終りに…
そこはカビ臭い、簡素な鉄の本棚が立ち並ぶ場所。首にデザインの光る布を巻いた青年が、比較的新しい資料を読んでいた。
と、重い扉が開く音がして、カツカツと足音が近付いてくる。
「また読んでるのか、翼」
「……」
現れたのは、スラリとした長身の青年。冷めた目には、その歳には不相応な微妙な疲れが見える。
「お前の父親が呼んでる。……つい先日捕まえたあの少年についてだそうだ」
「……」
「あぁ。似ている、では済まなくなったようだぞ」
青年の言葉に頷き、パクパクと口を動かすだけの翼。彼は、生きる代わりに、声を失った。
相方は、右肩を。
翼と誇彦。二人は生き残り、そして翼の父親のもと、刑事として職についていた。
翼の父親の後ろだてがあるせいか、はたまた業績がいいからか、署内ではかなり有名な二人は、つい先日、ある事件に関わった。と言っても、その時、翼はこちらに残り、情報の処理をしていたのだが。
その事件とは、二人の少年同士の喧嘩、という枠にはおさまらない、死傷事件だった。家出人とされていた少女が殺されており、少女と同居していた少年は瀕死。
そして、犯人の少年は……。
「拘置所だそうだ。行けそうか?」
拘置所までの道のりを記した紙切れを翼に渡しながら、誇彦は問う。問われた翼は、開いていた資料を棚に戻して、笑顔で頷いた。
翼が見ていた資料。それは定が残した、独白じみた遺書だった。
彼の妹の死んだ場所に放置されていた、くまの人形。それが持つ封筒の中に入っていたディスク。その中身を印刷したものが、この資料。
資料には、これから会いに行く少年が、いかに危険であり、同時に定自身が危険であったかが書かれていた。
なんにせよ、それを読み返したところで、今更何もできないが。
「運転はまかせた」
「……」
駐車場を歩きながら車のキーを翼に放って、誇彦は欠伸をする。
当時からスーパーボーイと呼ばれていた彼は、今や万能と呼ばれても過言ではない能力を身に付けた。本人に面と向かって聞いてはいないが、ここ最近で、否定していた霊的生命体との遭遇まで果たしたらしい。
翼には全く分からないが。
運転席に乗り込んだ翼の隣で、助手席の椅子を倒した誇彦はシートベルトは着けずに横になる。
軽く困ったような表情になりながらもエンジンをかけた翼は、比較的安全運転を心掛けてアクセルを踏み込んだ。制限速度は破るためにあるのだと思う。
ガラス越しに対面した少年は、にっこりと笑った。
数分前に別室で、翼の父親に渡された資料を眺めながら、誇彦は横目で翼を見やる。彼は、ただ少年にみいっていた。
春日野 名鷹。長い白髪に、常人のそれではない目の光。そして……兄に、定に似ていた。
「久しぶり、お兄ちゃん?」
少々馬鹿にするような笑みを含んだ声音だが、翼は動じることなく、むしろ笑顔を返した。それも純粋無垢な笑顔を。
「久しぶり、だそうだ」
「あ? あんた、通訳さん? 翼お兄ちゃんは喋んねーの?」
お兄ちゃん、と言う響きがここまで似合わない人間も珍しいな、と思いながらも、誇彦は名鷹を一別し、首を左右に振った。
「俺は誇彦。こいつの相方だ」
「へ〜。……あぁ! 兄貴が邪魔がってた人ね。分かった分かった。凄い人だ」
「……」
けらけら笑って、彼が動くたびに、ジャラジャラと音が響く。初めは何だろうな、と思っていた。しかし、それは直ぐに明らかになる。
「凄いって……あんた、どんくらい凄い? 俺より凄いのかよ」
「……」
名鷹の言葉を聞いた翼が、小さく笑いながら、口を動かした。それを見た誇彦は表情をしかめ、名鷹は肩をすくめて口笛を吹く。
「格からして違うって? 言ってくれんじゃん」
悪戯っぽく笑う名鷹だったが、翼ははっとした表情で彼を見て、誇彦は目を細めた。
さも当然のように、翼に答えた名鷹だが、人の口元のみで言葉が理解できる者は少ない。普通はできないはずだ。
「何でそんな顔するんですか〜。普通じゃん、これくらい」
なんて言いながら、テーブルに上げられた彼の手首には、何重もの手錠が。腕に至っては特殊なテープで巻かれる程の厳重ぶりだ。
しかし、手錠は鎖が切れてしまった物も混ざっており、その耐久性が気にかかる。まるで、手錠をされたまま、何年も放置されたようなありさまになっていた。
見せ付けるかのような、彼の力。
『痛い目を見るよ……』
翼の頭に、あの日、そんなことを言われたな、という思いが浮かんで消える。
定は気を付けろ、と言う言葉を残した。
しかし気を付けるも何も、彼は、捕まってそしてここにいる。
だが、名鷹は、言ったのだ。制限時間がくる直前に。
「ちょっと遊ばねぇ、お兄ちゃん達」
余裕の見える笑み。遊ぶ時間はない、と言おうとした誇彦を、翼が制する。
翼は黙って彼を見ていた。
名鷹が言う遊びが、普通でない事を知りながら、それでも翼は聞いた。聞かねば、始まらない気がしたから。聞かねば、知らぬ内に始まり、終わっている気がしたから。
そして名鷹は、『ありがとね』と笑ってから言った。
「俺にはさ、ぶっ壊したい物があるんだよ。それを賭けたゲームをしよう」
面白そうだろ? と笑う名鷹。彼は、分かっているだろうか。自分がどんな状況に置かれているのか。これからどうなるのか。
しかし名鷹は、そんな心配をあざ笑うかのように続ける。
「俺が壊したいのは人。ある一人の人間。すぐ分かるって。……んで、それを見事守りきれたら、そっちの勝ち。俺が壊しちゃったら俺の勝ち」
きしし、と笑う名鷹。
条件はあれど、賞金はないゲーム。いや、賞金は『壊したいもの』の命か。
「あの時のゲームは結果的に負けちまったけど、今度は勝つよ」
あの時のゲームとは、定が立てた計画のことだろうか。
ガラスを隔てた壁の向こうで、扉が開き、職員が名鷹にアイマスクを着けた。やりすぎではないか、と思いもしたが、名鷹はひょうひょうとしたまま、確りと立ち上がった。そして去り行く彼の背に、誇彦が尋ねる。
「あの時のゲーム……お前はどうなると思っていたんだ?」
ぴた、と歩みを止めた名鷹。
「俺は……」
その当時を思い出す分だけの間を置いて、彼は言った。背中しか見えねども、表情が分かるようなこわねで。
「俺は……全員が死んでると思ってたよ」
そして、扉は閉まった。
それから数時間後、一人の少年が拘置所から姿を消した。警察署からトンボ返しに戻ってきた誇彦と翼は、改めて彼の危険性を認識した。
定の弟。母親から継いだであろう禁断の思考。父親譲りの腕力。そして、彼自身が培ってきた能力。
「……」
「格が違う、か」
どっちがどう違うのだろう。次々に運び出されて行く職員らと、血化粧で染まった施設内を一眸し、誇彦は呟いた。
その時、翼は一瞬考えてしまったのだ。もし、この先彼を再度捕まえたとしても……彼を束縛しておくことは出来ないのではないかと。
蘇るのは、あの日の定の言葉ばかり。
でもやはり、全てが遅かったのだ。
やがて、赤コートの死神、と呼ばれる様になる殺人鬼は、こうして野に放たれた。そしてそれは同時に、二人の死神狩りが誕生した日でもある。
ゲーム上のイベントの様に行われる犯行に、二人は立ち向かう。
死神が真に狙う者を守る為の、警察容認の特別執行官。二人に与えられた新たな肩書きは、たった一人の少年の為だけにつけられた。
鳶、と言う名の、死神とは正反対の、華奢な少年の為に。
これが長い始まりの終わり。
僕が関わってしまった、異常な物語の始まり。
そして始まりの物語の結末を狂わせた僕の名を、最後に書いておこうと思う。
僕が居なければ、とめる者がいなければ、多分、本当に全員が死んでいたと思うから……。
介入者
片岡 翼
生き残り
百合荻 誇彦
僕らの話は終わった。でも、僕と誇彦先輩の物語は漸く始まったばかり……
物語は、続いて行く。
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