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第二章 別離
第九話 そして、静寂が訪れた
 真っ白な世界。
 凛の目の前にそびえたつ巨大な扉に描かれるのは、どこかで見たことがある、それでいて一度も見たことのない不可思議なまるで魔法陣のような文様。
 その扉の前に立つ白い影。
 それが誰なのかを見極めるより前に、何もかも通り過ぎてしまった。
 
 そして、唐突にありとあらゆる感覚が叩き込まれる。

 真っ白な世界を通り、人体を再構築された結果、一気に全身の感覚が脳へと襲いかかってくることになった。
 
 呼吸をしようとするたび、喉をザラザラと空気が通り肺へと取り込まれていく。心臓が激しくドクドクと脈打ち、血液が血管をザワザワと音を立てて流れていく感触すらある。無意識に音を選別してくれるはずの聴覚は、ありとあらゆる音を無遠慮に取り込んだせいで意味を失い、ワンワンと頭骸にうるさく響く。皮膚に触れる衣服の煩わしい感触に、ガリガリと肌を掻きむしりたくなる。
 
 口から悲鳴が上がらなかったのは、単にそれが生理的に不可能だっただけ。呼吸が難しいほどに全身を抑えつけているナニカ。それは、大勢の人。
 血の涙を流しながら、恨みつらみの声を上げる人の顔顔顔顔顔顔顔顔……………
 
 押し込まれる大量の情報に、脳の処理が追いつかない。脳神経に強い負荷がかかり、普段の彼女ならできて当たり前のことができなくなる。それは、魔術刻印と魔術回路の制御。
 情報の過負荷を魔術刻印は宿主の危機とみなしたのか、彼女の意志を離れ起動する。凛の左の前腕が淡く緑色に光り、脈々と受け継がれてきた刻印が浮かび上がる。それに反応し、凛の魔術回路が回転数を上げていく。
 
 唐突に、全身から重さが消えた。
 誰かが、凛を引きあげる。
 けれど、助けてくれたのが誰かを認識することもできない。
 
 低い声が、「凛」と何度も名前を読んでくれている事だけははっきりと分かるのに、何を言っているのかは分からない。
 
 凛の魔力は、方向性のないまま発現しようとする。このままいけば、確実に暴走する。暴走すれば、助けてくれた誰かを巻き添えにしてしまう。
 だから、凛は抱えている誰かを押しのけようとするのに、その誰かは逆に抱く手に力を込める。
 
「大丈夫だ。――坂」
 
 ふいに、呼ばれたのは懐かしい呼び名。
 ――――違う。
 懐かしくはない。
 ただ、それを彼が言うのはひどく意外で。
 嬉しかった。
 
 外から押し込まれるあらゆる情報に混乱きわまる中で、自身の内から芽生える感情を自覚した途端、脳が自律性を取り戻し始める。
 
「―――アーチャー……」
 
 赤い外套を纏う少年に笑いかける。外界の情報の整理、統合ができてしまえば、あとは簡単だ。魔術回路と刻印のコントロールができなければ、魔術師にはなれはしない。
 
「ありがとう、アーチャー」
 
 深呼吸を一つだけ。それだけで、失いかけていたコントロールを取り戻す。
 
「全く、君らしいよ、凛。人に散々心配をかけておいて、結局は一人で何とかしてしまうのだからね」
 
 呆れて息を吐き出す。いつも通りの皮肉げな笑みを口元に浮かべ、捻くれたことを言ってくれる彼女の相棒。
 
「そうよ。私は、一人で何とかできるわ。でもね、アーチャー。それじゃ、つまらないでしょ?」
 
 もしも、こうやって抱かれていなければ凛は気が付けなかっただろう。彼の手が微かに震えていることに。
 
「さて、アーチャー。一体、どうなっているのか、現状を説明してもらえる?」
 
 だから、凛は気がつかなかったことにする。
 彼の腕から下ろしてもらい、地に足をつけて立ちいつも通り前を向いて、自分がなすべきことを成す。
 
「エドワードの術は概ね成功したと言っていいだろう。思惑通り、外には出ることができた」
 
「エドたちは?」
 
「あそこだ」
 
 アーチャーが視線で指し示す先、エドワードがでかい鎧に抱きつかれていた。2メートルを超えるほどの巨大な鎧が小さな子供のように屈んで、エドワードに抱きついている。
だが、突起物がついている鎧に抱きつかれている方のエドワードにしてみれば拷問に近い。
 
「あの鎧!?」 

 凛はすぐに、鎧の異常性に気がついた。あれは、空っぽだ。肉体も精神もここにはなく、魂だけが定着している。まさかとも思うが、切り取られている鎧の右腕。その内側に見えるのはぽっかりとした闇だけ。
 
「あれは………遠隔操作でもしているの?」
 
 魔術の世界でも、魂を別の物に一時的に宿し遠隔操作をすることが可能だが、色々とやっかいなことになりやすい。たとえば、遠隔操作中は肉体が無防備になり、刺激に反応できず肉体が死ねば、魂も消滅する。また、長時間別の物に魂を移すと、その外形に魂が引きずられることもあるという。つまり、たとえば動物に魂を移していれば、魂は動物のソレに近くなってしまい、最後には自身の姿を忘れ動物そのものになってしまう。だから魔術師は、目や耳などの一部の感覚器官を他に移すことはしても、魂そのものを余所へ移す術を積極的にすることは少ない。
 
 会話から察するに、彼はエドワードの弟のようだ。あのごつい鎧から信じられないほどの可愛らしい男の子の声がする。よほど心配していたのだろう。声には涙すら滲んでいた。
 小さくなって肩を震わせている鎧姿の弟の頭をエドワードはポンポンと優しくなでる。
 
 そして、感動の再会を果たしている二人の兄弟に近づく白いローブをまとう老人。

「何よ、アレ……」 

 ソレを認識した瞬間、凛の背筋に怖気が走った。無意識に凛は、アーチャーの外套の裾を握りしめる。
 外見は、齢60を数えるかというほどの深いしわが全身に刻み込まれている老人。がっしりとした恰幅のいい体つきで、金髪に金の瞳。目鼻立ちがはっきりした彫りが深い造形は、西欧の血筋を思わせる。けれど、彼の内から感じ取れるモノは、不定形に蠢く凝った巨大な力の塊。エンヴィーを見た時に感じた腐臭を感じさせるソレを、さらに何倍もおぞましくしたもの。人間が人間であるからこそ、あの不気味な老人に根源的な恐怖を覚える。なぜならば、あの老人の力は人の魂を源としているのだから。
 エドワード達はそのことに全く気がついていない。けれど、リンも彼の中身に気がついた。
 
「……なんなんだ、お前ハ? ありえなイ、その中身……」
 
 痛めている肋骨を抑え、リンは震える剣の切っ先を老人に向ける。
 剣を突き付けられて、初めて老人はリンの存在に気がついたようだ。キョロリと眼球を動かして、リンを見る。
 
「…………食べていいぞ、グラトニー」
 
 老人の言葉に、嬉しそうに両手をあげて喜びを表現する丸々と太った人間。アレも感触からするに、ホムンクルスに間違いない。
 エドワードたちがリンを庇い、老人が実はホムンクルスたちの親玉のようだと会話をしている最中。凛は彼らに気がつかれないよう、隣のアーチャーへと小さく声をかける。
 
「アーチャー。霊体化して、このあたりを探ってきて。こんなわけのわからない場所、さっさと脱出しましょう」
 
 様々な太さの管が部屋中に張り巡らされた空間。巨大なエンヴィーがゆうに収まるほどの広さを有してはいるが四方は壁に覆われ、ここがどこなのかもはっきりしない。何より、凛としてはこれ以上、あんな薄気味悪い連中の近くにいるのは、ごめんこうむりたい。
 
「いや、それが…………」
 
 だが、アーチャーにしては珍しく凛の指示に戸惑いを見せている。
 
「何よ? 何か、気になることでもあるの?」
 
「おそらく、先ほどの空間の転移が原因だと思われるが……」
 
 秘密主義ではあるが、明かすべき情報に関してはあっさりと話すアーチャー。その彼にしては、歯切れが悪い。
 
「思われるが?」
 
 言葉尻を取って、凛はアーチャーの話の続きを促す。
 
「受肉している。霊体化は無理だ」
 
「はぁ!!?」
 
 予想外の事実を告げられ、凛の声は裏返った。
  
「受肉って、何それ? どういうこと? いつの間に、受肉なんてしてたのよ!?」
 
 混乱して凛はアーチャーに詰め寄り、確認するようにペタペタとあちこち彼の身体を触る。
 
「説明するのは、やぶさかではない。が、時と場合と状況がもう少し落ち着いてからの方がいいと思うのだが?」
「さすがは、凛さんです。ほんと、突発的な事態に弱いですよね」
 
 アーチャーとルビーに突っ込まれ、周囲を見てみると。危ない人を見るような視線が集中している。
 
「女の子が、年頃の男の子のあんな所や、こんな所を無節操に触りまくるなんて、凛さんってば!」
 
「誤解を招くような言い方するなぁ!!!」
 
 白い羽飾りで突いてくるルビーを鷲掴みにして、両端を引きちぎるばかりの勢いで引っ張る凛。そんな凛に白い目を向ける、ホムンクルスの一味とエドワードとリン。そして、この状況に頭を抱えるアーチャー。
 
「あー……私たちには、お構いなく。そちらで、話を進めてもらえる?」
 
 可愛らしい猫を被って小首を傾げてみせるが今更。白けた空気は元に戻らない。
 そんな微妙な空気に構うことなく、老人が二人に向かって歩み寄る。
 
「お前は、なんだ?」
 
 老人は、アーチャーの目前で立ち止まり顔を覗き込んで問いかける。
 
「貴様に答える義務はない」 

 アーチャーは老人の疑問を斬って捨てる。
 
「……外見は人間のようだが……随分と変わった在り方をしているようだな……」
 
 だが、老人の方はアーチャーの答えを全く聞いていない。一人でブツブツと考え込みだす。
 
「世界……いや、霊長の守護。抑止の力……ふむ……、お前はそういう存在か?」
 
 老人の呟く単語に、凛が表情を硬くする。
 
「なんだね、それは?」
 
 だが、アーチャーは何食わぬ顔で老人へ問い返す。
 
「まぁ、いい。お前がなんであろうと、現在いまは関係ないようだ」
 
 あっさりとアーチャーに関して結論付ける老人。
 
「ところで、貴様は何だ?」 

 今度はアーチャーの方が問いかける。
 
「それは、俺も聞きたイ。ホムンクルスの親玉って話だが、その中身は、一体何が詰まっていル」
 
 リンも一緒になって、老人へと問い詰める。
 だが、老人はそんな質問に興味を示さず、値踏みするような目で二人を見下ろす。
 
「人間などに、私のことを答える義務などないだろう」
 
 アーチャーの言葉を流用する老人には取りつく島もない。老人の目はその場にいる人間を虫けらと見下している。だからこそ、彼は声をかけられるまで自分の興味のある人間以外、気にもかけていなかった。
 
「さすが、ホムンクルスの親玉。人間を愚かと笑い捨てる奴らと同じ目ダ」 

 リンの言葉に、老人が小さく息を吐く。そこには、明らかな呆れの色が見える。
 
「お前たちは、地に這う虫を見て愚かと思うか? 虫けらが足掻いても、なんの感慨もわかないだろう。私が人間に思うのはそれと同じだ」
 
 老人がそう言いきるか、否かのうちに。
 唐突に床が音を立ててめくれ上がり、老人へと襲いかかる。老人にまでめくれ上がった床が到達する直前に、そそり立った壁が老人の足元から生え、それを阻害した。
 
「怪我を直してもらったけど、相容れねぇ!!!」
 
 宣戦布告も何もなく攻撃を仕掛けたのは、エドワード。彼の目つきはこれ以上ないほどにつり上がり、どちらかと言えば老人よりも彼の方が悪人面になっていたりする。
 
「そっちのヒゲが、悪人の親玉だってんなら、サクッとぶったおして、サクッと帰ろうぜ」
 
「待て、あいつやばいっテ。出方をうかがって……」
 
「エドに賛成。確かにあいつは、危険すぎる。それにこんなところから早く出たいわ」
 
 リンの言葉を遮って前に出たのは凛。
 
「将を射んと欲すれば、まず馬を射よって言葉を知らんのか!」
 
 喧嘩っぱやい二人を止めようと必死にいい募るリン。
 
「は? めんどくせぇ! 先に将を射た方が早いだろ! 雑魚に構ってられるか!!」 
 我慢ならない様子で、ファイティングポーズを取るエドワード。
 
「その様子じゃ、長く戦えないだろ」
 
 そして、エドワードの弟であるアルフォンスも出てきて、リンにそっと耳打ちをする。
 
「こんなところで宝石をケチッた付けが回ってくるとは思わなかったわ」
 
 凛も、リンにだけ聞こえるようにそう呟く。
  
「一国の皇子が一般人に情けをかけられるとはネ」
 
「そういえば、あんた皇子って話だったわね。失敗したわ。治療代請求してやればよかったのよね」
 
 舌打ちしながら、凛が駆けだす。
 
「そう簡単に、オレらがやられるとでも思っているのかよ、おチビさんたち!!!」
 
 エンヴィーが巨体を揺らして迫る。
 
 『 チビ 』
 
 その単語に反応したエドワードは、その場で両手を叩いて地に錬金術で管を生み出す。数十を数える管は、エンヴィーやグラトニーに向かって走る。
 だが、ホムンクルスに絡みついたのは僅か数本。ほとんどは、老人へと向かう。
 
「最初から将狙いだっての」
 
 指を突きつけるエドワードの隣で、
 
「大人になったね、兄さん」
  
 感慨深い呟きを洩らす弟。
 
 管は老人を絡め取る。
 さらに、凛はその瞬間に合わせて魔術弾を討ち放つ。
 しかし。
 爆炎が収まった後には、無傷の老人が立っていた。しかも、老人の身体に絡みついていたはずの管も跡形もなく消え去っている。
 
 驚愕に一瞬固まった凛とエドワードにホムンクルスたちが襲いかかる。
 グラトニーは真っ先に涎を垂らしながら、凛に。
 エンヴィーはニタニタと笑いながらエドワードに。
  
 グラトニーの進行は、アーチャーによって押しとどめられた。両手に投影した干将莫邪の白と黒の中華剣がグラトニーの両の腕をいともあっさり切り落す。
 
 エンヴィーの振り下ろした腕をエドワードはかろうじてかわした。そのままエドワードはエンヴィーの太い腕の上を駆け上がり、行き掛けの駄賃に肘鉄を一発頭頂部にくらわせることを忘れない。
 
 エドワード、アルフォンス、リンの3人がホムンクルスの親玉に向かって走ったのを確認し、凛はアーチャーとともにホムンクルスの牽制に入ることにする。
 ホムンクルス達と交戦しながら、エドワード達の動きを目の端で追うが、状況は芳しくない。エドワード達の錬成に比べ、老人の錬成はとにかく早い。エドワード達の錬成に両手を叩くというモーションが必要だが、老人にはそれは必要ない。彼らが1つ錬成を行っている間に、ノーモーションの老人が2つ3つと錬成を行う。
 それゆえに、エドワード達は老人に触れることさえ敵わない。
 
―――――アーチャーか私も親玉攻略に入った方がいいかもしれないわね。
 
 だがその分、ホムンクルスを相手にする方の負担は大きくなる。
 凛が迷っている間に、老人が次の手を打った。
 
「時間の無駄だな」
 
 飛び交う羽虫をうるさげに見るように、老人が少年たちを一瞥して息を吐き出す。
 そして、軽くトンと地面に足をつける。
 瞬間、空気が破裂した。
 風が、老人を中心にして一瞬だけ強く吹く。それだけで、他に何も変化は感じ取れない。
  
 凛には何が起こったのかわからない。
 けれど、錬金術師であるエドワードと彼の弟は何らかの異常を感知しているらしい。二人とも顔を見合わせたあと、両手を叩いて地面に手をつく。が、何の反応も起こらない。
 
 二人の動揺の隙をついて、足元からせり上がった床がまるで生き物のようにエドワードを絡め取る。
 
「エド!!!」
 
 咄嗟に駆け寄ろうとした凛の頭上から落ちてきたエンヴィーの尾に払われ、地面を転がる。起き上がろうとするよりも早く、エンヴィーの足が凛の身体を抑えつけた。
 ルビーによる物理防御が働いているためダメージはほとんどないが、身動きが取れない。
 
「重たいわよ!! どけなさい!!」
 
 エンヴィーの足の下でもがくが、びくともしない。
 アーチャーは凛を助けようと干将を投擲するが、それがエンヴィーに到達するより早く、壁が床から生える。しかも、それとほぼ同時に床にある無数の管がアーチャーへと覆いかぶさるようにして蠢きだす。
 
「ちぃっ!!」
 
 咄嗟にそこから離脱するため、飛び退くが着地すべき足元の床が唐突に砂へと転ずる。砂に足を取られ体勢を崩したところに、管がアーチャーの身体に巻きつき捉える。そのままアーチャーを地面に押し倒した。
 
「お前ら!!!」
 
 リンが老人の横合いから斬りかかろうとするが、地面から生えた管が鞭のようにしなり、彼を弾き飛ばす。弾き飛ばされた先は、エンヴィーの巨体。彼の身体から生える大勢の人間の腕が、リンを拘束する。
 
 アルフォンスの方も、アーチャー達の牽制がなくなり自由に動けるようになったグラトニーによって倒され、床から生えてきた管に捉えられ、エドワードの隣に転がされた。
 
「くっそ!!! ヒゲ!! 何しやがった。なんで錬金術が使えない!!!!」
 
 抑えつけられながらも何度も床を叩いているエドワードが吠えたける。
 
「くっくく、ホントこいつら下等生物は……大きな力を得たとたん喜び勇んで、それがどんなものかも知らずに使い続ける。今の繁栄も自分たちで成し遂げたものだと思いあがる。滑稽だ!! 愚か者どもめ!!!」
 
 エンヴィーは凛を抑えつけたまま、エドワード達をあざ笑う。そのエンヴィーの感情に反応し彼の全身にある人型たちがケラケラと耳障りな笑い声を上げる。
 
「どういう意味だ!! てめぇら、何考えてやがる!! あそこから出られたら教えるって約束だったよな、エンヴィー!!!!」
 
「はっ、お前ら虫けらとかわした約束なんか、覚えちゃいないね」
 
 ジタバタともがくエドワードを見下して、エンヴィーがこれ見よがしに約束を破棄する。
 
「ふむ……」
 
 そんな彼らのやりとりを無視して、老人は侵入してきた人間たちを一瞥し、一人の少年のところで視線を止める。
 
「どうせ、殺すにしても人間という資源を無駄にしてはいかんか」
 
 その少年を見ながら、老人が自分の額を軽く縦になぞる。そこから、パクリと皮膚が裂けて開く。裂けた皮膚の向こうには、人間の瞳がギョロリと蠢く。瞳が赤く滲み、まるで涙のように溢れだす赤い液体。赤い液体は、重たい軌跡を描いて、老人の顔を流れ落ちていく。
 
「今、ちょうど強欲グリードの席が空いている」
 
 流れ落ちてきた液体を、老人が左の手で受け止める。
 
「赤い……賢者の石!?」
 
 エドワードが声を上げる。
 
「あれが……」
 
 魅入られたように、それを見つめるのはリン。
 
「へぇ、アレをやる気だね。お父様」
 
「アレって、何よ!!?」
 
 嫌な予感が止められず震える声で、自分を抑えつけるエンヴィーへと叫び返す凛。
   
「人間ベースの人造人間ホムンクルスを作るんだよ。血液の中に、賢者の石を流し込む。上手くいけば、人造人間ホムンクルスの出来上がりってわけだ」
 
 アーチャーに巻きついている管がゆらりと動いて、彼の頬に浅く切り傷を作る。
 
「ま、たいていは石の力に負けて死ぬけどね」
 
「っ!!!!」
 
 エンヴィーの言葉に、凛が声にならない悲鳴を上げる。
 
「なかなかに、面白い存在だ。コレならば、上手くいくかもしれん」
 
 そう言って、老人はアーチャーに歩み寄る。アーチャーは身動き一つせず横倒しにされたまま老人を睨みつける。
 
「やめて!!!!!」
 
 必死になって凛がもがくが、エンヴィーの身体はびくともしない。
 
「なら!!!」
 
 抑えつけられながらも、ステッキを振りかざす。杖の先から魔術弾が放たれ、エンヴィーの腕に穴を穿つ。けれど、それもすぐさま赤い光とともに回復する。蠢く人間の腕が勢いよく凛に伸び、ステッキを握る腕を払われる。ステッキは、軽い音を立てて凛の手から離れ、カラカラと床を滑っていく。
 そしてステッキを手放してしまった凛の変身が解ける。
 
「くっぅ……」
 
 変身が解けたのと同時に、それまでカレイドルビーによって受けていた物理保護の恩恵を失う。エンヴィーの巨体の荷重が凛の小さな体にのしかかる。すぐに強化を施したため、押しつぶされることはなかったが、それでもまともな呼吸すら難しいほどの荷重のせいで、ギチギチと自身の骨がきしむ嫌な音を聞く。
 
「アーチャー……」
 
 満足に言葉も紡げないほど苦しいのに、凛はその中で、アーチャーに手を伸ばす。
 けれど、そんな凛の足掻きなど無視して事態は進んでいく。そして、他の少年たちもそれぞれ必死に抵抗しているようだが、何もできはしない。
 
 老人の手の中の赤い液体が、パタリと小さな音を立てアーチャーの頬へと落ちる。どこまでも赤い賢者の石は、まるで磁石にすいつく砂鉄を練り込んだ泥のようにアーチャーの頬の傷口へと吸い込まれていく。
 
「っつがあああああああ!!!!!」
 
 途端にアーチャーの全身に赤い電光が走る。
 管の拘束が外れ、床をのたうちまわり苦しむアーチャー。血を吐き出し、体をのけぞらせ逃れられない苦痛を享受し続ける。
 
「………………」
 
 それを、まるで検体を観察するような瞳で見下ろす老人。
 
「アーチャー!!!! 離せ!! 化け物!!」
「イヤだね」
 
 べぇと舌を出し、凛の要求を拒絶する。エンヴィーはむしろ、凛がもがく姿の方が楽しいらしく、目を細めて少女を見下ろしている。
 アーチャーの苦悶の声が、部屋を幾重にも反響する。
  
 やがて。
 
 アーチャーの声が止み、静寂が訪れた。

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