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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第百四話 瞳、潤む

「ごめん、電話。出て良いか……?」
 美彩との時間を邪魔されたくなくて、彼は最初携帯が震えるのを無視していた。なんでもないときにかけてくるのは蓮哉くらいだからだ。けれど、それが妙に続いて、ひょっとして蓮哉じゃないんじゃないかと思い、仕方なくそう聞くことにした。
「うん。良いよ」
 颯斗は携帯をポケットから出すと、発信者の名前を見て、一瞬硬直した。そして彼は、未来を刹那の内に選択した。
「美彩――」
 美彩との時間は、それでも過去だ。そんな風に、無意識の内に分かってしまったから。
「もし――友達に戻れるなら――名前をしょこらにして、フォローしてくれ。そうしたら俺、フォロー、返すから」
 それだけ言うと、颯斗は財布から千円札を出して(あまりに慌てていて、それが二枚だということにも気付かなかった)、テーブルの端に置いた。美彩はその様子を見て、全てを察した。男がこんな風に慌てるのは、女だろうな、なんて。怒りとか、驚きとか、戸惑いとかは、自然と無かった。颯斗はもう、美彩にとっては――
「悪い、これ――」
「良いよ良いよ。急ぎなんでしょ」
「あ、ああ。悪い、ほんと」
 颯斗は急いで店の外に出て行った。その背中を見つめながら、美彩は哀しげに「フォローなんて、しないよ」と呟いた。男は甘すぎる。それでいて強い。女が過去を振り切るのは、強いからだとする見方もあるけれど、美彩は違うと思った。弱いから、切り捨てるんだ。忘れてしまった、みたいに過去に押しやるんだ、と。
「まだ、恋、してるんだね――」
 自分が見切りを付けてしまった青春。それを、颯斗はまだ繰り返している。美彩もまた、誰かと付き合ったり、誰かと結婚したりするのかもしれない。でも、それは、颯斗との恋とは違う、全く別のものでしかない。後悔と辛苦にまみれる時間。それが青春で、ほんの僅かな間にしか、味わえない、痛み。
「苦い」
 微かに残っていたコーヒーは、さっきまでの濃さとは違うように思えてならなかった。



 しろもも、と表示されていた画面。
 店の外に出るなり、颯斗は大慌てでロックを解除した。
「もしもし」
 夕葉の口にした〝整理〟は、もう終わったんだろうか。そんなにもあっさりと終えられるものだったんだろうか。そう考えて、違う気がした。これはあまりにも、急すぎる。何か、別の意味がある、そう思わずにいられなかった。
麗音さん(・・・・)――』
 今にも壊れてしまいそうな、消えてしまいそうな儚さ。不覚にもその儚さに、颯斗は胸を動かされてしまった。
 だが、彼の呼び名からは、夕葉がまだ颯斗を受け容れられてはいないことが分かった。
『もし――あたしが、引っ越すって言ったら、麗音さんは……どう、思う?』
 颯斗にはその質問の意図が読み取れなかった。
(引っ越す? どういうことだ? 何かの、例えか?)
 そうは思っても、尋ねることは出来なかった。一つでも返答を誤れば、漠然とはしているが、何かが終わってしまう気がして、颯斗は返答に戸惑う。正しい答えは何だ? 必死に思考を巡らせて、夕葉の言葉を、そのまま信じることにした。
「引っ越す……のか?」
 冗談を言うような空気ではない。だとすれば、信じたくもないが、それが事実だと認めるより他に、彼が思いつくことはなかった。
『アメリカに。仕事の都合で、引っ越す、って』
「アメリカ……?」
 遠さが分からなかった。一度でも海外に行ったことがあれば、違ったかもしれないが、渡航経験の無い颯斗には、それが想像しがたいほど遠い場所のように聞こえてならない。
 だから――
「行くな。行かないでくれ」
 それが今生の別れになってしまうような、そんな恐ろしさに襲われて、考えるより先に言葉が出ていた。
「それはもう、決まったこと……なのか?」
 しろももが夕葉だとか、夕葉がしろももだとか、そんなことはもうどこかに吹き飛んでしまっていて、今はただ、好きになった人にどこにも行って欲しくないと願うだけだった。
 颯斗は必死の形相で言葉を続ける。
「何とか行かなくて済む方法は無いのか。お前だけ……お前だけ、日本に残るとか。頼む……俺はまだ――」
 そこにはもう、プライドとか、建前とか、複雑に絡み付いた逡巡とか、そんなものは何一切無くなっていて。
「俺はまだ、本当のお前を、何も知らない。何も知らないんだ。だから、行くな。俺はお前と――」
 こんな状況にならなければ、言えないなんて。
 そんな自分が、颯斗は悔しかった。迫られるまで、自分から言おうとはしなかった。夕葉としろももが同一人物と分かった瞬間も、夕葉が受け容れてくれるか分からないから、なんて理由を彼女に押し付けて、自分の本心から目をそらした。楽な方、楽な方へ流れて、痛みを覚えるのは嫌だからと、向き合うことを避けてきた。別れが、ある日突然、何の前触れも無しにやってくることなんて、痛いほど分かっていたはずなのに。
「もっと一緒にいたいんだ。お前を――榊原夕葉を、知りたいんだ!」
 この恋も、悲しみの内に終わる。そんな気がして、彼の瞳は潤んだ。
 どうして俺は、今まで。
 そんな風に、自分を責め続けて。
急展開です。
というか前の回から急展開。

颯斗が頑張ったと思います。これからもっと頑張らないとならないけど。
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