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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第五十二話 君をなくした世界

 こんな平日に、ここを歩く人はいない。
 彼女は誰をも寄せ付けないスピードで、神社の階段を上る。
 耳元から流れ込んで来る麗音の声だけが、彼女のか細い命を支えていた。
 もし、それが無かったら、足を踏み外して、遥か下へと落ちて行くだろう。それも、一切の抵抗無しに。
 悩む気持ちを、全部覆い隠した。
 麗音の声に、身体を預ける。
 彼の声は、優しく寄り添ってくれる。どんなに些細なことで悩んでいても、許してくれる。そんなことで悩んでるんだ、なんて、言わない。
 相談の仕方なんて、夕葉は知らなかった。辛い、その一言を、口にするだけも出来なかった。抱え込んでしまうというより、吐き出す術を知らない。何か悲しい理由があるわけでもない。ただ、辛さや苦しさを、そっと口にして、もたれかかることの出来る存在が、彼女の人生にはいなかったから。両親の帰りはいつも遅かった。しんどそうな姿を見て、言葉はほとんど飲み込まれた。全部一人で解決して来た。真面目に生きて来たのも、一つは彼女がそう出来たからでもあったけれど、別の理由として、そうすれば、下手な災いがふりかかることも無いと、分かっていたからだった。
 絵を描くこと。本を読むこと。音楽を聴くこと。
 芸術に触れる時、悲しみが和らぐ気がした。
 美を味わうことを好んだ少女は、同じような趣向の持ち主がそうであったように、いつしか、自ら美を創らんと志すようになった。
 その中で選んだのが、絵を描くことで。
 彼女の心は、嫋やかに、儚げに、麗しい絵画を生み出すこととなった。
 しろももは、彼女の孤独さが生んだ生き方だった。
 その孤独さに、麗音はすっと入って来た。
 夕葉は、〝夕葉〟でいたくなかった。〝しろもも〟でいたかった。そうすれば、〝麗音〟に近付けるから。
 〝夕葉〟でいたら、一介のファンに過ぎないけれど。〝しろもも〟でいれば、きっと、普通の人より、麗音の近くにいられる気がするから。
 本気で麗音に近付きたい。
 拝むのではなく、隣を歩きたい。
 それがもし――

 現実から、乖離する選択だとしても。

 素性を明かさないまま〝しろもも〟として名を馳せれば、(今でも少しそうだけれど)、現実に生きる〝榊原夕葉〟は、彼女とは関係の無い一般人を装わなければならなくなる。「仮面を被ったあの人はだあれ?」なんて口にし続ける、道化師の人生だ。
 それでも。
 そうすることで、想いを寄せるその人の近くに行けるなら。
 構わない。
 少なくとも、今の夕葉に、現実も大事に出来るような心の余裕は無かった。
 階段を上り切った先に、境内が見えた。
 その右手に、見晴らしの良い開けた場所がある。そこに向かった。小学校の頃も、中学校の頃も、そこから見える景色を、夏休みの宿題に描いた。
 足を止めて見晴らした世界は、清らかで、心が洗われるようで、浮き世離れしていた。
 吹きつける風が、髪を揺らして、憂うヒロインを飾った。
 それは、悲しい選択。間違った選択。きっと〝本当の〟幸せとは呼ばないんだろう。でも、〝本当の〟幸せの形を、知らないから。
 どれだけ憐れでも、選ばずにいられない。

「お願い」

 寂しげな目の、少女の願い。
 ひとえに、苦しみから解き放たれた世界を。

 演目は、「君をなくした世界」。
 そこに、鷺沼颯斗はいない。
 いて良いのは、麗音だけ。
 夕葉の世界から、颯斗は抹消される。
 揺れて、揺れて、苦しむのはもう御免だ。
 今度こそ、完全に、〝あいつ〟は消える。
 クラスメイトの一人。意識の外。
 印象の無い、景色の一部。
 尚も叫ぶ、もう一人の夕葉の首に手をかけた。お前さえ、いなければ。
 見つめ合うどちらの夕葉も、泣いていた。当然、二人は同じ〝夕葉〟なのだから。けれど、手に力を込める〝夕葉〟は、〝しろもも〟になろうとしていた。
 鷺沼颯斗なんて知らない、別の誰かに。

 ××になってはいけない。
 私は、彼が、嫌いなのだから。

 力は抜け、涙が地に落ちた刹那、霞と消えた。
 止め方を知らないのに。
 涙は、もう、流れなかった。
 ただ、濡れた頬だけが、彼女が泣いていたことを、告げていた。
 残ったのは、やはり夕葉であったけれど。
 誰も知らない夕葉だった。
 何かを得ることで、人は大人になるけれど。
 何かを失うことでも、人は大人になる。
 悲しみという、キズと共に。
 大きなキズを創った夕葉は、あまりにも美しかった。より大人びた麗しさと、切なさを、たたえていた。

〝やり直せない、やり直せない〟
 ちょうど、麗音が歌っていたように。
 夕葉はもう、それまでの少女には、戻れない。
 時は決して、巻き戻せないから。
 同じ所には、二度と戻れない。
 それでももし、そこに未練を抱いてしまったのなら、夢に見るか、描き上げるか、あるいは――

 ああ、けれど、今の彼女に、そんな可能性は、必要そうに無い。
 だって彼女は、こんなにも。

 こんなにも、憂いに染まって、美しい。
この作品のジャンル、何だったっけ、って思わなくないですが、これが〝藤夜カラー〟です。
最近お読みになって下さるようになった方には、ひょっとするとギョッとされるようなこともあるかもしれないですね。

藤夜カラーを変えることはありませんので、どうぞ慣れて下さると嬉しいです。

シリアスシーンが続いて疲れたので、そろそろ虎太郎を召喚したいです。
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