万能執事
エドワードは十五歳になった。今日が、その誕生日だ。と言っても、エドワード自身は自分の誕生日を本当は知らなかった。執事のリチャードが御馳走を用意してくれたから、たぶん誕生日なのだ。
エドワードには一年前より昔の記憶がなかった。未だに、何も思い出せない。誕生日も、リチャードが教えてくれた。エドワードは、それを信じた。それしか、信じられるものはなかった。
エドワードにとって、執事のリチャードが世界の総てだった。部屋を出ることさえ許されていない。幽閉されているのだ。
エドワードの父は、内乱で殺された国王なのだとリチャードが教えてくれた。記憶を失ったことが逆に幸いしたらしく、エドワードは殺されることはなかったが、幽閉されることになった。そのときから、エドワードにとっては、窓の外に見える景色と、リチャードの話だけが世界の総てだったのだ。
記憶がないからだろうか。現実感も稀薄だった。何を聞かされても、そんなものか、と思っていた。自分が不幸だとは特に思わなかった。いつも、リチャードが側にいてくれるからだ。
リチャードは本当に優秀な男だ。なんでも知っている。なんでも出来る。執事の鏡だ。
「エドワード様、どうぞ召し上がってください」
隠し味は、リチャードが見せる極上の笑顔だ。エドワードは、リチャードの笑顔が好きだった。ひとつ残念なことがあるとすれば、リチャードが一緒には食事をしてくれないことだ。使用人は、主君と同じテーブルでは食事をしないものらしい。そう教えられたら、エドワードには異論を挟む余地がなかった。右も左も分からないのだから、反論なんか出来ないのだ。
それでも、リチャードには頼んでみた。一緒に食事をして欲しい、と。すると、リチャードは悲しそうな顔をした。そんな顔をさせたくなかったから、エドワードは、もう二度とその話題は口にしなかった。側にいてくれるだけでいい。そう思うことにした。
誕生日という実感は湧かなかったが、食事は美味しかった。
食事を終えると、リチャードが真面目な顔で、話があります、と言った。
「私は、大事な用で屋敷を離れなければなりません。恐らく、丸一日は戻ってこられないでしょう。その間、エドワード様はおひとりになってしまいますが、私が戻るまで、どうか、お健やかにお待ちください」
「大袈裟だな、リチャードは。待つよ、それくらい」
そう言いながらも、エドワードはリチャードの心配そうな顔が気になった。そんなときは、エドワードが明るく振る舞う。ずっと、そうしてきた。
「僕は信用されてないのかな? 大丈夫。もう、十五歳なんだから。一日くらいリチャードがいなくても平気だよ。そうだなあ、この一日で、詩を書くよ。リチャードが戻ってきたら、たっぷり聞かせてやるから楽しみにしてて」
「はい、エドワード様」
リチャードが、エドワードをギュッと抱き締めた。珍しい気もしたが、エドワードもリチャードを抱き締めた。
リチャードは、飛び切りの笑顔を残し、出ていった。
その日は、あまり夜更かしすることもなく、エドワードは寝た。次の日の朝食は、あらかじめ用意してあったパンだった。
リチャードがいないと、こういうことになるのか。リチャードがいなければ、生きていくことさえ出来ないのかも知れない。そう思うと、少し不安になった。リチャードがいない寂しさが少しずつ込み上げてくる。エドワードは、詩を書いて寂しさを紛らわそうと思った。
心の底から沸き上がるもの、それを言葉にする。エドワードの心の底には、まずリチャードのことがあった。それと、窓から眺めるしか出来ない外の風景だ。遠くの山には、雪が積もっていた。部屋は、いつも暖かかった。
昼食も、ひとりだった。何を食べても、美味しいとは感じなかった。きっと、リチャードが側にいないからだ。リチャードは、夕食までには戻ってくるのだろうか。
午後からも、エドワードは詩を書いた。疲れて、少し昼寝をした。目が覚めたときには、もう夕刻だった。まだ、リチャードが戻ってくる気配はない。不安が、大きくなっていく。
「リチャード、早く戻ってきて」
リチャードは、いつもエドワードのことを第一に考えてくれる。そのリチャードが、丸一日も戻ってこないことは、ただの一度もなかった。長く留守にしても、食事と食事の間とか、それくらいだった。一緒に寝ているわけではないので、夜中のことまでは知らない。
いったい何があったのだろう。良くないことだろうか。リチャードの態度は、いつもと少し違っていた。
不意に、扉が開いた。
「リチャード!」
しかし、エドワードの目には、リチャードではない別のものが映っていた。
恐ろしい仮面をした、二人組だった。そもそも、人間なのだろうか。もしかして、悪魔?
仮面が、開いた。顔は、ごく普通の人間だった。
「怖がらなくていい。私たちは君の救出に来たんだ」
男が言った。優しそうな声だった。内乱が終結したのだろうか。
「救出?」
外に出られる、という意味だろうか。
「ああ、そうだよ。通信が途絶えてから一年、まさか本当に生きていたとは、驚きだ。この辺りは、人間が住むには厳しい環境だからな。空調が生きていなければ、君も助からなかっただろう。それだけは幸運だった」
「何を言っているのか、よく分からない。リチャードは? リチャードはどうしたの?」
「リチャード?」
男が、怪訝そうな顔をした。
「この場所を知らせてくれた、例の」
それまで黙っていた後ろの男が、口を挟んだ。
「ああ」
「確か、十五年前のモデルで、リチャード型だったかと」
十五年前のモデル? リチャード型? この二人は何を言っているのだろう。
「いや、実に優秀な執事だったと思う。君のことを頼むと、まるで寿命が尽きたかのように機能停止してしまったんだ。我々の許へ辿り着くまでに、かなりボロボロになっていて、よく動き続けたものだと感心する。恐らく、自分の機能が完全に停止する前の、最後の賭けのようなものだったのだろう」
何かが、頭の中を駆け抜けた。なんだろう。頭の中に、声が響く。
エドワード様。リチャードの声だ。古い、途轍もなく古い記憶のような気がした。生まれたときには、もう、その声を聞いていたような。
いっぺんに色々なものが押し寄せてきた。順番がグチャグチャになった、たぶん古い記憶だ。
最も古い記憶は、そう、あのときの笑顔だ。だから、安心できたんだ。
「エドワード様、今日からあなたが私のマスターです」
はい。終わってみればSFです。
でも、タグにSFを入れるとネタバレになるので、伏せておきました。