澪のそよかぜ 1
「どうしてそういうことをちゃんと報告してくれないんでしょうね。御大将は」
朝食の席上、信二がやれやれと肩をすくめた。
楓を通して昨夜のオカマの話を聞いた。
「だって、お酒の場の事じゃないですか? 勘ぐりすぎですって」
言い訳がましく答える実剛。
「御大将が呑んでたらそうでしょうがね。しらふの人間相手に飲酒トークなんぞするもんですか」
次の日になったら忘れている、というわけにはいかないのだ。
話を聞く限り、かなりの話術をもった相手のようだし、そうそう迂闊なことをするとも思えない。
何か狙っての発言だろう。
「つまり僕の素性を知っていると?」
「そう見るべきでしょうね」
ツアーに申し込む際、実剛も絵梨佳も本名を名乗っている。
偽名を使う理由もないので当然だ。
ガイド役をしていたというなら、名前は把握されていると見て良い。
「あとは、名前と肩書きを結びつけられる情報を持っているかという点が問題になるわけですが」
「どうでしょうね。あの業界にはそういう情報網もあるんですかね」
間の抜けた実剛の言葉。
ふうと溜息を吐く軍師。
まったくこいつは何も判っていない。
順番が逆だ。
もしオカマさんが澪を知るものなら、名前を見てからガイド役に名乗り出たということだ。
最初から、何らかの関係を持とうとしていたという可能性の方が高い。
「ただ、敵ではないと思いますよ。登場の仕方から考えて」
稲積氏と似たようなもんですね、などといって笑う軍師だった。
稲津の血を引く若者は、当初、敵を装って接近してきたのである。
「結局は、会いに行くって事ですね。起きてますかねぇ」
夜の世界の住人だ。
朝早くから訊ねては迷惑になるだろう。
「昼過ぎで良いでしょう。楓嬢、絵梨佳嬢はそれまで一眠りしてください」
不意に話を振る軍師。
能力者の絵梨佳はともかく、ただの人間でしかない楓はかなりきつそうだ。
遅くまで映画を見ていたから。
「睡眠不足は脳の働きを鈍化させますし、美容の大敵ですからね」
不器用にウインクする。
うざかった。
わりと。
新山総理がリストを持って現れたのは、絵梨佳たちが寝入ってすぐのことである。
「良いタイミングですねぇ」
飛ばす軍師の嫌味にも、どこ吹く風。
「君らのために超特急だ。もうすぐ開業だな」
「はいはい」
軽く流す。
疑問に感じたのは実剛である。
何が良いタイミングなのか判らなかったのだ。
「昨日の今日でリストアップなどできるはずがありません。人材バンクや派遣会社ではあるまいし」
肩をすくめてみせる信二。
つまり、最初から用意してあったということだ。
澪がどれほど戦力を失って、どの程度の補強を考えているか。
お見通しということだろう。
「全部わかっていたわけじゃないさ」
新山も悪びれない。
昨夜と同じ、私室に移動して会談が始まる。
「何パターンか想定していて、そのうちの一つにかっちりはまったというところでしょう。さぞ気持ちよかったことでしょうね」
やや悔しげな顔の軍師。
彼自身が語ったことがある。
他人の行動は予想が付かない。十通りの予測を立てれば、たいていは十一番目の行動をしてくる、と。
それが人間というものだ。
だからこそ、策略や詐術が入り込む余地がある。
知略とは正確な予測のことを指すのではなく、敵に予想の範囲内において行動を選択させること。
これが神髄だ。
その意味で、澪の軍師は老獪な政治家に敗北した。
「といっても、戦力を増強しようとするのは当たり前のことだからな。条件闘争にすぎん部分で勝ってもな」
新山の笑顔は苦い。
単純に三十か七十五か、あるいはもっと上か下か。
という条件面での競り合いに勝っただけだ。
総理としては、とても勝利を祝う気にはなれない。
「澪としては、総理に大きな借りを作ることになってしまいましたよ。取り立てが厳しくないといいですねぇ」
冗談めかして軍師が言う。
ここは負けておく、と言外に語りながら。
良好な関係を保ちたいのは澪も日本政府も同じである。
敵対するには巨大すぎる。お互いに。
だからこそ、借りたり貸したりするのは多い方が良い。
関係が強化されるから。
友情を長続きさせたいなら貸し借りはすべきではない、というのが個人レベルでの常識だが、政治や商売の世界ではそうではないのだ。
「そう言ってくれると思っていたよ。信二」
ファーストネームを呼び捨てにした。
義理の孫扱い。
関係を一歩進めるつもりだと悟った軍師が苦い顔をする。
このタヌキ親父。既成事実でもでっち上げるつもりか。
とはいえ、ここで反発しては今後の交渉に差し支える。
流すしかない。
そういう場面でカードを切ってくるから油断できないのだ。
「君らに紹介する人材はとびきり優秀だぞ」
「日本政府には逆らわない、という意味でですか?」
「皮肉を言うな。いまはフリーランスの連中だ」
「フリーランスの戦闘集団がこの国にいるとは、寡聞にして知りませんでしたよ。閣下」
「昔からいたさ。表舞台には出てこないだけでな」
表には登場しない戦闘集団。
実剛に天啓が閃く。
「ニンジャですかっ!?」
重々しく頷く首相と、興奮を隠せない少年。
忍者がやってくる。
澪忍軍の誕生だ。
「すごいっ」
「何を想像しているのかだいたい想像がつきますが。落ち着いてください。御大将。忍者の戦闘力なんてドラマや漫画で描かれるほどじゃないですよ」
軍師が肩をすくめた。
油断している相手を背後から襲って一撃で殺す程度の能力。
というのが、忍者の戦闘力を端的に示す言葉になるだろう。
気づかれずに背後を取る。
一撃で息の根を止める。
まさに影働きである。
「信二先輩にはロマンが足りないと思うんですよ」
「そういう成分は、ぜんぶ兄に譲りましたので。よーするに政府でももてあましているって事でしょうよ」
電子戦闘が全盛の平成日本で、暗殺や破壊工作のプロフェッショナルなど使い道がない。
「ああ。本質を突いたな。信二。我々も彼らに働く場を与えてやりたいのだが、この国にはそういう場所がないのだ」
「風魔忍軍と同じ結末、というのはあんまりですしねぇ」
戦国大名の北条家に仕えていた風魔忍者たち。
太平の世になると職を失い、行き場を失い、野盗になり果てる。
最終的には捕縛から処刑という末路をたどった。
「で、どこの忍者です?」
「軒猿」
「ああ。それは日本としても使いづらいところでしょうねぇ」
上杉家に仕えていた、忍術の祖とともいわれる一族だ。
明治維新からスタートをきった今の日本では、上杉の系譜は扱いづらいだろう。
「どうしても気に入らないというなら、別の候補を探すが?」
「いえ。それでけっこうですよ」
あっさりと頷いたのは実剛である。
使いあぐねているというなら、むしろ好都合だ。
需要と供給のバランスがとれることにもなる。
もちろん新山の言葉をすべて信用すれば、という話であるが、信用しないことには一歩も前に進まない。
大前提である。
このあたりの見極めは、さすがの胆力だろう。
軽く頷く軍師。
決断は実剛の仕事。彼の仕事は主君の決断した内容を現実に近づけること。
子供チームが結成されて以来のコンビネーションである。
「では向かわせよう。君らが戻った後に到着するように手配すればいいかな?」
「そうですね。形式的ですが、面接試験を行いますので」
「それは君たちが?」
「まさか。伯父たちですよ」
量産型能力者部隊を掌握するのは、あくまで澪町役場だ。
そのうち第二隊に関しては実剛が決定権をもつが、戦闘部隊たる第一隊や勇者隊、童子隊などの編成に口を挟むことはない。
「では、王によろしく伝えてくれ」
「ええ。必ず」
この場合のよろしくとは、日本政府に供与される霊薬のことである。
おそらくは、対澪部隊から選抜されたメンバーが服用することになるだろう。
「さてさて。吉と出ますか凶と出ますか。ここがターニングポイントかもしれませんね」
内心を言語化せず、軍師が微笑した。