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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第十二話 憂鬱と甘美

 それから少しの日数が経った。
 夕葉と颯斗の衝突は買い出しの日以来特に起こることがなく、敦や美陽はこの珍しくも有難い事態の到来に感謝していた。
 これは、もしかすると、関係の改善とまでは行かなくとも、互いの距離感が適切なものに落ち着いたのではないだろうかと、安堵していた。
 だが、二人の予想は外れていた。
 確かに、颯斗と夕葉がぶつかることは事実としては少なくなっていた。しかし、それは二人が内発的に考えて至った結果ではなく、それぞれのもう一つの本分が、彼らを忙殺していたことで、しょうもない小競り合いを起こすほどの体力さえ奪っていたのが真実だった。
 ちょうど依頼物の納期が迫っていたり、コラボ作品に取り掛かる必要があったりと、二人にはそれぞれに構う暇など無かった。
 中々にハードなスケジュールをこなしつつも、学校にも姿を出さなければならないと言うのは、どうしても彼らが世間一般での知名度が高くないというのが原因だ。
 その界隈では有名であろうとも、残念ながら街行く人に無差別に二人のもう一つの名を挙げて尋ねてみれば、とてもじゃないが全員が知っているとは答えないだろう。
 アイドルや俳優、アスリートなどとは違う。たとえ彼らの仕事が非常に重要なものだったとしても、学校に休みたいと申請するというのは難しいところがあった。
 そんな事態にやや困惑しつつも、それでも二人は両者を何とかやりこなしていた。
 だからある意味で、颯斗と夕葉というのは、似ているのかもしれない。
 似たもの同士が嫌い合うというのなら、それはどことなく分かってやれるところがあるかもしれない。ただそれは、麗音としろももという存在もまた、同時に認識していなければならず、今のところ、残念ながらそのことについて一人として知る者はいなかった。

「つっかれたー!」
 遠足前夜、夕葉はようやく依頼されていたイラストを無事に描き終え、ペンタブの上だろうとお構いなしにのしかかって、思い切り腕を伸ばし――たかったもののディスプレイに邪魔をされて、斜め上に上げ直した。
「はぁ、終わった……」
 ここのところ、誰ともロクに会話していない。美陽はその事態にはすっかり慣れたために会話が減っても嫌な顔一つしないが、他の子はどうだか分からなかった。ともすれば、普段と態度が違う夕葉を見て、気を悪くしなかっただろうか。夕葉の不安は外れているのだが、当人には知る由もない。
 明日の遠足のためにも、今夜は早く寝ておきたい。
 時計を見ると、幸いなことにまだ一時を回っていなかった。
 ギリギリなスケジュールでやっていた割には、ある程度余裕を持って終われたというのは、今回の作業効率が必ずしも悪かったわけではないということを示している。夕葉は達成感を覚えた。
 ベッドに入り、しばらくしても睡魔がやって来ないことに痺れを切らすと、最近ご無沙汰になっている携帯を手に取った。
 日付を確認して、改めて今日が遠足なのだと意識する。それから、ふと颯斗のことが思い浮かんだ。
 作業が忙しいがために忘れていられた颯斗の存在。それが、一気に意識されたのだから、夕葉の気持ちは一気に沈んだ。
 さすがに遠足では、関わる機会が無いとはとてもじゃないが言えないだろう。
 それを考えて、夕葉はため息をこぼす。
 何とか気を取り直したいと、いくらか適当にアプリを触っていると、ツイッターの画面が浮かび上がると共に、リプライが一件来ているのに目が行った。
 それは、数日前に麗音が送ったリプライだった。
〝いつも絵を見て素敵だと思っています〟
 単にそれだけ。それだけなのに、夕葉には甘美に受け取れた。
 つくづく、言葉と人と言うものは、両者が合わさって、その価値を生み出す。
 麗音が発したその言葉には、他の人が口にするのとは確かに違う意味があるように、夕葉には感じられた。
 人の想いは、対象が有形無形に関わらず育って行く。
 思い込むことでも好きになれる。信じることでも好きになれる。好きという感情は、とても容易く抱けてしまう。
 それ故に、人は思わぬ罠に陥ってしまうこともあるけれど。
「どうしよう、なんて返事したら良いんだろ……」
 夕葉もまた考えた。颯斗がそうしたように。
 自分の中の言葉で、最も相応しい組み合わせを探した。
 憧れから始まるその想いが愛しさに変わって行く契機。それは、弱った心に、ふとあたたかさが忍び込んで来た瞬間。
 偶然が重なって、運命を形作って行く。
 夕葉の心は、もう穏やかだった。明日への苛立ちも不安も、そこには無い。
 たった一文、麗音からの言葉を目にしたことで。
 考えて、考えて、言葉を形にする。出来上がったものを読み返しては、また消して。
 ため息をつきながらも、思考は絶やさない。
 今この瞬間が、とてつもなく大切な時間だった。
 そうして書いては消し、書いては消しを繰り返して、夕葉は〝私も麗音さんの歌ってみたを先日聞いてみましたよ。凄く好みな歌声で、あっという間にファンになってしまいました!〟という返事に落ち着いた。
 日頃の自分のツイートを振り返って見てみれば、そんな風な文面は似合わないくらいだ。だが、飾りたかった。普通の自分は、何となく見せたくなかった。
 夕葉はそっと返信を押すと、携帯を胸に抱いた。そんなことをしたのは初めてだ。
 自分がそんな乙女みたいなことをするなんて。夕葉自身驚いていた。ただ、とても愛おしく感じられた。彼、麗音の言葉を運んで来てくれる、その小さな端末が。だから、自然とそうしたのかもしれない。
 何も恐れることなく、眠りに落ちて行こう。
 そうして迎える朝が、たとえ暗く苦しいものだったとしても。
 麗音との繋がりが、夕葉に力を与えた。
 布団を被って、夕葉は目を閉じた。
 それから夢の世界に旅立つのには、ほんの少しと時間はかからなかった。
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