談暖
幸せって、こういうことを言うんだろうね。
あたしの隣にいる彼が幸せそうにそう呟いた。
繋ぎ合わせた私の右手と彼の左手。
互いに冷えきってその間にもう熱はこもっていないけれど、彼の呟いたその言葉の示す意味がなんとなくあたしに伝わって、頬が少しだけ火照ってきた。
暖かい。
男女が仲良く手をつないでいる理由といえば、それは彼氏彼女の中なのだから互いに暖をとろう、という定番のアレだ。
あたしはそれが気恥ずかしくて何度も言い訳をしてごねたけれど、それを彼が許すわけもなく、今、こうして手を繋いで拘束されている。
手を繋ぐことに対して抵抗があるわけじゃなくて、こういうことをしているというのを、公衆の面前に晒しつつ歩いているという状況がとてつもなく恥ずかしいだけ。
恥ずかしくなるとあたしはすぐ顔が赤くなってしまうから、繋がれていない左手で真っ白なマフラーを鼻が隠れる程度まで上げる。
こういうのを赤面症、というんだっけ。
どうでもいいや。
さて、今この状況が幸せか否かと問われれば、幸せです、と答える他ない。
彼氏と彼女なのだから互いが互いを必要として愛し合って、溶け合ってしまいたいと思っているのだから、こうやって触れ合える時間が増えるのはすごく嬉しい。
嬉しいけど、それを恥ずかしさが上まってしまって、暖かいなんてものじゃなくて、顔が熱くなった。
それを見た彼があたしの反応を楽しそうに見つめ、目を細めてニコニコ笑っている。
彼は背があたしよりも10㎝以上高いから、顔を少しだけ上に傾けてその顔を下から覗き込んでみる。
彼の顔の造形は、所謂美形というやつだ。
だから彼女になりましたー、じゃなくて彼がこっちを選んだんだからあたしに引け目はない、はずだ。
まあ、あたしも彼を最初に見たとき「キャー、イッケメーン、フゥーッ!」とか思ってたし。
イッケメーンが何時の時代も愛されるとかそんな法則を作り上げたのは、あたし含めミーハーな世の女性のせいだなぁ。
そうやってイケメンを堪能しつつ手をぎゅーっと握り締める。
痛いよ、と彼が笑いながら言うから、それが無性に面白くって頬が緩んで笑みが零れる。
そんなイケメンさんは、へらへらとしまりのない笑顔をあたしに晒している。
彼女だからいーんじゃないんですか、恥ずかしくないですよ、ってところかな。
それはまあ、信頼の置ける存在として見られているんじゃなくて、好きだ、嫌いという一過性の感情の延長線上に突如現れた存在として扱われてるだけなんだろうなぁ、と思うと少し空しくなる。
彼にとってのあたしの存在感は上面だけで中身が空っぽなのだろうか。
ただ、お世辞にも性格が良いとは一度も言われたことも、これから先も言われないであろう性格の持ち主であるあたしが、そう考えているのだから根本が捻くれていて、性格の良いイケメンがそう考えているとは限らない、でしょう。
自分の考えだけを突出させて露出するから人に誤解されるのなら、今回は一歩以上引いたところから相手の動向を見守ろう。
一歩引いた立場でいるというのが奥ゆかしき日本人らしさだというのなら、日本人はいやに消極的だなぁ、と。あたしも日本人だけれどね。
で、イケメン彼氏との会話を堪能しつつ、ついでに常時振り撒かれるオーラにうおぅうおぅ言いながら歩き続けていると、前方からも幸せですよ! っていうオーラをいちゃいちゃと振り撒きながら歩いてくるカップルどもがやってきた。
こちらの振り撒く恋人オーラは冷めているから、あっちの熱々さで解けてしまいそうだ。
その恋人どもにふぁっきぅー! とか心の中で叫びつつ、彼の方に顔をぐりん、と向け。
さてさて、もっと暖めましょうか彼氏さん!
彼の巻く真っ黒なマフラーにぐっと手をかけ、身長差をものともせずに唇でぐいーっと口づけを。
ぐちゅーっと。ぶちゅーっと。キス、してみた。
で、まあ、自分からやったこととはいえ、羞恥に苛まされるわけで。
目を閉じてキスしたから、最中に目をそっと開けてみると、イケメンが驚いた顔をしていた。これはなんとレアだろう。
ばっと唇を離してみると、息ができなかったのか彼がふーっ、と息を吐く音が聞こえた。
ぐわあっ、と、ぶわあっ、と顔に血が上り、真冬の癖に顔が火照ってきた。あちちのちー。
ねっとりとした彼の唾液を口腔内で転がしながら味を確かめると、レモンの味がした。
初恋とファーストキッスはレモンの味! 感触はマシュマロ! 事実でした!
いやまあ、彼がさっきまであたしがあげた飴を舐めてたせいだけど。
え? その時から彼からの初ちゅーを狙ってましたけど?
男は狼? のっとのっと、女が狼です! ぱくりと食べちゃうぞー。なんちって。
彼の方に視線をやると、彼も顔が真っ赤だった。同じこと考えてたのねー。
以心伝心なんて恥ずかしいわー、きゃっ! まあ、同じ遺伝子だから仕方ないかな。
再び手を繋いで、帰路につく。
家が近いから同じ場所までいつまでも。
明日また会えるので、そのときまた襲ってあげようか、ぐちゃっとした愛情で構わないと言っていたからねー。
痴女ではないけれど、あたしにとっての恥ずかしさはこの場にはないから、いつかまた心が戻ってきましたら、あははでうふふに爛れた生活をご所望します。
恥ずかしさも失せ、幸せな時間が舞い戻ってきた。暖かさが胸染み渡る。
彼との心の距離まで、あと、162㎝。
END
頭がおかしいのはみんな同じですけど、重大な欠陥のある人はそんなにいないのではないでしょうか。
初めてのちゅうはレモン味、なんて古い気もしますけどね。