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絆2 〜因縁編〜
作:秋之



二 ・ 雨の日の葬式


頭が痛くて、僕は何も考えられなかった。

ガンガンと頭蓋骨を叩くような衝撃に、僕は必死に喪服を纏う。

今日は絶対に行かねばならない所があるからだ。

しかし、そんな日に限って雨になる。しかも雷でも鳴りそうな程の豪雨。

僕を拒絶し責める様な雨。

窓ガラスに映った僕は、まるで雨に打ちのめされているようだ。

泣いているような、酷い表情。

だから、試しに笑ってみる。

そしたら、とても綺麗に笑えた。

気が付いたときには、僕は僕の写りこんでいた窓ガラスを、そこにあったMDプレイヤーを投げつけて割ってしまった後だった。

慌てた様子で母が飛んできて、業者に連絡をとっている。

その間、僕は窓から吹き込み、フローリングを濡らす雨を眺めていた。

何も考えずに。


「徹、後はお母さんに任せて、下に行ってなさい」

「……うん」


僕に、全く似ていない母。

階段を怠惰的な足取りで下りながら、僕は想像してみる。

写真ですら見たことのない、父親の姿。父親似だという、僕の姿と重ねて、想像してみる。

写真も見たことはない。親類にもあったことはない。母には似ていない。

これは被害妄想だろうか。心配性なだけなんだろうか。

母と僕が家族だという証拠はない。

辛うじて、母の血液型がA型で、僕がO型であると言うことが、かなり怪しいが希望となっている。

一階の居間にいた僕の耳に、インターフォンの呼び出しが届く。

けれど僕は動かなかった。

結局母が応対し、僕の部屋に通す。


「徹、後は業者の方に任せて。那由子ちゃんに会いに行くんでしょ?」

「うん……でも…」

「いいのよ。この業者さんは信用できるわ」

「………うん」


むんずと僕の腕を掴んだ母の手にはダイヤの指輪。耳と首回りを飾るのは真珠。纏う衣服はブランド品ばかり。

車も外車で、しかも黒いベンツ。

そして僕のネクタイもYシャツもスーツもベルトも靴も、ハンカチだって、全部母のもの。

僕の意思なんてない。

そんなものに、興味はなかった。

ただ、彼女が気に入ってくれればそれでよかったから。


「ネクタイ曲がってない?」

「…大丈夫」

「じゃぁ、お母さんは帰るからね。迎えの時は呼びなさい」

「……うん」


葬式の場所。那由子の家に着き、僕は玄関に立ち尽くしていた。

綺麗に並べられた黒の靴。行き交う人も黒。僕も、黒。


「徹……」


名前を呼ばれて顔を上げると、定が立っていた。


「入らないのか?」


相変わらずの様子で、好こしばかり悲しく微笑む彼は、決して僕に『入れ』と強制はしなかった。

ただ僕が上がってくるのを待っている。

僕が緩慢とした動作で靴を脱ぎ、スリッパをはくのも、急かさずに黙ってみていた。


「皆、奥にいるよ」

「…うん」


ここで初めて定が僕の手を引いた。

定が歩く速度は決して速くはない。なのに、僕はついていくのがやっとだった。

僕は、明らかに現状から逃げようとしている。逃げたいと、思っている。

恐れているのは、自分でも分かっていた。

分かっていたけれど、逃げる訳にはいかない。逃げたら、僕は……。


「………」


棺なんて、必要ない。

けれど、そこに棺は在った。


「やめろ。徹」


棺についている、閉まった顔を覗く扉を開こうとした僕の手を、誇彦の左手がつかんで止める。

右の腕は、上着に袖を通していない。Yシャツを肩口まで上げて、包帯を巻いていた。

傷が塞がっていないのか、すこし赤黒くなっているところがある。


「……やめた方が、いい」


僕の腕を掴んだまま、更に一言、誇彦は言い足し、顔を伏せる。

気が付けば、歌江もそこにいた。泣き腫らした目は赤くなっていて、尚も悲しそうにうるんでいる。

何故か誰も居ない、この場所に、三人…いや四人だけがいた。

ハンカチを手にして、不安そうに僕を見る歌江。僕を引き留める誇彦。僕のやりたいように、ただ見ているだけの定。

そして、心配され、気遣われ、見守られていた、僕。


「あ、あの…阿莉奈ちゃんはね、今日は具合が悪いから、来られないの。……だから…徹くん、阿莉奈ちゃんのこと、怒らないで……ショックだったとおも――」


怒らないよ、僕は。


歌江を遮るようにして、僕は笑顔になった。とても綺麗に笑えていた事だろう。

かたかたと震えた歌江の手と心が余りにも痛々しくて、そうするしかなかったんだ。

傷付いてるのは僕だけじゃない。

皆、傷付いてるんだ。


「大丈夫。僕は、誰のことも怒ってないよ」


もう一度、笑う。

少しだけ、頭痛が治まったような気がする。

相変わらず、窓の外は雨。憂鬱には変わりはないけれど、それでも少し気分は晴れた。

……と、僕は一時的に勘違いしただけだったようだ。

それは、那由子を前にして、お坊さんがお経を読み初めてから大分経った頃のこと。

御焼香……というのだったか。

それが回ってきて、香の香りと共に、僕は息苦しさと目眩を感じて、きつく唇をかんだ。

今、席をはずしたくはない。

那由子にたむける言葉の羅列を、僕は聞いていなくてはならないから。

だから割れるように頭が痛もうともここまで来た。


「……徹。大丈夫か?」


座っていながらふらふらとしていた僕に、定が声をかけてくれた。

僕はなんとか苦笑して見せたけど、大丈夫なんて言い返せる状況ではない。

煙と香りの充満した部屋。香だけならまだしも、飾られた花の甘い香りも混ざり始める。

そして、低音で唱え続けられるお経。


「……っ」


ゆらゆらと上がる煙のように、僕の視界も揺れ始めた。お経が頭の中で、ぼやけるように反響する。

気持が悪くなってきた。

うつ向き加減になり、膝の上に置いた手を握り締める。

そして、目を瞑った時だった。



  カリッ



そんな音が聞こえた。

はっとして顔を上げるが、相変わらず視界は揺れ、お経も反響し続けている。

気のせいだと思い、またうつ向くと……



  カリカリッ



何かをひっかくような音が、嫌に鮮明に耳に着く。

それが何の音なのか、僕は分からなかった。

けれど。



  カリカリカリッ



その音の後に、小さくカタンと聞こえた瞬間、僕は見付けてしまった。

棺の蓋の隙間から覗く、白くて細い指を。


「……ぃっ!!」


叫びそうになったのを必死で堪えた。


「……どうした、徹? 徹?」


僕を気遣う定の声が頭の中で木霊する。その表情はゆらゆら歪んでわからない。

もう駄目だと思った。


「……ごめんっ」


呟いて、席を立つ。

外が雨だと言うことも忘れ、靴を足に引っ掛けて、バシャバシャと走る。

那由子の家の敷地からすら出て、アスファルトの地面を走り、小さな公園に着いた。

豪雨で既に全身ずぶ濡れの僕は、すとん、とブランコに腰かけて、小さく揺られる。

雨の冷たさも、少しの風も、気持よかった。


「ねぇ、お兄さん」

「?」


その声は前の方からした。

「お姉ちゃんの事、好きだった?」


お姉ちゃん?

僕と向かい合うようにして、傘をさした少年は笑っていた。

少し、怖い感じのする笑顔。

小学生の高学年位の彼は、傘の内側で笑う。


「お姉ちゃんの、どこが好きだった?」

「お姉ちゃん……?」

「お姉ちゃん」


そう言って、彼が指をさしたのは、那由子の家だった。

と、言うことは、だ。


「ごっ……」


思考を壊すような動揺に、口をついて言葉が出てきた。

言い訳。


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


ブランコから落ちるように降りて、僕は少年にひれ伏していた。

僕は、復讐されるだけの理由を持っている。

自分で伝えればよかった。僕が助けに行けばよかった。止める言葉など振り払えばよかった。

僕が、悪い。

そう。悪いのは全部僕なんだ。僕が、動かなかったから……。


「……どうして謝るの?」


少年が言った。

僕の前にしゃがみ込み、傘を自分と僕にかけるようにして。


笑った。



「どーして、謝るの?」


不思議そうに小首を傾げ、気持悪いほど、僕に顔を近付けて。


「ぼ……僕は…」

「お姉ちゃんのどこが好きだった? 笑顔? 泣き顔? 話方? 性格? 気遣い? 優しさ? 顔? 目? 髪?」

「……」


考え、あまねいている僕は、さぞ滑稽に見えたのだろう。

少年はただ笑って僕を見る。見て、微笑む。

傘に雨がボタボタと乱暴に当たる音が耳に痛い。ゆらゆらと揺れる視界に、僕はようやく気が付いた。

これは、目眩なんかではない。


「僕は……“那由子”が好きだったよ」


僕は、泣いていた。

ずっとずっと泣いていた。視界が歪んだんじゃない。僕が歪ませていたにすぎなかったんだ。


「……どうして泣いてるの?」


僕が最初の質問に答えたからだろうか。

少年は新たな質問を僕に投げ掛ける。


「だって…那由子が……」


顔を上げた僕は。

歪んだ視界の中で。

とても醜く、そしてはっきりとした笑顔を。


「死んじゃった? 自分のせいだと思ってるんだ?」


にぃっと、口が三日月型をつくる。こんな少年が、こんな表情をするなんて。


「自分で言えば良かった?制止は振り切って、自分が行けば助けられたのにって思ってる?」

「そ……それは…」

「あの時、阿莉奈に言わなければ」

「!」


少年は笑っていなかった。口だけがその形を作り、声を発している。


「あの時、歌江を突き飛ばしてでも、あそこに行っていたら」


みいるようにして、僕は呆然と少年を見つめる。


「誇彦に任せずに、自分が行けば、助けられたのに」


雨の音すら、僕は消した。


「それってさ、つまり…」


傘を片手に、立ち上がった少年は、僕を見下し、笑った。

麻痺した感覚で、僕は笑いを返す。

そして少年は、言った。


「皆いなかったら…おねぇちゃんは助けられたんだよね?」


一瞬、彼の言ったことが分からなかった。

皆いなければ? いなければ助けられた? なければ、助けられた。なければ良かったのは障害。障害は……皆?

伝言を伝えてくれなかった、阿莉奈。
僕を止めた、歌江。
那由子を助けられなかった、誇彦。
……定は? 彼はなにもしなかった。障害にはならなかった。

じゃぁ、障害は阿莉奈と歌江と誇彦。

障害がなかったら。あの三人がいなかったら……僕は那由子を。

助けられた。


「そうでしょう? そう思うよね?」


それでも、僕は頷けなかった。

だって過ぎたことは仕様がないじゃないか。今更、そんな事を言ったって。


「でも……もっと突き詰めてみたら? お兄さんがおねぇちゃんと会わなかったら、こんな思い……しなくてすんだよ。おねぇちゃんはがいなきゃ良かったんだ」


そう言われた瞬間、傘が中を舞った。

豪雨に打たれながら、ふわりと舞う傘は、泥の上に転がり落ちる。

僕は、那由子の存在を否定されて、思わず少年の傘を……少年を殴っていた。

自分の暴力に、自分で驚いている。

けれど、好こしばかり頬に触れた少年は、笑うばかりだ。


「お兄さんはおねぇちゃんが何で死んだと思ってる?」


「事故に決まって…る、だろ」


歯切れの悪い僕。

僕は、どこかで疑っていたのだ。そして、それが本当ならば、僕は。


「事故…かな? 本当に? ねぇ、お兄さんもそう思ってるんでしょ?」

「思ってない……!」

「思ってるよ」

「なんで、そんな事、分かるんだっ!」


聞かなきゃ、良かった。

聞くんじゃ、なかった。


「おねぇちゃんが教えてくれたもん」


雨に濡れた髪の合間から、僕を射抜くような目が、笑った口で言った。


「……ね、おねぇちゃん?」


雨の音が変わった。形が変わった。

後ろに、誰かいるような気配がする。気のせいか。気のせいだ。そんなはずないじゃないか。那由子は確に死んだんだ。う、腕しか、見付けられなかったけれど。それに、今、葬式をやってる。ちゃんと棺があった。那由子はあそこに……。棺? 腕一本に棺? 必要あるのか? そう言えば、僕が覗き窓を開けようとしたら誇彦が止めた。どうして? そうだ! ここに来る前に、確に棺の蓋が開いたじゃないか。それで手が出てきた。と、いうことは……。

皆が、僕を驚かせようとした、芝居だったんだ。

そして後ろには那由子が。


『振り向いちゃ駄目』


声が聞こえた。

那由子の声だ。


「な、那由子?」

『振り向いちゃ駄目。私、死んだの』


その言葉に、僕ははっとする。

そして出た言葉が……


「う、嘘だっ!」

『嘘じゃないよ。私、死んだの。湖に、突き落とされて、ね』

「嘘だ。信じない。だって後ろにいるんだろ、那由子」

『振り向いちゃ駄目』


少しばかり元気がないが、確に那由子だった。

後ろに、那由子がいる。

僕の、真実。

でも那由子は自分は死んだと言っている。そんなはずはない。そこにいるのに。

「那由子……どうして嘘つくんだ? もういいだろ? お開きにしよう」


振り返ろうと一歩下がった僕に、那由子は固くなだった。


『振り返っちゃ駄目』


でも、僕は

振り返った。

雨が叩き付けるように地面ではぜる音。そしてついに鳴り出した雷音に、僕は電源の切れたテレビのように真っ暗な画面を見た。


『振り返っちゃ駄目』


細やかなその記憶すら、雷音は打ち消して、僕は泥の上に倒れた。









  ▼ ▼ ▼









気が付くと、自宅の前に立っていた。

何をしにどこに行っていたのかも分からないけれど、この雨の中、歩いて帰ってきたらしい。

黒いスーツ。ネクタイ。ワイシャツ。ベルト。

普段の格好ではない。


「……ただいま」


びしょ濡れのまま、玄関につっ立っていたら、一度顔を出した母が、タオルを持ってかけてきた。


「どうしたの、こんなになって……迎えの時は呼びなさいって言ったでしょ?」

「……ごめんなさい」


ある程度の水分をタオルに吸わせた僕は、浴室に押し込められた。


「風邪引かないようにね! いるものは置いておくから」

「……うん」


ぱたん、と閉められた扉を眺めながら、僕はうつ向いた。

寒い。

取り合えず暖まろうと思い、僕は脱いだ服を洗濯機に押し込み、白く霞む浴室でシャワーの蛇口を捻る。

お湯は熱かった。

しばらくぼんやりして、僕はぽつりと言った。


「なにやってたんだろ、僕」


どうでもいいか。

僕は、自分に記憶が無いことを知っていながら、それを放置した。

僕は、何かを捨てたんだろうか。


「徹〜、ここに置いておくからね?」

「うん」


母に頷き、僕は思った。

風邪、引かないようにしないと。












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