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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第五十九話 自分の言葉で

 薫のパソコンデスクには、書きかけのコピー用紙が散乱していた。一行だけ書かれたものもあれば、複数行にわたって書かれたものもある。
 椅子を引いて、天井を見上げた。真っ白の壁紙は、何も返さない。
 『キヲク』と銘打った曲は、方向性こそ決まっていたものの、そこから先に進んでいなかった。薫の心を的確に表す言葉が見つからない。ありきたりな言葉も、奇をてらった言葉も、違う気がした。
 手を伸ばしても届かない人。微笑み返してくれるけれど、優しさのこもったそれが、素直に受け容れられなくて。初めは、同じ所にいて、語り合った未来が同じ方を向いていたのが嬉しくて、惹かれ合った。けれど、片一方はどんどん先に行ってしまう。応援するのは、自分一人だけから、たくさんに変わって。自分もそうなら、何も感じなかったかもしれない。でも、彼は、置いて行かれるばかり。切ないほど、距離は開いて行く。その名を呼ぶことさえ、何だかためらわれるようになった。
 けれど、真摯に、前を向く彼女を見ると、わがままなんて、言えるはずも無かった。同じように前を向けるほど、彼は強くなくて。だんだん俯きがちになった。塞ぎ込んだ気持ちは、記憶を辿った。
 ベンチに、二人。誰もいない公園で、夢に希望を持てた時間。望めば、手を伸ばせて、手が届いて。
 でも、そんな風に思い出せるということは、それが過去ということで、今じゃないことを意味する。
 あの頃は知りもしなかった、涙のこぼし方。寂しげな笑みも、優しい頷きも、男は、いつも女より、随分遅れて出来るようになるから。彼女が遠くへ行って、しばらくして、少しだけ、分かったような気がした。
 彼女が認められて、彼が認められない訳は、そこにあると、彼は思った。
 誰かの痛みに寄り添える、強さ。同じような痛みを味わった者にしか、持てない強さ。
 詩織がどうやってそれを手にしたのか、薫は知らなかったけれど――彼と出逢うまでの彼女を、彼は知らない――、時折陰りを見せたのを思うと、それを有していることは、確かだった。
 だから、氷雨モミは認められる。求められる。心の支えに、励ましに、癒しに。誰かの今日に、明日に、モミが必要とされる。
 書き出したい想いは、もう、薫の中で出来上がっていた。後は、それを歌詞に書き出すだけ。それが、どうにも上手く出来ない。
 彼女に追いつけない彼の苦悩。苦しいが故の、過去への回帰。過去を意識したことで明確になった現在。
「いつか、この苦しさも、笑って話せるようになるんだろうね」
 天井を見上げたまま、こぼした言葉は静かに消えた。
 時の経過と共に、数多の感情は、思い出そうとしても、思い出せない、淡い記憶に変わる。
 けれど、中には、その時には、忘れたしまいたいけれど、後から思えば、忘れてしまいたくない、そんなものもあって。それは例えば、痛みとか、切なさとか、苦しさとか、大体が、薄暗い感情だけれど、弱った心をよく知る人は、弱った心の労り方も、よく知ることが出来るから。
 人の励まし方は、きっと、たくさんあるけれど、薫が詩織にしてあげたいと思うようなやり方は、そんな痛みを、味わうことでのみ、分かって行くことが出来るような気がした。
 だから、そのままでは薄れて行く痛みを、その痛みのままに、留めておくために。
 彼には筆を執る必要があった。色褪せてしまうより先に、書き留める必要があった。
 本当は、誰より、真っ先に詩織に聞いてもらいたい。どんな曲を作る時でも、思考を究極に突き詰めた時、思い浮かぶのは、彼女の姿。
 詩織のことを想った時、筆は、動く。
 自分の言葉で良い。何を語るにしても、誰かの言葉では、伝わらない。大切な人に話す時のように、身も心も露わにして、考えるより先に、言葉が出る感覚で。
 この歌を、麗音なら確かに歌い上げられる。確信があった。
 きっと、麗音も、抱えている。同じように、痛む傷を。まだ古傷にさえなっていない、生々しい傷痕を。
 だから、聞く者の心が、自然と締めつけられるような気持ちにさせられる歌声を出すことが出来る。どれだけ綺麗な声が出せたところで、思わず、本当に泣いてしまいそうになれなければ、それはただの、美しい声。〝鬱くしい〟声にはならない。
 心を魅了する、美しい影。
 今の薫なら。それを形にすることが出来る。
 走るシャーペン。字が歪んでも、書き直されることは無い。一字一句が、二度と書き換えられることの無い『キヲク』という歌となって行く。
 良い歌を、とか、人気の出る曲を、とか、そんな思いは、ひとかけらさえ、浮かばなかった。ただ、ひたすら、彼女を想って。湧いて来るあたたかな気持ちを、したためた。
 これを、麗音が歌うことで、『キヲク』は完成される。きっと、耳にする誰もが、想う人と過ごした時間を思い返すだろう。そうせずにはいられないだろう。彼の声には、そうさせるだけの力が、あるから。
 そして薫は、何となく、直感で分かっていた。
 颯斗が、しろももの説得に成功することを。
 ここに彼女の絵が加われば、『キヲク』の完成は、十分から、十全に変わる。
 薫の手が止まった。
 数十枚目のコピー用紙。シャーペンが離れた薬指には、痕が残っていた。
 冠されたタイトルは、『キヲク』。
 この夏、一番再生数を記録する曲が、完成の兆しを見せた瞬間だった。
100話で終わる気がしません(笑)
無理に終わらせるより、彼らの物語が終結するまで、きっちり書き切ろうと思います。
物語の結末を急いでしまう癖があるので、そうならないように気を付けないといけませんね。

いよいよ、颯斗、夕葉、薫、三人が一つの作品を創り上げる、そんな瞬間が始まります。
運命が、ひとところに彼らを集めました。
果たして、彼らは幸せになれるでしょうか。
幸せにする、のではなく、幸せになろうとするのを、見守って行きたいと思います。

明後日は「生きカレ」と被る日なので、頑張ります。
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