第一章 恋人の条件。
「ねぇ、ちょっと凛待って!五組の竹中君ふったって話本当なの?!」
帰宅学生で賑わう名門私立村上高等学校の校門。
一歩校門を出れば、そこには街まで一直線に伸びる長い下り坂が続き、更にその遠くには日に照らされキラキラと光る青い海と小さな箱庭のような町が見渡せた。
入学当初学生は、このあまりにも過酷な坂道に毎朝うんざりし、ある者は歩き、またある者は自転車を押しながら、道脇に咲く美しい草花にも目をくれず、ただただ学校を目指しのぼっていくだけなのだが、半年も過ぎればそんな道にもなれ、友達と話す余裕も、辺りを見渡す余裕も出てくる。
その時彼らはこの学校に入って本当に良かったと、最近ではなかなか見かけることが出来ない自然の本当の美しさを目の当たりにして感じるのだという。
貴方の心を今よりより豊かに。
名門私立村上高等学校創立者、村上 宗一郎が掲げた永久不滅なスローガンだ。
春が過ぎ青々とした桜並木が、空へと枝を伸ばし少し強くなった日差しを遮り家路へと道を急ぐ生徒たちの背を優しく見送るそんな中、一人の少女が息を切らし校門から飛び出してきた。
五限が終わるなり、早々教室を去ってしまったとある少女の背を追いかけてきたのだ。
腰を曲げ、ぜぇぜぇ荒い息を上げる少女の名前は、佐々木 志穂。勝気そうなつり上がった黒い瞳が印象的なボーイッシュな少女だ。
「あれ志穂…、何そんなに慌てて。どうしたの?」
下校で賑わう生徒達がそんな少女の姿に一体何事だと目を向ける中、そんな彼女に呼ばれた少女と言えばいつにも増して慌しい少女の姿に一瞬驚いたように目を見張ったものの、次にはおっとりと首を傾げ、不思議そうに口を開いた。
彼女の背まで伸びた黒髪が熱い夏風に煽られさらりと揺れる。
「なにもこうも、なんで?どうして?教えてくれなかったのよ!凛の馬鹿、裏切り者〜!」
「いきなり裏切り者って……。何の話?」
「そんな可愛くしらばっくれても駄目、ネタは上がってるんだから!」
「――…、だから何の話? さっぱり分からないよ志穂」
内心、キーと訳のわからない癇癪を起こしている目の前の少女に対し、
(あぁ、面倒臭い。この癇癪持ち。このまま放置して帰ってもいいかな、いいよね)
と一見優しそうな綺麗な顔立ちに反し存外酷いことを考えていたすでに帰る気満々であった少女、柊 凛は、そんな彼女達の周りで、「なんだ、なんだ」と野次馬根性丸出しで騒ぎだす生徒達の目と今後の自分の評価、そして、一パーセントにも満たない同級生に対する思いやりを計りに、渋々今にも家へと帰りたがっている足を止め、目を背けたくなるほどの癇癪を起こしている少女に向き直った。
夏の暑い日差し、そして人目を避けるよう、未だ暴れる志穂を引き連れ凛は木陰に避難する。
「きぃ〜!!そんな可愛い顔したって駄目。貴女の親友、志穂様に、そんなまやかしきかんのです!」
「――……。悪いけど、今日は志穂との楽しい会話に付き合っている暇は無、」
「昨日!」
「え?」
「昨日、放課後、15時18分37秒!」
「はい?」
「五組の、」
「五組?」
「あの竹中 航君に!」
「竹中?――……あぁ。そういえばいたねそんな人。」
「裏庭で告白されたって本当?!」
ガシッ、と今にも襲い掛かりそうな勢いで凛の細い両肩を鷲掴み絶叫する志穂。
彼女の赤く高潮した頬からツッと汗が流れ落ちる。
「あぁ、うん。−…それが?」
しかし、そんな友の様子を前にしても凛の態度は全く変わらなかった。
昨日のことを思い出すように一回空を仰ぎ、酷く面倒臭そうに頷くと志穂の顔を見やる。
「それが?−…、“それが?”ですって?!」
「志穂?」
ふふふふ、と突如不気味に笑いだした少女の理解不能な行動に凛は思わ眉を寄せた。
小柄な少女の背後からユラユラ見えるどす黒い陽炎。
決して気のせいでは無いだろう。
「どうして?」
「え?」
「どうしてあんな良い男、凛はふっちゃったのよ、あぁ、もったいない!」
「はぁ?」
「頭脳明晰、スポーツ万能、容姿端麗、性格温厚!」
「ちょっと志穂落ち着いて…」
「去年この学校に入学してからというもの二年連続抱かれたい男ナンバー1の座に君臨する正に夜の帝王!この神風高抜きん出の女子の憧れ、難攻不落の鉄壁の要塞を持つ男、竹中を!どうしてそんなあっさりとフッちゃう訳?!」
「信じらん無い!だからモテル女ってのは~!」志穂の涙交じりの叫びがどこまでも青く晴れ渡った空に響き渡った。
すると、今まで各々の会話に興じていた生徒たちがまるで鉢合わせをしていたかのようにピタリと止まった。
ギギギ…。錆びたブリキのようにガチガチ音を立て、凛達の方を振り向く生徒たち。
ゴクリと、誰かが生唾を飲み干す音が、シーンと静まり返った桜並木通りに響いた。
誰もが口を閉ざし、耳を極限まで澄ます重い空気。
そんな中凛は、
(せっかく人目を防いだってのにコイツは――……。)
と、目の前の少女を恨めしげに見、そして辺りをぐるっと一周見渡した後、何か覚悟を決めるように目を閉じ、目を開くと同時にふっ、と鼻で笑った。
何百もの目がそんな少女を見つめる酷く緊迫した空気の中、少女は堂々と腕を組む。
そして真っ直ぐ背筋を伸ばすと……少女は、己を見る全ての者たちに向けてあっけんからんにこう、いいのけたまわった。
「嫌ね、志穂。そんなの簡単よ。だって彼、まだ学生なんですもの。」
「へ?!」
「金。」
「か、ね?」
「そう。彼まだ学生でしょ?キチンとした仕事も何もして無いから、今、親のすね齧って生きてるようなもんじゃない?つまりはプー太郎ね。」
「え…と、凛さん?」
「そんな人に私の相手が勤まるわけ無いじゃない。――……私の求める男は最低でも年収、一千万を越す男よ!」
ふふふふっ。そう言ってお上品に口元を押さえ笑う学年一美しい美貌を誇る少女。
((えぇぇぇぇぇぇぇぇええ〜!!))
しかし、そんな美少女が発した男のロマンも女の夢もまるでぶち壊しな…、何とも現実めいた冷たい台詞に、凛の友を初めとする志穂含め、その話を聞いていた多くの者達が胸内で大きな驚愕の声を上げた。
「あら、やだもうこんな時間じゃない。志穂、悪いけどこれから私バイトなの。お先に失礼するわね。」
「り、り、り、凛っ〜!」
「それじゃぁ。」
ニコッ、と腕を伸ばし凛を引きとめようとする同級生に向かって凛は、美の女神も裸足で逃げ出す程美しい笑を最後に残すと去っていった。
「ふ、ふつくしい…。」
そんな彼女の背をただ静かに見送る者達の中−…。
誰かがポツリとそう呟いた。
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