところで。こんな世界で。)
 焦れば焦るほど頭が空回りしているような気がするとともに妙な空白が彼女の頭に生まれた。
(誰にも見取られることなく、誰にも悲しまれることなく。)
 意識が二つに分かれ、“冷静”が“不安”に“不安”が“冷静”に囁き、話し合い、争い。 
 形無い言葉の渦が心の中で、咆哮しはじめる。
(誰からも忘れられて、母さんにも、父さんにも、友達にも、同級生にも忘れられて? こんなところで、こんなところで私は、わたしは、ワタシハ――!!)
 死にたく無い!!
 少女は絶叫した。
 たとえここがどんな地獄であっても。
 たとえこの先どんな苦難や困難が待ち受けていたとしても。
 少女は少女であるため。
 少女は少女という存在を活かし続けるため。
 先ほど心に決意したばかりの思いをまた再び心に燃え上がらせ少女はキッと、前を見据えた。
 すると、さきほどまでの動揺が一瞬にして消え、まるで巫女が神からの天啓を受けたかのようにフと、少女はある事柄を閃いた。そしてその考えに思わず戦慄する。
「どうして「女」か「男」か、狼の頭を持つものは聞く必要があるのだろう」と、今更になってそんな疑問が少女の脳裏に引っかかった。
(まさか彼らは――……。)
 
 それは賭けだった。
 敗れれば言い逃れがは決して出来ない、果てにあるのは“死”のみの。
 思いがけずしてギリギリの思考の中少女が見つけ出してしまったたった一つの結論に、少女は彼女自身でも信じられず一瞬たじろいだ――が、しかし。次には一か八かの掛けにでるため少女は右足を大きく左へと踏み出した。



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。