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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第十七話 それぞれのトクベツ 後編

 湖に見入る夕葉と颯斗から少し離れて、薫もまたその美景に心を奪われていた。彼は夕葉と同様、クリエイターであるから、そこから受けるインスピレーションに従って、早くもメロディを頭に浮かばせていた。と言っても、目の前の風景をスケッチブックに取るなどということは薫には出来ない。心に浮かぶ何と言うことも出来ないあやふやな感動を、旋律という形で聞く人に伝えるにはどうすれば良いか。真剣に考えて、そして少しばかり、現実から離れかけていた。
 ピアノ。そう。ピアノだ。
 この印象を、素直に伝えるために最も相応しい楽器。それはピアノだ。薫はそう考えた。ピアノだけのメロディに、美しい声を添える。
 彼にはもちろんのこと作曲の才能があるが、一方で彼が編む歌詞にも才能の片鱗が見え隠れしている。それは、彼、すなわちアルデンテPの名を広く世に知らしめることとなった出世作、「インディペンデンス・デイ」の中にも見て取れる。彼はメロディだけを重視することなく、また歌詞で全てを伝えようとすることも無かった。ウタ――彼にとってどの漢字も当てはまることの無いそれ――は、旋律と詞の両方が美しい結合を見せることで初めて、その真の価値を生み出す、というのが彼の持論だった。そのどちらかが優れるだけで(実際のシーンでは主にメロディが良い方が好まれるけれども)、世間では一定の評価は得られる。だが彼は、誰一人として非を唱えることの出来ない、究極の美というものを追求しようと考えていた。唯美主義者ではないものの、美しいものを是とするところ、より優れたものをどこまでも求める姿勢が、彼の創作の一つの礎を構成していた。
 目の前にある、この美しい湖の様子。それを直接に言葉で表現するのでは、それこそ、芸が無い。この湖畔の麗しさはメロディで表せる。それを見て抱く、名を付けることの出来ない感情というものも、旋律が表現し得るだろう。だが人はそれだけでは終わらない。人それぞれが背負う人生の背景が、それと交わって行く。
 物語が、生まれずにはいられない。
 たとえばそれは、大切な人とこの景色を一緒に見られたら良いのに、だとか、ささくれだった心に、やさしい景色が沁み渡り、癒して行くだとか、本当に多様で、薫が抱いたそれが、直接反映されるかは定かではないものの、少なくとも、ある一人の人間に生まれる新たなストーリーに、薫は思いを寄せていた。
 メロディと共に、ぼんやりとした形ではあるものの、薫の中に新しいウタの萌芽が姿をちらつかせていた。
 そのウタが麗音としろももをより結び付ける一つの大きなきっかけとなるのだが、それはまだ、誰も知らない。

 運命が誰にも聞こえないようにこっそりと未来へ向かって歩き続ける一方で、見せかけの、けれどこの世の全てに思えてしまう現実は、颯斗たちに無理難題を押し付けようとしていた。
 そう、共同作業。飯盒炊爨のような、各パートがミスをすれば最終的に悲惨な結果が待ち受けるのと違って、バーベキューは出来るものが一から十まで手順を追って作業を行えばつつがなく進行してしまえるため、春文は最初、いっそのこと誰にも手伝わせずに自分が全てやってしまえば良いのだと考えていた。
 ところが、そうするには残念ながら夕葉の性分が邪魔だった。もちろん、みんながみんな夕葉のような真面目な性格であれば、事は何ら問題無いのだが、全くやる気のない颯斗に対しても、その真面目さを要求してしまうから、結局事態はややこしくなってしまう。そこが夕葉が大人になり切れないところで、正しいところだ。
「ぼーっと突っ立ってないで、少しくらい準備手伝ってよ」
 いつの間に縛ったのか、長い髪は後ろで一つに束ねられ、ご丁寧に軍手までしている。やる気満々の様子を、春文は心底残念に受け止めた。お前のやる気は買うが、鷺沼にもそれを求めるから、また揉め事を起こす原因になるんだ。そう言ってやりたい欲求に駆られるものの、心からやる気になっている夕葉に、そんな冷たい言葉をかけられるほど、春文は薄情な人間では無かった。
「何したら良いんだ」
 だがおそらく、言葉を内にしまっておけるのも、そう長くは続かないだろう。そんな風にも考えていた。何せ颯斗は、やはりいつものように全くやる気がない、と周囲には思わせてしまう(実際に無いのだが)受け答えしかせず、特に夕葉の心をイラつかせるのにうってつけの反応をする。
「そんなの自分で考えたらどうなの?」
 よくもまあ、そこまで完璧に場の空気をぶち壊して行けるな。春文は諦観の念で二人のやり取りを見ていた。
「おい、あれ、どうにかならないのか」
 一応敦にどうすれば良いか聞いてみる。
「まああの程度ならまだ何とかなるから。ほら、颯斗の方が離れた。いつも緊張状態だけど、いつも勃発するとは限らないんだ」
 どこの時代の火薬庫だよ。春文は思わず突っ込んでしまった。
「ならまあ、それほど意識は向けないが、大揉めになる前に、何とか止めてくれよ」
「はは……善処はするよ」
 おそらくそれは叶わない。二人は分かっていたが、お互いそう言い合う他に無かった。
 レクリエーションはまだ始まったばかり。
 越えなければならない試練は、数知らず。
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