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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第十六話 それぞれのトクベツ 前編

 美陽と敦は焦っていた。
 猶予は無い。
 時限爆弾のように、選ぶ配線の色で自分たちの運命が大きく変わる。
 夕葉を起こすべきか? それが問題。
 颯斗は音楽を聴いたまま目を閉じている。むしろそれは好都合だ。趣旨を理解しない颯斗にアクションを求めるのはかえってナンセンスな判断で、逆に夕葉を刺激して下手な起こし方をしそうだ。
 何とかして颯斗にもたれかかって眠っていたとは気付かないようにしなければならない。爆弾処理班にでもなったような心境で、二人は息を殺して作戦を考えていた。
 車内に僅かな振動が走る。夕葉の肩がピクリと震える。それだけで二人の心臓は今にも止まりそうになった。
 どうする?
 敦は引きつった表情でジェスチャーを送る。
 美陽は分からないとかぶりを振った。正直、もういっそのこと勢い良く夕葉を引き剥がして、着いたよ、早く外に出よう、とやや強引に気持ちを逸らそうかと考えていたのだが、親友のことを思うと、そんな乱暴な真似は出来そうに無かった。
 困り果てた敦は、申し訳ないと思いながらも一番頼りになりそうな春文の知恵を借りることを決めた。
「なあ、どうしたら良いと思う? この状況」
 実に微かな声で耳打ちする。横手をチラリと見て、春文はすかさず状況を把握した。
「何がどうなったらこうなんだ。あいつもバカなのか? なんで大嫌いな奴の肩で寝てんだ」
「気付いたらこうなってて。俺たちには手に負えないんだよ。何か妙案、思いつく?」
「便利屋じゃねえぞ俺は……。けど、そうだな……これを解決しとかねえと、俺も悲惨な遠足に身を投じなきゃなんなくなるよな……」
 春文が思考を巡らせ始めたまさにその瞬間だった。
 ふいに、夕葉が目を開けた。
 とろんとした瞳。あたたかな肩に頭を乗せ、夢見心地であくびを一つ。
 ぼーっと正面を見据える。そして、また瞳を閉じた。
 まさに心の臓が凍りついたような、一瞬この世を離れていたんじゃないだろうかと思えるほどの驚嘆が三人を襲った。
「ダメだダメだ。マジで急がねえと手遅れになる。よし、決めたぞ。藤川、まずお前が榊原の鼻をつまむ。そしたら榊原が苦しくなって目を開けるだろ。まあおそらく何をするんだと怒るな。寝顔が可愛くてイタズラしちゃった、とでも言っとけ。で、葛西、お前は鷺沼が口を開かないようにジェスチャーで静かに、って伝えろ。榊原が鬱陶しくてもそれを口に出させないように頼む」
 最早拒否権は二人には無かった。
 顔を見合わせながら互いに頷き合うと、美陽と敦は春文のプラン通りに動き出した。
 心の中でごめんね、と謝りつつ、美陽が夕葉の鼻をつまむ。少ししてふごふご言い出した夕葉が目を開けて美陽の手を振り払った。
「な、何、美陽」
 呼吸が苦しくなるという生命の危機を迎えて、夕葉はそれ以前に自分がどうしていたかなど意識の彼方に飛ばしていた。
「ご、ごめんね、寝顔が可愛くて、つい」
「まあ、美陽がするなら良いけど……」
 よし、と敦も春文も安堵のため息をつきつつ事態の打開を喜んだ。
 決死の大作戦は何とか成功したが、災禍の原因たる二人は当然そんなことを知る由も無く、バスが減速して行くのにつれて、ようやく遠足が本題に突入するのだなと、のんびり考えていた。

 どこまでも、どこまでも。
 果てしなく続いて行くように見える水。
 夕葉たちが足を下ろしたのは、そんな湖畔だった。
 湖のほとりに作られたそのキャンプ場は、気軽にバーベキューを楽しめるようにと、ある程度整った設備を持ちつつも、出来るだけ自然の景色を大切にしている所で、若々しさに満ち溢れた高校生たちには、その光景が実に新鮮に、心の奥深くに沈み込んで行くようにして受け取られていた。
「凄く綺麗。来て良かった」
 美陽の酔いも美しい湖の景色を目にするとかなりマシになったようで、夕葉はそんな親友の体調の快復を喜びながら、目の前に広がる美に感動を覚えていた。
 人物を描くことに長けている夕葉だが、風景や背景を描くのもかなり得意としていて、初夏の日差しを浴びて煌めく湖面が、彼女に何とも言えない高揚を抱かせていた。
 出来ることなら、いっそのことここに腰を下ろして、気の済むまで写生していたい。おそらくしろもものファンにとっては、あるいは彼女のイラストレーターとしての才能にとっては、その方がよっぽど価値がある選択だと言えるのだが、いかんせん、彼女の立場は一介の学生の域を出ないし、何より集団行動の真っ最中だ。突っ切る、吹っ切れる、ということにどうにも踏み切れない真面目な夕葉にとっては、そんなものは夢のまた夢だった。
 そんな風にして夕葉が煩悶とする一方で、颯斗もまた眼前の湖水に一際心を震わせていた。
 彼は自ら何かを生み出すようなタイプの人間ではないものの、いわゆる〝良い〟ものと〝そうでない〟ものとを見分ける感性が実に繊細で、真に優れたものを前にすると、自然と心が動いてしまう。
 湖の姿はそんな颯斗の感性に確かに訴えかけていた。
 そしてまた、不思議としろもものことを思い浮かべていた。彼の中で、湖の美しさと、彼女の絵画が魅せる麗しさとが重なったのだろうか。普段はほとんど見せないようなやさしい笑みが、颯斗の口元に見て取れた。
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