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燈幻郷奇譚 作者:月宮永遠

2章:桜降る蓬莱山

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 ここのところ、蓬莱山は雨模様が続いている。
 今朝も、起きたら雨が降っていた。
 亜沙子の部屋の天井には硝子板がはめこまれていて、間断なく降りしきる雨の滴を見ることができる。
 外へ出歩くのは憚れるが、雨の日にも特別の情緒がある。
 今日は部屋の中でじっとしていようと思い、爪の手入れをすることに決めた。
 人にやってもらうのも好きだが、自分でやるのも好きで、ここへくる前の日常では、ネイル道具をあれこれと集めていた。
 こちらでも、灯里に頼んで一通りの道具を揃えてもらってある。
 桐の小箱を取り出して、道具を卓の上に並べていく。爪を整える鋏ややすり、筆や粉、保湿用の香油などなど。
 しとしと降る優しい雨音を聴きながら、爪を整えていく。下準備を終えたら、筆をいて爪を塗る。
 両手を終えて、足の爪にとりかかろうとしていると、灯里が顔を覗かせた。
「姫様、我が主がお見えになりました」
 灯里はおとないを告げながら、亜沙子の状況を見て少し困ったような顔をした。
「お仕度の途中のようですね。少し、お待ちいただきますか?」
「平気ですよ。お通ししてください」
「かしこまりました」
 灯里は礼儀正しくお辞儀をすると、間もなく一世を連れて戻ってきた。
「こんにちは、亜沙子」
「こんな格好ですみません。爪の手入れをしておりました」
 素足の亜沙子を見て、一世は瞳に悪戯っぽい光を灯した。
「私にやらせて」
「え?」
「案ずるな、手先は器用だから」
 そういって、一世は返事も待たずに、亜沙子の足元に跪いた。卓に置かれた小瓶を手に取ると、筆に薄紅の粉をつけて、爪に筆を刷いていく。
「……お上手ですね」
 亜沙子が感心したようにいうと、一世はふんわり尾を揺らした。
「だろう?」
 手慣れていることに疑問を覚えつつ、亜沙子はおとなしく一世に任せた。
 塗り終えたあと、一世は自然に乾くのを暫く待っていたが、ふと思い出したように通力で風を起こした。
「便利ですねぇ」
 そよ風が爪を乾かしていく様を眺めて、亜沙子は感嘆の声を上げた。
「ふふ」
 乾いたあとも一世は跪いたままで、亜沙子の爪先を形の良い指でいらう。
「一世さん?」
 不思議に思って声をかけると、一世はほほえんだ。
「小さな爪だと思って。花びらのようだね」
「そう?」
 照れくさくなって爪先を隠そうとすると、追いかけてきた手に足首をやんわりと掴まれた。
 一世はじっと爪を見つめていたが、何を思ったのか、おもむろに顔を伏せると、親指を口に含んだ。
「一世さん!?」
 足を動かそうとしても、引き留める力に敵わない。一世は飴をしゃぶるみたいに、指の一本一本を口に含んで、丹念に舌でねぶる。
「ッ……」
 昼の明るい中、あるまじき疼きが身体に走り、亜沙子は盛大に狼狽えた。
 唇をきつくかみ合わせ、耐えている亜沙子の窮状を見て、一世はようやく口を離した。
「……な、なんてことするんですかッ!」
 顔を真っ赤にして亜沙子が喚くと、一世はご機嫌をとるようにほほえんだ。
「つい、かわいい指だなと思って」
「っ!? 信じられないッ」
 返事になっていない。睨みつける亜沙子に怯まず、一世はいそいそと衣装棚を物色し始めた。
「ねぇ、亜沙子。これに着替えてみせて」
 一世が選んだのは、淡い紫陽花色をした七宝しっぽう柄の着物だ。袖や裾はひらひらした縫製で、涼しげな金魚のように見える。
「どうして着替えるんですか?」
「私が見たいから」
 笑顔できっぱりと告げられ、亜沙子は返事に詰まった。しかし、断るほどの理由もないので、大人しく着替えることにする。
 衣装を変えた亜沙子を見て、一世は満面の笑みを浮かべた。
「思った通り、よく似合うよ。こっちへおいで、髪を結ってあげる」
 一世は、化粧机の前に亜沙子を座らせると、後ろでまとめた髪を解いて、鼻歌交じりにくしけずり始めた。
 優しい櫛遣いにうっとりしていると、頭のてっぺんに唇が落ちた。
「……一世さん?」
「かわいいね、亜沙子」
 青と金の瞳が優しく細められる。照れくさくなり、亜沙子は視線を前に向けた。
 まるで人形遊びのように、衣装を変えて、髪を結う。何度か繰り返し、そのうち亜沙子は疲れて一世にもたれかかった。
「……瞳を閉じていていいよ。少し休もう」
 優しい手が髪に触れる。丁寧に梳られるうちに、うとうと眠気に誘われていった。
 しとしと、優しい雨の音が聴こえる。
 こんな一日もいいかもしれない――眠る間際、亜沙子はぼんやり思った。



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