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レモンティーが飲みたくて【恋愛】

君は光

作者:天崎 剣
 別れましょうと彼女が言ったのは、交際を始めてひと月ほど経ったときだった。
 元々人付き合いが苦手なのだと彼女は笑って、私と付き合ってもいいことなんかないし、迷惑ばかりかけてしまう、私のことは放っておいてよと言ったのだ。
 俺のことが嫌いになったのかと問いただすと、好きとか嫌いとか、そういう括りで人と交際したことはないと、納得できそうにもない返事をされ、俺は渋々、彼女の意見を尊重して身を引いた。
 一目惚れだった。整った顔立ち、長い髪、時折見せるえくぼや、些細な仕草。すれ違っただけで、俺は心臓を射貫かれた。
 高校に入って数ヶ月、世の中には自分の心をとらえて放さない異性が存在するのだと知った。廊下ですれ違うだけの日々、話しかけることも憚られるほど、彼女は神秘的だった。
 二年になってクラスが隣同士になると、見かける回数が増え、更に彼女への想いが増した。他愛なく言葉を交わし、目を合わせただけで顔が火照った。間違いなく、俺は彼女に恋をしている。そう思うと、彼女ともっと近づきたくて、居ても立っても居られなくなる。そうして、何日も何日も言葉に悩み、タイミング見計らって、やっと告白したのだった。
 秋の長く伸びた木陰の下、彼女が一人、校庭のベンチでスマホを弄っているところに思い切って声をかけた。放課後、彼女が決まってここで暇を潰しているのは知っていたし、彼女が誰と待ち合わせているわけでないのも知っていた。
 常に、彼女は一人だった。
 まともに喋ったことはなかったけど、彼女は静かに笑って、
「ま、いいよ。暇だし。横手君、隣のクラスだったよね。ちょくちょく会うもん。知ってたよ」
 その言葉が嬉しくて、俺はしばらく浮き足立っていた。
 長いストレートの髪は、染めているわけでもないのに少し茶色が強くて、日差しに当たると明るく光って見えた。白い肌、長い足。長いまつげが上下に動く度、俺の心臓もやたらとバクバク鳴った。
 彼氏と彼女、俺たちはつまり、そういう仲になった。
 学校へ行くとき、帰るとき、待ち合わせて一緒に肩を並べて歩く。それだけでも嬉しくて、俺が一方的に彼女に色々話しかけた。テストはどうだっただの、課題のあそこが難しいだの、英語教師の悪口や、クラスで起きたどうでもいいこと、それから、テレビやラジオ、ネットで聞いた面白い話。彼女はふぅんと笑ってくれたが、自分から話題を出すことはしなかった。
 手をそっと差し出すと、抵抗なく指を絡めてくれたし、肩と肩が触れあっても、嫌な顔一つしなかった。大声で笑うことはなかったが、静かにニッコリと笑ってくれた。
 高校生のカップルなんてそんなもんだろうと、俺も彼女との関係を深く考えなかった。
 付き合ってくださいと言って、そしたらいいよと言ってくれて。双方納得したのだから、それで付き合っている状態になったと、その程度にしか思っていなかった。
 よくよく考えれば、彼女が俺のことをどう思っていたかなんて、よくわからない。
 俺んちに寄ってくかと尋ねると、いいよと答えて付いて来てくれたし、そこで彼女にキスを迫っても、彼女は無言で目を瞑り、俺のことを受け止めてくれた。そういう関係になってもいいのかなと言って彼女の柔らかな胸に初めて手を当てたときも、結局そういうことは最後までしなかったのだけど、いいんじゃないのと彼女は静かに笑うだけだった。
 受け入れてくれると言うことは、俺のことを好いてくれたのだと単純に考えて、彼女の本心がどこにあるかだなんて、考えようとはしなかった。
 別れたのかよと級友に笑われ、ああと肩を落として答えると、やっぱりそうだろう、彼女にお前は釣り合わないと馬鹿にされる。わかってはいたけど、二人、いいところまで行ったんだよと声を大にして言いたかったが、そんなことをしたら彼女の自尊心を傷つけてしまうだろう。俺はグッと我慢して、釣り合わないから振られたんだよと力なく笑ってやった。
 俺との関係を解消したあと、彼女はまた、一人になった。
 誰とも絡まない。仲のいい同性すらいるのかどうか。
 一ヶ月、俺は単に浮かれていただけで、彼女のことなんて本当に考えたことはなかったんじゃないか。日が経つにつれ、自分本位だったことを、悔いるようになっていった。
 別れてから二週間ほど経ったある日。偶々、彼女と二人きりになった。
 帰り道、また、あのベンチの方にフラフラと歩いて行くと、彼女は前と変わらぬ様子で、一人スマホを弄っていた。
「沙映子は、ここ、好きだよな」
 ベンチの横に立ち、スマホを覗き込む。ゲームの最中で、俺に目を向けることなく、
「まぁね」と、彼女は言う。
「隣、いい?」
「いいよ」
 彼女は視線をずらさず、じっと画面を見つめ続ける。
「俺とのこと、無理してただろ。だったら最初から、振ってくれて良かったのに」
 口をとがらせ、言ってしまった後で、俺はなんて自分勝手なことをと激しく後悔する。
「別に、無理なんかしてなかったよ。横手君、いい人だし」
「じゃ、なんで」
 彼女は手を止め、やっと視線を俺に向けた。
 透き通るような茶色の瞳に、傾きかけた日の光が映り込み、少し、潤んで見えた。
「みんながみんな、幸せになんてなれないってこと。私と居ると、横手君が不幸になるよ。だから、別れた方がいいと思ったの」
 吐き捨てるように言った彼女は、機嫌悪そうに眉間にシワを寄せていた。
 意味が、わからない。
 どうして彼女と一緒にいると、俺が不幸になるのだろうか。
「幸せは、平等に与えられた権利じゃない。それを、横手君は知らないでしょ」
 すっくと立ち上がり、彼女は去った。丸めた背中が、どこか寂しそうだった。
 彼女のことを、もっと知りたいと思った。
 片思いだったときよりも。付き合っていたときよりも。
「あいつんち、訳ありらしいよ」
 中学が一緒だったという友人にその話を聞いたのは、すっかり雪がちらつく季節になってからだった。
 師走に入ってしばらくした頃から、彼女は学校に来なくなった。風邪だとは聞いていたが、それにしては長い休み。一週間以上姿を見せないなんて、今までなかったのに。
 気になって仕方なくて。だけど俺は彼女の連絡先を全く知らなかった。
 辛うじて知ったSNSのIDさえ、別れたあと直ぐにブロックされて、俺のことを本気で嫌いになったんだなと落ち込んだことを思い出し、同時に、『幸せは、平等に与えられた権利じゃない』と言い放った彼女の、辛そうな顔が目に浮かぶ。
 わかりやすく探りを入れるなんて、そんな無神経なこともできず、まずは彼女と仲良くしてそうな女子を探したが見当たらない。彼女と同じ中学出身の女子に話を聞こうと思ったが切り出し方がわからず断念し、いろいろと話を聞いているうちに、そいつに辿り着いた。
 同じクラスのそいつは、あれ、横手って沙映子と付き合ってなかったっけと小さく笑って話を続けた。
「今は母子家庭なんだけど、中学の頃は親父がまだ一緒に住んでてさ。暴力振るわれることもあって、偶に痣作ってくるんだよ。顔に。あんなに可愛いのに、青い痣いくつも作ってさ。だけど、学校は休まなかった。家に居るよりいいんだって言って。母親と家を出て、今は落ち着いてるって聞いたけど。見てらんなかったもんな」
 顔を歪ませ話す姿に、ことの重大さがうかがえた。
「そんなんだから、沙映子自身も結構いじめに遭ってたみたいで。女子って残酷だろ。容姿や家庭環境なんて、自分で変えられるもんでもないのに、それをいちいちいじめの対象にするんだよ。だけど、それでも学校に居た方がマシだったのかもしれない。休めばいいのにって、端から見て思うくらい酷いいじめだったのに。あの頃親父は仕事してなかったみたいだし、家には逃げ場がなかったのかもな。自殺でもするんじゃないかって、噂も出たくらいだぜ」
 自分が、情けなかった。
 どうしてあの一ヶ月、彼女のことをもっと良く、知ろうと思わなかったのだろう。
 彼女が心に抱える闇は、もしかしたら俺が考えるよりも深く、暗いのかもしれなかったのに。
 見舞いに行ってやれよと、そいつは言って、彼女の自宅を教えてくれた。
 付き合っている間、彼女は自分のことを一切語らず、自宅の方角だけ指し示しただけで、じゃあねと去ってしまっていた。送るよと何度言っても、馬鹿ね子供じゃないんだからと軽く笑い飛ばされたのだ。
 何も、知ろうとしていなかっただけだ。
 彼女が自分のものになったという達成感で満たされ、彼女自身のことを何にも見ていなかった。
 それに気が付くと、どんどん彼女の周囲が見えてくる。見えていなかったこと、見ようとしていなかったことが見えてくる。
 女子共の噂話。風邪だって言ってるけど、絶対違うよね。体調悪そうにしてたのは間違いないけど。知ってる、体育で着替えたとき、うっすら身体に痣があったの。聞いた話だと、なんか変な男連れて歩いてたって。え、それって二組の横手じゃなくて。違う違う、もっと大人の、怖そうな人。でもそれ、お父さんとかじゃないの。まさかぁ、だって沙映子ンち、母子家庭だよ。それに、お父さんって雰囲気じゃなかったけど。
 沙映子に近づくのは勇気要るよな。横手はピュアだから全然気付かなかったみたいだけど、あいつ絶対、無理してたぜ。男性恐怖症、みたいなこと聞いたことある。え、マヂで。家庭内暴力でえらいことなってたらしいぜ。中学時代の悲惨な状態聞いてたら、付き合おうっていうか、近づこうっていうか、そういう感情なんて全部消えちゃうんじゃないの。
 消えて、しまうわけない。
 むしろ、彼女の気遣いが身に染みて。
 俺はあの一ヶ月間、彼女にとって何だったのだろう。
 無理なんかしてないって彼女は言ったけど、本心はどうだったのか。
 日曜日、初めて行く、彼女の家。電話番号すら教えてくれなかった彼女が、住んでいるところ。
 雨だった。
 暗い空から、大きな雨粒がいくつも地面に降り注いでいた。
 古びたアパートが並ぶ住宅街。小路の奥に、それはあった。さび付いた細い鉄パイプの手すり、今にも壊れそうな階段が印象的な小さなアパート。鉄の波板が張り付いただけの屋根から伝う雨水が、傘の縁に容赦なく落ちていく。
 お見舞いという口実なら、ドアを開けてくれるだろうか。
 コンビニで買った、彼女の好きそうなスイーツ。付き合っていたとき、生クリームのたっぷり入ったシュークリームが好物だと言っていた。袋が雨で濡れないよう、細心の注意を払って運んできた。これを差し出したら、会話、してくれるだろうか。
 突然尋ねてきて、彼女はどんな顔をするだろう。どうせ嫌われているのだから、今更何を言われても構わない。
 彼女に謝りたかった。
 何も知ろうとしなかったこと、自分の気持ちを押しつけてしまったこと。その上で、自分に何かできることはないのかと、聞いてみたかった。
 それこそ、独りよがりな気持ちで、俺は彼女のアパートの前に立った。さび付いた赤いポストから、受け取り待ちの配布物がはみ出し、雨に濡れている。ポストの窓に付いた、彼女の名字が書かれた表札。旧姓が二重線で消され、その上からマジックで今の名字が書かれている。左手で傘をギュッと握りしめ、一階の隅にある部屋のチャイムを鳴らす。返事はない。
 留守かもしれない。
 休日だし、買い物にでも出かけているのかも。
 諦めて立ち去ろうとしたとき、ふと室内で物音がしたのに気付く。
「あの」
 勇気を振り絞って、声を出す。
「沙映子さん、いますか。お見舞いに、来たんですが」
 しばらくの沈黙。
 気のせいかと立ち去ろうとした直後、ドタドタ大きな足音がし、バンと扉が開いた。
 中年の男だった。無精髭にボサボサの頭、汚れた紺のジャージ、はみ出した白いシャツ。目を細くして、上から下まで舐めるようにして俺を見てくる。
「なんだァ……、沙映子の男かぁ?」
 気の抜けたような声。
「いえ。違います。ところであなたは? 沙映子さんのお見舞いに来たんですが」
「そっか、沙映子の男か。なんだァ、やることやってんじゃねェか。いい女だろう」
 確かに、父親という感じではない。けど、彼氏と言うには年齢が高すぎる。四十くらいのその男は、俺の話を無視するようにへらへら笑う。
 年頃の女の子が住んでいるとは思えないほど、玄関は散らかっていた。コンビニ弁当の空が入ったビニル、液体の半分残ったペットボトルがいくつも転げ、沙映子の黒いローファーも、何度も踏まれたのか、すっかり泥で汚れている。踵を潰した黒いスニーカーは、この男のものだろうか。あまりいいとは思えない臭いを放っているのは、それに違いない。
 玄関入って直ぐに目に付く小さなキッチンは、使用済みの鍋や食器で溢れ、しばらく何か家事をした様子もなく、ところどころに脱ぎ捨てられた衣類がただ事ではないと知らせてくる。
 ここは本当に、近くに居るだけで柔らかな香りがした彼女の家なのだろうか。
「あの、沙映子さんは」
「で、沙映子はどうだった。締まり、良かっただろ」
 雨の音に混じって聞き取りにくかったが、俺には確かにそう聞こえた。
 首を傾げ、意味がわかりませんと眉をひそめる。
 男は何かに納得したように何度も頷き、更に声を高くした。
「やっぱり若いと違うよなァ。猿のようにヤったのか?」
 そこまで男が言ったとき、ガタンと部屋の奥で大きな物音がした。俺は顔を上げ、音のした方に目をやる。
「横手……君」
 彼女だった。
 奥の扉が半分開いて、そこから彼女が疲れ切った顔を覗かせていた。
 長い髪を整えもせず、死んだような顔をした彼女は、この世の終わりを痛感したように、ドアの縁に掴まったまま崩れ落ちた。
「なんで……なんで、そんなこと言うの」
 彼女は、裸だった。
 はらりと落ちたバスタオルに涙を落とし、肩を震わせていた。
「酷い。横手君に、何言ったの。何言ったのよ!」
 語尾を強める彼女に反応して、男が振り返った。
 廊下を戻り、彼女の側まで戻ると首に手をやり、そのまま上半身を持ち上げる。
 何を、と思ったのも束の間、男の平手が、彼女の頬を強く叩いた。
「沙映子!」
 傘を、放り投げた。シュークリーム入りのビニルが宙を舞った。雨で濡れたスニーカーのまま、俺は彼女の家に上がって、男に体当たりした。
 ドッと重い衝撃はあったものの、大の大人に敵うはずもなく、振り向いた男に殴られ、蹴られ。ジャージの襟を掴み、頭突きして、腹に、下腹部に蹴りを入れ、それでも相手は全然怯まず、俺は身の危険を感じながら、何とか彼女を守ろうと。
 泣いていた。
 彼女は、泣いていた。
 小さく膝を抱えて、廊下の隅で泣いていた。
「何しに来たのか知らねェが、せっかくの時間を台無しにしやがって。クソが」
 肩で息をしながら、男が言う。
 全身ズタボロで、手も足も動かなくなって、横になって息をするのがやっとの俺を、見下して。
 最後に一発、腹部を思いっきり蹴られた。胃液が逆流し、咳き込むのさえ、辛い。
 唾を吐き捨て、外に出ようとするその男の足首に手を伸ばす。ぎっちり掴んだ手に男はよろめき、前のめりになった。
「ンだ、てめェ」
 男が上から獣のような目線を向ける。
「誰だよ……。あんた、誰だよ。沙映子に一体、何してたんだよ」
 搾り取るように声を出すが、男はフンと鼻で笑って、手を蹴飛ばしてきた。
「何してもいいだろ。沙映子は元々俺の物なんだから」
 理不尽な大人を目の前にし、俺は自分の底から黒いものが湧き出るのを感じていた。それが怒りという物なのか、憤りという物なのか、判別は付けがたかったが、確かにコイツは、死んでもいい人間じゃないかと――。
 這うようにして、シンク下の扉に手を伸ばした。
 そうすれば、彼女の不幸が全て終わるのではないかと思ってしまったから。
 あの無駄に大きいだけの背中も、力ない少女を穢してしまった身体も、全部全部、無くしてしまえば。
 スニーカーを履いて外へ出ようとする男の背を、俺は歯を食いしばり、激しく見開いた目で睨み付けた。身体を起こし、膝立ちして、シンク扉の内側をまさぐる。収納された包丁の柄が手に当たった。これを男に向ければ。
「ダメ」
 ふと、温かい物が背に当たる。
「横手君は、汚れちゃダメ」
 か細く、消えそうな声。
「横手君は、光だから。私の、光だから」
 柔らかな腕が、ギュッと身体を抱きしめてくる。
 白い肌。消え入りそうな、肌。
 震え、怯え、そして、何かにすがろうとする手。
「でも、それじゃ沙映子が」
 スニーカーを履き終えた男が、外へ出る。
「いいの」
「いいわけないだろ」
 バタンとドアが閉じ、男の背が、消える。
「横手君が、汚れてしまうよりずっといい。私は、私はまだ、我慢できるから」
 背中で聞こえる、小さな声。
 雨にかき消されそうな、か弱い声。
「私、汚れちゃった。赤ちゃん、堕ろしちゃった」
 慌てて振り向くと、彼女は顔を真っ赤に腫らし、ボロボロと涙を落としている。
「横手君に、嫌われたくなくて。私、あんなこと言ったの。嫌われる前に、私が去ればいいんだって」
 何を言っているのか、わからない。
 彼女は長い髪を乱し、辛そうに泣くだけで。
 俺は頭が混乱して、それでも寒そうな彼女をどうにかしなくてはと、落ちていたバスタオルを渡し、羽織っていたジャンパーをそっと彼女の背に掛けた。
「あったかい……。横手君の、匂いがする」
 彼女は顔を少しほころばせて、
「横手君が、初めての人なら良かったのに」
 その一言が、嬉しいやら、悲しいやら。
 中学時代に暴力を振るい続けた父親が、居場所を見つけて帰ってきたのだと、彼女は言った。そしてよりによって、彼女を襲ったのだと。血は繋がっていないらしい。成長した娘を見て発情したのだろうが、行為にまで及ぶなんて。
「この間、手術したんだ。術後体調悪くて休んでて。お母さんが仕事行ったのを見計らって、何で堕ろしたんだって、また襲われて。そしたら、横手君が来て」
 最悪のタイミングだった。
「でも、嬉しかった」
 思わず、手が伸びた。彼女をギュッと、抱きしめた。
「苦しいよ」
 彼女は言う。恥ずかしそうに。
「誰にだって、幸せになる権利は、あると思う」
 どう声をかけたらいいのか、ずっと考えていた。
「こんなにも優しい沙映子が幸せになれないなんて、俺は信じない。絶対に」
 確かに、彼女の置かれた環境は、不幸そのものかもしれない。けれど。
 脱ぎ捨てられた服も、汚れた台所も、彼女がどうあの男に扱われたのかを察するにあまりある状態ではあるけれども。
「好き、なんだ」
 雨は、上がる。
 窓から日差しが零れる。
「遅すぎて、ゴメン。気付かなくて、ゴメン。でも俺、沙映子のこと、何があっても嫌いになんて、なれないから」
 お土産のシュークリームは、無残に踏みつぶされているに違いない。俺の浅はかな同情が、何の役にも立たないって示すかのように。
 外に放り投げたままの傘にはきっと雨粒が光っていて、濡れた道路はキラキラと光を反射して。
「沙映子は、汚れてなんかない。力強く、光ってるじゃないか」
 君は、光。
 暗闇の中で、必死に光る灯火。
 俺はその光が消えないよう、支える人になりたい。
 当たりに吹きすさぶ風が容赦なく光を消そうとしても、その光をじっと守り続ける人になりたい。
 頼りないかもしれないけど、頼り切れないかもしれないけど。
 迷惑でなければ、君の光が、いつか、大きく光り輝くまで、側に。   

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