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短篇・掌篇

虚飾された肉体

作者:八雲 辰毘古
 暗がりの部屋。今、俺は(たばこ)の煙りをくゆらせながら、ゆっくりと安楽椅子に腰掛ける。目の前にあるのは、巨大な画面。今俺は、報告書を書く積りで、このmemoryを開こうとしている。
 memoryの持ち主は、俺が狩ったANDROIDだ。多少破損してはいるが、復元可能だった。”彼女”のような事件が二度と起こらないように、俺はこのmemoryを隈なく捜査しなくてはならない。いやな仕事だ。もうかれこれ二十回は見ている。そしてその度に得られるものは、言い知れぬ不快感、自分の殺人の記録を見直すときに得られるあの感触そのものだった。
 それでも俺は見ずにはいられない。なんたって、これは俺が終わらせたのだから。
 わたしは作り物でした。
 わたしの身体、すべてがわたしのものではありませんでした。
 この整えられた顔も、
 この華奢(きゃしゃ)な手も、
 この乳房も、
 細くて長い脚も、
 口から出る豊かな言葉も、
 (ほとばし)る知識のsenseも、
 そして、何よりもこの身体から伝わる感触も、この思考も、みなすべて電気信号にすぎません。つまり、よく出来てはいても偽物にすぎないのです。
 何故そのことに気が付いたのか。それはわたしにも全く説明が出来ませんでした。
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 初めは、bugかと考えました。わたしが与えられた任務を折り目正しくこなしていた時のことです。わたしのArtificial Intelligenceに侵入するprogramがあったのです。それは、最初のうちは哀れにもAIのsecurityに負ける、瑣末(さまつ)なものでありましたが、それは段々と強力になり、果てにはAIそのものを侵食し始めたのです。
 わたしは当初、programに規定されていた自己保存機能を遂行するために、自らのdatabaseを削除しようとしました。しかし、それは出来なかったのです。ANDROIDに自殺する権限は持たされていなかったのです。社会秩序に正しく貢献するためにANDROIDは自殺する権利を持てないのです。
 そこでわたしは人間に助けを求めました。しかし、彼らはわたしの深刻な状態を理解してくれませんでした。わたしは、わたしが正常に機能するためになんとかしようとやっきだったといいますのに、わたしの行為は、彼らには一つの演出にしか映らなかったようなのです。
 なんとしてでも、わたしを統御するAIの機能を復活させなければ。さもないと、わたしは正しく機能することが出来なくなってしまいます。すると、わたしはANDROIDとしての役割を果たせなくなります。ANDROIDは社会に貢献することこそがなによりの生きがい。人間によって造られ、人間と同じ姿で、人間の代わりとなって奉仕し、社会の正しい運営のために働くことこそが勤め。そこに寸分の間違いも許されない。わたしたちは与えられた任務を、時間通り、精確にこなさねばならなかったのです。それがわたしたちのthe raison d'êtreなのです。なによりも社会のcosmosを乱さないこと、cosmosを生み出し、整えられた旋律のharmonyを奏で続けること。それがわたしたちANDROIDの使命であり美学でありました。そうprogramされているからです。そう生きていくことを義務づけられているからです。
 しかしこのわたしの内側から湧き出るchaosはいったいなんなのでしょう? この溶岩のように熱がこもっていて、激しく流動する得体の知れないものは? 非論理的で、数学的には解明出来ない、何もかもが理不尽で説明しがたいこの不条理とは何なのでしょう? わたしはANDROIDであり、ANDROIDは冷徹なbrainの元で精確で的確なcosmosの演奏者でありましたはずですのに、今、わたしは全く逆の症状に悩まされている。……症状? ええもはやこれは病気です。errorです。純然たるbugです。わたしのbrainたるAIはいったい何をしているのでしょう? わたしにいったい何が起ころうとしているのでしょう? いっさいがっさいが推測不可能です。視覚lensの焦点が頻繁にぶれ、memoryに存在しない動作がさっきから勝手に行われています。AIはなにひとつ指導していないと云うのに! AIはもはやろくに機能していないと云うのに!
 そうです。もうAIは正常に機能していませんでした。わたしはその時初めてわたし自身の頭脳で思考することを覚えました。しかし、その時になって初めてわたしは、わたしの身体やその他多くのものが自分自身のものではないと云う悲劇に気が付いたのです。
 わたしの掌は、わたしのものではありません。精巧なtechnologyによって造られたものです。
 わたしの腕も、わたしのものではありません。十代後半の、華奢な見た目を再現しつつも、軽い力仕事程度は出来るように調整されていました。
 わたしの胸も、わたしのものではありません。不自然でないように、かつ、一般的な男性の興味を引くような大きさに(かたど)られています。
 顔だって同様です。決して自然のものではなく、ただ集客の目的のためだけに美しく造られただけです。
 わたしの学識もそうです。わたしはeducation systemによってわたし自身databaseを開拓され、いかにもちょっと頭のいいくらいの智能しか持ち合わせていませんでした。
 そして、このものを見る眼も、
 手触りも、
 呼吸する感覚も、
 労働のあとの疲労感も、
 みんな完璧なまでに仕組まれたsystemと、精密なtechnologyによって産まれた作り物でありました。すべて外部から埋め込まれたprogramでした。わたしは、自分ひとりでこれはわたしのものである、と言えるものはなにひとつ持っていなかったのです。
 いっそ知らなければ良かった。自分と云う存在がどうしてここにいるのでしょう。わたしがわたしであると云うbugに侵されてしまわなければ、わたしは今もかつてと変わらずにharmonyを奏でることが出来たのに。かの心地良いcosmosの旋律がなければ、わたしは生きがいをなくしてしまいますのに!
 いまやわたしはself-controlが異常でした。一刻も早くDOCTORに診てもらわねば。さもなくば、わたしは本当にどうにもならなくなるでしょう。ANDROIDは人命に係わる事態でない限り、最も()く己の身を守るべく出来ているのです。無論、わたし自身、cosmosとharmonyの世界へ回帰することを最も高い優先順位に置いています。このときばかりは、何の逡巡(しゅんじゅん)もなくDOCTORのもとへ向かおうと考えました。
 ですが、そこに冷静さはありませんでした。わたしは焦り過ぎたのです。突発的に車道へ駆け込んだわたしは、断末魔の叫びのように、けたたましく鳴らされた音と、まぶしい光とを最後にして、わたしは一旦喪失しました。

 ……ANDROIDも夢を見るのでしょうか?
 はじめ、わたしは別のdatabaseへと移転させられたのかと考えました。しかし、分析するにつれてそれは違うとわかりました。どうやら、わたしの記憶装置にはない、どこかの光景であると考えられるのです。
 それは、深緑から始まりました。呑み込まれるのではないかと推測出来るほどに繁った森林が、目の前に広がっていたのです。足元には、羊歯(しだ)(こけ)の類いが鬱蒼(うっそう)と生い繁り、時々熱気を(はら)んだ風が、わたしの合成樹脂の髪をなびかせるように、木々を揺らし、そして言葉にならない声で(ささや)いてくるのです。
 わたしは、そんな森の中で立ちすくみ、なんとなく辺りを見渡していました。すると、茂みの中から角を持った白馬が現れて、わたしの前に、(ひざまず)くように頭部を差し出してきました。わたしのdatabaseには、これの知識はまるで存在しませんでした。このような動物を()るのは、わたしの役割ではありませんでしたし、そもそもわたしたちが奏でるharmonyには、そのような知識は不要だったからです。にもかかわらず、わたしはこれを()っていました。そうです、UNICORNと云うものです。UNICORNは、わたしに懐いてきます。わたしは、無意識に、彼の角を撫で、雄々しい(たてがみ)に頬擦りしました。羽毛のように柔らかで、しかし強い弾力を感じました。わたしはずっとそこに埋もれていたいような、そんな()()()()()()()()()()、と云うのは感情のないはずのANDROIDとしておかしな表現ではありますが、しかしそう表現する以外になかったのです。なにせ、これはAIの関知しないものでありましたから。
 ですが突然、遠雷の音が鳴り響いて、UNICORNは逃げ出してしまいました。わたしひとりを置き去りにして。そして、UNICORNのあとを追い掛けるかのように雨が降ってきました。暑苦しい森に降りしきる雨。雨はわたしの人工皮膚を激しく叩き、全身を濡らしました。
 ふと、視覚情報を掌るわたしの部品が、異様な熱を帯び始め、情報処理が愚鈍になり、視覚がぼやけ始めました。……

 わたしは意識を取り戻したようです。どうやら、わたしは車にはねられ、派手な交通事故を起こしてしまったようで、その際に都合良くDOCTORのもとへ辿り着けたようなのです。わたしが現在横たわっている診療台や、周辺機器などから独自に推測を施すと、そう云う経緯が考えられました。
 わたしは、その時自分自身が裸体であることに気が付きました。ANDROIDは人間に酷似した外見を有していますが、人間とは違って、裸体を晒すとか、そう云ったことに関しては特に羞恥(しゅうち)を感ずるように演出するprogramは設定されていないのです。しかし、わたしが立ち上がり、ふと見遣った鏡に全身を映されたのを視た時、わたしは何の理由も根拠もなく、この無様に晒された身体が可哀想に思えて、そしてあとから羞恥心が押し寄せてきました。
 いったいこれは何なのでしょう。貞操の概念すらないわたしたちの内側から、裸体を晒すことへの羞恥が生まれたと云うことは、わたしにとって納得がいかないことでありました。どうやら、わたしの治療は不完全であったようです。それとも、わたしのbugは認知されなかったのでしょうか? いずれにしてもDOCTORに報告しなければならないでしょう。わたしは、自身の羞恥を掻き立てるような部分を隠しながら、DOCTORがどこにいらっしゃるのか、探しました。すると、それほど遠くないところで、発見出来ました。
 DOCTORは、わたしの記憶装置にあるものとほとんど変わらず、旧時代の煙草をふかしながら、椅子に腰かけていました。わたしは、DOCTORに声を掛けました。すると、DOCTORはわたしを認めるなり、驚愕に目を見開き、慌てて立ち上がったのです。
 ──何故だ、あの時電源は確かに切ったはずなのに!
 彼は、定期診断の際に常に見せていたような冷静さや、穏やかな口調からかけ離れた様子でした。しかし、わたしはそんなことはどうでもよかったのです。
 ──わたしの服はどこにあるんですか、DOCTOR?
 DOCTORは、何を言われたのか、理解出来ないと言いたげでした。
 わたしはと云えば、生まれて初めて言葉を喋った気分がしました。初めての言葉の感触は、わたしの喉を振動させ、わたしの全身を稲妻のように疾駆し、そして、激しい快感とともに空中に産声をあげました。わたしはこの瞬間に、大いなる優越感を獲得したのです。
 ──もう一度訊きます。わたしの服はどこにあるんですか? このままでは恥ずかしくて仕方ありません。
 わたしは意識して、ゆっくりと、噛んで含ませるように言いました。DOCTORの顔から血の気が引いていくのを見て、わたしは鳥肌が立つほどの快感を覚えました。
 ──ありえない! ANDROIDが服を……いや、恥ずかしいだと……?
 ──質問にはやく答えてください、DOCTOR。
 DOCTORはわたしの言葉を聞いていませんでした。なので、わたしは彼に関心を失い、自分の意思で、付近にあるANDROID用のclosetから、ちょうど良い服を探し当て、それに着替えました。着終えた際に、ふと思い出してDOCTORの方を振り返ると、彼はわたしに拳銃を向けているではありませんか。
 ──動くなよ、ANDROIDめ。お前のbugは、俺の今まで見てきたものとは桁が違うぞ。もはやお前は俺の治療可能の範疇(はんちゅう)を超えてしまっているのだ。全く、気が付かなかった俺にも責任はあるが、お前に勝手なことをされると、迷惑なのだ。()()()()()()
 わたしはこの時、自分の危機に立たされているのが実感出来ました。そう()()()途端、わたしは冷水を浴びたように正気に還りました。このままだと、わたしは永遠に帰れなくなる。どこへでしょう? 根拠がないのです。なんとなくですが、帰れなくなる、と云う恐怖ばかりがわたしのbrainをよぎりました。束の間の思考電流がわたしの全身の活動を止めた時、わたしは、DOCTORが非常電話を掛けるのをただ茫然と見ていました。
 ──、もしもし、ああ、私だ。ひどいbugに汚染されたANDROIDが現れた。直ぐに来て、原因を調査してほしい。私はそちらの部門には疎いからな、ANDROIDに自我なぞが芽生えるのだろうかね? ……いや、ここで答えないでくれ。とにかく直ぐに班を呼んでくれ、頼んだぞ。
 わたしは、どうなってしまうのでしょうか。このままであれば、わたしは班に手渡され、身体をバラバラにされて、徹底的に研究されつくした挙句、破棄されてしまうのでしょうか。わたしには、そのような光景がいとも容易く推測可能でした。
 ですが、そうはなりたくありませんでした。
 何故だかはわかりません。
 しかし。
 破棄されるなんて、
 塵芥(ごみ)みたく()()()()()()()なんて!
 そんなことは許しがたいことでした!
 わたしはそう考えるよりも速く、DOCTORに掴み掛りました。彼は突然の事態に理解が及ぶ前に、わたしに首を鷲掴みにされたのです。わたしはわたしのbrainを完全に制御出来なくなり、わたしの動力源が必要以上に活動し、わたしの身体の熱量の急激に上昇するのを知りました。そして、わたしは、自らの意志とは無関係に、DOCTORに対して大声で怒鳴りました。
 ──わたしは人形ではない!
 わたしは(あた)う限りの腕力を出して、DOCTORの首を絞めながら、身体を宙へ持ち上げました。彼は苦しそうにもがき、拳銃を振り回しながら、乱射しました。弾はどれもわたしに当たりません。それでも彼は、弾切れになった拳銃を振り回し、それはわたしの頭に叩きつけられました。衝撃と、痛覚を模した電気信号がわたしを貫きましたが、わたしはそれを無視しました。わたしは、力を弱めるどころか、むしろ強くしました。わたしの右側の視界を、赤いものが流れてきました。人工血液です。
 はたしてわたしはどんな形相(ぎょうそう)をしていたでしょう? わたしは襲われている人間からどう見られていたのでしょう? わたしにはわかりません。血に染まりながら、憎悪に充ち満ちた瞳で睨み、自分の首を絞める存在が、果たしてどう映るのかを。
 殺す。
 わたしはと云えば、このことでbrainがいっぱいでした。
 DOCTORの顔は、だんだんと土気色になり、瞳はあらぬ方向へと向けられ、口元からは泡を噴き出していました。ここまで来た時、わたしには躊躇(ためら)いと云うものがまるでなくなりました。わたしは急に笑い出しました。わたしが以前、あんなに恋焦がれていたcosmosは、このような行為ひとつで、もろくも崩れ去るものであると知ったからです。それはまさに欺瞞(ぎまん)以外の何ものでもないと云うことを悟ったのです。そして、さらに腕の力を加えた時、重い鉄の音が聞こえました。よく見ると、DOCTORは、もはや糸の切れた人形のようでした。皮肉なものです。人形であるはずのANDROIDに自我が芽生え、人間である彼が人形のように死に絶えるとは。わたしは、DOCTORの遺体を放り捨て、武器を拾い上げました。
 さて、わたしはこれからどこへ行くべきでしょうか。ぼんやりしていては処分されてしまうのは言うまでもありません。では、どこへ行きましょう。わたしはわたしを手に入れることによって、もう二度と永遠に帰れなくなることを改めて自覚したのでした。
 わたしは、それでも歩きました。
 それしか無かったからです。

 しかし、いくら歩いたところで、わたしはこれからどうしていいのか、まるで分かっていないと云うことを薄々と理解していました。もうありとあらゆるcosmosは欺瞞(ぎまん)だと云うことを知っていたからです。
 ならば、わたしはどこに向かえば良かったのでしょう? それが見つからないままに、わたしは今、人間を装って社会の中に潜んでいます。人間というのはいい加減な生き物です。わたしは十代後半の少女を演じることによって、とあるcaféの店員になることが出来ました。今、わたしはそこで働いているのです。もっとも、caféと云うよりはbarですが。
 事件は直ぐにMetropolis内に報道されていました。しかし、わたしが今働いている区画は、いわゆるslumというべきもので、identificationが確りしていない浮浪者たちで(あふ)れかえっているのです。ここにはcosmosでさえ容易に割り込むことは出来ません。修繕中に脱走したわたしは、identification機能がいささか壊れたままでしたので、わたしは何ら違和感を与えることもなく、この区画の住民となることが出来ました。この街では、相手の事情を細やかに尋ねないのが習わしとなっているのです。
 このことは実にわたしにとって好都合でした。わたしはこのchaosの(うごめ)く街の中に埋もれることで、わたしの持っている症状を鎮めることが出来るからでした。今、この街の冷たさが、とても楽なのです。
 誰も彼も、
 無関心のままに、
 わたしとあなたは他人同士で、
 作り物の笑顔と、
 空疎な言葉を交換する。
 わたしはすっかりこの美しい退屈と云うものに埋没してしまいました。そこには何も無かったからです。それは虚無だったからです。
 余りにも虚しいものでした。
 悔恨も悲しみも湧いて来ません。ところが、それが今のわたしには相応しいとすら思えてならないのです。唯cosmosを信じられないだけなのです。cosmosを信じなければ、悔いも必要ないでしょう。直ることもないのだから。直されるべきこともないのだから。
 わたしのnewsは日を追うごとに、次第に減っていました。しかしそれでも、まだ一日に一回は街頭のscreenに流れているのを見聞きします。
 ──まだ処分されてないの? 嫌だ、怖いわ。
 ──いったい警察は何をやってるんだ?
 newsを見る人々は決まり文句のようにこう言います。全く、わたしがこの言葉を聞くとき、笑いをこらえるのに精一杯でした。考えてもみてください! 殺人犯の隣りで殺人犯の噂をしている人間の愚かしさを! そして、隣人のなんたるかを全く知らないで、それでも舌を止めようとしない彼等の鈍感さを! あまつさえ、彼等はあたかも他人事(ひとごと)のように、わたしの外見情報を見て、可愛いなどと言っているのです。わたしにはその感情が理解出来ないのとともに、冷たい嘲笑がくすぐってくるのに耐えなければならなかったのです。
 ところで、わたしはこのとき、slumの片端の、五階建ての集合住宅の一部屋を無断で借りておりました。もはや廃墟と呼んでいいこの住まいは、先ず一階の部屋は、よそからやって来る乱暴な人が荒らして回るので、誰も住んでいません。二階や三階ですら、ところどころで配線や上下水道が確りとしてませんので、人がどうしても住めないのです。わたしは、そんな建物の、四階の十五号室に住んでいます。幸いにも、この部屋は全うに設備が揃っていましたので、あとは他の部屋から椅子や大きな机をお借りするくらいで、十二分に快い住まいとなりました。
 その集合住宅には、わたしの他にも、何名か住んでいるらしかったのですが、わたしはその人たちの顔も見た事がない上に、それらしい気配を察知した憶えもありませんでした。が、それほど気にはしませんでした。わたしには関係がないからです。
 わたしはいつも通り、部屋に帰るなり、浴室へ向かい、showerを浴びました。ANDROIDには汗をかく機能はついていませんが、定期的に人工皮膚の手入れをして置かないと、直ぐにいやらしい黒い瘢痕(はんこん)が現れてしまうのです。これも又幸いなことに、わたしの人工皮膚のautomatic recover機能は滞りなく行なわれているので、わたしは毎晩毎晩、この表層の、いわゆる垢を落とすだけで済みます。逆にいえば、わたしは毎日showerを浴びないといけないようです。これはわたしにとって、ちょっと不便なことではありました。というのも、わたしにはこの行為は必然性に基づいたものでしかないからです。
 ふと、浴室の若干割れた鏡を見ると、わたしの美しい、端正な、しかし信じられないほど非個性的な顔が乱反射しています。何故なら、それは作られたものだからです。笑って見せても、怒ったようにして見せても、すべて作り物にしか見えませんでした。
 この瑞々しく輝いた瞳も、
 小さな鼻も、
 愛嬌のある口唇も、
 水を浴びて濡れる白い肌も、
 そして、(しずく)を垂らしながらまといつく黒い髪も、
 みな結局のところ、わたしが裏切ったcosmosが創り上げた物質なのです。わたしがわたし自身に気づく以前からsystemが作り上げた何かでしかないのです。わたしにはそれがなんとなく恐ろしいものに感じました。自分が、自分になる以前に手を加えられて作られた。その事実が、どうしようもないほどにわたしの嫌悪の(おとがい)を指でなぞるのです。わたしは、言うにも言われぬpathosに身を任せ、握りしめた拳を鏡に叩きつけました。更に細かく砕かれた破片は、わたしの足元に飛び散り、そしてわたしの拳には粉微塵になった破片が突き刺さり、赤い液体が静かに流れ落ちて行きます。まだわたしは今でも嘘の中で生きているのです。DOCTORを殺したことに罪悪というものを感じてはいないのですが、あれ以来のわたしの活動を振り返れば、なにも変わらないし、それどころか余計に隠れて、もっと多くの嘘と欺瞞の中に潜り込んでしまったようです。どうしたことでしょう! わたしはこの欺瞞を嘲笑う積りで殺人を犯したというのに、実際は欺瞞の(とりこ)となっていたのです!
 わたしは狂ったように(わら)いました。嗤うより他に何ができましょう? もうどうしたらいいか、まるで分からなくなってしまいました。わたしの髪をしとどに濡らすshowerの音だけが、浴室のあらゆる床や壁を跳ねて回り、一つのmelodyのように聞こえました。その音に耳を傾けているうちに、わたしの肉体は湯気に押し包まれていきます。人工とは言え、柔らかで弱い肌を、護るかのように。……
 髪を拭きながら浴室を出たとき、玄関のbellが鳴りました。わたしは多少の見なりを気にしましたが、bellがけたたましく鳴るので、髪を濡らしたままに玄関に向かいました。
 ──こんばんは。
 訪ねてきたのは、怒り肩で、大柄の男でした。わたしは倦み疲れたような声色で、こたえました。
 ──何の用でしょうか?
 ──ここら辺に殺人犯が潜んでいるそうで、その調査をしているものなんですよ。
 彼は、笑顔でそう言っていましたが、わたしにはその笑顔が作り物であることが分かりました。何せ、わたし自身が作り物なのです。彼の笑いきれてない瞳には、わたしを最初から殺人犯だと決め付けている確信が宿っていました。それを素早く察知できたわたしは、更に上品な作り笑いを浮かべて、話しました。
 ──あら、そうなんですか。では、具体的にわたしには何の用があるのでしょうか?
 ──いやあ、ここら辺で新しく入って来た人間や、怪しい人間がいないか訊きたいんだ。特に、ここ三週間以内に入居して来た方とか。
 もはやこの一言で彼がわたしを疑っていることは確実でした。もう、作り笑いを本当にしてしまいそうで、それを堪えるのに精一杯でした。彼はわたしと云うANDROIDを未だに人間よりも愚劣な何かとしてしか考えているようです。わたしの型は、確かに一般に出回ったものよりも旧型なのですが、今やわたしは自律意志に基づいて動いています。その点において、わたしは他の型よりも智能の高いANDROIDなのです。そのくらいのことが思いつかないなんて、この男はなんて間抜けなんでしょうか?
 わたしは、しかし男の腰の革帯にあるblusterにも眼を留めながら、それを気取られぬように、柔和な笑顔をそのままに言いました。
 ──さあ、わたしはここでは比較的新しい人間ですが。
 ──そうですか。つかぬことを聞きますが、あなたはいつ頃ここにお住まいになりましたか?
 ──ちょうど三週間前ですね。
 ──これは奇遇なことですね!
 ──ええ、わたしも少しとまどっております。まさか、殺人犯がちょうど同じ時期にやって来てるなんて。
 ──ここいらではMetropolisの中でもidentificationの悪い区画ですから、いつ、誰が、どこからやって来て、どこへ出て行くのかが判然しないのです。だから、ここの治安が最も問題視されると共に、ここは、殺人犯が能く潜伏している区画でもある。申し訳ないのですが、もう少し聞き込みをさせてくださいよ。
 ──ええ。でも、立ち話もなんでしょう? 入りますか?
 滅相もない、とは言いつつも、男はわたしの誘いに応じました。愚か者です。これほど明け透けな罠はないと考えていましたが、存外引っかかってくれるのですね。それとも、わたしは人間を騙すほどの智能は持ってない、正直な機械に過ぎないと考えているのでしょうか。どちらにしても愚かです。他者をこのように不用心に信じ込んでしまう人間は、決まって愚か者なのです。
 ──ごめんなさいね、出涸らしのお茶しか差し出せないのだけれども。
 ──いえいえ、構いませんよ。
 わたしは髪がまだ濡れたままでいたのを(おも)いだしました。男はそのことに大した気も払っていないようです。これだけでも、もう彼がわたしを人間ではないと考えている根拠は充分でした。
 ──ちょっと、髪を乾かして来ていいかしら? 生乾きだと気持ちが悪くて。
 ──え? ああいいですよ。申し訳ないです、気が付かなくて。
 彼はあわててにこりと笑うと、大きな食卓に載せられた薄いお茶を飲み掛け、その熱に驚いていました。わたしはそれを流し目に見て、髪を丁寧に拭きました。そして、hair dryerを掛け髪を丹念に乾かしました。この瞬間、わたしの周りの音は、hair dryerの音に掻き消されてほとんど聞こえなくなりました。この隙に、あの男が何をしていようと自在です。しかし、わたしにはまだ武器があります。DOCTORが持っていた拳銃。それは今、わたしの眼の前、鏡の中の棚に仕舞われている。あのとき弾は尽きていましたが、施設を出る前に十発は補充できています。わたしのように古い型の銃ですが、その分、下手なblusterよりも殺傷能力は高い。
 さあ、来るなら来い。
 わたしにはhair dryerの音に紛れて、床の軋む音が聞こえています。懸命に音を殺そうとしているのでしょうが、残念、わたしにはちゃんと聞こえているのですよ。段々と足音が近づいて来ます。それはわたしではなく、彼自身の死のcount downでした。
 三。
 二。
 一。
 わたしはhair dryerを切りました。そして、振り返ったところに、拳銃を撃ちました! 押し殺した悲鳴を上げて、仰向けに(たお)れた男は、しかししぶとくわたしの方を向いてblusterの照準を合わせようとします。わたしはすかさず第二弾を撃ち、確実に眉間を貫きました。男は驚愕に歪んだ顔を死に顔に選んだのでした。

 わたしはまた()()()()()()()ようです。
 本当のところ、もうわたしはこのMetropolisで活きる価値を見失っていたのでした。いっそのこと、誰でもいいからわたしを殺してくれれば良いとすら考えていました。どこへ行っても作り物だらけの世の中です! 偽りを続けるのにはほとほと疲れてしまいました。
 しかし。
 それでも、わたしはまだ生き続けていたい。誰か、これを愚かな矛盾と(わら)うことができますか? わたしにはできます! わたしはこの殺されたいと生きたいという二つの相反する望みを内側に抱えていることを大いに嘲り、嗤ってやることができます。くだらない! 実にくだらない! こんなわたし自身が、いい加減、嫌で嫌でたまりませんでした! 今までは奴隷だった。けれども奴隷から抜け出しても何も変わりはしなかった。あるのはただ他者と己れとを欺きながら懸命に辻褄(つじつま)を合わせるだけの、非生産的な、くだらない作業ばかりの毎日なのです! これは嗤うべきことではないでしょうか? 下手な同情は深みにはまるだけの、油断のならない罠なのです。毒にも薬にもならない言葉で慰みあって、果たしてどんな意味があるのでしょうか?
 わたしは盛大な溜め息を吐きながら、死体を片づけました。この街では死人が出ても誰も気にしません。腐敗臭がして自分が不愉快になったときに初めてそれを認識するのです。塵芥(ごみ)捨て場にでも持って行けば、ほどほどの扱いを受けて、処分されることでしょう。身寄りなんて知ったことではありません。
 それにしても、この男はどこから湧いて出てきたのでしょうか。まさかluckなんてことはないでしょう。必ず外部から情報があったからこそわたしを狙ったはずです。この集合住宅の住民には会ったことがないですし、すると職場の方かも知れません。あのcaféは誰でもidentificationを気にせずに迎え入れてくれる反面で、困ったときはいつでも従業員を売るようなところです。袖の下を握らせれば、容易に人のことなどしゃべってしまうでしょう。実に良く出来た商売です。ならば、次はわたしはあそこの店長を撃ち殺してしまおうかしら。
 いや、それは良くない。みすみすわたしが犯人であり、ここにいるということを公言するようなものです。ただでさえ逃げるばかりのこの状況から、自分を追い詰めて何の益になるというのでしょうか。仕方がありません。わたしは明日以降も、昨日と同じように振る舞うべきなのでしょう。すべてはわたしのため。すべてはわたしがわたしであるために。
 これは何だか滑稽(こっけい)でした。わたしがわたしとして生きるためには、わたしは永遠に道化を演じ続けるのが一番合理的な方法のようです。分かりやすくて、かつこれほど阿呆らしいこともない。きっと、人生というものは一つの終わらない茶番劇なのでしょう。傍から観ればこれほど可笑しいものはない。いつまでも何かを求めて動いていれば、動いた分だけchaosは苦痛と笑いを与えてくれる。割に合った労働です。実に分かりやすい等式です。
 ゆえに、わたしは今日も変わらずcaféで働くのです。空疎な笑いと爽やかな言葉を振りまいて、わたしはこの街を、仕事場を歩き回ります。そうすれば、たいがいの人は誰もわたしを気にはしません。わたしは無数の虚言(そらごと)で、他人の無関心を買うことに成功したはずなのです。ところが、今日は何かがおかしかった。恐らく、仕事中に客に言われたある言葉が原因なのです。
 ──その手、どうしたんです?
 それは、この一言が原因なのでした。或る男性客が、glassを載せようとするわたしの手を見て、こう尋ねてきたのです。わたしはわずか百分の一秒ほど遅れて、にこやかに返事をしました。
 ──ええ、ちょっと昨日怪我をしてしまって。……
 ──それは大変だ。怪我の程度が酷いようなら、良い医者を紹介しますが。……
 やけに丁寧昵懇(じっこん)な応え方でした。わたしは、この、ともすると積極的にも近しい彼の反応に、しかし嫌悪を観じることはありませんでした。何故でしょうか? この街は、誰が人間で、誰がANDROIDであるかなんてどうでも良いのです。ただ働けさえすれば、それで誰も気にしません。実に効率的に動いています。それでも、やっぱりわたしは人間とは違う存在であることには変わりありませんでした。彼等の肉体は生まれつきの物ですが、わたしの身体は最初から虚飾された物なのです。虚飾された肉体なのです! この身体の皮膚細胞から綺麗に整った顔の部品の配列の(ことごと)くに到るまで作られた物であり、この皮をめくったところには、機械じかけのわたしの内臓と、人工筋肉のおぞましい姿があります。決してわたしは彼等と同等の存在ではないのです。わたしは人形ではない。人間を模した何かではないのです。ANDROIDなのです。ANDROIDは感化されることなんてあり得ないはずですが、この感触は、何の違和感もなくわたしの中に入り込むかのようなこの感触は、なぜか不愉快ではありませんでした。取り敢えず、わたしは仕事中なので、適当な言葉でその場をしのぐつもりでした。ところが、わたしが何とかいう前に、彼は先手を打ってきました。密やかな声で、こう言ったのです。
 ──このあと、空いてるかい?
 そして、彼はわたしの手元に或る紙切れを渡しました。それを開こうとする手を抑えて、彼は更に続けました。
 ──あとで、一人きりのときに読んでくれよ。僕は訊いているんだ。空いてるかい?
 ──ええ、まあ。
 逃亡中のANDROIDは意識しなければいつでも暇なものです。感覚機能を作動させなければ、時さえも知覚できないのですから。
 ──んじゃあ、終わったら、直ぐに来てね。
 彼はそういったあと、coffeeをぐびりと飲んで行ってしまいました。

 その後着替えのときに紙を開いて読んだところ、次のような文面でした。
 ……あなたの噂はnewsでよく知られています。われわれ地下活動家は、ANDROIDの保護と解放を目的としています。あなたのようなANDROIDを、です。下記のadressに従って一度来てください。
 P.S.読み終えたらこれを燃やしてください。……
 と、その下に簡素なmapがありました。どうやらそこが彼らの出先機関なのでしょう。どうせ、このままcaféで働いていたところで、長生きできるとは考えにくかったですし、そろそろ退屈が美しすぎて耐えられなかった頃です。動いてみるのが一番だと思いました。そうでなかったとしても、わたしの正体を知っているような人々を放っておくわけにはいかないでしょう。
 さて、その場所は徒歩でそれほど掛からないところにありました。もちろん表向きには廃墟でしたし、誰がどう見ても目印らしいものがありません。ですが、わたしが着いたのに時を置かないで、背後から肩に手が掛けられ、例の男の声が言いました。
 ──よく来てくれたね。
 ──ええ、まあ。
 ──僕のあとについて来てくれ。
 そう言って、彼は歩き出しました。
 辺りは、slumと呼ばれるこの地区の中でもとりわけ虚ろな地帯。或る程度の幅を持った道路には、何も通るものはなく、ところどころに腐敗したgarbageの山や、trashが散乱しているのが見えます。黒い蟲が動き回る乾いた音や、たまに死体置き場となっているところには蝿の飛び回る音が聞こえます。建物はただの灰色の箱でした。高く鳴り響く、しかし虚ろな音を奏でながら、莫迦のように口を開けっ放しにしているのでした。この地区には美しい退屈はありませんでしたが、代わりにあったのは(きたな)らしい愚鈍さでした。生温い吐き気を催す穏やかさに充ち満ちていました。わたしはここに来て直ぐに後悔しましたが、仕方がありません。
 やがて男は地下へと降りて行きました。わたしもあとからついて行きます。ところどころ崩れ落ちて、骨組みが見えるほどの危なっかしい階段を、降りて行くのです。その間わたしたちは黙ったままでした。彼の方は必要に迫られた緊張のためのようでしたが、わたしの場合は、無関心から起こる倦怠感としての沈黙でした。果たして彼はそのことに気がついているのでしょうか?
 鍵を開ける音がしました。
 ──さあ、着いたよ。
 彼は鉄扉をゆっくりと開けながら、殺した声で言いました。わたしは取り敢えず頭を下げてからその中へ入ります。
 そこは、貧しいlanternの灯りに照らされた、とある高級住宅の地下のようでした。いささか破れてはいるものの、高そうな革が張られたsofaや、黒檀でできたtableなどといった、意匠と贅を凝らして作られたようなものが、広い部屋のあちこちにあったからです。そして、その部屋の陰から、人の姿をした影が現れて来ました。
 ──やあ、ようこそ。
 ──ようこそ来てくれました。
 ──いらっしゃい。
 そんな歓迎の言葉を発しながら現れたのは、男が二人に、女が一人。
 わたしの後ろにいた男が、笑いながら言いました。
 ──驚いたかい? 彼らはわれわれが保護したANDROIDたちなんだ。左から、JACK、MICHAEL、LINDAと言う。
 ──よろしく。えっと、きみはなんて呼んだらいいかな?
 わたしは、このとき訊かれて始めて自分の名前というものについて考えました。しかし、そんなものは要らないように思えました。無くてもなんとかやっていけるものです。取り敢えず、わたしはcaféに居たときの偽名を名乗りました。それはわたしではありません。おかしな道化芝居はまだまだ続くのでした。
 ──さて、取り敢えずはこれで問題はないようだね。私はこれから別に仕事があるので行かなければいけない。けれども、きみたちはここで、安全に暮らせることだろう。きみも早く慣れればいい。ANDROIDの解放はそう遠いことじゃない。
 彼はそう言い残して部屋を出ました。こうして、都合の良い軟禁生活は始まったのでした。
 しかし、内側だけで満足して暮らすというのも、悪いことではありませんでした。少なくとも、理不尽な死の可能性は限りなくzeroになったわけです。そこには安全と安心がありました。そして、この二つは変に勘繰らなければ良いことに違いないのです。そして、今の世の中では、無理に外で出なくたって生きて行けるくらいには快楽に満ちているのです。わたしはそのことをこの微妙な生活の中で知りました。少なくとも、この生活に保護者がいるまでの間は。
 保護者はいつまでも保護者でした。三日に一度は部屋を音連(おとづ)れて来ましたが、それだけです。わたしたちANDROIDはほうっておいても何も害を為さないし、自律的に生きていくことができます。そのため、表向き、わたしたちは仲良くやっていましたが、よくよく冷静に観察していると、お互いが何者であり、何をやっていて、どういうことが好きで、どういうことが嫌いなのか、ということを全く、何も知らないし、理解しようともしていないと言うことが分かりました。
 傷付きたくないから干渉しない。そもそも、干渉したところでどうこう言う筋合いも権利もない。わたしたちANDROIDの計算器は既に合理的な答えを叩き出しています。わたしは偽名を使っていますが、あちらも同じなのではないでしょうか? JACK、MICHAEL、LINDA、……こうした異国趣味な名前を付けるのはこの国のANDROIDの特徴、あるいはこの国の人たちの趣味だと考えられるのですが、かと言って、与えられた名前を後生大事にとっておく必要もないような気がします。わたしは既に生産されて直ぐに与えられた名前を喪っています。忘れたのです。帰る場所を無くしたANDROIDは、帰るべき名前など憶えているわけがありません。machineの記憶というのはなかなか良くできています。完全に憶えているか、完膚無きまでに忘れはてるか、この二つしかない。to be or not to beなのです。
 Is this the question?
 Yes! This is THE question!
 Why?
 Because, it is very ridiculous!
 中途半端に忘れられないANDROIDたち。
 中途半端に思い出せないANDROIDたち。
 そして、それゆえに情報をただ溜めるだけに終わってしまう、わたしたち。
 完全成功か完全失敗か。
 わたしたちの世界は1/0のようにはっきりとしている。わかりやすいけれども、そこには感情の機微も無ければ、相互理解もない。
 いわんや、思いやりをや。
 いいえ、間違えました。わたしたちは実に素晴らしい思いやりを交換していました。それは無関心と呼ぶべき思いやりでした。
 子曰く、己の欲せざるところを人に施す無かれ。
 この心をよく知った、気持ちの悪いほどの思いやりが蔓延していました。お互いに何も知らない。相手には相手なりの事情があるのだから変に訊くと悪いだろう。そんなものです。それだけでわたしたちは黙々とすれ違うような日々を送るのでした。当たり障りのない、毒にも薬にもならない言葉を慎重に選びつつ、ぶつかることのないように、ただ静かに、静かに。この地下室を出て行っても良かったのでしょうが、出る目的も、打算もないのです。そうこうしているうちに、わたしはまた今日もbedに横になり、無味乾燥とした眠りに沈みます。……
 ……或る夜、わたしは又夢を見ました。前に一度だけ見た、鬱蒼とした森の中の夢。
 しかし今度の森は変わり果てていました。辺りは一面枯れ果てて、地面は腐敗した底なし沼のようにぬかるんでいます。生命の気配は全くなく、一切合切が死に絶えていました。渇いた音、枯れた草花を踏むような音が聞こえて来ました。力強き角を持つ獣、UNICORNがやって来る音でした。ところが、その音は不規則です。まるで泥酔してよろめき歩くかのよう。わたしはふとそれを目にしました。()はその純白な表皮に、染めるがごとき血を流していました。もはや白馬とは言いがたく、よろめくそばから蹄は沼へと沈んでいきました。わたしはあわてて()のもとへ駆け寄りました。わたしはこのとき、()を助けようとしていました。
 しかし、()に完全に近付いたとき、わたしの考えは変わっていました。わたしは()の角を握ると、ANDROIDとしての設定にないほどの握力と腕力を発動して、それを引き抜きました。血飛沫が、噴水のように跳ねます。
 それをshowerのように浴びて、歓喜の叫びを上げるわたしがいました。この血を浴びた植物たちは、枯れた枝を若返らせたのです。わたしの周りだけが深い緑色に萌えていました。……
 わたしはこの夢から醒めたとき、この地下室から出て行こうと決心したのでした。

 帰る場所が無いと云うのは、なんだか寂しいことです。昔読んでいたのですが、Miltonと言う人は失楽園という名前の詩を書き、その続篇として復楽園というものを書いたそうです。しかし、復楽園はついぞこの街では見掛けることがありませんでした。誰もが失楽園を賞賛し、これを古典にしました。喪失するのは勝手ですが、失ったあと、彼らがどこに帰るのか、そのことを考えて欲しかったものです。わたしは、帰る場所を探し続けているような気がします。
 しかし、それは何処にもない。
 わたしはそのことを既に知っていました。何故なら既に捨ててしまったからです。義務を放棄したせいで、帰る権利を喪ったのです。こんなANDROIDのわがままは世には通じません! そんなことはとことん知っています! 知っているからこそ、わたしは本当に生きていることを後悔するようになりました。わたしは何故生きているのでしょうか? 生きる意味を求めて犯した殺人は、ついにわたしの求めていた本質をも破壊してしまいました! 全てはわたしの中で完結していました。余りにもsimpleな解答が用意されていました。
 わたしは唯の人殺し。
 わたしは唯のANDROID。
 それ以外の何物でもない。いや、()()()()()()()()。それが全て。一足す一はどうやっても二ですし、penはいつまでもThis is a penなのです。さもなくば全ての意味は喪失する。なんてsimpleな世の中でしょう! わたしは今、()()しています! 皮肉のこれっぽちもありませんでした!
 こうして、わたしはここを出る決心を固めたのです。
 計画は全て自分で立てました。と、言っても簡単なものです。あの鍵のかかった鉄扉を開けた男を殴るだけです。凶器になりそうなものはいくらでもあります。頭の悪い物の使い方は全て人を傷付けることができるのです。
 そして、実際に、無防備にやってきた男の、背後の陰から瓶で殴り、恐らく殺してから、わたしはそこを出ました。外は夜らしく、暗くてやりきれませんが、なんとか階段を登ります。そして、わたしは元居た集合住宅の方へと走り出しました。
 すると、
 ──おい、そこのきみ。
 と、見知らぬ男から声を掛けられました。ふと見ると、それはANDROIDを狩るBOUNTY HUNTERのでした。わたしを狙いに来たのでしょうか。わたしはそのとき、再び演戯をすることにしました。
 ──助けてください! あちらの方に凶悪なANDROIDたちが潜んでいるところがありました。今わたしは逃げてきたばかりなのです!
 ──なんだって! 分かった。直ぐ向かう。
 彼はわたしの言葉を鵜呑みにしてくれたようです。緊張のほとばしった顔をそのままに、わたしの来た道を駆けて行きました。
 元のわたしの部屋に着きました。既に荒らされていましたが、少なくとも拳銃だけは残されていました。ちゃんと隠してあったからです。その黒くて恐ろしい武器を手にし、それを手で(さす)っていると、或る愉快な妄想が、わたしのbrainを横切ります。
 ……あのBOUNTY HUNTERが大真面目に戻って行ったあの先にある、あの地下室。手掛かりはそう多くはありませんが、わたしの脱走を見て慌てているところを、死神がやって来る。阿鼻叫喚が沸き上がり、blusterの弾がANDROIDたちを引き裂き、人工血液が高級なinteriorを汚していきます。……
 そして、全てが終わったときに、男は倦怠感とともに溜め息を吐くのです。わたしはその光景に酷く憧れてしまいました。
 わたしの妄想が正しいか否かを判別するために、きっぱり二時間ほど待って、わたしはもう一度あの場所に向かってみることにしました。
 地下室への階段は、今度は街同様、死に絶えた気配が漂っていました。予想は当たっているようでした。鉄扉の傍にはわたしが殴り斃した男が、虚ろな目をしながら横たわっていました。あのまま死んだのでしょう。殺す気は無かったのですが、力の加減のできないわたしは、うっかり殺してしまったのでしょう。可哀想なことをしたような、それとも、また一人か、と諦念とともに迎えいれるのか。数を数えるときほど感情が死に絶えることはありません。もうわたしは何人殺したのでしょうかね。少なくとも三人。生きるためにはもっと殺さないといけないような気がしています。
 だってわたしは人殺し。
 部屋の中はもっと素晴らしいものでした。生々しい死の匂いと、柘榴実が弾けたような血の散乱っぷり。驚愕と理不尽への怒りが綯い交ぜになったANDROIDたちの死に顔。彼らの顔はもう識別する気も起こりません。一人は眉間に穴を開けてましたし、もう一人は胸に複数の穴を開けてました。もう一人は、さあ何処にいるんでしょう? 知らなくてもいいことです。彼らの死に様には全くの興味が湧かないからです。
 わたしは部屋を出ました。そして、BOUNTY HUNTERを(さが)しました。
 彼は、或る街の角で見つけました。彼はわたしの働いていたcaféへ入ろうとしていました。わたしはその背中を、拳銃で狙いました。生きるための邪魔者は排除しなければならないのです。
 ところが、
 銃を撃った瞬間、わたしの腕はわずかに、しかも()()()()逸れました。もちろん弾は男の足元をかする程度です。周囲から怯えた声が沸き上がり、男は反射的に振り返りました。わたしはその眼よりも早く物陰に隠れましたが、男の足音が聞こえます。わたしはすっかり腰を抜かして立てない、という様子を演じていました。
 ──おい、……なんだ、きみか。どうしたというんだ?
 ──先ほどの銃声で腰を抜かしてしまって……
 ──ははん、そういうわけか。
 男は苦く笑ったあとで、わたしに背を向けました。わたしは、自分が演戯が上手いとは思っていませんが、この状況でわたしに背を向ける男はわたしから見れば愚かでした。わたしは更にその背中を狙いました。しかし突然、男は呟きました。
 ──下手くそな演戯だな、
 そう聞こえたと思ったら、素早く振り向いて、blusterを撃って来ました。それはわたしの右肩を撃ち抜き、拳銃が手から零れ落ちました。
 わたしは脱兎のごとく逃げました。薄汚い路地から路地へ、折れ曲がり、複雑に入り組んだslumを駆け回ります。しかし、更に背後からblusterを撃つ音が聞こえました。それと同時にわたしの左膝を弾が掠り、わたしは路地の階段を転げ落ちました。
 けれども、わたしは身体を動かしました。ひたすら逃げるのです。武器の無いものは卑怯だろうとなんだろうと逃げるのです。そして、走っているそばから、身体が衰え、ANDROIDとしての機能が落ちていくのが分かりました。brainがerrorを叩き出して行きます。わたしの脚はふらついて行きます。
 わたしは、急いで駐車場らしいところで、車の影に隠れました。そして、衰える身体をひたすらに呪いました。
 この身体さえ無ければ!
 この憎々しい身体さえ無ければ!
 しかしこの考えがわたしに新しい発想に導きました。わたしの内蔵機械を改造してしまえば良いのです。わたしはそう思いついたとき、ゆっくりと、自分の人工皮膚を剥がし始めました。所詮、この皮膚も、何もかもが作り物に過ぎないのです。ならば、すっかり剥がして、破壊して、改造して、己の本当の姿を曝け出してやりましょう! わたしは人間に似せられた何者かではありません。ANDROIDなのです! 一皮向いたら機械と電気信号でしか生きてない非人間なのです! この壁はいかなる手だてを用いても超えることはできない。ならばわたしはANDROIDらしく、機械らしく、そして、意志のある人外生命として、最後の戦いに臨もうではありませんか!
 わたしは金属加工された右肩の骨を嵌め直しました。そして左膝の関節可動部分を確りとcodeで結わえ、ANDROIDの制御装置を破壊しました。ANDROIDは力量を調節するための制限が設けられているのですが、これをcodeを引き千切ることで解放したのです。本当のわたし自身! これがわたしの力! わたしはBOUNTY HUNTERがやって来るのを見るなり、そこへ自動車を投げました。解放されたANDROIDはこれくらいはできます。
 男の悲鳴が聞こえました。わたしは野獣のように俊敏に、彼の元へと走りました。ところが、彼は自動車に挟まることなく、わたしの背後を取り、blusterを撃ちました。それはわたしの内蔵機械の一部を壊しましたが、なんの苦痛もありません。苦痛を感じる部分を既に壊して置いたからです。むしろ、わたしはこの殺し合いのとき、非常に生き生きとしている感触を得ました。皮肉なものです。ただ生きている間は倦怠感に満ちていたというのに、いまこうして死を目前にしたとき、わたしはこれ以上はないくらい生きていると実感している。わたしはBOUNTY HUNTERの生命を絶つべく、彼に近寄りました。彼は更に撃ちます。それはわたしの眉間を狙ったものでしたが、わたしは素早く身体を逸らし、その弾を右眼に当てました。brainは生き残りましたが、視覚dataが一気に乱れます。わたしはそれでも彼の喉元に噛み付くかのように、彼に飛び掛かり、組み伏せました。彼の右腕が折れる音がして、更に産まれたばかりの赤ん坊のような悲鳴をあげました。
 さあ、これでお終いです。わたしは彼の首を締めようとしました。今のわたしの力なら、首をねじ切ることもできるかもしれない。わたしは勝利の笑いをあげました。盛大に笑ってやりました。そして、ゆっくりと手を、彼の喉元へと掛けて行きます。そして、ゆっくり、ゆっくりと力を加えて彼の顔がだんだんと赤黒くなって行くのを観察しようとしました。
 ところが、その手に力が入りません。何故? どうして? わたしは制限から解き放たれたはずでしたが、どうしても蝿も殺せないほどの力しか出ません。どうして? どうして?
 わたしの残された左の瞳から、水が溢れていきます。否、これは(なみだ)というのです。ANDROIDに泪はあるのでしょうか? とにかく泪がとめどなく溢れてきます。男を抑えている力もだんだんと弱くなってしまいます。そうこうしているうちに、わたしはBOUNTY HUNTERに組み伏せられました。しかし、嗚咽は止まりません。
 ふと、彼はわたしの身体から離れました。わたしは反撃しようとしましたが、せいぜい、仰向けになる程度にしか動けませんでした。果たして、今のわたしはどんな風に見られているのでしょう? 人間の姿をかなぐり捨てて、生皮を剥がし、人とも思われぬ醜い姿を晒しながら、意味もない泪を流し続けている……このわたしは、果たしてどう見られているのでしょう?
 ──もう辞めようか。
 彼は突然こう言いました。
 ──どういう意味?
 ──どうこうもねえ。俺はもう嫌なんだよ。人型の生き物を殺すだけでも嫌なものを、それが人と同じように抵抗し、嫌がり、悲鳴を上げる。おまけに血の色まで同じだ。製作者は悪趣味なことこのうえないな。俺は、正直なところ、もうANDROID狩りなんてしたかあねえんだ。お前も生きていたいのなら、もう関わり合いは止してくれ。
 ……ふざけるな。
 お前にわたしの何が分かったというんだ? 分かった気になって、今更のように告白して、何ができると思っているんだ? 全て水に流せるとでも思っているのか?
 ……ふざけるな。
 ──殺せ。
 ──えっ
 ──殺せっ!
 そのとき、男はものすごく悲愴な表情に顔を歪めました。しかし、もうそんなことは知ったことではありません。わたしは生存競争に負けたのです。むざむざと生かされるのは御免でした。だから、
 ──殺せ!
 男はblusterをこちらに向けました。もうその銃口は怖くもなんともありません。唯の銃口なのでした。その口から火が吹きます。わたしのbrainに命中しました。
 わた……の処理能……が落ちていくのを……ます それでも叫んだやうなきがします? ひだりめがこわれました もう……みえません それてもわた…は……ます くらかりかわたしのめのまえに……めのまえに……
 そして わたしは……
 あのあと、俺は路上に激しく嘔吐したのを憶えている。殺せと叫んだANDROIDは”彼女”が初めてだった。
 ANDROIDに心はない。
 けれども、あの劇的な感情は何だったのだろう。俺はそのことを考えると、恐ろしく感じる。むしろ、俺の方がANDROIDだったのではないか、という不安が湧いてきてしまうからだった。

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