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絆2 〜因縁編〜
作:秋之



四 ・ 行方不明


「こんにちは!」


約束の通り、片岡家を訪れた定は、小さな男の子を連れてきていた。


「小六になった、うちの弟だよ」

「あぁ、昨日の……」

「春日野 名鷹かすがや なたかっていいます! よろしくお願いしますっ!」


ぱっと花が咲くような笑顔でペコリと頭を下げた名鷹は、あちこちに絆創膏やガーゼを当てている。ヤンチャな男の子、というだけではないようだ。


「……馬鹿なんだよ、うちの母は」


その視線に気付いてか、定は笑う。翼も曖昧に笑いかえし、定と名鷹を招き入れた。

昨日と同じく、冷えた麦茶とクーラーのきいた部屋で、翼と定、名鷹はのんびりと過ごす。特に何もない部屋ではあるが、退屈はしなかった。


「あ、宿題の答え持ってきたよ。……多分これでいいはず」

「やった!」


涼みながら、定は思い出して鞄をあさる。そして中から薄い紙の冊子を取りだし、翼に手渡す。その冊子の表紙には『夏季問題集回答編』と簡素に書かれていた。

受け取った翼は満面の笑みを浮かべながら、問題集の上におく。


「駄目なんだ〜!」


パラパラと翼の漫画本をめくっていた名鷹が、指をさして言う。小さい子は存外善悪に敏感だ。少し融通はきかないが。


「大きくなれば分かるよ」

「……?」


定に頭を撫でられ、不満そうな表情の名鷹。

その場面は、とてもほのぼのと円満な兄弟にしか見えない。

死に別れや離婚、虐待などがあったなんて信じられない。ましてや、妹と、別れた父親すら死んだなどとは。この光景からは信じられるものではない。


「君は考え事をすると、黙りこくってしまうタイプなんだねぇ」

「あ、すみません……」

「いや、いいんだよ。ただ、ギャンブラーにはなれないなって」


そもそもなろうとも思わない。

なぜその話に飛んだのかが不明だった。

相変わらず本棚の漫画本をペラペラめくっている名鷹を見やってから、定は数秒目をつむり、溜め息を着く。


「漫画みたいに、土壇場の奇跡があれば、踏み外してもやり直せるんだろうね」

「……」


しん、となった空白を埋めるように、風鈴がなった。

定の言葉に、翼のみならず、名鷹すら手を止め彼を見る。名鷹の静かな目は、人をゾッとさせるほど真っ直ぐだった。


「踏み外しても、やり直せるなら、もう少し頑張ろうと思えるって…そう思わないかい?」


定の笑顔が痛かった。本当に光でもさしてきそうな優しい笑顔。

諦めのような潔過ぎる笑顔。


「……何の話?」


くっ、と首を捻った名鷹に、定は笑う。笑いかけただけだ。

かける言葉もない。そんな感じの笑顔。


「変なの〜」


沈黙の後、飽きてしまったように目をそらした名鷹は、また黙々と漫画を読み始める。

少しの静寂の後、定が切り出した。


「ところで翼君。君、阿莉奈から連絡もらったかい?」

「え?」


その話題は唐突で、経緯の分からなかった翼は、キョトンとした反応しか出来なかった。

話を聞くと、夏休みに入ってから阿莉奈と連絡がつかないらしい。


「私は歌江から聞いたんだ。どうやら家にも帰ってないようだし」

「え…えぇ? 連絡なんてもらってませんけど? ていうか、家に帰ってないって……」


まさしく家出なのでは?

と翼は考えたが、それは違うらしい。


「終業式の前の日から、家に帰ってないらしい。部屋の物も、なに一つ減っていないようだし……家出にしてはおかしいと思うんだ」


そう言って、難しい表情をする定だが、家出を否定するのならば、後はどの選択肢が残るのだろうか。

家出ではないと言うことは、自発的ではないと言うことだ。

それは、乃ち……。


「え……誘拐ってことですか?」


最悪の事は考えない。考えただけでも、何かよくないことが起こりそうだ。

翼の言葉に、定は濁すような頷きを返す。確信は持てないようだ。


「あまり推測で言うのはよくない。けれども、その可能性は高いな」

「……探さなくていいんですか?」

「探すさ。明日の朝、部室に集合。今日は誇彦の都合が悪かったんだ」


楽観的に笑う定だが、誰かの都合で延期してもいい話ではない気がする。

納得のいかない表情で視線を下げる翼に、定は小さくため息をつき、けれども笑顔のままで言った。


「本当は今すぐにでも探しに行くべきだとは思うんだよ? けれどもね、翼君。考えてみたまえ。……阿莉奈が行方不明になったと言ったとき、君は口にしただろう。誘拐かもしれないと」

「まぁ…いいましたけれど」

「もしそれが本当なら、誇彦の存在は絶対なんだよ。全員の身の安全の為にもね」


そこで漸く、翼は定が何を言いたいのかを理解した。

もし、翼が言ったとおり、それが誘拐だったとしたら、相手はきっと自分らは敵わないだろう。けれども、それには例外がいる。

誇彦が、彼がたった一人存在するだけで、その定義は崩れるのだ。彼は今、片腕が使えないに等しい状態だが、そんなのは関係ない。言葉でいうなれば、本当に、そういう存在なのだ。


「まさか誘拐だとは思わないが……もしも、ということも考えておかないと。痛い目みるのは嫌だからね」


肩をすくめる定は、やはり楽観的だ。今、この瞬間ですら気が気でない翼とは大違い。


「……兄ぃ」

「ん?」


くすくすと笑っている定のシャツの裾を、本を置いた名鷹の手が引っ張った。笑顔のままで弟を見た定に、名鷹は一言。


「トイレ」


一瞬にして、翼の表情が崩れた。

シリアスな場面なのだというのに、幼い子供の反応といったらあまりに純粋なものだ。状況など気にしない一言に、翼は慌てながら名鷹をトイレへと連れてゆく。

それをほほ笑ましく見送りながら、定は一人、他人の部屋で溜息をついた。

手を水滴の滴るグラスに這わせて、落ちた水滴で適当な線を描く。風鈴が鳴って、そして風が吹いて、涼しい。


「それでも、僕は許したいんだよ。兄弟なんだから」


彼のつぶやきは誰に届くでもなく、そして届けられるようなものではない。

ただ彼は、ゆっくりと天井を向いて、あの幼い弟と、翼の背中を思い出していた。


「……君たちが兄弟だったらよかったのに」


当然、このつぶやきも、誰かに聞かれていいようなものではなかった。
















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