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   鬼志茂 5
 夜半。
 茜は、ボソボソという人の話し声で目を覚ました。
 明かりの無い部屋の中は、真っ暗だ。障子の向こう側には、庭木の陰がゆらゆらと揺れている。どうやら、外は月夜で明るいようだ。
 うっ、寒っ。
 トイレに行きたいなぁ。
 昼間はそうでもなかったが、夜は結構冷え込んで寒い。茜は身震いをして、布団を抜け出した。玄鬼は、部屋の隅でごろりと横になったまま寝入っている。
 縁側との境の障子を静かに開けると、そこには幻想的な世界が広がっていた。
 暗い夜空に、ぽっかりと浮かんだ白い満月。その煌々とした光に照らされた稲穂が、風に吹かれてさわさわと揺れている。乱舞する蛍の群れが、満天の星と混じりあう。
 それは、現代では見ることができなくなった、どこか懐かしい風景――。
 うわぁ、綺麗……。
 じゃなくて、トイレトイレ。
 茜は、月明かりの下、昼間の記憶を頼りにトイレに向かった。
 家の角を曲がったところで、薄ぼんやりと明かりの漏れている部屋があった。
 そこは確か、お香の部屋のはず。
 お香さん、まだ起きてるのかな?
 ボソボソ、ボソボソ。
 どうやら、話し声はお香の部屋から聞こえてくるようだ。
 茜は、何となく足を忍ばせて、ゆっくり部屋の前を通り過ぎた。と、そのとたんに、ピタリと話し声がやんだ。
「誰? 茜ちゃん?」
「あ、はい。ちょっとトイ……厠に行きたくなって」
 シュルシュルと衣擦れの音がして、お香の部屋の障子がゆっくりと開く。中から現れた、白い寝間着姿のお香に、茜は思わずドキリとした。
 お香は美しい女性だ。だが、今の彼女は美しいと言うよりは、『妖艶』だった。
 闇の中。月明かりに照らされ、蝋燭の揺れる炎に浮かび上がったその輪郭は、どこか怪しく艶やかだ。
 もしかして、横恋慕の城主とやらが来ているのかも。そう思ったが、半開きの障子の向こうには、お香の寝ていた布団が敷いてあるだけで誰もいない。
 あの話し声は、お香さんの独り言?
「明かりが無いと危ないわよ。これを持って行って」
 お香の声に、茜は我に返った。
「あ、ありがとうございます!」
 茜は、ぺこりと頭を下げて、釈然としないままトイレに向かった。


 そして、翌日。
 目覚めた瞬間、すべてが夢だったことを期待していた茜は、目の前に広がる現実に大きなため息をついた。
「起きるなりため息なんて、辛気くさいな茜。ため息の数だけ、幸せが逃げていくと言うぞ」
 朝から、絶好調の玄鬼にさらにため息をつく。
 こいつの性格が分かってきた。
『おちゃらけノーテンキ猫マタ』
 その茜の心の声を読んだのか、玄鬼は愉快そうに『ふふん』と鼻を鳴らした。
「朝飯が終わったら、町に行くぞ」
「え?」
「何事をするにも情報収集が肝心だ。まずは現状を把握しなくては何も動き出せない。まあ、そういうことだ」
 何の気まぐれか、猫マタ君は茜を助けてくれる気になったらしかった。そうとなれば、善は急げだ。
「お香さん、私たち、今日は町に行くことにしました。あ、ほら、稼がなきゃいけないし」
 朝食の後、茜はそうお香に告げた。何も問題は無いはずだった。
 だが――。
「え? 町に行く?」
 お香は何故か、あからさまに動揺したのだ。
 嫌な沈黙が落ちる。
「あ、あの、お香さん?」
 お香の意外な反応に、茜は首を傾げた。 当のお香は、形の良い弓形の眉根を寄せて、何か言い淀んでいる様子だ。
「お香さん?」
「……いえ。気を付けて行ってらっしゃい。お昼を用意して待っているわね」
 向けられる笑顔も、どこか力が無いように思える。
 なんだろう、この違和感。
 茜は、意味もなく胸の奥がざわついた。
「あ、はい。ありがとうございます……」
「茜、行くぞ!」
 一宿一飯の恩義も忘れて、挨拶には興味がない玄鬼は、きびすを返してスタスタ外に向かい歩き出した。そのまま中庭を突っ切って、裏門の方へ歩いていく。
「ま、待ってよ玄鬼!」


 茜は、お香にペコリと頭を下げてから慌てて後を追った。
 中庭の美しい草花の間を駆け抜け、裏門の手前で玄鬼に追いついた。もっとも、玄鬼が門の手前で立ち止まっていたから追いついたのだが。
「どうしたの? 行かないの?」
 裏門を睨んだまま、渋面を作って何か考え込んでいた玄鬼は、『ちっ』と小さく舌打ちをした。
「カタクリ、露草、曼珠沙華……」
 呻くように呟く。
「え?」
「一緒に咲くはずのない花が咲いておる……。俺としたことが、抜かったな」
 花が、どうしたの?
 ヌカッタ?
 意味が分からず顔にクエスチョンマークが浮かんだ茜に、玄鬼は更に物騒なことを言った。
『鬼女は、すでに生まれている』と。




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