第085話「もりそば無双」
ぐつぐつぐつ。
昼直前のCマートの店内。
カセットコンロを床に置いて、鍋を置いて、ぐつぐつとお湯を沸かして――。
その鍋の中では、「蕎麦」が茹でられていた。
「もう食べれますか? もう食べられますか? もう食べていいですか」
「まだだよ。バカ」
鍋の前に正座して、じっと視線をロックオンして、脇目もふらずに、蕎麦が茹であがるのを待ってるバカエルフに、俺はそう言った。
まったくもう、このバカなエルフめ。
昨日、仕入れに行ったときに「歳末大売り出し」なんてやっていて、気がついたのだが……。
向こうの世界では、ちょうど「大晦日」だった。
だから大晦日っぽく、「年越し蕎麦」とやらを食べようと思った。
そういえば乾蕎麦とか茹でるの、初めてかもしれない。
バカエルフの食いつきっぷりからいって、初めての食い物であることは、間違いない。
ちなみに、こっちの世界では、べつに新年でもなんでもなくて――。そもそも新年とかくるのか? なんとか期とか、なんとか節とか、そんなのを聞いたこともあるが……。そういうのが、こよみ? とかになっているっぽいのだが……。
ゆるやかに時の流れる――こちらの世界においては、今日がいつなのかなんて、べつに誰も気にしちゃいない。
なんとか期とやらの区切りの日あたりに、街の中央のほうでバザーがやっているみたいだが……。それさえも端っこのほうにあるCマートには、あまり関係がない。
「つめたい。お水。……もってきたよ? あと……、ざる? って、これでいいの?」
「おー。いいぞいいぞー」
準備を手伝ってくれているエナが、裏の井戸から、ボウルに水をくんできてくれた。〝ざる〟は、こちらの世界にそのものずばりのものはないが、なんか似たような調理器具ならあるようなので、オバちゃんの食堂から借りてきた。
「つゆも、もうすぐできるぞー」
できあがる、っていったって、これはビンを開けて、水で薄めるだけ。
「なーなー。おい。そこの食い意地の張ったバカエルフ」
「なんでしょう? もう食べていいですか?」
「3倍希釈にするのに、つゆ1なら、水は、どんだけにするんだー?」
「合わせて3にするんでしょうから、水は2だと思うのですよー」
「さんくすー」
おお。すごい。バカのくせに。
え? 俺? 俺は算数苦手なんだよ。
「1、ぷらす、えっくす、いこーる、3となる、えっくすを求めよ……」
エナが天井付近を見上げて、ぶつぶつとつぶやいている。
「……2」
しばらくしてから、ぽつん、とそう言う。
だが――。
「遅いなっ。バカエルフの勝ちだなっ」
「ぷう」
エナはほっぺたを膨らました。
これはべつに怒っているわけではなくて、単なるポーズ。最近はエナもこういう表情をするようになった。遠慮がちに上目遣いになっていた昔から比べると、ぜんぜんいい。
ちなみにXがどうたらとかいうのは、向こうの世界の算数の話。
中学校あたりの古ぼけた教科書を、美津希ちゃんからお下がりでもらってきている。エナは暇なとき、そんなのを読んでる。よく読めるなー、と思う。俺なんか見るのも嫌なのにー。
そういえば、あの頭が痛くなる数式だとか。こっちの世界にはあるのだろーか?
キングだとか、キングのところの学者連中だとかに見せたら、喜んだり大騒ぎしたりするのだろーか?
まあそっち方面で無双しても、俺はほとんど嬉しくなさそうなので、どーでもよいのだが。
学者連中の笑顔って、なんか、こう、違う種類の笑顔なんだよなー……? なんでだろ?
「なんか肉味のにおいがします」
めんつゆの蓋を開けたとたん、バカエルフがそんなことを言ってくる。
「それは肉味でなくて単なるにおいだと思うがな」
俺は言った。
ビンのラベルを見てやると――。いろいろな材料のなかに、肉系なのは、一つきり――。
「ええと……。カツオブシエキス……。これか?」
「きっとそうです。絶対そうです。素晴らしい肉味のにおいがします」
「肉じゃなくて、これ、魚なんだけどな」
「魚というのは缶詰のあれでしたよね。ならやはりあれは肉で間違いないのです」
バカエルフは、どうも、肉と魚の区別がついていないっぽい。
缶詰の魚(サンマの蒲焼き。鯖味噌煮。シャケ缶)なども、ぜんぶ、「肉!」と呼んでいる。
バカなのである。
しかも、肉、そのものがはいっていなくても、肉味がついてさえいればいいのである。
ほんと。バカなのである。
「ほい。つゆなー」
3人分のつゆを、適当な器――マグカップを3つもってきて、適当に注ぎわける。
鍋から出した蕎麦は、エナの持ってきてくれた冷水のボウルに、どぼんと浸けて、それからザル(のようなもの)ですくい上げて――。
「ほい。できあがりー」
「ふぁあぁぁぁー」
「……おもしろい」
感極まって変顔をしているバカエルフと。興味深そうに眺めているエナ。
そういやこっちの世界で麺類って見ないな。お粥だかパエリアだか、そんなんはオバちゃんの食堂のメニューにもあるが。
エナは食べかたがわからないでいるようだ。困っている。
バカエルフも、食べかたがわからないようだが――。蕎麦を手づかみにしようとしたので、その手を、ぺしっとはたき落とした。
「こうだ」
俺はお手本を示した。
蕎麦を箸ですくい、先っちょを、ちょっとだけつゆにつけて、ずずっと、一気にすすり立てた。
「かーっ。うんめー」
じつのところは、まあ普通の乾蕎麦の味だったが。エナの前なので、ことさらウマそうに、オーバーリアクションをしてみせる。
エナは俺を見習って、箸で蕎麦をすくった。
まだ箸の使いかたは練習中。二本を一握りにしちゃっている。
蕎麦を先端に引っかけて、腕を持ち上げてゆくと、蕎麦がどこまでもついてきて――。しまいには、エナは立ち上がってしまった。
「ながい!」
目を丸くしているエナを、俺は微笑ましく見つめた。
うん。かーいー。かーいー。
「マスター! マスター! マスター! もう食べてもいいんでしょうか! まだでしょうか! マテ! でしょうか!」
「べつにマテとかやってねえし。食えばいいんじゃね?」
うるせーな。こいつ。静かに食えよ。
「この汁から肉味がするのですよー!」
奇声とともに、バカエルフのやつは、蕎麦をつゆに、べちゃーり、とつけやがった。
全水没させやがった。
あーあ。
つゆをちょっとつけるのが、通の食いかたなんだけどなー。
「もっとつけたしそばのつゆ」って格言をしらんのか。
あれ……? これって意味どっちだったっけ? つゆをたくさんつけたいってほうだったっけか?
バカエルフは、ずずずーっと、ものすごい勢いで吸いこんだ。
すると――。
「鼻っ――! 鼻っ――! 鼻からでまひゅ! まふふぁー!」
勢い余って、鼻から出てた。
「ははははははははははははは――!」
バカエルフの鼻ソバに、エナがコアヒットして、滅茶苦茶、笑っていた。
人が変わったみたいに笑い続けていた。
本日のCマートは年越し蕎麦無双だった。
すいません。年がかわってから、大晦日ネタです。
大晦日に書いたんですけど、「書き上がったー!」で安心して、投稿を忘れていた模様です……。orz