自家製のチーズに『月のカケラ』と名づけて派手に売り出した熊五郎の戦略は、ある意味天才的だったといえるかもしれない。
当時、猫坂では『月はチーズでできている』という迷信が広く信じられており、それに乗って大当たりしたのだ。熊五郎の店の前には、朝早くから客が列を作るようになった。
もちろん『月のカケラ』の正体はただのチーズに過ぎず、大きさ数センチにくだき、クレーターを模した模様をつけ、いかにも天から降ってきたかのごとく空気との摩擦熱を思わせるこげ跡をガスバーナーでつけただけのものなのだ。
だがこの商品は、本当に大当たりをした。猫坂市民の科学知識はあまり豊富とはいえず、地球は丸い球体であるいうことに疑問を感じている者も少なからずいるほどだったのだ。「地球が丸いだって? じゃあ地球の裏側にいる人間は、どうしてストンと下へ落ちてしまわないのだね?」
進化論についても同じことで、「人類は類人猿から進化したものである」などとおおやけの場で口にしようものなら、『人間は日本列島とともに神の手で作られたものだ』と信じている連中から大声で反論を受けるのがおちだったのだ。
こんなぐあいだから、人々の心の底まで根付いている『月はチーズでできている』という信念はいささかも揺らぐことはなく、「大風の吹いた日にパラパラとはがれ落ちてきたものを拾い集め、清潔をたもって包装したものである」と称する『月のカケラ』に、市民たちはぜひもなく飛びついたのだ。
もちろん、この状況をにがにがしく思っている者もいた。そして市民を教育するために運動を始めたのだ。その先頭に立ったのが田中守だった。
田中は国立猫坂大学の天文学教授であり、間違ったことが大嫌いなまっすぐな性格で知られていた。上唇に伸ばしたヒゲでさえ曲がっていることを嫌い、ロウでもってとがらせ、常に水平にピンとさせていたほどだ。
田中は公会堂を借り切って講演会を開き、熊五郎と『月のカケラ』を激しく非難した。これをきっかけにして、猫坂市全体を巻き込む大論争に発展したのだが、簡単に想像がつくだろうが、両者の議論は平行線をたどるばかりで、まったくかみ合わなかったのだ。
一方いわく、「海外の著名な学者たちも、月が地球と同様に土と岩でできた天体であることを認めている。それに疑問を持つのはとても恥ずかしいことだ」
他方いわく、「月がチーズでできているというのは猫坂に古くから伝わる言い伝えである。すなわち祖先の文化である。祖先の文化に疑問を持つなど、不敬もはなはだしい」
そこに登場するのが、何を隠そうこの僕というわけさ。僕は猫坂大学の学生だったが、ある授業のときいささか辛い点数をつけられたことがあって、何とかして田中教授に仕返しをしてやりたいと思っていたんだ。そこへタイミングよくこれが起こった。
僕は一人で夜道を歩いていた。よく晴れた深夜で、町の明かりはすべて消され、星々が無数にきらめいていた。立ち止まってそれを見上げていたのだが、その中央を突然、流れ星が横切っていったのだ。巨大な星で、長く長く尾を引き、何秒間も輝いた。僕以外にも目撃者はたくさんいたと思う。流れ星は、そのまま猫坂の北に姿を消した。
もちろん普通の流れ星で、正体は宇宙から落ちてきたただの隕石だったのだろう。地上につく前におそらく燃え尽きてしまったことだろう。だが僕はあることを思いついていたのだ。
夜が明けるとすぐ、僕はチーズを買いに出かけた。市内のあちこちをまわって、できるだけ大きな物を探したんだ。その結果手に入ったのは、驚くなかれ直径が50センチもあるやつだった。洗面器のような丸い形をしていたので、家に持ってかえり、ノミを使って形をととのえた。石のように固かったが、ギザギザしたそれらしい形にすることができた。
庭にたき火をし、その中にこのチーズを放り込んだ。もちろん焼け跡とこげ目をつけるためだった。一部をこがし一部を溶かし、チーズは本当にそれらしい見かけになった。
僕は満足し、大きなリュックに入れてかついで、家を出た。行き先は、猫坂の北にある山岳地帯だった。
場所の見当はつけてあった。山歩きは僕の趣味だからね。ひとけのない谷底まで行き、持ってきたシャベルで僕は穴を堀り始めた。深く大きな穴だったから、半日かかってしまった。だがチーズをその底に置くと、がぜんそれらしくなってきて、僕はほくそえんだものさ。シャベルとリュックを隠し、僕は警察を呼びにいった。
翌日の新聞は見ものだったよ。どこの新聞社もトップ記事にしたからね。
『月よりの隕石発見さる。成分はチーズと完全に一致』
市内で発行されている新聞を一通りすべて集め、僕は一人で大笑いしたものさ。この隕石はあまりにも評判になり、とうとう博物館で展示されることが決まった。公開の初日から、人々は何百人も列を作った。市内の小学校は、遠足のコースに必ずこの博物館を組み込むようになった。
僕のチーズは、こうやって何万人もの目に触れるようになったのさ。人々に混じって僕も見物に行ったが、ホールの中央に置かれ、光線による劣化を防ぐためという理由でほの暗いスポットライトに照らされ、いかにも神々しく神秘的に浮かび上がっていたよ。博物館の正面には熊五郎が臨時に店を出し、金もうけに精を出していた。
もちろんまだ田中教授は降参などしていなかった。本を書き、街角でパンフレットを配り、講演会を開き続けた。だが気の毒なことに、講演会の入場者は回を追うごとに少なくなっていき、最後の時期にはほんのパラパラと数えるほどだったそうだ。
そしてついに、田中教授にとって最も衝撃的な出来事がおとずれた。死ぬほど頭をかきむしったことだろうが、同情する気にはならない。僕に悪い点をつけたりするからさ。
市議会で議決がされ、市内の小中学校で来年から使われる理科の教科書にはすべて、『月はチーズでできており、このことは隕石の科学的研究によって完全に証明されている』という一文が付け加えられることになったそうだ。いやはや、猫坂というのは本当にすごい町だねえ。 |