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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第七十四話 傍にいる人

 車は海沿いを走る。青い海が、一向を迎えた。飾らない海の色は、気分を高揚させるより落ち着かせた。
「綺麗だな」
 碧い海より、好きだった。そんな颯斗の小さな呟きが、隣に座る恵実の心をくすぐる。その儚さを湛えた瞳が、何とも言えない愛しさを募らせた。
 愛を感じさせるものは、決して自分には見えない。鏡を見ても映らず、何に表そうとしても表せない。自分であって、自分でない何か。それに憧れて、その仮象に心を寄せる。もしかすると、恋い焦がれる対象は、現実には何処にもいないのかもしれない。
 麗音やしろももは、そんな矛盾の具象化で、その程度は様々であれ、誰もが同じように、自分の中の虚像を、実像に被せて想いを押し付けているのかもしれない。
 その疑いは、抱いてはならない。もし、抱いてしまえば、そこで終わり。それ以上その恋は踏み出さない。目を閉じて歩くような、そんな行方の知れなさのある方が、恋にはちょうど良い。
 ただ、心が進む方へ、自身もついて行く。
 抱いた想いを、ショーケースに閉じ込めて。色褪せないように、色褪せないように、守ろうとする。
 自分が作り出した価値を、ひたすらに信じ込もうと努力する。
 それが、自然に出来ている間は幸せで、だから、恵実は同じ空間に颯斗といられることをどこまでも嬉しく思うし、価値観の揺らぎに、夕葉は酷く苛まれる。
 そしてそのどちらにも、颯斗は気付かない。
 生み出された自分の価値に、人は気付けないから。
 それが穏やかな時間を生み、荒れ果てた時間を生む。そうして世界は回っていて、大人になればなるほど、その現実から目を背け、そしてまた一方で直視するようになって行く。
 彼らはまさに、そんな佳境にいる。自分の想いが持つ可能性と、限界に触れながら、大人になろうとしている。たくさんある大人への近付き方の一つ、恋を味わいながら。
「ね、ねえ、は、颯斗」
「ん?」
 勇気を出した恵実の一言。何気無い言葉ならどこまでもさらさらと出て来るのに、意識した言葉は、とことんつっかえてすぐには出て来ない。
 麗音ではなく、颯斗と呼ぼうとしたのも、勇気の表れだったが、さっとおはよう、と言うのは出来たものの、改まって呼ぼうとすると、ぎこちないものになった。当の颯斗はどう呼ばれるかなんてことにはまるで無関心なものの、冷静さを欠く恵実にはそんなことは伝わらない。
「楽しみだね、合宿」
 一瞬、楽しみじゃねえよ、と言いかけた颯斗だった。けれど、目線を向けた先の恵実が、それまでに無い大人びた表情を浮かべているのを目にして、言葉を変えざるを得なかった。
「そう、だな」
 恵実が望むのは、颯斗と過ごせる未来。この合宿をその足がかりにしようと意気込んでいた。手の届く距離にいる、好きな人。そんな人と、同じ空間で長く過ごせる、果たしてそんな機会は、この先あったりするだろうか? そう思って、このチャンスを最大限活かすことに、恵実は全力を尽くす気でいた。
 自分に素直。それが恵実の取り柄だったし、もちろん彼女にも一端の乙女心は確かにあるから、悩んだりくじけたり不安になったりすることもあるけれど、想いを実らせるには、気持ちを真っ直ぐに押し通して、ぶつけるのが、彼女に出来る最善だと分かっていた。
 少なくとも、彼女の価値判断では、颯斗は十分に誰かの恋愛対象になるような男子だし、自分よりずっと積極的だったり、魅力的だったりする女子がすり寄れば、負けてしまうような劣等感も持っている。だから、使える機会はどうあっても使ってみせる、そう決めて、この合宿に臨んだ。
 そしてそれは、彼女のペアである海奈も同じだった。恋する二人、WitCherry。甘く切ない気持ちが、二人の歌を一段と煌めかせる。次に彼女たちが歌うのは、どんなに美しい恋の歌だろう。
(居辛え雰囲気作ってくれるわ、マジ……)
 そんな空間を後ろに控えるミシェルは、聞こえないようにため息を吐きながら、近いとは言えなくなって来た日々を頭の片隅に押しやりながら、どうせもう一台も似たような感じになってんだろうな、と思った。ただ、蓮哉は颯斗と違って、海奈からの好意にしっかり気付いているだけに、その応対をどうするかには少なからず関心があった。年上として適当にあしらってしまうのか、正面から向き合うのか。今はまだ知らないフリをして留めておくにせよ、いつかは向き合わないといけない時が来る。その時、蓮哉がどう動くのか、それは、ミシェルでさえまだ確かな答えを持っていないだけに、気になる問いだったから。
(そう思えば、こっちのはまだ大分気楽だわな)
 気を遣うだけ疲れる、そう思い、ミシェルはアクセルを踏み込んだ。
第二十六話以来の恵実の恋のお話です。
忘れていたわけではなく、単純に書く機会が無かったわけですが、この合宿にて、ようやく再び回って来た、そんな感じです。

執筆の時間が今あまり取れないのですが、何とか休まず続けて行きたいです。
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