挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
68/142

第六十八話 One Step, Positive Step

 再び颯斗が目を覚ましたのは、正午を回った頃だった。
 大きなあくびを一つして、身体を起こす。
 二度目は夢を見なかった。
 指を二、三鳴らすと、おもむろに立ち上がり、颯斗は部屋を出た。家には誰もいなかった。だが、それに何かを感じることは無かった。夕葉の家とは違って、〝今日は〟いない、というだけのことだから。
(朝飯は……別に、良いか)
 休みの日は朝が抜ける。とは言え、時刻はお昼時なので、正確には抜けているのが何なのかは曖昧だ。
 水だけ飲んで、部屋に戻った。
 来週で一学期も終わる。自堕落な高二には、夏休み前の中途半端に与えられた暇は、持て余してしまう時間だった。土曜日でさえこうなのだから、月曜からの短縮された時間割の後に何をするかなんて、思い付くはずも無い。
 昔はこんな時間を何に使っていたっけ、とぼんやりと考えてみるも、上手く思い出せない。
 結局、手は携帯に伸びた。
 通知は何も無い。つまらなさにホーム画面をいくらかスワイプして、暇つぶしが出来るアプリを探してみるも、特段見つからない。と、その段階になって、初めてスカイプの左上に①と表示されていることに気付いた。
 慌ててアイコンをタッチする。スカイプは通知システムが弱く、上手く反映されないことが多い。
 ひょっとして、しろももからかもしれない。そう思って、アプリが立ち上がるのをそわそわししながら待った。
 予想通り、しろももから新着メッセージがあると表示されていた。
 タップすると、二日前に自分が尋ねた質問への反応が書かれていた。そうだ、リアルタイムでの応対を求めて、それっきりだったと、記憶にエネルギーを割かない頭が思い出した。
〝別に、全然大丈夫です。返事を催促したようなら、謝ります〟
 しろももには、素直な言葉が出るようになっていた。心にもない言葉は、出ない。誰にだって、邪険にしたいわけではないけれど、面と向かうと、どうにも真っ直ぐな気持ちは上手く表せない。そんな彼が、生まれたての言葉を、優しく包み込んで手渡す。そうして放たれた言葉が、温もりを持たないわけが無かった。
 今すぐ返事が来たら良いのに、そう思うと上手く行かないのに、これからは、気長に返信を待とう、そう思うと逆に返って来る。いつだって、そんなもの。
〝良かったです。……それで、ご用件は、何でしょう?〟
 しろももの何かを見る度に、心が温かくなる。その感覚が、好きだった。
〝この前の曲の件で。近日中に企画書……だったっけ……が出来るらしいんで、それを俺がしろももさんに送ります、っていう報告だけしようと思ったんですけど。考えてみたら、リアルタイムに言う必要なんて、無かったですね〟
 しろももは何かを書きかけて、やめて、また書きかけて、を幾度か繰り返した。何を考えてそうしているのか、颯斗の心は邪推せずにいられなかった。些細な言葉が、彼への印象を悪いものにさせてしまわないかと危惧した。
〝リアルタイムである必要は無いかもしれませんけど、スカイプの通知って気付かない時もあったりするので、確認のためにも、やっぱり連絡事項はお互いがちゃんと了承出来る方が安心はしますよね。そ、それで〟
 そこで文は切れている。長くなるからと、一旦送信したんだろう。颯斗は返信を急がず、しろももがメッセージを書き切るまで待った。
 しろももはまた、何度か書いては消してを繰り返した。待つ、ということが、どこか愛おしげに思えた。普段なら、つまらなさを覚えるだけなのに、しろももが自分のために言葉を選んでくれていると思うと、そのために時間をかけてくれていることに、嬉しさを覚えた。
〝その、こういう話は、通話でお話しながらの方が、良いかな、なんて〟
 画面の向こうで、しろももはどんな表情をしているだろう。何も見えないのが悔しいと、この時ほど思ったことは無かった。その方がしろももにとっては楽だから、それだけの意味で言っているのか、それとも――
 自分にとって都合の良い方に、良い方に、と考えてしまう。それが、どんな痛みをもたらすのか、知っているのに。颯斗の胸は日に日に痛みを増す。
 期待すればするほど、近付けば近付くほど、失った時の痛みは膨れ上がる。
(ただの、提案だ。それだけだ)
 心の半分で喜んで、心の半分で戒めた。
〝良いですよ〟
 思った以上に、ぶっきらぼうな返事になってしまった。
〝ご、ご迷惑だったら、良いんですよ、断っていただいても〟
 案の定、そんな風に伝わったんだろう。悲しみが伝わって来るような文だった。
 それを見て、颯斗は慌てて弁解する。
〝迷惑なんかじゃないです。むしろ、嬉しいくらいです〟
 綴る指先が震えた。思い過ごしなら悲しいけれど、その方が、この先、幸せかもしれない。もし、自分の言葉が、儚い物語を彩るだけだったなら、また、あの切ない時間を過ごすことになる。
 夕葉が踏み出した一歩に、確実に導かれようとしていながらも、颯斗はまだ、心の中では、その場を動いていなかった。
 だが、続く言葉が、夕葉がさらに踏み出したもう一歩が、彼の心を、変えた。
小さな一歩一歩の積み重ね。
振り返ってみれば、もう、こんな所まで。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ