六 ・ 犠牲と進展
『徹? 今どこにいるの?』
「あぁ、母さん、心配しないで。友達の家」
『そうなの?』
「ちょっと湖の近くで……涼しいから泊まって行けって誘われたんだ」
『まぁ……ちゃんとお礼は言うのよ』
「うん分かった。明日の朝には帰るよ」
『分かったわ。気を付けてね。お友達によろしく言っておいて頂戴』
「はい」
そして携帯は閉じられた………
いつの間に寝たのか。ベッドで目覚めた徹が携帯を見ると、阿莉奈を探しに行った日から、既に2日がたっていた……。
歌江が姿を消した事に、最初に気が付いたのは誇彦だった。
と言っても、一日の大半の時間が過ぎ去ったあとだったのだが。
誇彦から連絡があったのは、例のごとく翼の部屋に涼みに来ていた定と名鷹が、そろそろ帰ろうか、と相談していた時だった。
「……」
律儀にも同時に鳴り出した着信。メールの内容は至って簡単だった。
『歌江失踪』
簡潔過ぎて呆気にとられるほどだ。しかし、だんだんと状況を理解してきた翼は、ばっと顔を上げて定を見やる。
当の定は顎に手を当て、目を細めていた。
何を考えているのか分からない表情で思案し続ける彼は、何か文章を打ち返して、名鷹の手を握り、立ち上がる。
「今日の所は誇彦にまかせて、私達は大人しくしていよう。大丈夫。誇彦ならうまくやるさ」
満面の笑みを浮かべる定は、釘を刺すように言った。
「今日は家で大人しくしてるんだよ」
「だよ〜!」
兄の真似をして両腕をつきだした名鷹に、微笑みを向け、翼は頷く。
「分かりました。……でも、明日は」
「明日は、ちゃんと調べるよ」
玄関先まで送って、翼は定と名鷹に手を振る。
そして、また来てね、と言った。
次の日来たのは、大きな荷物を持った名鷹だけ……。
定からメールの返信が来てから、漸く一夜が明けた。誇彦は病院へ行かなければいけないところを、逆方向へ向かうバスに乗っていた。
目的地は閑静な住宅街。定は昨日、こう言ってきた。自分が阿莉奈を探すから、誇彦は歌江を探せ、と。
そして、徹の家の住所まで送りつけてきた。行け、と言うことだろう。
車内アナウンスで、目的のバス停が次だと分かった誇彦は、あげかけた右腕を下げる。この角度から上げても、上がりきらない右腕では届かない。
仕様がなく、軽く立ち上がってボタンを押した誇彦は、軽いその音を聞きながら、席に座り直す。
窓の外はいたって普通だ。夏の、静かな住宅街。
誇彦らが飲まれた、渦などには無関係に、穏やかだった。
他の家よりも、一回り大きな洒落た家。そこが徹の家だった。
「ごめんなさいね…徹、疲れてるみたいで」
「いえ。こちらこそ突然すみません」
通された居間で、輝く様なティーカップに注がれた紅茶を眺めながら誇彦は頭を下げる。
ずいぶん若い母親だ。若く見えるだけなんだろうか。
「そうそう、ねぇ、あなた……徹を昨日泊めてくれた人かしら?」
「……」
紅茶を口に運びかけていた手を止め、誇彦は静かに徹の母を見た。嘘を言う必要はない。微笑む彼女に、誇彦は小さく否定の為に首を振る。
「俺じゃなくて……歌江だと思います」
「あら、そうなの?」
「多分……それで、何処に泊まったか分かりますか?」
歌江が泊めた、と言ってしまった後に、誇彦は失敗した…と眉を潜めた。
まがりなりにも高校生。夏休みに男女で泊まりはないだろう、と。例え、歌江の家族と一緒であろうとも、説明するには少し苦しい。
だが、徹の母親は、誇彦の不安など気にせず、話を続ける。気付かなかったのか。
「場所は言ってなかったけれど……そう、湖の近くで涼しい所って」
「……そうですか」
湖と言われた瞬間、誇彦の右腕がフラッシュバックでもしたかの様に痛みだした。感触を思い出す様に、掌が握りこまれる。そこに彼女の腕がある、そう言いたさげに。
あの場所に。あの場所に、また戻るのか。全て、あの湖に。
「どうかしました?」
余りに長い時間誇彦が無言で居ることに不安を覚えたのか、顔を覗きこんだ彼女に、誇彦ははっとする。
「いえ。用事はこれだけですから……今日はすみませんでした」
「そんな事ないわ。また遊びに来てね……徹、あの日から元気がなくて」
「……失礼します」
力なく苦笑した徹の母親。誇彦はかける言葉を見付けられずに、深く礼をして玄関を開ける。
自分の家から出ていく誇彦の姿をぼんやりと眺めていた徹。彼の部屋は暗い。カーテンは閉め切られている訳ではないが、光を遮るには十分だ。
『ほら、あれが最後』
「……」
波紋が広がるように、頭で理解出来る声に、徹は反応を返す事はない。ただ聞いているだけだ。
言うなれば、目を開きながら寝ているような感覚。
今の徹には明確な意識はなかった。
『雨、降りそうだね』
その声に、徹はゆっくりと視線を空に向けただけだった。
その頃、定はとある古い貸屋の前に立っていた。黄色いテープで入り口を閉ざされた、そこを見つめる。
数週間前、小学一年生の少女とその父親が他殺体で発見された場所。
「美希……誕生日だったね」
しゃがんでテープに寄りかからせる様にして置かれたのは、白くて可愛らしい封筒を抱えたクマの人形。そのクマの頭を撫でて、定は微笑んだ。
「美希。美希には私の秘密、全てを教えてあげるよ。美希が見れなかった事も、全部全部……」
そう話しかけても、返ってくる声はない。
クマの人形は、一点を見つめて白い封筒を抱き締めるだけだから。
外には雨が降っていた。滝のように降る雨を眺めながら、徹は目を細める。雨の日は嫌いだ。
頭が痛くなる。
「徹? 入るわよ?」
ノックの後に入ってきた母親に、徹は意味もなく笑みを向けた。どのような顔をするべきか分からない。
相変わらず部屋は暗かったが、彼女は電気をつけようとはしなかった。徹が嫌がるのを知っていたから。
「今日、誇彦くんが遊びに来たのよ?」
「うん」
「昨日は歌江ちゃんと一緒だったの?」
「……え?」
分からなかった。昨日、誰と一緒で、何処にいたのか。ずっと悩んでいたけれど、分からなかった。
答えられずにいると、徹の携帯が鳴る。けれども母親は、それに関係なく話を進める。
メールを出してきたのは定だった。
「あのね、歌江ちゃんが一昨日からお家に帰ってきてないみたいなのよ」
『一昨日、私達と分かれてから、歌江が家に帰らないそうなんだが……』
耳に入る母親の声と、目で負うメールの文面。
「ねえ、徹」
『なぁ、徹』
奇妙な一致を見せるそれぞれに、徹は表情を作る余裕すら無くし、母親の顔を見る。
「昨日、本当に歌江ちゃんといたの?」
そして、携帯に視線を落とす。
『昨日はどこにいたんだ? 』
徹は直感した。自分は疑われているのだと。
思えばそうだ。阿莉奈と最後に会ったのは自分。疑われるに値する。
でも……と、徹は愕然とした。自分には、やっていないと否定する証拠がない。覚えていないから。
『……やってないって言いきれないよね。動機もあるし』
「……う」
波紋の言葉が胸に刺さる。
彼奴等サエ、邪魔シナケレバ
彼奴ガ、助ケテクレテレバ
彼奴等ガ 彼奴ガ
動機はある。でも、でも……。
ふと見た窓ガラス。雨に打たれた自分がいた。叩くように降る雨の中、窓ガラスに映る徹は、笑っていた。
楽しそうに、満面の笑みを浮かべ。
「うわあぁぁぁっ!!」
「きゃあぁっ!?」
ガラスが砕け散る音。血が滲んだ右の手。
だが徹は、痛みを感じていない。
次に目に入ったのは、テレビの画面。それに映った自分も笑っていた。
自分が、自分を見て嘲っている。気持ちが悪い。
止めようとする母親を振りはらって、徹はテレビを持ち上げて、重力にまかせ床にたたき付ける。画面は粉々だ。
更に、徹は見付けてしまった。自分を映すもの。
半開きになっていたクローゼットの鏡。一番大きな物。
『壊すの? 鏡を割ったって、僕は……』
「うるさい!」
声にお構い無しに鏡を殴りつけた徹は、それでは足りない、と言わんばかりに、思いきり蹴りを入れる。
足元に散らばるガラス片。傷付き続ける徹に、ついに母親が後ろから抱きつくようにして止める。
「徹! どうしちゃったの!?」
悲鳴じみた声に、徹は動きを止め、カクンと両膝を付く。
本当に、自分はどうしてしまったんだろう。
声の事を母親に話そうかと思った。しかし、それは瞬時に却下される。
疑われているのに。本当の子供かどうかも怪しいのに。
「……翼…翼くんなら……」
信じてくれるだろうか。
「徹っ!!」
「……ねぇ、母さん」
ふらっと立ち上がった息子を追い、その腕を掴んだ母親に、徹は問掛けた。後ろは振り向かずに。
「僕は母さんの息子なの……?」
「何言ってるの! 私の息子に決まってるじゃない!」
「そう……か」
「……弟だっているのよ」
ぴく、と徹が動きを止める。弟?
「今は一緒に暮らしてないわ。……まだ、二歳」
「二歳……?」
そんな馬鹿な。全然気が付かなかった。どうして気が付かなかったんだ。なぜ……?
「私は、貴方に嘘をついたのよ。出張に行くって言って、那由子ちゃんのお家にあずけた」
「……なゆこ」
「貴方に言えなかったの! 私は再婚しようとしていた事も、弟が出来た事も……言う前に、その人も死んでしまったから!」
母さんに愛されたら死ぬんだろうか、と検討違い奈事を考えながら、もう半分で徹は違うことを考えていた。
考えるほどに、その通りだと思う。僕はもう、いらない。
「徹!」
ついに玄関まで来てしまった。懇親の力で止めようとするする母親に、徹は軽く微笑んだ。
そして呆気にとられた彼女に追い討ちをかける。
「弟がいるなら、僕がいなくたって寂しくはないよね」
力が抜けてしまった母親の腕からすり抜け、徹は家を出た。
どしゃ降りの雨。濡れることなど、気にせずに。
「せっ、先輩!?」
「翼くん……翼くんは、僕を疑ってる?」
「は? 何の話しですか? それよりもびしょ濡れじゃないですか! 入ってくださ………わあぁっ!? 先輩、血が!」
早口で引っ張ったり戸を閉めたり、タオルを持ってきて叫んだり。
常と同じ翼様子に、徹は表情を緩める。
「お茶飲んでてください。暖まりますよ。……僕は父さんの服、借りてきますから」
リビングに引きずってきて、適当にガーゼをテーピングで止めた手と足。
指先で湯飲みを持つようにして、徹は肩から力を抜く。
「先輩、これ着てください。多分、父さん着ないんで」
タンスの奥ふかくに眠っていた、青いパジャマ。一度も使った様子がない。
が、それでも翼はいいと言った。
「じゃぁ、ありがとう…」
影へ行って着替えた徹は、戻ってきた後、直ぐに、傷を包帯で巻かれた。
「……何したんですか、先輩」
「……僕は」
急にずきずきと痛みだした手と足の傷。そして、溢れて来たのは涙だった。
急にだ。痛みと共に、同じ様に痛んだ心。
裏切られたと思っているのかもしれない。疑われた事を、裏切りだと思ったのかもしれない。いや、かもしれない、ではない。
裏切られたと思っている。
「僕じゃない……」
「先輩」
「僕じゃ……」
信じてくれなかった周囲。唯一、疑ってすらいないのが翼だ。
翼は今日一日、名鷹の相手をしていて、家から出ていなかった。
「先輩、分かりましたから」
「何で、定も誇彦も母さんも……」
「先輩」
「……、僕を…信じてよ」
その言葉に、翼がなんと答えたのか。
階段の踊り場にしゃがみこんで聞いていた名鷹には聞こえなかった。
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