凛とて魔術師の端くれ。人外の生体が存在している事を知っている。
たとえば吸血鬼、あるいは真祖といった、人間には太刀打ちできない生き物として根本が異なっている者たち。または、鬼種と言われる異端者。人が作り上げた遺伝的に異なる生命の混合物キメラ。そして、子宮を用いない生命の誕生法によって生み出される人造人間ホムンクルス。それらのうち、いくつかは聞くだけでなく、実際に目にしたことさえもある。
けれど、目の前のホムンクルスはそれらとは明らかに異なる。全身から生える人間たちが助けを求め、怨嗟の声を上げる巨大な化け物。そもそもにして、あんなものを人造人間などとは呼ばない。
「どっかの正義の味方志願者じゃ、絶対に戦えないわね」
目の前の化け物を見て、思わず眉根をひそめる。
あの赤毛の少年がもしもここにいたら、彼は絶対にこの化け物を倒せない。彼は助けを求める手を振り払うことなどできないし、まして剣を突き立てることなど不可能。
「ねぇ、ルビー。もしかして、コレがあんたの言う『魔法少女らしい展開』?」
『正義の味方』さえ助けられない敵を倒すことが『魔法少女らしい展開』だとするのなら、あんまりにも笑えない冗談。
「まさか。こんな可愛さの欠片もない、醜悪な存在が出てくることなんて、ルビーちゃんでも想定外ですよ」
非常に不満そうな声で答えるルビー。彼女としてもこの展開は予想外すぎて、面白くないらしい。
「あんたは、常に想定外の騒動を巻き起こしてくれるけどね!!」
凛はルビーに文句をつけながらも、魔法少女らしく、戦ってやろうと腹を決めた。そうなれば凛の行動は早い。魔力で脚力を強化し、後ろに飛んで化け物から距離を取る。魔力弾がルビーの主な攻撃方法である以上、攻撃対象からは距離を取る方が有利だ。
化け物の方は、近くにいるエドワード達に狙いを定めた。
右の前足を無造作に振り下ろす。
二人とも即座に飛び退いてその一撃をかわしたが、巨大な重量からもたらされる衝撃は、かわしてもなお血液を跳ね上げ、津波のように襲いかかる。全員が瓦礫の上に飛び乗り、血液の津波からかろうじて退避する。だがその波を引き裂いてエンヴィーの太い尾がリンの飛び乗った瓦礫を破壊する。
足場を失い、体勢を完全に崩したリンの身体をエンヴィーの太い手が掴みそのまま、血液の海の中へと叩きつける。盛大な赤い水柱が上がり、打ち上げられた血液がザバザバと降り注ぐ。
エンヴィーの巨体を支えている腕。重量だけでも押しつぶされるのに、ギリギリとリンの身体をその握力で握りつぶしにかかる。
リンは締めつけられ、身をよじることさえできない。
「リン!!!」
助けに入ろうと横合いから回り込むエドワードの身体を、太い尾が勢いよく払いのけた。エドワードは後方で杖を構えていた凛の場所まで吹き飛ばされ、二人はもろとも血液の海の中に落ち、しぶきを上げる。
「「「「みるな 見るな ミルナ 見るナ オレを 私を 見ルな」」」」」
その中で、エンヴィーの皮膚に取りつく幾つもある人の顔が揃いもそろって、同じことを口にする。誰も彼もが、自分を見るなと。その声が、反響しあうようにくぐもって脳髄にまで響いてくる。
だが、それに構っている余裕は誰もない。少年少女たちは、生き延びるためにひたすら足掻く。
「とっとと、人の上からどきなさい!!!」
凛はエドワードを蹴り倒すようにして押しのけ、ステッキを振るう。
「砲撃!!!!」
その掛け声とともに、魔力弾がステッキから射出。リンを掴んでいるエンヴィーの太い腕に見事直撃し、穴を穿つ。
その威力に押されエンヴィーの手の拘束が緩んだすきに、リンが大急ぎで這い出てくる。そのままバックステップでエドワード達のところにまで下がった。
「ソレ、おもちゃじゃなかったのカ」
リンが痛めた肋骨を庇うようにして押さえながら、凛に話しかける。その向こう側のエンヴィーは痛みにうめき声をあげているが、凛の砲撃によって穴を穿たれた箇所は、赤い光を放ちながら肉が瞬く間に盛り上がっていく。
「おもちゃだったら、良かったんだけどね」
凛はエンヴィーの驚異的な回復力を視界に収めながら答える。
このふざけたステッキがおもちゃだったならば、今頃は今回のうっかりを笑い話にしながら、アーチャーの入れてくれた紅茶を優雅に飲んでいたはずなのだ。
それが、平行次元への転移、血の海の真っただ中、挙句の果てには化け物との戦闘というありえない事態に巻き込まれてしまっている。
「一応、これでも武器になるわ」
「一応なんてヒドイです。魔力弾の射出に、物理防御、魔力防御、加えて治癒促進まで可能な素敵魔女っ子アイテムなんですよ」
どこまでも可愛らしい声が、『魔女っ子アイテム』を自称する。
「まぁ、今はそれの正体を問い詰めている場合じゃないのは確かだナ」
胡散臭そうな目をステッキに向けつつも、リンは顔をしかめて息を吐き出す。呼吸で胸郭が動くたびに折れた肋骨が軋み、痛みを訴えるのだろう。
「なんにしても、武器がいル。出せるカ?」
無手ではあの化け物を相手にするのは確かに厳しい。リンは錬金術師であるエドワードに注文を出す。
「まかせろ。この血の海だ。鉄分には不足はないね」
エドワードが即答して手を叩いた後、右手を血の海につける。そこから、柄に髑髏が刻み込まれた剣が生み出される。彼の錬成場面を何度見ても、原理は相変わらず分からない。それでも血液中の鉄分を分解し再構築することで剣を造っているのだというのは凛でもわかった。
しかし、エドワードが造った剣のデザインは……
「アーチャーがその剣をみたら、なんて言うか……」
独創的でヒドイ感じのデザインの剣を見て、思わず凛が独り言のように突っ込む。
「んだよ。カッコいいだろうが」
リンに剣を渡しながら、エドワードが口を尖らせた。どうやら、彼のデザインセンスは人よりも斜め上のようだ。それを理解するのは難しい。
「うんうん。いいじゃないですか。柄頭の髑髏の精巧さ、柄に巻きつく蛇と刺。分かりやすいくらいに邪悪っぽくてカッコイイですよ」
だが、それを解するのがネジが数本飛んでるカレイドステッキだった。
「お前、話わかるな」
ニヤリと笑い、今度は自分の鋼の義手に錬成で刃をつけながら、ステッキを見るエドワード。
「常人には理解できない趣味のお話は、また今度別の機会に余所でやってよね。さて、どうしましょうか。戦う? それとも……」
三人が顔を見合わせる。
そして、同時に三人は踵を返して走り出す。それぞれ、散開し狙いをつけられないようにして、暗闇に紛れ込み体勢を立て直すのが目的。
だが、巨体とは思えないほどの機敏さで、エンヴィーの身体が跳ねた。
エドワードの行く手を阻むようにして着地。押し寄せる血液の赤い波に、エドワードの身体が流れ体勢を崩す。高波に視界を遮られた一瞬に、エンヴィーがエドワードに向かって真横から腕をなぎ払う。エドワードは回避することさえできずに直撃をくらい、血の海の中へとダイビングさせられる。
「エドワード!!!」
エドワードへの更なる追撃を阻止するため、凛は距離が完全に取れていないがエンヴィーの死角になる後方からステッキを振りかぶる。だが、エンヴィーはまるで背中にも目があるかのように的確に凛をその長い尾で横なぎにする。いくら、カレイドステッキによって物理防御が自動的に展開されているとはいっても、衝撃まで殺すことは不可能。凛の軽い身体は、水面を跳ねるようにして飛ばされていく。
「このやろウ!!!!!」
リンが血液の海の中とは思えないほどの軽やかさで、エンヴィーに向かって走る。エンヴィーが振り下ろした腕をすり抜ける様にしてかわし、剣を振るう。エンヴィーの腕から噴き上がる血液が、リンに降り注ぐ。エンヴィーの傷口から迸る血の雨の中、その腕の周囲から生えている人間たちの細すぎる何本もの腕が、リンの体を掴んだ。そのまま勢いよくリンを投げ飛ばす。背中から受身すら取れず瓦礫に激突。衝撃に一瞬呼吸が止まり、身動き一つできないリンに向かってエンヴィーが太い腕を振るう。
重心をずらして、瓦礫から体を滑り落させることで直撃は避けたが、リンの身体は血の海の中へ叩き落とされる。
「リン!!!! っやろう!!!」
立ちあがったエドワードがエンヴィーの巨体の真横から迫る。そのエドワードの前にエンヴィーの体表から人の貌がニョキリと生えた。
「殺して……」
血の涙を流し、自身の死を懇願する人の貌。拳を振り上げたまま、エドワードが硬直する。
「助けて、お願い、殺して……コロ……」
人の貌が、苦痛に歪む。嘔吐するように喘ぎ、大きく開かれた口から別の人間の貌がズルリと吐き出されてくる。
「ぎゃははははははははは!!!!!」
吐き出された貌が、甲高い狂笑を上げる。
「ママ」「イタイ」「助けて」「お願い」「死にたい」「こっちに来て」「もうイヤ」「ズルイ」「死ね」「殺せ」「殺して」「オカアサン」「死にたくない」「死ねよ」「お前のせいだ」
嗤い声の狭間に、耳に聞こえてくるのは大勢の人間たちの声声声声声……
あまりに異様な光景に、心臓が一気に冷え固まっていくようだった。背筋が冷たく凍りつき、ガチガチと満足に歯がかみ合わない。誰もエドワードに触れていないというのに、叩きつけられる感情に縛り付けられ、呼吸一つ満足にできないでいる。
その笑い声が止まった。唐突に。
エドワードに息を吹きかけられるほどに迫っていた貌が、上から落ちてきた剣で串刺しにされて息絶える。
リンが、エンヴィーの身体から湧き出ている人の頭を踏みつけにし、容赦なく剣を突き立てていた。
「何やってるのよ!!!」
エドワードを怒鳴りつけ、横からかっさらうのは凛。
「な……中に人がいた……助けを求めてる」
エドワードが凍える唇でようやく言葉を紡ぐ。眼球が震え、焦点が合っていない。全身が、瘧のように震えているのが、凛に直に伝わってくる。
「あんたまで、アイツみたいなことを言い出すの!? アレは、ただの化け物よ。倒さなきゃ、こっちがやられるわよ!!」
だから、凛は思いっきりエドワードを怒鳴りつける。ここで、一人でも戦意を喪失されれば、足を引っ張られ全員が死ぬことになる。
「っ……くそっ!!! 分かってる!!!」
小さな女の子に叱られたエドワードは、なんとか気持を立て直しエンヴィーを睨みつける。
その彼に向かって囁き続けられる言葉は、死を求めるもの、救いを求めるもの、助けを求めるもの。 走り出しながら片耳を押さえ、できるだけその声を聞かないようにしようと努めるエドワードが、それらの言葉を拒絶して、
「やめろ!!!!」
振りかぶる、鋼の拳。
けれど、その先にいる無数の目とエドワードの目が合ってしまった。彼らは全て、エドワードを見ている。ありとあらゆる感情の全てをエドワードに向けて。
大勢が一斉にしゃべり始める。声が反響し、うるさく響き渡る中で。
「あそぼうよ……お兄ちゃん」
聞きわけてしまった言葉。今度こそ、本当にエドワードは凍りつく。
一体、それが彼のどんな心的外傷を刺激したのか、彼自身にしか分からない。それでも、そのたった一言が、エドワードを無力化するのに十分なモノであったのだけは確か。
「遊びは、終わりだ」
エドワードの真上から叩きつけられるエンヴィーの腕。
かわすことなど到底できず、エドワードは瓦礫の上で仰向けに倒れる。どこかの遺跡の壁画を目に焼きつけながら、エドワードの意識は闇の中へ落ちて行った。
そのエドワードへと伸びるエンヴィーの舌。舌の上にも、彼の体表と同じように大勢の人間が蠢いている。ガバリと開かれた大きな口から、唾液がボタボタと音を立てて落ちていく。
エンヴィーの舌が、その上に生えている幾つもの人の腕がエドワードを掴む。
「起きロ!!! エド!! 目を覚まセ!!!!」
リンが叫ぶが、エドワードの四肢は完全に弛緩し、だらりと垂れている。エンヴィーの舌に、無数の腕に絡め取られていくエドワードの身体。
「エド!! しっかりしなさいよ!!!」
凛が砲撃を放つ。自分の狙いが甘いのは重々承知しているため、エンヴィーの顔ではなく首の根元、人間ならば急所に当たるはずの場所を狙撃する。けれど、エンヴィーはびくりともせず、穿たれた穴は即座に赤い光を放ちながら、ぼこぼこと湧き出てくる人間たちによって埋められ再生していく。
そして、なす術もなくエドワードがエンヴィーの口の中へと取り込まれてしまった。これ見よがしに音を立てて、エンヴィーの口が閉じられる。並ぶエンヴィーの白い歯列がやけに鮮やかに目に入ってくる。
ニヤリと眼を細めながら、少年と少女を見下ろす。
ケタケタケタケタと、エンヴィーを覆う人間たちの口が一斉に嗤う。
「偽・螺旋剣」
その笑い声にかき消されない低い声。
同時に放たれる赤い閃光。それが、エンヴィーの右の前足を貫く。
「ぎぃ!!!?」
衝撃にエンヴィーの歯の隙間から声が零れる。
足を貫いているのは、歪に捩子くれた剣のような矢。足に生えた人々が、それを引き抜こうとしてワラワラと手を伸ばす。だが、剣に手がかかるよりも早く。
「壊れた幻想」
更に呪文の詠唱が続いた。
詠唱に応え矢に込められた神秘が内側から爆発を引き起こした。その威力は、エンヴィーの太い右足の全てを吹き飛ばしてなお余りあるモノ。
赤い炎が上がり半身を焼けこがせ、爆発の衝撃に、エンヴィーの身体が崩れ落ち、盛大な水音を立てて血の海の中へと倒れていく。血液が被り音を立てて火は鎮火するが、肉の焼け焦げる血なまぐさい臭いが立ち込める。
それだけの攻撃を仕掛けた張本人は、赤い外套を翻らせ血の海に斜めに突き刺さる柱の上で危なげなく立ち、エンヴィーを油断なく睥睨している。
「遅いわよ! アーチャー!!!」
危機的状況に駆けつけてきた従者に対して、非難の言葉を上げるマスター。
「やれやれ。大急ぎで駆けつけてきた忠義者に対する言葉がコレか」
アーチャーは息を吐き出し肩をすくめて皮肉を言うが、敵から一切眼を離していない。相手がどんな行動に出てもすぐさま応じることができるよう、空の弓を引き絞り続ける。
「さて、凛。これは一体どういう状況なのか説明してもらえるか? そもそも、この幻想種のなりそこないのような化け物は一体何なのかね?」
赤い光を放ち、攻撃を加えた部分が再生される様を驚くこともなく眺めながら凛に問う。
「そいつは、エンヴィーとかいうホムンクルスよ。アレに、馬鹿エドが飲み込またの!」
一息に凛がこの状況を説明する。
「やはり、いきなり頭を吹き飛ばして倒してしまわなかったのは正解というわけだったか」
物騒なことを言ってのけるが、アーチャーの能力から考えればソレくらいは可能だろう。もっとも、再生を繰り返しているエンヴィーがソレで殺しきれるかどうかは別問題だか。
それでも、アーチャーならば死ぬまで攻撃をしつづけられるし、そのことに躊躇いを覚えることもない。彼は、これまでそうやって戦ってきたし、これからも戦っていくのだから。
「とにかくエドワードを助け出さないと……」
凛が言っているうちに、倒れるエンヴィーの口の中の歯が内側からはじけ飛んだ。そこから出ているのは黒い革靴を履いた足。
「ここから出せ、エンヴィー!! 口の中臭いんだよ!!」
ジタバタと片足だけがエンヴィーの口から生えて、もがいている。
「ふむ……助けるまでもないようだ」
投影した矢を放つ直前だったアーチャーが、元気すぎるエドワードの足を見て息をつく。
「このやろう、出しやがれ。前歯全部へし折るぞ!! この空間から出られるかもしれねぇ!! 協力しろ! エンヴィー!!!」
口の中から叫んだエドワードの言葉。その意味を理解するまで、一瞬誰もが呆けた顔をした。
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