エドワードが診察室を出ると、廊下の壁に背中を預けている少年の姿があった。
「こんなところで何やってるんだ、アーチャー」
「夕食後からルビーの姿が見えなかったのでな」
「あいつなら、ウィンリィのおもちゃになってるよ。ウィンリィの奴、昼飯時からずっとあいつを弄りたくてしかたなかったみたいだったし。念願かなって、はりきってるぜ」
「そのようだ」
壁の向こうから、女の子のはしゃぐ声が聞こえてくる。
少年二人の会話が止まった分、その声はより顕著になったようでさえあった。
――――き、きつい……もうちょっと……緩めて……
――――やめっ……くださ……、そんな……硬いもの……ねじ込んでっ……くっ……ああ!!
やたらとなまめかしい女の子同士が絡み合う声。
「…………………………」
「…………………………」
少年たち二人が無言で顔を見合わせ、同時に息をつく。
「あ~、えっとだな。その、場所を変えないか。さすがに、ここで会話はちょっと……」
壁を一枚挟んでいる分くぐもって聞こえるため、そのなまめかしさは余計な想像をかき立ててしまう。まっとうな青少年としては、この場で会話を続けていられるほどの理性が保てるかどうか不安である。
「……そうだな。反対はせんよ」
アーチャーはそんな青少年の苦悩に理解を示し、エドワードの提案に同意した。
「それにしても、アーチャー。よくあんなのとつきあってられるな」
別室に移動して、アーチャーの向かいの椅子に腰を下ろしたエドワード。
「あんなの?」
「キチガイステッキのことだよ」
エドワードがルビーを指して言う言葉には呆れが混じっている。先ほどまでの騒動を思えば、それも仕方ないことと言えるかもしれない。
「エドワード。キミが話したいのは、そんなことなのかね」
だが、アーチャーはただの前置きでしかない会話につきあう気は毛頭ない。
アーチャーに問い返され、エドワードは首を横に振る。
「さっき、ウィンリィから聞いたんだけど、凛たちは北に向かったらしい。アーチャーは、やっぱり凛を追いかけるんだろ?」
「ん――――ふむ」
エドワードはすぐに肯定されるとばかり思っていたが、アーチャーは顎に手をあて半瞬だけ考える。
「いや。それは、やめておこう」
「は!?」
予想外の答えに、思わずエドワードは腰を浮かせる。
「なんでだよ?」
「私がキミたちに同行しては迷惑だというのであれば――――」
「そんなことは言ってねぇ!!」
アーチャーの言葉をエドワードが途中で遮った。
「あぁっと、あのキチガイステッキは別にしてだけど」
エドワードは自分の声の大きさに自分で驚き、自分がなぜこんなにも苛立っているのかわからないまま、慌てて取り繕うように早口で続ける。
「凛たちの居場所がわかったってのに、なんでお前は行ってやらないんだよ。凛のやつは、お前を取り戻そうと必死だった。今も、きっとお前のことを心配してるんじゃないか?」
エドワードは話しているうちに、自分の気持ちに気がついた。ようは、アーチャーの態度がもどかしかったのだ。
食事の席で凛たちの話題が出ても、さして興味も示さず、彼女の居場所がわかっても、すぐに合流しようとしないアーチャー。心配していない訳ではないだろうが、それでも積極的な態度を示さないアーチャーを見ていて、もどかしくなっていたのだ。
「エドワード、キミの意見もわからなくはない。もっとも、現在マスターが私を心配しているかという点については、少々疑問の余地もあるがね」
くっと皮肉に口をゆがめながらも、先を続ける。
「だが、今から北に向かっては『約束の日』に間に合わなくなるだろう」
『約束の日』は数日後に迫っている。そんな状況下で北へ行ってしまえば、『約束の日』を逃してしまうことになる。
「ばっ! アーチャー、そんなのはどうでもいいし、どうとでもなる。自分たちの国のことは自分たちで何とかする。だから、俺たちの事なんて気にすんなよ」
「どうでもいいとは、また随分な言い方だな」
興奮するエドワードに対して、アーチャーはどこまでも冷静だ。
「あんたらにとっては、それこそ文字通り違う世界の話なんだよ。だから、まずは自分たちのことを一番に考えればいいんだ」
反論するエドワードの口調にも自然と熱がこもる。
「そうだな。それが、賢者の考え方なのだろう」
アーチャーは厭世的な笑みを浮かべたがそれはすぐに消えてしまった。
「こちらの方のことは心配しなくてもいい。それに、凛も『約束の日』に行動を起こすだろう」
あとには、いつも通りのアーチャーがいる。
「どういうことだ?」
エドワードにはアーチャーが何を考えているのかわからない。ただ、少なくとも彼は自分が見通している以上の未来の予測を立てた上で行動しているということだけはわかった。
「彼女もまた、強欲だということだ。自分たちが帰るついでに、こちらの世界に首を突っ込むつもりなのだろう」
「……ついで」
「そう。彼女に言わせれば、『ついで』になるだろうな」
喉を鳴らして笑うアーチャーの表情はどこか楽しげだ。
「そっか。そんじゃアーチャーはしばらく俺らと一緒に行動するってことか」
エドワード自身はアーチャーの答えに納得したわけではない。けれど、アーチャーが決めたことをこれ以上第三者である人間が口出しすべきではないと考えた。
「とりあえずカナマに移動する。ホムンクルスサイドのことを知っている奴がそこにいるらしい」
「信用できるのか?」
「……信用はしたくねぇけど。しょうがないだろ、絶対にアイツは、色々と知ってるんだから」
憮然とした表情のエドワード。その態度がそれ以上の追求を拒んでいる。
「とにかく、今夜のうちにも、出発しようぜ」
夜になってからの出発を選択したのは、目立つことを避けるためだ。軍に手配されている現在、夜の闇に紛れて移動した方がいい。
「ああ、そうだな」
そう言って、アーチャーは立ち上がり部屋の出口へと向かう。
「どこ行くんだ?」
「そろそろ、ルビーを救出しておこうと思ってね。アレでも、一応は助けておいた方がいいだろう」
「一応……」
嫌々ながらという様子を隠しもしないアーチャーにエドワードが苦笑する。
「その後は、念のため出発まで見張りをしておこう。準備ができたら声をかけてくれ」
「りょーかい。いつも悪いな」
エドワードの言葉に背を向けたまま片手をあげて応え、部屋を出た。
「うわ~~ん。ひどいっ! ひどいです。正義の味方にまで見捨てられるなんて、神も仏もあったものじゃありませんっ!」
どこからか取り出したハンカチをちぎらんばかりにひっぱって嘆くマジカルステッキが一本。すすり泣いたり、相手を非難したり、嘆いたりとやたらとかしましい。単独でここまでかしましくすることができるのはある意味、才能かもしれない。
「自業自得だろう。それに、キミが神や仏を信じているとは知らなかったよ」
まったくもって自責の念というものがないルビーにかなりうんざりしながらアーチャーは答える。
――――彼女を回収したのは間違いだったのかもしれない。
そんな確信に近い考えがよぎる。
時間は夕方。
夜のとばりが降りはじめ、西の空は沈む夕日に赤く染まり、東の空から濃紺の闇が押し寄せてきている。もうまもなくすれば、完全に闇が世界を覆い尽くすだろう。
そんな空を、アーチャーはロックベル邸の屋根の上から見上げる。幸い、この家は周囲よりも小高い丘の上にあるため、見晴らしは良くどこから人が来ても先制できる。
アーチャーは肩の上にいるうるさいルビーの愚痴を聞き流しながら見張りをしていた。
「ま、確かに。神や仏なんて、どうせ自分と自分を信じてくれる人しか見てないですし。そんな輩を信じてなんていませんけどね」
アーチャーに相手にされないと理解し、ケロリとした様子で素に戻る。
「ところでアーチャーさん、一つ確認したいことがあるんですが」
そのルビーの口調が変わった。
常のふざけたモノから、真剣なモノへと。とはいえ、彼女の場合は本人が真剣なつもりでも周りからすれば冗談にしか見えないことが多々あるため、油断はできない。
「………いっそ、彼女の手伝いをしてやればよかったかね」
アーチャーでもルビーの解析は困難だ。さすがは、魔法使い謹製というところか。だが、アーチャーが所持する剣群の中には、あるいは分解に役立つモノもあるかもしれない。
たとえば、『破壊すべき全ての符』ならばステッキからやっかいな人工精霊を外せる可能性がある。
「なにやら、物騒なことを考えていますね。全く、何でも力業で済ませようとするのは困ったモノです。ですが…………ソレ、実行可能なんですか?」
いつもと変わらない調子でルビーが問いかける。
「問いの意味がよくわからんな」
「しらじらしいですね。わざわざ二人っきりになれる機会を待ってから聞いているというのに。はっきり聞かないと答える気はありませんか? なら、正確に言葉にしましょう」
日が沈む。
地平線を深い紫色に染めて。
その色もすぐに闇色へと塗り替えられる。
その中で、ルビーの澄んだ声が響く。
「アーチャーさん、宝具の投影ができないんじゃないですか?」
ルビーが駆け引きも何もなく、ただまっすぐに問いを放つ。
「また、大層なカマをかけたものだ」
アーチャーはルビーの言葉に失笑する。
「ギリギリ及第点というところか」
アーチャーはグリードを内に取り込みホムンクルスとなって以降、一度も宝具を使ってこなかった。そこから、宝具使えないと推測するのは難しくはない。
「何か、含みのある言い方ですね」
「サーヴァントが己の手の内を簡単にさらすと思っているのだとしたら、その勘違いは改めておいた方がいい」
それで話を切り上げられてもおかしくはない。しかし、アーチャーの話はそこで終わらず「だが………」と続ける。
「おかしな当て推量でもされてはかなわん。しかも、キミの推測があながち的外れではないとなると余計にな」
そう、前置きをしてからアーチャーは今の自分の状態を説明し始めた。
「宝具の投影は、可能だろう。ただし、その際には相応のリスクを払うことになる」
「リスク? もしかして、グリードですか?」
「ああ。現在、私が投影などの魔術を使う際の魔力は、賢者の石から得ている。多少の魔力ならば問題は生じない。だが、宝具のような魔力を喰うモノを投影しようとした場合、賢者の石を刺激しすぎてグリードを押さえきれなくなる可能性がある」
その実例が過日のキメラ研究所での出来事だ。
片腕の喪失、それを賢者の石が自動的に復元しようとした結果、グリードの存在を押さえることができなくなった。あの時は、すぐに主導権を取り戻せたが、次もうまくいくとは限らない。
「つまり、宝具のような魔力を使う投影をしようとすると、導火線に火をつけることになってしまい、下手をしたらそのまま爆発しかねないということですね」
「その例えはどうかと思うが、概ねその通りだ」
そこまで話し終えたとき、眼下でハインケルたちが車の準備をしているのが見えた。どうやら、もう間もなく出立できるらしい。
「さて、この話はこれで終了だ」
言外に、他言無用であることを伝えるとルビーは神妙な様子で頷いた。
それを確認し、アーチャーは屋根から音も立てずに飛び降り、彼らと合流した。
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