最近、変な病が流行っているようですが
*BLっぽい場面もありますが、BLではありません。
*軽いノリのコメディです。
*後書き追記しました(2015/9/17)
青空が広がるすがすがしい朝。学園に向かう前に、もう一度確認。私は広い玄関ホールにでんと置いてある、自分の背よりも高い金色の鏡を覗き込んだ。
――両こめかみの辺りの髪を三つ編みにして、後ろで束ね、紺色のリボンでくくっている私の姿が鏡に映る。さらさらと肩に落ちる黒髪は、くせ一つない。さらさらしすぎてまとまらない、と言ったら『レティは贅沢よ!』とマチルダに怒られたっけ。ワンピースドレスは深い紺色でシンプルな形だけど、侯爵家の人間に相応しい最高級の絹織物を使用している。パブスリーブの袖に、きゅっと締まったウエスト部分。くるりとターンしてみると、ひざ丈のスカートがふわんと揺れ、白いレースのペチコートがちらと見えた。
「――レティ様。少々お耳に入れたい事が」
ぬっと私の後ろに黒い影が立った。私は振り返って、黒ずくめのスーツを着た眼鏡の男を見上げた。
「あら、セバスチャン。何かしら? もう馬車に乗らないといけないのだけれど」
明日は、王立魔法学園の卒業記念パーティ。三年生の先輩方を送り出す準備のために、今日二年生は早めに集合する事になっていた。クラスの副委員長である私が、遅刻するわけにはいかないもの。
「……レティ様は、ここ最近他国の王宮で騒動が起こっている事はご存知ですよね」
私は目を丸くした。セバスチャンの顔は至極真面目だった。愛想はないし、無駄に美形よね、セバスチャンは。
「……ええ。ランウェール王国の話なら、お父様から伺ったわ」
アリステーラ王国とも国交があったランウェール王国で、王太子を巻き込んだ騒ぎがあったと聞いたのは十日ほど前の事。
「なんでも、ランス王太子様が真実の愛とか何かに目覚めて、婚約者である公爵令嬢とのご婚約を破棄、名もない平民の娘を妃にお迎えになられたのよね」
セバスチャンが重々しく頷いた。
「宰相の娘である公爵令嬢との婚約を、父王にも無断で破棄されてしまい……王と宰相、双方の怒りを買われてしまったのですよ」
「そうでしょうねえ……王族の方の婚約なんて、家と家との決め事ですもの」
私はふむふむと頷いた。それぐらい、王太子様ならご理解されていたでしょうに。ランス様は聡明で、次期王としてふさわしい方って評判だったのに、案外うっかり屋さんだったのかしら。
「……結局、ランス王子は王太子の座を剥奪され、弟であるミカエル王子が王太子となられる事で決着がつきました。婚約破棄された公爵令嬢は、そのままミカエル新王太子のご婚約者になられたそうですよ」
「元王太子様は真実の愛を貫き、新王太子様は地位と婚約者を手に入れた。ある意味ハッピーエンド? なのかしら」
はあ、とセバスチャンが溜息をつき、残念そうな目付きで私を見下ろした。
「レティ様は頭が弱すぎます。王太子の突然の交代は、政権に大きな影響を及ぼします。貴族の勢力図も塗り替えられたでしょうし、王宮内は大騒ぎになったはずです。幸いランウェールは、大事にならないうちに収拾しましたが……」
眼鏡越しの鋭い視線が、私を真っ直ぐに射抜く。思わず息を呑んだ私に、セバスチャンの低い声が聞こえた。
「ここ最近、このような騒動があちらこちらの国で起きています。中には、騒ぎに乗じた国賊に押し入られ、王政が倒された国もあるのですよ」
「まあ」
私は眉を顰めた。国の大元である王宮が荒れれば、国全体が荒れてしまう。そうなれば、一番被害に遭うのは何の罪もない民たちになる。そんな事はあってはならない。
「これは極秘情報ですが……この騒ぎには共通点がございます。まず第一に、騒動の大半は、王族や有力貴族の子女が通う学園で起こっている事。第二に、高貴なご子息が身分の低い娘に骨抜きになっている事。そして第三に、行動がおかしくなるのは男性に限られている事。そして……」
ちら、と私を見る目が何だか気に障るわね。本当、セバスチャンは執事にしては生意気なんだから。まあ、その分恐ろしく優秀で、この若さでヴェリアス侯爵家を一手に取り仕切っているのですもの。文句は言えないわ。
「……レティ様のような容姿の、高位貴族の姫君が、槍玉に挙げられたあげく、学園追放や婚約破棄といった憂き目に遭わされている事、です」
「私のような?」
私はもう一度鏡を見た。ちょっと釣り目気味の紫の瞳。まつ毛はそこそこ長い。唇には何も塗っていないけれど、薔薇色で可愛いってお父様は褒めて下さるわ。
「そこそこ整った顔立ちだとは思うのだけれど。絶世の美女と謳われた、お母様には負けるけれどね」
「……つまりですね」
眼鏡を押し上げながら、セバスチャンが言った。
「レティ様のような、ちょっときつそうな顔立ちの令嬢が狙われているのですよ。皆の前で身に覚えのない罪で糾弾されて、ご実家が没落、路頭に迷って身売されたご令嬢もいらっしゃったそうですから」
「きつそうなって」
さりげなく失礼よね。私はぷくっと頬を膨らませてセバスチャンを睨んだ。
「レティ様」
セバスチャンの瞳がぎらりと光る。
「まだ未確定ではありますが、どうやらこの騒ぎには、未知の病が関係しているようです」
「病ですって?」
「ええ。他の国で同じ現象が起こった時、とある薬草を偶然飲んだ男だけが正気だった、との噂が。現在、その薬を取り寄せておりますが……」
もしそれが本当なら大変だわ。未知の病なんてものが、流行りでもしたら……。セバスチャンは頷き、ポケットから私に何かを差し出した。
「学園ではこれをお付けください。少しでも感染を防ぐためです」
私はセバスチャンからマスクを受け取り、口と鼻を覆うように掛けた。
「十分にお気をつけて下さい。レディ様にもそのようにお伝えしましたが」
セバスチャンの瞳が一瞬揺らいだ。
「『判った』と一言おっしゃっただけで、もう学園に行かれました」
「レディが?」
レディは私の双子の片割れ。委員の私よりも早く登校するなんて……どうしたのかしら。
「判ったわ、セバスチャン。ちゃんと気を付けるから。明日の卒業パーティー、何としても成功させなくてはならないもの……では、行ってくるわね」
「いってらっしゃいませ」
そうよ、騒ぎとか病とかにかまけている暇はないわ。私はぐっと両手を握り締め、深々と頭を下げたセバスチャンの前を通り、彫刻がほどこされた扉を開けた。朝日の中、大理石の階段を下りて、私は待っていた黒塗りの馬車に乗り込んだのだった。
***
きらきらと輝く、大きなシャンデリア。テラスに続く大きな窓の傍には、白い陶器の壺。明日届く大きな花束を飾る予定。部屋のあちらこちらで、リボンや垂れ幕を飾る二年生がいた。私は椅子の上に立ち、白いサテンのリボンを壁に取り付けようとしていた――その時。
「……レティ=ヴェリアス。話がある」
私は、張りつめた声に動きを止めた。振り返ると、そこには十名ぐらいの男子生徒と女子生徒が一名。その中心は……。私は椅子から降りてマスクを外し、ドレスの裾を持ち上げて頭を下げた。
「ごきげんよう、アーウィン王太子殿下。申し訳ございませんが、只今明日の卒業パーティーの準備中ですの。これが終わってからでよろしいでしょうか?」
アーウィン殿下は、青い瞳を私に向けた。その視線は鋭く、口元は不機嫌そうに歪んでいた。刺繍のほどこされたチョッキにズボン、瞳と同じ色のタイを結んだ殿下は、正に『王子様』だった。見事なブロンドの髪が、ホールの灯りを受けてきらきらと輝いている。
「いや、今でなければならない」
「そうですの? では……」
私は壁際で作業をしていた他の方々にリボンを渡して後をお願いし、殿下の前へと歩み寄った。私の視線は、殿下の左腕にぶら下がっている女子生徒に釘付けになった。
「貴女は……確かアリサ=ギュンター男爵令嬢でしたわね? ごきげんよう」
アリサは驚いたように目を見張った後、こくりと頷いた。金色のふわふわ巻き毛に翡翠色の瞳。薄いピンク色のドレス。砂糖菓子のような外見の女の子。アリサの噂は――聞いた事があった。成績優秀で、男子生徒からの人気も高い、と。
「……白々しい。知らぬフリをするとは」
ぼそっと殿下の後ろで声がした。ゆるくウェーブしたブラウンの髪に金色の瞳を持つ長身の男子生徒が、私を憎々し気に睨んでいた。
「ごきげんよう、アベル様。私が何か?」
私はそう言いながら、殿下とアリサの後ろの人たちを一通り見た。三年生ばかりではなく、一年生も二年生もいる。宰相のご子息であるアベル様に、王宮騎士団隊長のご子息カイル様。他にも名だたる貴族のご子息がずらずらと……あら?
(さっき……セバスチャンが言ってたのに似てる……?)
――王族や有力貴族の子女が通う学園で起こっている事。高貴なご子息が身分の低い娘に骨抜きになっている事。行動がおかしくなるのは男性に限られている事……
そこまで考えを巡らせていた私は、あんぐりと口を開けた。
「……レディ? そんなところで何をしてるの?」
白のチョッキにズボン、青いタイ。私と同じ真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに結んでいるレディは、こちらから見て殿下の左横に出てきた。レディが、冷静な紫の目で私を見る。
「私は殿下の傍にいる。当然だろう」
「ま、まあ……そうよね」
レディはパッと見は細身だけど剣の達人で、よく殿下と二人で剣の稽古を受けていた。そう言えば、『最近、殿下が稽古に来なくなって……』って愚痴ってなかったっけ?
ごほん、とわざとらしい咳払いが聞こえ、私は慌てて殿下に視線を戻した。あら? 殿下の目付き……何だか、ヘン……。
「……レティ=ヴェリアス。私はお前との婚約を破棄する事をここで宣言する」
「は?」
私の目が点になった瞬間だった……。
***
婚約を破棄? 私は小首をかしげて殿下を見上げた。長身の殿下は、不機嫌な表情でも美形だったけれど……何かが、ひっかかって。
「あの、殿下。婚約は殿下のお気持ちだけでは解消出来ませんわ。そのような事、陛下も父も許さないでしょうし」
お父様が怒ったら、それはそれは怖いんだから。殿下だってご存じでしょう。私は溜息を洩らして、ぐるりと周囲を見渡して言葉を続けた。
「それにこのような人目に付く場所で、突然婚約破棄だなんて。殿下らしくありませんわ」
そう。殿下はいつだって冷静で、筋の通らない事がお嫌いだった。その殿下が、いきなり婚約解消をこんな公衆の面前で告げるなんて。ほら、さっきから何事かと皆がこちらを見てるじゃない。何かがおかしい、としか思えないわ。
(もしかして、これって……)
私の考えを遮るように、甲高い声がホールに響いた。
「私と殿下は、恋に落ちてしまったんです、レティ様! ですから、どうか殿下の事は諦めて下さいっ!」
「へ?」
さっきから、一言しか発せない私を多めに見ていただきたいわ。ええと、つまり……。「殿下とアリサ嬢が恋に落ちて……それで婚約破棄などとたわけた事をおっしゃった、という事ですか?」
「たわけた事だなんて! 私達は真剣なんです! それに、レティ様から受けた嫌がらせの数々……私、もう、耐えられなくて……っ!」
ううう、と大きな翡翠の瞳から、涙がぽろぽろと落ちた。両手に顔を埋めて泣き出した彼女に替わり、アベル様が私を睨みつけながら言った。
「お前は侯爵令嬢の地位を笠に着て、身分の低いアリサを貶めるような真似をした。スカートがナイフで切り裂かれていたり、教科書がぼろぼろに破かれていたり。昨日階段から突き落とされたアリサは、もう少しで大けがをするところだったんだぞ!」
そんなつまらない事をするほど、私暇人と思われていたのでしょうか。これでも副委員長の仕事を頑張って来たというのに。がっくりと肩を落としてしまいましたわ。
「そのような事、全く身に覚えがございませんが。何かのお間違えでは」
そう言いながらも、私はアベル様をじっと観察していた。アベル様の目も……どこかおかしい。焦点が合っていないというか、熱に浮かされたようなぼうっとした瞳だわ。
「目撃者がいるんだ、シラを切るのも大概にしろ!」
うん、おかしいわ。アベル様もこんな重大な事をこんな場で大声で叫んだりする方じゃない。もしかして、皆さんおかしいの?
(……レディは……)
ちらとレディを見る。何ら普段と変わりないように見える……けれど。
(仕方ないわねえ……)
私は溜息をついた。
「覚えのないものはないのです、としか言いようがありませんわ。それはそうと、殿下……」
殿下を真っ直ぐに見上げると、彼のこめかみがぴくり、と動いた。
「……本当に婚約破棄するおつもりですの? ヴェリアス侯爵家との繋がりも無視して? そしてなにより、この婚約は『殿下の方から是非に』と申し込まれた御縁ですのよ? 本当によろしいのですか?」
レディは無表情のまま、殿下を見つめていた。殿下の口元が僅かに震えているように、見えた。
「わ……たし、は」
殿下の言葉を遮るように、きんきんと高い声が響いた。
「嘘! 殿下を好きになった貴女が無理強いした婚約じゃない、レティ様!」
きっと顔を上げたアリサ嬢が私を睨んだ。私はもう一度溜息をついた。
「私はそのような事しておりません。それに、殿下が私に婚約破棄を申し出るなど、あり得ませんわ」
「ほう? えらく強気だな、ヴェリアス嬢。殿下のお心は、この可憐なアリサ嬢に奪われてしまわれたというのに……俺のように」
アベル様が、殿下の腕にしがみついているアリサ嬢を優しく見た。そのお姿には、やはり違和感を感じるわ。
「アベル様こそ、いつものアベル様ではございませんわ。殿下の事、お分かりではありませんの? 第一の側近候補ともあろうお方が?」
私はアリサ嬢を見返した。一見弱々しく見える彼女の表情の裏に、蠢く明確な悪意を感じた。
もう一度、私は殿下を見上げた。殿下の瞳が、どこか揺れた気がした。一同をぐるりと見渡してから、私ははっきりと皆に告げた。
「殿下が私に婚約破棄などあり得ません。何故なら――殿下と私は、そもそも婚約などしていないのですから」
辺りに静寂が落ちた――のは、ほんの一瞬だった。
「なっ、何を言ってるの!? 殿下がヴェリアス侯爵令嬢と婚約されている事は、陛下もお認めになった事実ではありませんか!」
立ち直りが早いわね、アリサ嬢は。
「そっ、そうだ! アリサのいう通り、殿下とお前との婚約は――」
「だ・か・ら。私ではない、と申し上げているでしょう? そうですよね、殿下?」
「う……あ……」
殿下が額に汗をかいていた。顔が真っ青。小刻みに手が震えている。アリサ嬢が殿下の腕を引っ張った。
「殿下!? しっかりなさって下さい! こんな嘘をつくなんて、やっぱりひどいお方なんですわ、貴女はっ!」
目を吊り上げたアリサ嬢の顔は、可憐という言葉が合わなくなってるわね。こちらが『本性』ってところかしら。私を睨むアリサ嬢をどうしようかしら、と考えていたら、目の前をすっと白い影が横切った。
「レディ?」
今まで黙っていたレディが、アリサの手を殿下の腕から引き離した。そして、殿下の前に立ち、震える両手を自分の両手で握り締めた。レディの落ち着いた声がした。
「……殿下が本当に婚約破棄されたいのであれば……父は私が説得いたしましょう。ですから、本当の事をおっしゃって下さい」
「あ……わた、しは、」
殿下の顔が苦悶に歪む。レディの瞳も辛そうな色をしていた。
「よいのです。もし殿下が……アリサ嬢をお好きだとおっしゃるのなら、私は……」
「い……」
「喜んで、この身を……」
「いやだあああああああああっ!」
殿下が思い切り叫んだかと思うと、ぎゅっとレディを自分の胸に抱き締めていた。レディは殿下の身体に腕を回し、ぴったりとしがみ付いている。
「いやだっ、離れるのは嫌だっ! 私は、そなたを離さないっ!」
「殿下……」
私も、と囁くレディの小さな声に、呆然としていたアリサ嬢が声を上げた。
「殿下っ!? どうして!?」
「殿下!?」
アベル様も悲鳴に近い声を上げた。私は一息ついてから、二人に話しかけた。
「……だから私ではない、と申し上げたではないですか」
「レ、レティ様!?」
アリサ嬢とアベル様に、私はゆっくりと話しかけた。もう、殿下とレディの事は放っておいても大丈夫よね。
「……殿下の婚約者はレディです。ほら、殿下だってレディの事離さないとおっしゃったじゃないですか」
くわっとアリサ嬢の瞳が見開かれた。
「なにそれ!? BL!? そんなの、あり得ない! だって、王族なのよ!? 同性同士なんて、認められる訳……」
「BLって……」
まだわからないのかしらねえ、と私は再度溜息をついた。
「ヴェリアス侯爵令嬢と殿下が婚約をした。これは周知の事実でしょう? そして婚約者はレディだった。この二つから導き出される答えは、たった一つ……」
「ま、さか」
アベル様の顔も蒼白だった。
「レディ、が……侯爵令嬢!? 女なのかっ!?」
「はい、そうですわ」
よく出来ました。ぱちぱちと私は拍手をした。アベル様が私に食って掛かってきた。
「ちょっと待て! ヴェリアス侯爵家には男女の双子が生まれた、というのも嘘なのか!?」
「あら、それも本当ですわよ?」
ほほほ、と笑う私の前で、アリサ嬢とアベル様の顔色がどんどん悪くなっていく。
「――レティ様。いい加減にされたらどうですか。そろそろ種明かしを」
あら、いいところだったのに。私が振り返るといつの間にやらセバスチャンが立っていた。黒いスーツに白いシャツ、銀縁眼鏡のセバスチャンは、悔しいけれど、このホール内で一番の色男よねえ。
「おっ、おまっ、おまえっ……!」
ふるふる震える人差し指でこちらを指したアベル様に、私は思い切りウィンクを返した。
「……レディはレディアーナ=ヴェリアス、私はレティール=ヴェリアス。ヴェリアス侯爵令息が私ですわ」
「男の娘っ!? おかま!? オネェ!?」
えらく失礼な言葉が聞こえたけれど、無視ね、無視。
「お前っ、今までその姿で謀ってきたのかっ!」
「あらアベル様、失礼な。校則には『男性がドレスを着てはならない』などという条項はございません事よ? この姿はあくまで趣味ですから」
だって、女の子の方が服装可愛いんだもの。レディは剣に興味があって、ドレスは嫌だっていうし、ねえ。ちょうど良かったっていうだけなのに。
「大体、殿下が愛せる女性はレディただ一人なのですよ? 元々男性がお好きで……レディに出会って、やっと女性を愛する事が出来たっておっしゃってたんですから」
あ、アベル様が泡吹いて倒れた。さっとセバスチャンが動いて、見事に支えきったわ。さすが、敏腕執事ね。そっと床にアベル様を寝かせたセバスチャンは、立ち上がって呆然としているアリサ嬢を冷たく見下ろした。
「……アリサ=ギュンター男爵令嬢。貴女は私と共に来ていただきます」
ぱちん、とセバスチャンが指を鳴らすと、わらわらと兵士がホールに踏み込んできた。真っ青になったアリサ嬢をぐるりと取り囲むように、兵士が立つ。セバスチャンが、ゆっくりとアリサ嬢に言った。
「貴女は、異国から持ち込んだ『薬』……いえ、正確には『病』で、ここにいる男子生徒を操り、国家転覆を謀った罪に問われています。もちろん、貴女のお父上もね」
「なっ、なんですって!? 一体貴方……!」
「さ、言い訳は牢の中で聞かせて頂きましょうか。貴女のお仲間も次々と捕縛されている事ですし……」
セバスチャンが目くばせすると、兵士たちは頷き、アリサ嬢を後ろ手に縛り上げた。それと同時に、男子生徒たちも次々と取り押さえられていく。
「アリサを離せっ!」「何をするっ」
「どうしてよ!? 逆ハ―目指してたたけなのに! 国家なんてそんなもの、知らないわよっ!」
きーきーとわめく団体が引っ立てられていき……ようやくホールに静けさが戻って来た。あーあ、バレちゃったじゃない。私は溜息をついた。
「レティ様、これを」
セバスチャンが上着のポケットから、茶色の小瓶を私に手渡した。
「これが中和剤です。ようやく開発できました。これを殿下に」
「あら。でもねえ……」
私はちらと殿下達を見た。二人っきりの世界にはまり込んでいる、見た目美少年が抱き合っている図。暫く放っておこう。お騒がせしたサービスカットって訳で。
「殿下はレディを想うあまり『病』に打ち勝ったのだから、本当にレディを愛しているのね。良かったわ、殿下のお気持ちも確認できて」
「相変わらずですね、レティ様は」
セバスチャンが苦笑した。
「さ、時間がないわ。セバスチャン、貴方も手伝いなさい! 明日のパーティーは盛り上げるわよっ!」
「……承知いたしました、レティ様」
深々と優雅に頭を下げたセバスチャンと共に、私は目を丸くしたまま絶句している他生徒に再び指示を出し……ようやく、時間がまた動き出したのだった。
***
「……と言う訳で、全てを白状しましたよ、アリサ嬢は」
「ふうん……」
卒業パーティーも無事に終わった、週末の午後。私はヴェリアス邸自慢の薔薇園で、優雅な午後のティータイムを楽しんでいた。ホールの出来栄えの素晴らしさに、頑張った甲斐があったと感動したわ。そうそう、昨日着た白のドレスも皆綺麗だって褒めてくれていたわね。今着ている薔薇色のドレスもお気に入りだけど、あのドレスも大好き。殿下はといえば、白地に金の刺繍をした軍服姿でパートナーにこれまた軍服姿のレディを選んで……美少年二人が踊る姿に、女子生徒達が被りついていたわねえ……。
こぽこぽと赤いお茶が白いカップに注がれる。薔薇の香りがふわんとした。私は一口飲んで、ふうと息を吐いた。
「美味しい。さすがね、セバスチャン」
「ありがとうございます、レティ様」
セバスチャンは頭を下げた後、ポットを銀のワゴンの上に置いた。私はもう一口飲んでからカップを置き、セバスチャンを見上げた。
「結局……あの一連の騒動は『病気』が原因だったの?」
「はい、そう言っても差し支えないでしょうね。正確には、『異世界から持ち込まれた細菌が出す物質』が原因です」
セバスチャンは顔色一つ変えず、冷静に話し続けた。
「その細菌は、体内に入るとある物質を合成します……それはこの世界での『媚薬』『幻覚剤』に近い作用があり、細菌に感染した人間は、感染後最初に命令した人間の考えを刷り込まれてしまう……」
セバスチャンは、私の顔をまじまじと見た。
「しかも細菌が死なないうちは、ずっとその物質を合成し続ける……媚薬の効き目は一日から三日で切れますが、こちらは半永久的に人間を支配できてしまうのです」
「まあ……恐ろしい菌ね。どうしてその菌が原因だって判ったの?」
私の質問に、セバスチャンが眼鏡を右手で掛けなおした。
「この世界のいたるところで、似たような騒動が起き出したのが発端です。元々魔力に満ちたこの世界は、他次元との穴が開きやすく、異世界人が訪れる事も珍しくはありませんでした。異世界人は、この世界とは異なる文化・技術を持っており、この世界の発展に貢献する事が多かったのですが、その力の扱い方を間違えると、この世界に混乱を招いてしまいます。ですから異世界人を見つけた場合、保護機関であるアーデル教会に申し出て、異世界人がこの世界の理を学ぶ手助けをする事になったのですよ」
「……」
「異世界人の知識は管理され、不用意に世界を脅かさない……そのはず、でした。ところが、ここ数十年、異世界から魂だけ転生してくるケースが見受けられるようになりました」
「へえ」
「身体ごと異世界から来た場合は発見も容易かったのですが、身体はこの世界の人間、中身が異世界人というのは、見分ける事が困難です。本来であれば、国家レベルで管理すべき異世界人の知識が、この世界に漏れてしまう……それを恐れた教会は、異世界人を焙り出す専門組織を立ち上げました。それが……執事協会、です。大抵の貴族の屋敷には執事が派遣されておりますし、転生者は何故か貴族の家に生まれる事が多いので」
「……その名前を付けた人、センスないと思うわ……」
一気に嘘くさくなったわね。そう思いながらも、私は黙ってセバスチャンの言葉に耳を傾けた。
「ですが、転生者を見つけたからといって、全員捕縛する訳ではないのですよ。この世界の理と調和を守り、混乱をもたらさないよう気を付けている転生者であれば、そのまま報告だけで放置する事が多いですね。その程度の変化であれば、いい方向に向くことが多いですから」
それが、とセバスチャンの口元が歪んだ。歪んでも綺麗って、反則だと思うの。
「この十年というもの、様々な王宮を巡る騒動が多発するようになりました。そのどれもが、似たようなパターンで話が進んでいく。これは、と協会も調査に入りました」
「それで? 異世界人が絡んでるって判ったの?」
「ええ。たまたまその騒動に巻き込まれた執事がいましてね……風邪気味だった執事は、魔女からもらった風邪薬を飲んでいたらしいのです。その執事は、異世界の娘が入れてくれたお茶を飲んでも、何の変化も起こさなかった……他の男達が次々とその娘の言いなりになっていく中で」
「じゃあ……その風邪薬が」
あの小瓶の中身。セバスチャンが頷いた。
「そうです、この『病』の特効薬です。おそろしく不味いですがね。おそらくその『細菌』は、異世界では風邪の菌なのでしょう」
「じゃあ、レディもその薬を飲んでいたの? 全然効いてなかったじゃない」
セバスチャンの目が、残念な子を見る目に変わった。
「お忘れですか、レティ様。行動がおかしくなるのは男性に限られている、と申し上げたでしょう」
「あ」
そうか。レディは『女』だから、無事だったのね。あら、じゃあ私にマスクを渡したのも、そういう意味だったのかしら。そうよね、きっと。
「アリサ嬢はどうなるの?」
まあ、暫く外には出られないでしょうね、とセバスチャンが答えた。
「アリサ嬢は、『逆ハーレム教』という異世界の宗教に入信していたらしく、白状したアジトには、アリサ嬢によく似た考えの娘がごろごろ転がっていましたね。『ドS執事が来たわっ!』『どうしてヒロインになっちゃだめなのよ!?』『せっかく可愛くなれたのに!!』などと、訳の判らない事を叫んでいました」
「ドS……」
「彼女たちは修道院に入り、この世界での生き方について学んでいくでしょう。その中で、有益な情報や知識があれば、正しい形で活用されていくでしょうし」
セバスチャンが一瞬目を閉じ、そして開いた。私はセバスチャンの黒い瞳に視線を奪われた。
「……どうやって、異世界人を見分けるか、ご存知ですかレティ様?」
「? いいえ。だって見掛けはこの世界の人間なんでしょう?」
くすくすとセバスチャンが笑う。
「異世界人は成人の魂で生まれ変わる事が多く、幼い頃からやたらと大人びた子供になるのですよ。それに言葉の端々に、異世界の言葉を発する事が多いですしね……例えば、『BL』とか」
セバスチャンに覗き込まれて、私はにっこりと微笑み返した。
「……まあ、この程度なら見逃して差し上げますよ。今回大物捕り物に協力して下さいましたしね」
すっとセバスチャンが机の上に置いた物を見て、私は「あああっ!」と声を上げた。
「ないと思ったら! セバスチャンが持ってたの!?」
それは、表紙が濃い赤で、金色の文字が印刷された一冊の本。
「……俗名、『薄い本』。小説の挿絵ではなく、絵と台詞が同じ場所に描かれ、臨場感あふれる効果的な線や薄墨が多用されている。このような『作品』はまだこの世界にはございませんよ?」
私は諦め口調で言った。
「……『漫画』っていうのよ。それが仕事だったの」
しかも、BL専門。そうよ、腐女子だったのよ。それが美少年に生まれ変わっちゃうんだから……役得よね。思わず自分をモデルに描いちゃったわ。
「王宮内の貴腐人に大評判だそうですね。早く、殿下とレディ様ネタで描いて欲しい、と王妃様から言伝が」
「王妃様、お好きなのよね……まあ、BLな息子でも大丈夫みたいだから、これで良かったのかしらね」
私は目を閉じて、葉擦れの音を聞いた。さやさやと静かな音が、優しく音楽を奏でているように聞こえた。
「ねえ、セバスチャン?」
私はセバスチャンを見上げた。セバスチャンがにっこりと笑う。
「何でしょう、レティ様?」
「あのね……いつか、なんだけれど」
私は小声で、セバスチャンに囁いた。
――貴方をモデルに、鬼畜なドS執事とツンデレな王子様のお話が描きたいわ
そう言った私に、セバスチャンは「仕方ありませんね、特別ですよ?」と微笑んで頷いてくれたのだった。
*レティ=ヴェリアス 十七歳 ストレートな黒髪に紫色の瞳。一見美少女
*レディ=ヴェリアス 十七歳 ストレートな黒髪に紫色の瞳。一見美少年
*アーウィン王太子 十八歳 ブロンドに青い瞳 きらきら王子様
*セバスチャン ??歳 黒髪黒い瞳、銀縁眼鏡。スーパードS執事
ちなみに『セバスチャン』はコードネーム。本名、年齢
出自ともに不詳