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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第百三話 父と娘

 家に帰るまでの時間を、夕葉は何一切記憶することが出来なかった。全てが色を失って、魅力を失って、味気ないものにしか映らない。最寄りの駅で降りた彼女は、どうやって帰ってきたのか分からない感覚に襲われた。
 恋した相手が、受け容れられないと断ち切った人だった。その事実は、冷静な判断をさせまいと、彼女の脳内を何度も行き来する。
 麗音が颯斗だったのではなく、颯斗が麗音だったと考えれば、すごく近くに好きな人がいた、と喜べるのかもしれなかった。正直に言えば、夕葉はもう、颯斗が嫌いではなかった。ただ、好きになるのを、心が拒んでいる。彼が歌うのを目にした時、確かに心惹かれるところがあった。ギャップが深ければ深いほど、人は急激に恋に落ちる。それが、夕葉にも当てはまりかけた。けれど、彼女の理性は強く、それを強い意志を以て拒んだ。以来、半ば颯斗を忘れ去るようにして、心の平静を保ってきた。それが、あまりにも信じがたい事態に直面して、一気に引き戻された。
 玄関でドアノブに手を置いた彼女は、思う。
「なんで、嫌いだったんだっけ」
 考えて、答えが出なくて、逃げた疑問。
「大した答えなんて……無かったんだ」
 知っていた。でも、嫌だった。自分が恋をするのは、麗音のような、最初から憧れて、どこまでも好きになれて、その人に釣り合うような人になりたい、そう思わせてくれるような人だと信じていたから。
 それは理想論に過ぎなくて、そこから抜け出せない時、人は恋を諦めるか、歪んだ恋の中に、身を埋めるより他にない。現実を受け容れ、恋をその中に置かなければ、終生恋し続けることは、叶わない。
 迷っていた。今はもう、颯斗を拒む理由は、ほとんど無かった。それでも、素直になれなくて、自分の気持ちに嘘を吐こうとする自分を、制しきれない。
 取るに足らない、つまらないプライド。けれど、捨て去ることの出来ない、大切なプライド。何のきっかけもなしには、それを捨て去ることが出来なかった。
 不器用で、生きにくい。そんな息苦しさが、彼女のイラストを魅力あるものにしたし、同じように苦しむ麗音の姿を、活き活きと描き出す源となった。
 難しくとも、彼を受け容れられるようになりたい。そんな風に思う自分も、既に芽生え始め、彼女はもう、その芽を摘もうとすることは出来なかった。けれど、彼女がそう出来るまで、麗音が――颯斗が待っていてくれるかどうかには、全く自信が持てなかった。
 彼女は長いため息を吐いて、ドアノブを掴む手に、弱々しく力を込めた。
 いつもと違い、重たいとしか感じられないドアを開けて、家の中に入る。
 そこには、あまりにも大きな違和感があった。見覚えが無いほど目にしない、大きな靴。
 夕葉は慌てて靴を脱ぎ、居間へ走った。
「お、お父さん……!? な、なんで……」
 まともに顔を見たのは、何ヶ月ぶりだろうか。ごく稀に家に帰ってくるが、大概折り合いが悪く、話せるような機会は無いに等しかった。そんな父、芳樹が、パソコンも見ず、スマートフォンを見つめることも無く、ただソファに座り、じっと夕葉の方を向いていた。それだけで、もう、これがただの帰宅では無いことは、ハッキリしていた。
「おかえり、夕葉」
「な、なんでこんな時間に家にいるの」
「お前に話があるんだ。でも、そんな格好じゃなんだから、まずは家着に着替えなさい。落ち着いて聞いて欲しいことだからね」
 話――
 何だろう、と思いながら、彼女は言われたとおりに家服に着替え、手洗いやうがいを済ませた。会社をリストラされた、とかではない気がした。決して沈んだ様子には見えなかったし、仕事関係の話で、何か夕葉にも関係することなのだろう、と想像した。自分にとっては、麗音との問題の方がよっぽど重大で、そのために冷静に父親の話を聞けるだろうか、という不安もあったが、努めて冷静に振る舞おうと決めて、夕葉はリビングに戻った。このことを父親には知られたくない、そんな思いがあったから。
「そこに座ってくれ」
 芳樹は、彼の目の前に座るよう、夕葉に促した。彼女は緊張した。決して怖かったり、威圧的な父親ではなかったけれど、あまりにも顔を合わせていないせいで、強張らずに向き合うことが難しく思われた。
「は、話って――何?」
 恐る恐る尋ねる夕葉に、芳樹は優しい声で答えた。
「アメリカに移ることが決まったんだ」
「そ、そう」
 今よりもっと会いにくくなる、そういうことの報告なんだ、と夕葉は思った。けれど、悲しさは湧いてこなかった。どうせ、今でも会っているとは言い難いから。
 だが、夕葉のその反応は、正しいそれではなかった。彼女の認識は、間違っていたから。
「今度のは、今までのと違うんだ。お前とも、母さんとも、一緒にいられる時間がぐっと増やせる」
「ま、待って、それって――」
 夕葉の顔に、悲壮感が漂ったことに、芳樹は気付かなかった。
「ああ。夕葉、お前も一緒に、アメリカに行くんだ」
 麗音との時間は、もう終わり。
 そう、告げられたような気がした。
Yuha will go to America.

明後日は一身上の都合により執筆が出来ないと思われますので、お休みさせていただきます。
次回更新は一年後です。

嘘です。明明後日です。お楽しみに。
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