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歌い手カレシと絵師なカノジョ 作者:藤夜アキ
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第百一話 さみしさ、かなしさ

「どうして……どうして、あんたが……」
 信じたくなかった。いや、信じられなかった。大切な人が、一番受け容れがたい人だった、なんて。
「嘘、でしょ、あんたが……麗音……違う、嘘だって言ってよ」
 夕葉は背を向けて走り去ろうとした。その腕を颯斗が掴む。掴んだ先、そこにいたのは紛れもなく夕葉で、紛れもなくしろももだった。
「待てよ」
 颯斗もショックを受けてはいた。けれど、夕葉よりはまだ冷静に考える余地があった。夕葉でも、しろももなんだと。
「会いに来たんだ。お前に」
 この世界の誰もが、本当の姿を持っている。想像はしたはずだ。自分のイメージと違う可能性も大いに有り得る、と。それがどんな運命のイタズラか、夕葉だっただけで、颯斗にとっては、心から会いたいしろももであることに変わりはなかった。
 颯斗の渾身の言葉に、夕葉は背を向けたままピタリと立ち止まった。
「麗音……なんだよね」
 絞り出した声。震えていた。封印した想い。颯斗に惹かれかけた、あの時。許してしまいそうな気持ちを、必死に押し戻す。
「あたしを騙してたの? ずっと、ずっと分かってて、しらを切ってたの?」
 違うと分かっていた。颯斗はそこまで器用なことが出来る人間ではないと。それでも、言葉は溢れた。
「あたしに嘘をついて、陰で笑ってたの?」
「違う。俺も知らなかった。お前がしろももだった、なんて」
 掴んだ腕は、離さなかった。夕葉もそれは振りほどかなかった。けれど、颯斗の方を向くことは出来なかった。
「本当に――」
 夕葉は自分が抱く感情に名前を付けることが出来なかった。混乱はしていても、決して悲しんでいるわけではなかった。ただ、喜ぶことも同様に出来なかった。確かに言えたことは、この状況を受け容れることなく、逃げ出してしまいたいと思っているということ。
「本当に、あんたが麗音なの」
「ああ、俺が麗音だ」
 同じ声だと思った。初めて聞いた時と、同じ声。ノイズのかからない、クリアな声。麗音の声。
 颯斗が麗音なのだと、嫌でも思い知らされた。
「帰る。……整理、したい」
 麗音への気持ちが変わるわけではなかった。顔を見ず、後ろから聞こえて来る声だけを耳にする分には、あれだけ待ち望んだ麗音が、すぐ後ろにいる喜びを感じられた。けれど、振り返ってしまうことが出来なかった。そこにいるのは、夕葉が受け容れられない存在にしてしまった人だから。
 颯斗の瞳には、夕葉の背中が寂しげに映った。独りなのを嘆きながら、独りになろうとする矛盾を抱えた少女。
 彼は夕葉に尋ねはしなかった。彼女がしろももだということを、その背中に読み取ったから。
 何だかもう、彼には受け容れる心積もりが出来ていた。元々、夕葉が彼を嫌っていて、それに少なからず反発していたような程度だったから。
「分かった。お互い、そうしよう」
 優しい声で言って、掴んでいた手を、離した。
 もし、もう一度会うことが出来るなら。その時にはちゃんと、話がしたい。夕葉でも良い。しろももでも良い。颯斗が好きになった、その人であれば、何だって。
 解放された瞬間、夕葉は小さな痛みを感じた。違和感、と言ってしまえばそれだけの、微かな痛みだった。けれど無視出来ない、確かな痛みだった。
 何も言わず、改札へ向かって歩き出した。何も言わない理由は、ハッキリしていた。
 夕葉もまた、終わりにしたくなかったから。「整理したい」という言葉には、整理して、改めて言葉を返したいという思いが込められていた。
 改札の向こうに消えて行く背中を、颯斗は静かに見つめ続けた。
「これで終わり、じゃ、ないよな」
 落とした視線。不安だけが募って行く。夕葉がどう受け止めるか。それだけで、全ては変わる。しょこらの時と同じだと思った。また、自分には最終的な決定権が無い。
 このままここにいたってしょうがない、そう思って、彼は歩き出した。が、それと同時に、前を見ていなかった颯斗は、向かって来ていた人にぶつかった。
「す、すみません」
 顔を上げて、即座に謝った。ぶつかった相手の顔を見た瞬間、思わず浮かんだ名を、口にしていた。
「しょこ……ら?」
 写真で見ただけなのに。忘れられなかった、その姿。
 こんなところにいるはずが無いとか、そういった思いは無かった。間違いなく、目の前にいるのはしょこらなのだと、記憶が告げている。
「麗音……」
 そして、やはり颯斗は正しかった。
 世界はどうして、こんな運命を俺に背負わせるんだろう。颯斗はそんな風に思った。愛した人は、実は最も仲の悪い人で、その人との悲しいすれ違いの直後に、かつて何も言わずに自分の前から去って行った人と出くわす。こんなにも酷い運命があるなんて、信じたくはなかった。
 颯斗の口からは、どんな言葉も出て来なかった。
 これまでずっと、心の奥深くに突き刺さってきた、しょこらとの別れ。それでも、時と共に和らいで行くと信じ、忘れよう、忘れようと思いながら、過ごして来た。なのに、しろももとは上手く行くか分からなくなり、その上、思い出させるかのように、しょこらが目の前に現れた。会おう、会おうと思いながら、あの時は一度として、会えはしなかったのに。
 颯斗の心は、粉々になりそうになった。だが、しょこらの、いや、美彩の言葉が、それを押し留めた。
「ごめん」
 ずっと、伝えようとしていた言葉。
「あの時は――ごめん」
 美彩の表情は、歪だった。どんな顔をすれば良いか分からない、そんな風に。ただ、ひとえに、罪の意識を湛えていた。
「ずっと、謝りたかった……麗音……あなたに」
この後、どうなるの!?
が続きます。
ネタバレしそうなので、あとがきはしばらく控えめにしますね。
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