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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第五十話 君から逃げる

 妙な違和感が消えた。
 それは、それまでの日常が帰って来たことを意味していたし、誰も彼もがその方が自然だと思えたけれど、美陽だけは、夕葉が見せる表情に、知らない陰りが見えることを、心配に思った。でも、誰にとっても触れて欲しくないことがあるだろうし、夕葉が望まないのであれば、そっとしておくことが、彼女の役目だと考え、あえて触れないでいた。
「ジロジロ見ないで」
「見てない。って言うかお前の方なんて見ない」
「そうよね、あんたはずっと窓の方しか見ないもんね、授業中だって」
 舌戦をしたところで、勝ち目が無いと考える颯斗は、口を噤んだ。そして、左斜め前に視線をやった。窓を見ているわけでもなく、かと言って、夕葉を視界に入れるわけでもない、ちょうど良い方向だった。
 いちゃもんをつけられることに、颯斗はいつも鬱陶しさを感じていたものの、それが無かった数日間は、夕葉を夕葉と思えないような時間だったし、戻った今の方が、夕葉らしさを感じて、どこかホッとした。
 本当に嫌いなら、無視すれば良い。無視を貫いて、それこそ、名前もうろ覚えのようなクラスメイトみたいに、記憶の中からも消し去ってしまえば良い。颯斗もまた、心のどこかに、自然と夕葉が居座るスペースを作っていた。それは別に、夕葉に好意の数パーセントでも持っているだとか、そういうことではなくて、ただ、それがどんなものであれ、接触が続く内に、榊原夕葉という存在が、ぼんやりとながら、心の中に住み着くようになった。
 あいつと言えば、こういう奴で――
 そんな風に思えるクラスメイトが、果たして何人いただろう。人付き合いを厭う颯斗に、何度も何度も突っかかる、そのこと自体が珍しいことだったし、だからこそ、夕葉は颯斗にとって、印象に残る一人になっていた。
 変わってしまった夕葉が、どうにも受け入れられなくて、元に戻って欲しい、そんな風に願う気持ちが、無意識ながらあったことは、間違いなかった。
 放課後になると、刻々と近付いて来た夏休みについて、教室が盛り上がりを見せる中、颯斗はサッと抜け出した。あの手の空気には入れないし、かと言って入れてもらったところで、場の空気を冷やしてしまうか、圧倒されて疲れるかしかない。早々に出た方が気が楽だと、颯斗はいつも思う。
 後ろ側のドアから出た颯斗だったが、前側のドアから、夕葉が出て来るのが見えた。
(あいつも同じ感じなんだろうか)
 思えば、夕葉もクラスの輪の中に入っている印象は無い。美陽と話している姿はよく見るが、それ以外の女子や男子と話しているのは稀だし、仲良さげに話している感じも覚えない。
 普段なら、何も思わず、音楽を聴き始めたはずだった。けれど、久々にあの態度を取られて、夕葉を強く感じた颯斗には、その姿が自然と映った。
 だから、夕葉がカバンに付けていたストラップを落としたことにも気付いたし、そのことを、知らせてやろうと思った。
 今日でなければ、自分がそんなことをしたところで、妙な言いがかりをつけられるだけだと、避けただろう。
「おい、榊原――」
 振り向く姿に、一瞬、呼吸が止まった。
 長い黒髪が、ふわりとなびく。誰かに呼ばれた、と思った夕葉は、初めて、颯斗に見せたことの無い、ごく普通の、榊原夕葉を見せた。その姿に、思わず、颯斗の心は揺さぶられた。
「何、何の用?」
 もちろん、呼んだのが颯斗だと分かった瞬間、鋭い目つきになったけれど、不思議な感覚に包まれていた颯斗は、そのまま夕葉に近付いて行った。
「これ、落とした」
 颯斗が、夕葉を。
 夕葉が、颯斗を。
 目を合わせて話したのは、初めてのことだった。ライブの時も、二人の目は合ったけれど、こんなに近くではなかったし、話したわけでもなかったし、特殊な環境でもなかった。
 それでも、夕葉の前に立つ颯斗は、あの時みたいに輝いてはいなかったけれど、あの時歌っていた颯斗と、当たり前だが同じで、こんな顔をしてるんだ、と夕葉は感じた。
「あ、ありがと」
(どうして嫌ってるんだろう)
 そんな風に、また思って。
 素直な感謝の言葉の後に、何も言えなくて。
「じゃあね」
 なんて、背を向けて言ってしまった。
 そんなこと、一度も言わなかったのに。
 小走りで颯斗から距離を取る夕葉は、自分が何から逃げているのか、分からなかった。
 自分が分からなくなった。
 ただ、この場所にいたら、どうにかなってしまいそうで。
 逃げる速度は、どんどんと増した。疲れ果て、立ち止まった頃に、自分が泣いているのが分かった。
(嫌だ)
 ただ、その言葉が、胸中に渦巻いた。
 この感情が何なのか、分からなくて。
 何もかもが原因のように思えて。何もかもが原因でないように思えて。
 思考がぐちゃぐちゃになった。
 十七の少女は、その気持ちが恋によるものだと、まだ知らなかったから。
おかげさまで五十話に到達しました。
百話までに完結出来たら良いな、なんて思いますが、このペースだと、超えちゃう感じもします。

四十九話からは重たくて書きにくいです。
きっと昔の自分なら書かなかったし、書けなかった部分なので、大事に書いて行こうと思います。
今しばらく重苦しい雰囲気ではあると思いますが、どうか、お付き合い下さい。
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