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 微かに意識を残した少女は消えたモノの気配を見計らい、ぼやける視界の中、必死に彼女の傍にいるはずの――ある者の姿を探した。
 「  ――……」
 その者の名を呼ぼうとし――
 少女は初めて、その者の名前を知らないことに気づいた。
 衝撃の事実に少女は悔しげに唇を噛む。
 その者の名を呼べない事実が今更になって悲しくて。
 辛くて、苦しくて。
 そして悔しかった。
 なんであの時ちゃんと聞いてあげられなかったんだろう。
 まだ小さく幼いその者は、何度も何度も少女に伝えて、教えてくれたはずだった。
 けれどもその名を一回も呼ぶことも、ましてや記憶にとどめる事もせず、そのまま無視し続けたのは少女だ。
「……、」
 ――馬鹿だ。私。
 ドクドクと流れる血に、急激に体の温度が下がる様をどこか冷静な頭で感じながら少女はそれでも必死に目を動かし――
 いつも彼女の傍に、当たり前のように存在していた小さな少年の姿を探した。
 死ぬ前に。
 一目でも良いから少女は少年に、会いたかった。
(もっと、あの時アノ子に優しくしてあげればよかった)
 澄んだ瞳が。穢れない心が。羨ましくて、妬ましくて。
 少女はそんなつまらない……自分でも気づかないほど小さな嫉妬心から少年を見捨てた。否。問題はそんな簡単なことではない。あの時は少女一人でさえ生きていくのに精一杯だったのだ。誰かに手を貸す余裕など少女のどこにもなかったのだ。
 しかし。
 それでも。
 つき無い後悔が徐々に暗くなっていく視界と共に少女の心を重く覆う。
 理不尽な暴力に苦しんだアノ子に、少しでもその傷が癒える様、看てあげればよかった。ろくに食べ物さえ取れなかったアノ子に、少しでも私の分を分けてあげればよかった。一生懸命話しかけてくれたアノ子に、もっと耳を傾けて話を聞いてあげればよかった。
 「ヒィ――リィ――」拙い声で少女の名を嬉しげに呼んだ子供の笑みを思い出し、少女は無力な自分に涙した。
 初めてだったのだ。
 少女は歯を食い閉める。
 この世界で初めて少女の名を呼び、少女がこの世界に居るのだと、存在しているのだと、初めて認め、彼女にそう教えてくれた……アノ子はたった一人の、この世界で初めての存在だった。

 ――――私は、 無力だ。
 暗くなった世界で少女は嘆いた。
 何も出来ない。
 何も――――出来なかった。
 少女の過去がまるで走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
 ――――また私は、何にも出来ないで終わるの?
 少女は母が突然家からいなくなってしまったあの日を思い出す。家出するなんて予想もしない身軽な格好で「じゃぁね。」少女を残し家を去ってしまった母。どんなに少女が母が去ったドアの前で待っても彼女は帰ってはこず、気づけば三年たち、ようやく物心ついた少女は母が別の男と再婚したことを知る。
 もしあの時、いつもは連れて行ってくれる買い物に母が少女を連れて行ってはくれないことに気づき「私も行く!」と叫べたら何かが変わっていただろうか。
 度重なる父の暴力に毎日耐え忍んでいた母。
 もしあの時、少女が「もう、やめて!」と叫ぶことが出来たのなら――
 たった一人の少女の未来は変わっていただろうか。

 ――――嫌だ。
 少女は鉛のように重くなっていく体に残り僅かな彼女の命を感じ必死に叫び、求めた。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだ、イヤダ。
 深い、深い、暗闇の中、少女は叫ぶ。
 このままアノ子の名を知ることもなく、このままアノ子にアリガトウの言葉も言えず、元の世界にも返れず、誰にも知られないまま、このまま私が死ぬなんて、このままアノ子が死ぬなんて!! そんなの絶対イヤ、絶対、認めない!! 認めたくない……!
 少女は叫んだ。
 お願い。都合がいいことぐらい分かっている。それでもお願い。誰か、アノ子を助けて。
 そして同時に求めた。
 力が欲しい。アノ子を助けることの出来る力を、弱者が強者に怯えることなく平和に過ごすことのできる力を!!


 最後の命を絞るとるように、少女の心臓が大きく脈打った。
 少女の口からコポリと血が零れ、血池に落ちる。
 もう、何も見ることも叶わなくなった少女の黒い瞳から今生を呪うかのように熱い血の涙が冷たくなった頬に流れ落ち――右腕を伝い、手の甲に流れた瞬間、それはまるで別の何者かに吸い込まれるようにして消え、真っ白になってしまった少女の甲に、次に浮かんできたのは何かの焼印の如くはっきりと描かれた不思議な黒い紋章だった。

 
 薄れいく思考の中、少女は誰かの嗤い声を聞いた。






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