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地球の人拾いました。

作者:茅野真奈
 あーヤバイ、おしゃべりしすぎた。

 仕事帰りに夕市で買い物をしていたら友達のサシャと鉢合わせて、ちょっとだけしゃべろうって思ったのがダメだった。十五分くらいの予定だったのに、気がついたら日が傾きかけていたよ。ここから家が近いサシャはともかく、私はちょっと距離があるから帰り着く頃には暗くなる。

 まぁ、私が住んでいる地区は家賃が安めで住んでいる人も多いし、この時間で人が途絶えることはないけどね。第一この町は治安いいほうだし、このくらいの時間ならそこまで危なくない、はずだ。
 でも念のため早歩きで帰ろう。野菜やパンを買っちゃったから走るのはつらいけど、早歩きならできる。

 そう思って歩くスピードを上げたところで、前方に変な人を発見した。

 なんとなく違和感のある服装をした金髪のお兄さんが、道行く人に声をかけては逃げられている。
 時間が時間だから女の人は声をかけられた瞬間に去って行くのは仕方がないけど、男性陣も一度は立ち止まってお兄さんを見るのに、すぐに逃げる。しかもなんか困った顔をしているみたい。なんで表情まで見えるのかって? 視力がいいのよ。

 一体どうしたんだろう。危ない人なら道を変えて避けたほうがいいんだけど、なんか気になるなぁ。
 とりあえず歩くペースは早歩きから変えずに、お兄さんがいる道をそのまま進んだ。

 声が届く距離まできたところで、お兄さんに話しかけられたおじさんが「悪いな兄ちゃん、なに言ってるかわかんねぇよ」って言う声が聞こえた。
 ああ、もしかして外国語を喋る人で、言葉がわからないから困った顔で逃げていくのかな。この町、外国語がわかるような人は少ないもんなぁ。

 私だってここの言葉がわからなくて苦労した。ファルマン夫妻が根気よく言葉を教えてくれたから、七年経った今では不自由なく言葉を読み書きできるけどね。

 むしろ、母国語の日本語よりできる。
 だって生きるために必死でこっちの言葉を覚えたもん。頭の中で考える時もこっちの言語でできるようになってしまった今では、日本語を使うことはめったにない。
 そもそも、十歳でこっちに落ちてしまった私の日本語の語彙は少なかったから、今ではこっちの言語のほうが流暢になるのも仕方がないよ。

 それはともかく、何もわからなかった七年前は不安でたまらなかった。ただでさえ見知らぬ場所にいるのに、言葉が通じないから意思疎通もできない。あれは恐怖だった。
 だから、言葉が通じなくて困っているお兄さんのことが、なんとなく放っておけない。

 私は自分からお兄さんのそばに寄っていった。それに気がついた彼は驚いたみたいだけど、すぐに口を開く。外国語って、どこの言葉なんだろう。

「Excuse me.」

 ……ん? エクスキューズミー?
 え、それ聞き覚えがある。英語、だよね? ものすっごい不安げで弱々しくて泣きそうで、でも必死な声でしゃべってるのは、英語だよね!?

 固まった私に、英語を口にしたその人は縋りつくかのように言葉を重ねた。

「Where am I?」

 どうしよう聞き間違いじゃない! 英語だ! これは英語だ! 紛れもなく英語だ! ここで聞くはずのない言語だ! でもどうしようなんて言ったのかわからない。

 繰り返すけど、私がこっちに来たのは十歳の頃だ。まだ小学生だ。
 英会話教室に行っていた友達や、英語の子供番組とかを見ていたことや、ESS部に入っていたお姉ちゃんが家でも英語使って慣れる練習している姿を見ていたから、少しは会話文や単語は覚えている気がするけど、理解できるわけじゃない。

 心臓がバックバクしているけど、勇気を出してお兄さんを正面から見た。見て、理解した。
 服装に違和感を覚えたのは、この世界の服装ではなかったからだ。ズボンにTシャツっていう服装はまるっきり異質というわけではないけど、そのズボンがジーパンで、靴がスニーカーなのは変だ。ジーパンもスニーカーも、この世界にはない。
 それは、つまり。

「地球の人だ……」

 ぽろっと久しぶりに日本語がこぼれた。
 だって地球の人だ! 七年ぶりに会う地球の人だよ!!

 金髪と青い瞳だから、こっちの人とそこまで姿形に違和感はないんだけど、言語と服装は違和感ありだ。
 ってか英語を喋る人でよかったね。イタリア語とかフランス語なら、聞いても地球の言葉だってわからなかったかもしれない。

 お兄さんは泣きそうになっている。
 私が反射的にこぼした日本語への反応がないということは、日本語はわからないのかな。じゃあ、なけなしの英語を使うしかない。

「えーっと、ジャパニーズ!」

 自分を指さしてそう言えば、お兄さんは「Japanese!?」と叫んでからなんかいろいろ言っていた。
 でもあいにく私には聞きとれない。時折聞いたことがあるような単語が聞こえるけど、さっぱりわからない。

「ノー、イングリッシュ」

 とりあえず英語はわからないよって主張してみたら、お兄さんは激しく落胆してその場に崩れ落ちる。
 ああ、やっぱり状況わかってなさそうだな。英語は通じなくても、同じ世界の人間がここにいるだけで素晴らしい偶然なんだよ。私の時は一人っきりで、優しい夫婦に拾ってもらわなきゃ野垂れ死んでたよ。

 ここ、実は地球じゃない別の世界なんだよね。
 最初こそ昔のヨーロッパにタイムスリップしたのかと思ったけど、文字はアルファベットじゃないし、見せてくれる地図には聞いたことがある国がひとつもないし形も違うし、あぁここって地球じゃないんだって半年後くらいに理解した。

 そっか、私も半年経たないと理解できなかったっけ。じゃあお兄さんがわかってないのも仕方がないか。
 理解した時は、薄々感じていたこととはいえすっごくショックだったなぁ。お兄さんにはここは地球じゃない別の世界ですって言うべき? 最初に言ったほうが、ダメージ少ないかしら。

 ってかそもそも、別の世界とかってどう英語で伝えればいいんだろう。わかんない。
 地球、地球って英語でなんだ。ワールド? ワールドは世界か。なんかアニメや漫画のタイトルで見たことがあるんだけどな。えーっと、えーっと、なんだっけ。

「ノー、アース」

 しばらく考えたらアースって言葉が出てきたのがうれしくて、気がつけば口に出していた。もうちょっと地球じゃないってことを言うべきか考えるつもりだったんだけど、やっちゃった。やっちゃったものは仕方がない。

「Say what?」

 お兄さんはものすっごく困惑した顔をした。不審なものを見る目で見てきた。
 ああそっか。地球じゃないよっていきなり言われても、ショックを受ける以前に戸惑うよね。むしろ目の前の私の頭がおかしいんじゃないかと疑うよね。

 しばらく見つめ合ったままお互い沈黙したけど、お兄さんのほうが復活早かった。大げさな身振り手振りで何かを怒涛のように訴えて、私に詰め寄る。
 ごめんなさい、やっぱり何を言っているかサッパリわからない。

 ……まさか別の世界にきて七年後に、ここまで切実に英語ができればと思うことになるなんて思わなかった。
 人生ってホントわからないもんだね。





 あのまま道で問答をしていても埒があかないし、暗くなったら私が危ない。だからとりあえず家まで連れてきた。

 女一人暮らしの家に不用心だとは思うけど、仕方ない。
 ただの迷子や外国人ってだけなら信頼できる知り合いに頼るけど、彼は地球の人だ。ここに来たばかりの大混乱中の人だ。二人で話をしたいなぁって思うわけよ。
 ……どちらにせよ言葉が通じないけど。うーん、どうしよう。

 私の事情を知っているファルマン夫妻が居てくれたら頼ったんだけどな。私を拾って、言葉を教えこの世界で生きる術を与えてくれた二人がこの町を出て二年が経った。

 旦那のアルさんが教師で、別の街にある学校に赴任することになったから、夫婦で引っ越ししちゃったんだよね。
 私も一緒に行くかって聞かれたけど、この町で仕事をしてようやく一人暮らしにも慣れはじめた頃だったから、丁重にお断りしてここに残った。せっかく二人が生きる術を与えてくれたんだから、いつまでも頼ってちゃ駄目だしね。

 そんなわけで、ファルマン夫婦には頼れない。後々報告はするけど、今すぐは無理だ。
 なら私が責任をもってお兄さんの面倒を見よう。かつて私が二人に助けてもらったように、同じ境遇のお兄さんを助けたい。

「どうぞ。入って」

 言葉は伝わらなくても、ドアを開いて仕草で促せば伝わる。彼は私と家の中を見比べてから、「Thanks.」と言って入ってくれた。
 靴のまま入ることへの躊躇いが一切ないところが、文化の違いだな。家の中で靴を脱がないことに慣れるまで、私はしばらく時間かかったんだけど。日本人の私と違って、彼のほうがこっちに馴染むのは早いと思う。

「シット」

 椅子を叩いて促してみた。座ってってこれであってるよね? 友達がわんこに向かってそう言っていた記憶がある。ちゃんとわんこもお座りしてたし、きっとお座りって意味だと思う。
 なんだかすごい変な顔をされたから間違っているかもしれないけど、私の仕草で言いたいことは伝わったらしく、大人しく椅子に座ってくれた。

 とりあえず飲み物を用意してから、私も向かいに座る。
 やっぱ最初は自己紹介だよね。

「マイネーム、ユカ」
「YUKA?」
「ユー、ネーム」
「CHRIS.」
「クリス?」
「YES.」

 よーし、とりあえず名前はわかった。クリスね。こっちの世界にも普通にある名前だから覚えやすくてよかった!
 私の頭は、こっちの言葉を死に物狂いで覚えただけでパンパンなのよ。悪いけど英語がこれ以上頭に入る余裕はほとんどない。日本語すらぼんやりしてきたからね。
 だからクリスもがんばってこっちの言葉を覚えてください。知ってる単語くらいなら英語で教えてあげるから。

 そういえばクリスは何歳なんだろう。年上っぽく見えるけど、どうなのかしら。聞いてみたいけど、年齢って英語でなんて言うんだ?
 わかんないし、紙に17って書いて自分を指さした。これで言いたいことはわかるだろう。紙とペンを差し出すと、クリスは20って書く。やっぱりお兄さんだったか。

 名前と年齢がわかったところで、次はどうすればいいかな。私がアルさんに拾われて保護された時、何をしてもらったっけ?
 あの時はお互いに私が別の世界の人間だなんて知らなかったし、単純に外国人の子供が迷子になったって思われて、ぎゅうって奥さんのエミリアさんに抱きしめられたはずだ。
 じゃあ私もクリスを抱きしめる? いやいやさすがにそれはない。

「えっと、ホーム、ステイ」

 しばらくここに住んでいいよって伝えたくてそう言えば、なんとかファミリーメンバーって聞かれた。ファミリーメンバーってことは、他の家族はってことかしら。

「ワン。ノー、ファミリー」

 ものすごく困った顔をされた。女一人暮らしのところに住めっていうのが引っかかるのかな? 紳士だなぁ。
 確かに男女のことだしそういう心配はあるんだけど、いくらなんでも右も左もわからない状態で保護をしようとしている私を襲ったりしないんじゃないかな?

 まぁ、最低限の対策として寝室に鍵があるしさ。
 安い部屋を借りているけど、寝室は必ず独立した一部屋をとる文化があるから、最低でも台所と居間と寝室がきっちりある。
 あくまで私の住む町が平和で生活水準が安定しているからっていうのもあるけどね。
 ファルマン夫妻のおかげで最低限の収入がある仕事に就けたし、困った時にお世話になれる人とも知り合えた。この部屋の大家さんもファルマン夫妻の友人だから、何かと気にかけてくれてありがたいよ。

 大家さんには、明日にでもクリスを一時的に住まわせることを報告しておかないとな。……説明どうしよう。

 ともかく、寝室はちゃんとある。鍵もある。じゃあ寝室で私が寝て、居間でクリスが寝ればいいよね。ソファーを寝床にしておくれ。
 だからクリスが状況を把握するまではここに住めばいい。もう一部屋借りられるような収入はないしね。

「あ、そうだ地図持ってくるね」

 伝わらないとわかっていても、一応声をかけてから席を立つ。私の勉強用でもあった地図と、文字が違うことが伝わるよう本も見せよう。寝室からそれらを持ってくると、テーブルに広げた。
 クリスは黙って地図と本を見つめる。そして、戸惑いを浮かべて私を見る。
 しばらくテーブルの上と私を見比べてから、ちょっと泣きそうな顔をした。だよね。意味がわからなくて泣きそうになるよね。

「リアル」

 これが現実だよって意味で言ってから、そういえばもうひとつわかりやすいものがあったと、クリスを窓に引っ張っていった。
 窓を開いて、夜空を指さす。素直に空を見上げたクリスは、「OH MY GOT.」と呟いた。

 クリスの視線の先には、二つの月がある。
 そう、二つなんだよね。同じ大きさの二つの月が寄り添って、闇を照らしている。

 こっちの神話では、姉神である太陽のように世界を照らすことができない双子の妹神が、せめて姉が休んでいる間くらいは二神で力を合わせてほのかにでも闇を照らそうとがんばっているということになっている。
 二つの月はここが地球じゃないんだと実感させる怖いものであるけど、その神話を聞いてからはちょっと好きになった。がんばり屋さんの双子月には、恐怖よりも微笑ましさを感じたい。

 クリスの視線が、私に戻った。そして何かを言おうと口を開いて、――グッと閉じた。

 きっとクリスは何かを言いたかった。聞きたかった。でも、言葉が通じないからやめたんだろう。私も何度も言葉を飲み込んで、一人で泣いたもんな。伝わらないのに吐き出す言葉は、とても虚しくてつらい。

 だから私はクリスの手を握った。エミリアさんがしてくれたように抱きしめることはできないけど、手を握ることはできる。
 人の体温って、安心するんだよ。七年前、私はそれを実感した。

 私の行動にクリスは驚いたようだけど、ぎゅっと私の手を握り返してくれた。





 翌日、出勤前にクリスのことを大家さんに報告した。

 大家であるレティアさんは、アルさんのお姉さんで、町を出たアルさん達に変わって私の保護者代わりをしてくれている人だ。
 さすがに彼女に隠してクリスを部屋に住まわせることはできない。心配されてしまう。

 昔の私と同じ境遇の、言葉もこっちの文化もわからない迷子の外国の人を保護したと、アルさんとエミリアさんに受けた恩を返すためにもしばらくは私が彼の面倒を見たいのだと、戸惑うクリスを横に座らせて切々と訴えた。
 ファルマン夫妻を除けば、私が異世界の人間だと知っている人はいない。だから当然レティアさんも知らないし、どこの誰ともわからない怪しい男を部屋に住まわせようとする十七の娘の話に、素直に頷いてくれるわけはなかった。

「あなたが彼を気にする気持ちはわかるけど、正体不明の男を若い女の子の部屋に住まわせることに許可なんてできないわ。十歳だったあなたとは違うのよ?」

 正論だ。私は彼が異世界の人間だと確信できるけど、レティアさんにとっては正体不明の外国人だ。しかももういい年をした青年だ。十歳だった私への警戒心はそこまでなかったけど、クリスの場合はそうもいかない。

「私には、ほんの少しですけど彼の言葉がわかるんです。彼の国のことを知っています。だから、お願いします」
「でもねぇ……」

 レティアさんは難しい顔をしたけど、私は繰り返しお願いして渋々と認めてもらった。
 クリスが行く場所がないのは本当だし、言葉が伝わらないとしても少しは単語が理解できたり、事情がわかっているらしい私がいるなら、教会や警備隊に預けてもまた私のところに協力要請がくるだろうって思ったんだろう。
 とりあえず警備隊に連絡は入れるように言われたので、仕事帰りに詰所に寄ろう。

「ではクリス、アイ ビジネス。ユー ハウス」

 微妙な顔をされてしまった。ハウスは失礼だったかな。まぁでも伝わればいいか。
 あ、忘れてた。お昼ごはんのことをレティアさんに頼まないと。

「申し訳ないんですが、クリスのお昼ごはんを用意してもらっていいですか? まだお手洗いの使い方と飲み物の場所しか教えられていないんです。あさっての休みに細かいことは教えるので、今日と明日のお昼だけお願いします」
「そのくらいいいわよ」
「ありがとうございます。クリス、ランチ」

 ランチと言いながらティアラさんを指させば、意味がわかったのか頷いてくれた。よし。

「それじゃあいってきまーす」

 いつも家を出る時間より少し過ぎちゃったけど、走れば間に合う。
 手を振ってくれるクリスの不安げな表情に、昔の自分を思い出した。



   ***



 結論を言おう。クリスは社交性が半端ない。

 私の休みがくる前に、身振り手振りでレティアさんと意思疎通を測り仲良くなるばかりか、アパートの他の住人とも仲良くなっていた。
 ようやく明日は休みだーと仕事から帰ってきた私が見たものは、一階の部屋に住むロディスさんとお酒を飲んでいるクリスだったから驚きだ。お互い自分の言葉でしゃべって話なんて通じてないだろうに楽しそうにしてたよ。

 休みの間に調理場の使い方や町の案内と一緒に市場での買い方やらなんやといろいろ教えてみたけど、だいたいのことはわかってくれたらしくて、私やアパートの住人と共に何度か出かけた後は一人でも行けるようになっていた。
 私が一人で出歩けるようになるまでに一年近くかかったはずなのに、クリスはたったの二週間で達成できていた衝撃は大きい。

 言葉だって、一ヶ月が過ぎた頃には単語や挨拶だけながらも話すようになった。
 通じなくても英語でまくし立てたり、身振り手振りでがんばったり、簡単な英語でなんとか私くらいには伝わるよう工夫してみたりしながらも、こっちの言葉を積極的に覚えて口にしているクリスは、意思疎通も言葉の覚えも格段にはやかった。

 当時十歳だった私と二十歳のクリスの違いか、それとも頭の出来の違いなのかと思わず考えたけど、言葉が通じなくてもとりあえず話しかけて体当たりしてみる性格の違いが一番大きな原因だろう。
 最初は言葉が通じなくて泣きそうになっていたくせに、立ち直りはやいな。

 ……と昨日までは思ってました。

 クリスとの共同生活にもすっかり慣れたある日、就寝のあいさつをして寝室に入ってしばらくしたら、突然クリスがドアを乱暴にたたいて私を呼んだ。
 ガチャガチャとドアノブを回されて、若干怖かったよ。鍵かけているとはいえ、あんな乱暴に扱われたら壊れそうじゃん。
 というか、私が寝室にこもった後に声をかけてくること自体が珍しいな。こんな乱暴なのは初めて。

「ユカ、photoみた!?」

 フォトってなんだろう。なにか探してるのかな。
 よくわからないけど、なんだか声が泣きそうだからとりあえず鍵を外してドアを開く。そしたら声通りに、半泣きで焦るクリスがいた。

「どうしたの?」
「ない、photoない!」
「何がないの?」
「ph……、これ!」

 単語が通じなかったせいか、クリスは顔の前で何かの仕草をした。顔の前に指で長方形を作って、人差し指が何かを押すような――、ああ、カメラ! フォトってあれか、写真か!

 ものがわかったところで、クリスと一緒に部屋の中を捜索しはじめた。
 買い物から戻ってきた時は確かに持っていて、それから家から出ていないらしい。なら家のどこかに落ちているはずだ。
 台所のあたりをクリスが探しはじめたから、私はクリスが寝床にしているソファーの周辺を探す。床に這いつくばって、ソファーや棚の隙間もじっくりと見た。
 だって、あんな必死になっているクリスとか、出会った初日くらいしか見てないんだよ。だから、なくした写真はよっぽど大事なものなんだろうし、這いつくばってでも見つけてあげたい。

「あ、あった! あったよクリス!」
「!?」

 棚と床の隙間に滑り落ちていた写真を、台所から飛んできたクリスがなぜか握りしめていたフォークを隙間につっこんで引っ張り出す。埃も一緒に引っ張り出しちゃったけどね。

 写真から丁寧に埃をはらって無事を確認したクリスは、その場にへたりこんで「ありがとう」と泣いた。
 ってか泣いたよ。泣きそうな顔は何度か見たけど、目の前で泣かれたのは初めてだ。今更だけど、今までは私の前で泣くの我慢してたんだね。

「その人達は、クリスの家族?」

 見つかった安堵で泣いてしまうくらい大切らしい写真には、中年の男女とクリスが映っていた。

「そう、かぞく」

 泣きながらも、クリスは柔らかく笑う。
 家族、か。そうだよね、家族がいるよね。明るく積極的にこっちの生活に馴染もうとしていたから、なんとなく元の世界への未練とか少ないのかなって思うこともあったけど、家族の写真を大切にしているなら、きっと恋しいんだろう。帰りたいんだろう。
 そんな当たり前のことを、改めて認識した。

 私だってこっちに来た当初は、帰りたい家族に会いたいと泣いてばかりだったけど、今となっては家族の顔すらあいまいにしか思い出せないし、懐かしくはあるけど気持ちはだいぶ遠くなってしまった。
 だから、クリスが家族を恋しがる気持ちが少しうらやましい。

「よかったら、家族の話をしてくれない?」

 ねだったら、うれしそうに写真を指差しながら、家族の話をしてくれる。
 お父さんは先生でおもしろい話をたくさんしてくれて、お母さんはテディベア作りが大好きで家には自作のテディベアがたくさんいるらしい。
 私が理解できたのはそのくらい。

 クリスは、話している途中で完全に英語のみになった。
 私がわかるように身振り手振りを加えることもなく、知っている言葉はこっちの言葉にしてくれることもなく、私がわかる英単語を探してくれるわけでもなく、ただペラペラと英語で話し続ける。

 たぶん、私が理解できなくてもいいんだろう。自分の言葉で、好きなように話をしたいだけ。
 私も昔、そんなことをしていた覚えがある。話を理解してほしいわけじゃなくて、自分の思うことを全部口にしたい衝動に駆られることがあった。不自由な言葉じゃ、伝えようとしても全部思ったままのことは伝えられないし、けっこう負担なんだよね。だからたまに、理解されなくても全部吐き出したいんだよ。

 そんな時ファルマン夫妻は黙ってそばにいてくれたなぁと思い出しながら、早口でまったく理解できない英語に耳を傾けているうちに寝てしまった。



   ***



 クリスは、英語で日記を書いている。

 どうしてそんなことを知っているのかといえば、私の目の前で日記をつけることもよくあるからだ。
 私が英語読めないことクリスもわかってるから、遠慮なく目の前で書くんだろう。筆記体だからよけいにわからないし。

「練習のためにもこっちの言葉で書けばいいんじゃない?」

 そう言ってみたたら練習用にもう一冊ノートを用意して愛用するようになったけど、英語の日記は続けていた。

「ユカは日記、Japaneseで書かないの?」

 どんどん上達していく言葉に感心しながらも、私は「書かない」と返した。
 正直、諦めてこっちの言葉を本気で学びはじめた頃から、日本語で話すこと自体がほとんどないし、書くことはもっとない。というより、日本語を書くくらいならこっちの言葉を書いて覚えていた。
 その結果、漢字ばかりかひらがなやカタカナすらあやしい。自分の名前くらいはちゃんと書けるけど、ちゃんとした文章は難しいと思う。
 それくらい、日本語よりもこっちの言葉に親しんでしまった。

「わすれたら、こまる」

 すでにもうほとんど忘れている。忘れているけど、困らない。だって帰れやしないんだから。
 帰れないままでいる私が目の前にいるというのに、クリスは自分の世界に帰れると思っているんだろうか。まだ帰れるという希望を抱いていられる月日しか経っていないのかもしれないけど、はやく諦めてしまわないと辛いだけだよ。
 そんなこと、言えないけどさ。

 まぁクリスが来てからは、お互いの意思疎通のためにも日本語を使うことがある。私が一部の英単語を知っているように、クリスだって一部の日本語の単語を知っているみたいだったし。

 ってかさ、日本語とこっちの言葉じゃ発音の仕方が違うから、日本語を使うと違和感を覚えるようになってることに気がついちゃったんだよね。どれだけ日本語が遠くなってるんだろう。
 必死だったから、仕方ないんだけど。生きていくためにこっちの言葉を覚えることのほうが大切で、日本語は意識的に口にしなくなったからなぁ。

 こっちの言葉を習得した今なら、日本語を話したり書いたりしても困ることはないのかもしれない。だけど、使い道のない日本語を覚え続けることに意味があるんだろうか。
 思い出にしがみついたって、悲しいだけだ。

 さらさらと英語で日記を書くクリスを見るのが嫌になって、「もう寝るね」と寝室に引っ込んだ。



   ***



 こっちの生活に慣れて仕事もはじめたクリスは、同じアパートの別の部屋を借りることになった。
 いい加減ソファーで寝るのは嫌だろうし、引っ越しの話が出た時は「部屋余っててよかったねぇ」と笑顔で送り出そうとしたけど、なぜか私も一緒に引っ越すことになっていた。

「え、なんで私まで引っ越すの? ここで十分なんだけど」
「俺、一人で部屋借りるのはまだムリ。二人で家賃だしたらユカの負担は今より軽くなって一人一部屋になる」

 ああ、家族向けの部屋ね。そっちは確かに寝室がふたつ作れるね。ならクリスもソファーじゃなくてベッドで寝れるし自室もできるからうれしいだろうね。家賃自体は高くなっても、二人で出したら確かに今までより私の負担は軽くなる。
 というか、ホント言葉の上達はやくて驚くわ。そんな説明もちゃんとできるんだね。昔の私との違いに嫉妬しちゃう。

「ソファーはかわいそうだけど、でもなぁ」

 同じアパートだし、環境が大きく変わるわけじゃないからそこまで困るわけじゃないけど、正直引っ越しって面倒くさい。
 第一、いつまでも年頃の男女が一緒に暮らしてていいのだろうか。今のところ身の危険を感じたことがないけど、アパートの住人達からは恋人認定されている。このままじゃ好きな人ができた時、お互い困るんじゃないかな。私は今のところ恋の予感はないけど。

「……まだ、ユカが一緒じゃないといやだ」

 ちょっと拗ねたように言われてしまった。拗ねたというより、不安を表に出すことが恥ずかしいからそういう顔しているのかな。
 ともあれ、まだこっちに来て一年弱のクリスにとっては、事情の知っている私がそばにいないことは不安だろう。私は二年くらい一人で眠れなくて、夫妻の寝室にお邪魔していた。今から思えば、とんだおじゃま虫だ。

 成人しているうえ、普段は明るくて積極的なクリスが不安がって甘えを見せるのは変な感じだけど、一緒に寝てと言われるわけじゃないんだし、元の世界のことが思い出になって諦めがつくまで、一緒に暮らすくらいはいいかな。

 そう思って了承した次の休みの日には、さっそく新しい部屋の掃除と荷物の大移動を行った。最初は二人でしてたけど、気が付いた住人達が手伝ってくれたおかげでけっこうすぐにすんだからありがたい。
 後でお礼代わりに料理を差し入れしようと思う。ちなみに私よりクリスのほうが料理の腕がよくて悔しい。

「引っ越し祝いに、なにか食べに行く?」
「俺が作る」

 クリスが働き始める前は家事はやってもらっていたけど、今はさすがに分担だ。今夜はクリスが料理当番の日だけど、引っ越しで疲れたし二人で食べに出たほうがいいだろうなぁって思って提案したのに、クリス自身が却下した。

「作ってくれるならうれしいけど、疲れてない?」
「疲れてない。ユカ、休んでていいよ。できたら呼ぶ」
「そう? じゃあよろしくー」

 お言葉に甘えて、寝室に引っ込んで少し横になろう。同じアパート内でも荷物移動は体力持ってかれたもんなぁ。クリスは元気だね。

 そう思ったけど、思った以上に疲れていたらしく、休んでいた居間のソファーから立ち上がれなかった。
 だって、今までこのソファーはクリスのベッド代りだったけど、今は本来の役割に戻って共用のソファーになったし。私がここでちょっと休んでうたた寝してもいいと思うんだ。






 歌が聞こえる。懐かしい旋律に、胸が温かくなる。
 脳裏に浮かび上がるのは、舞台で演技するお姉ちゃんの姿。ああ、これは中学生のお姉ちゃんがESS部でやっていた劇の様子だな。たしか、全部英語でやってて意味が分からなかったけど、歌がたくさんで楽しかった記憶がある。
 なんて劇だったかな。一家に新しく来た女の人が、子供たちと楽しく歌っているやつ。日本語の歌詞なら幼稚園や小学校でも歌ったなぁ。
 でも、いま聞こえてくるのはお姉ちゃん達が歌ってた歌詞。だから、英語かな。じゃあクリスが歌ってる?

 意識が浮上して、目を覚ました。ああそうだ、ソファーでうたた寝していたんだった。

「あ、起きた? そろそろできる」

 歌うのをやめて、クリスが声をかけてくる。そういえばいい匂いもしている。ぐぅっとお腹が鳴った。

「その歌、なつかしいね」
「歌? ああ、ユカも知ってるんだ」
「学校で歌ったことあるし、お姉ちゃんがその劇してた」

 そういえば家でも練習してたなぁ。そのくせ英語の歌詞はさっぱり覚えてないけど、理解できてなかったらそんなもんか。まだ小さかったしね。

「お姉さんがいた?」
「うん、四つ年上のね」

 そういえば、クリスに向こうでの私のことってあんまり話してないな。
 こっちに十歳できてからのことは、同じ境遇のクリスの参考になるかと思っていろいろ話したけど、日本で暮らしていた私のことは家族構成すら言ってないのか。

 クリスは私にいろいろ話してくれたけど、漠然としか理解できていない。十歳まで日本で暮らしただけの私には、他国のことも発達しまくった技術による生活の変化も、うまくイメージできなかったんだよね。
 だから、クリスが話したいように話をすることは止めないけど、私はそこまで熱心な聞き役じゃない。

 そもそも、もう帰れやしない世界のことを知っても意味がないと感じてしまうんだ。

「Japaneseで歌える?」
「少しくらいなら覚えてるかな」
「じゃあ歌おう!」
「え?」

 突然のお誘いに、びっくりした。でもびっくりしている間にクリスは英語で歌いはじめて、私も勢いにのまれて日本語歌詞で一緒に歌い始める。
 歌詞を忘れてしまったこところは、ラララ~や手拍子で誤魔化しながらも歌いきると、続けて別の歌をクリスは歌う。私も知っている限りは日本語で付き合った。

「ユカは他にJapaneseの歌おぼえてる?」
「童謡や校歌くらいしか覚えてないから、クリスの知らない歌ばかりだよ」
「それでもいいから、歌ってユカ」

 笑顔で促されて、そのままのノリで思いついたものをいくつか歌う。
 そしたら、いつの間にか私は泣いていた。

「え、あれ?」

 どうして泣いているかがわからなくて、歌うのをやめて乱暴に涙をぬぐう。

「ちゃんとおぼえてるんだね」

 優しく言われて、ハッとした。そうだ、私が日本語で歌を歌うなんて、こっちに来てから初めてかもしれない。
 だって日本語で歌ったら恋しくて帰りたくてたまらなくなると幼心にもわかっていたし、こっちの言葉を真剣に覚えはじめた後は日本語を積極的に使おうなんてこれっぽちも思ってなかった。だから、歌おうなんて思ったことなかった。
 なのにクリスにつられていろいろ歌ったし、しかもきっかけはお姉ちゃんが歌っていた曲からはじまったから、記憶が刺激されて懐かしくなって泣いちゃうわ。

「……そうだね、覚えてるもんなんだね」

 忘れてしまってかまわないと思っていたのに、忘れていなかったことがうれしかった。



   ***



 クリスと出会ってから、あっという間に三年が経った。
 いまだに二人で暮らしているけど、関係は変化した。恋人を飛びこえて、夫婦になってるんだから驚きだよね。
 恋人期間はないに等しかった。告白とプロポーズが一緒だったし。

 そう、クリスから結婚しようって言われたんだよね。
 ずっと一緒にいたから私もクリスのことを好きになっていたけど、今も英語で日記を書いたり、英語の歌を歌ったり、なにかと元の世界のことを話したりしているクリスを見ていたら、まだ諦めきれなくて、こっちに腰を据える覚悟はできてないんだろうなぁと思っていたから、私は告白しなかった。
 私をというか、こっちの世界で恋人とか作るってことは、元の世界との決別ができてないと難しいもんでしょ?

 なのにプロポーズ。恋人どころか、夫婦になろうなんて、完全にこっちに腰を据える覚悟がないとできない発言だと思うのに、クリスは堂々と言ってきた。

「もう諦めたの?」
「あきらめる? なにを」
「元の世界へに帰ること」
「方法があるのか?」
「私は見つけてないし、諦めたから探してもない」
「じゃあいい。ないものにしがみつくより、ユカと一緒になりたい」
「英語で日記書いたりも、やめるの?」
「なぜ?」
「え、未練にならない?」
「ならない。故郷は俺にとって大切だし、忘れるよりは覚えていたいから」

 忘れるより覚えていたい。それは私とは違う考え方だった。だって、私はどうせ帰れないなら覚えていても意味ない、つらいって思ってるもんなぁ。
 第一、すでにほとんど忘れてしまったことだから、取り戻すことはできない。

 夫婦になって寝室が一緒になってからも、クリスはずっと英語の日記を続けてる。それを見て不安になるのは、私。
 忘れないクリスは、いつか元の世界に帰れるんじゃないかって思ってしまう。帰れやしないと誰よりもわかっているくせに、なんて馬鹿な不安を感じるんだろうね。

「ユカも何か書けばいいのに」
「もう忘れちゃったし」
「書いてたら、思い出すかもしれないだろ?」
「でも、」
「俺もユカが生まれた国のこと知りたいんだ」

 不安を正直に話したら、クリスはそう言ってちょっとお高いノートとペンをプレゼントしてくれた。

 受け取ったところで、すぐに日本語を書いてみることなんてできなかった。
 英語で日記を書くクリスの前で、もらったノートを睨み付けることが数日続き、恐る恐るペンを手に取って「あいうえお」とひらがなを書いた時には、思わず泣いたんだから笑っちゃう。
 泣いた私をクリスはいい子いい子するみたいに撫でてきて、なんだか非常に情けなかった。

 練習でひらがなとカタカナを五十音順に延々と書き続けていたら、ひどく子供っぽい不格好な字もマシになってきた。カタカナは一部覚えてなかったけど、必死に記憶を漁ったら奇跡的にそれらしい字が書けてホッとした。漢字はほとんど覚えていなかったけど、自分の名前はもちろん、一部の簡単な漢字くらいは思い出せた。
 でもそこでショックだったことは、両親の下の名前をさっぱり覚えてないことに気が付いたことだ。姉の名前はちゃんと書ける。でも、両親の下の名前なんて気にしたことなかったから覚えてなかった。なんて親不孝者なんだと本気でへこんだよ。
 二十歳でこっちに来たクリスは、当然のように自分の両親の名前を憶えている。しかも例の家族写真があるから、私みたいに顔すらおぼろげになるわけじゃないし。うらやましい。

 書くだけじゃなくて、言葉も少しづつ日本語を使う時が増えた。クリスと出会ってからは昔よりは増えていたとはいえ、意思疎通の試行錯誤の中で使用していただけだ。
 でも今は、クリスが日本語を教えてと言って私にしゃべるようお願いしてくる。あいさつとかそういう簡単な言葉ばかりだけど、クリスが日本語で「おはよう」「おやすみ」「いってらっしゃい」「おかえり」とか言ってくれるだけでなんだか胸が満たされた。だからお礼に、私も英語であいさつする日もある。

 日本にいた頃していた遊びも、クリスと一緒にすることがあった。じゃんけんとかあっちむいてほいとかそういうのだけど、意外と楽しかった。クリスも簡単なゲームを教えてくれた。

 そうやって、クリスとの生活は日本にいた頃の記憶を呼び戻した。
 ここで生きるんだと必死になって遠ざけて薄れていったものは、もう取り返しがつかないと思っていた。なのにクリスは、まだ大丈夫だとばかりに記憶を引き寄せてくれる。
 きっとそれは、クリスだって忘れたくないから。国は違えど、同じ地球の人間と話すことで、鮮やかによみがえるものがあるからこそ私を誘うのだろう。

「……傷を舐めあっているだけな気がする」
「え、ユカは俺のこと好きじゃないのか?」
「いや好きだし居心地いいけど、こんなんでいいのかな」
「いいだろ。ユカがいるから、こっちでがんばろうって思えるんだし」
「そういうもん?」
「そういうもん」

 そもそも、クリスは昔の私みたいに泣き叫んだり八つ当たりしたりしてなかったのは、私みたいな年下の女の子に拾われて、あんまり感情のままに行動することは情けないだろと我慢したらしい。
 その結果、私に迷惑かけないようになるべくはやく自分で状況を把握して生活できるようになるために、積極的に周囲へとコミュニケーションをとっていたみたいだ。男の意地って良い面に働くんだね。
 でも不安は不安だったから、同じ境遇らしい私のそばにいたかったという。新しく部屋借りて一緒に引っ越そうと提案した当時は、恋愛感情じゃなかったと白状した。わかってたけど、ちょっと複雑。そりゃあ同じ地球の人ってだけでだいぶ心強いって気持ちはわかるから、当時同じように恋愛感情なかった私も了承したんだけどね。
 そうこうしているうちに私のこと好きになって、もう帰れないんだと受け入れてここで暮らす決意をしたらしい。どの時期にそんなこと決意したかなんて、私にはさっぱりわからなかったよ。

「でもさ、クリスにはじめて会った時、地球の人拾ったと思ったけど、正確には未来の旦那さんを拾ったってことだよね。いい拾い物したなぁ」
「じゃあ俺は未来の奥さんに拾われたってことか? こっちの世界に来たのはユカに出会うためとか、運命だな」
「同じ地球に生きてたんだから、どうせ出会うなら地球がよかった」
「国も違うし、あっちじゃ出会ってないだろ」
「そうだけどさぁ」

 あのまま日本にいる自分を想像してみるけど、お姉ちゃんはESS部入るくらいに英語に興味持ってたし、たぶん留学とかしてるかもしれないから、それ経由で出会う可能性はあったんじゃないかなぁ。
 もうあり得ないたられば妄想だけど、クリスのおかげで向こうのことを思い描くことが苦痛じゃなくなった今だからこそできるんだと思えば、暖かな気持ちになれる。

 忘れたくないと言ったクリスのおかげで、忘れたいと遠ざけたものにもう一度手を伸ばすことができた。もう取り返しのつかない消えた記憶もあるけれど、思い出せることだって、まだまだ十分たくさんあったんだ。

 それが、とてもうれしい。

「あのねクリス」
「ん?」
「ありがとう」





 END.

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