第72話「イメチェン」
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
ぴらっ、ぴらっ、という規則正しい音が、店内に響く。
バカエルフのやつが、向こうの世界の雑誌を眺めている。ぺらぺらとページをめくっている。その音がしている。
ちなみに、なにを読んでいるのかというと――。ファッション雑誌。
このまえ、向こうの世界が「夏休み」だとかいって、〝団体〟が泊まりがけで押し寄せてきたのだが……。
JCだかJKだか、もうJDでさえないやつだとか、JSまではさすがにいなかったように思うが――まあ、そのうちの誰かが置いていったファッション誌なわけだ。
最新号でもないファッション誌に、古紙以上の価値はありそうにないが……。この異世界においては、1号前でも、2号前でも、気にされずに、興味深げに、現地の娘によって読み耽って貰えている。
「なーなー。それー。おもしろいんかー?」
俺は沈黙に堪えきれずに、そう聞いた。
だがしかし……。
「………」
無視かよ! スルーかよ!
俺が、致命的ダメージを受けて、がっくりと落ちこみ、テーブルの上に突っ伏していると――。
エナがとことこと歩いて行って――。バカエルフのシャツの裾野袖のところを、つんつんと引っぱって――。
「ねえねえ……。エルフさん?」
「うん? なんですか、なんですかー? エナちゃんも、一緒に見ますかー?」
「賓人さん。呼んでるよ?」
「はい?」
バカエルフのやつは、ようやく、俺のほうを向いた。
俺は、ぷいっと、顔を背けてやった。
ふーんだ、いまさら、返事したって、おそいもんねー。
「まれびとさん。エルフさん。こっち向いたよ」
「あー、うん」
バカエルフのやつに対して、たったいま〝永久絶交〟を決めたところだったが――。エナに言われてしまっては、そうもいかない。
俺は仕方なく、バカエルフに口をきいた。
「おまえ、俺が言っても聞こえないくらい、夢中になっていたけど。……それ、おもろいんか?」
「え? マスターなんか言いました?」
もお! ぜっこう! ぜっこうだもんねー!
ひゃくまんねん許さねえ!
「まれびとさん」
エナに言われた。叱られた。
俺はしかたなく、絶交を終わらせた。
ひゃくまんねんは、あっという間に過ぎ去った。
「だから。そのファッション雑誌だよ。おまえ。夢中になって読み耽っていたじゃん」
「はぁ。そうかもしれません。マスターの世界って、ほんと、たくさん、おべべがあるんですねー」
「その、おべべっての、やめ。……なんかババくさい」
「オバちゃんが言うですよー。おべべ、って」
「じゃあ、オバちゃんくさい」
「若い娘は、おべべとか、言わんのだ」
「私。若くないですが。すくなくともマスターのご先祖様くらいの年齢ですが」
「うえっ……。そ、そうだったっけな」
俺は呻いた。
見た目、十代に見えるので、うっかりすると忘れてしまうが、そうだ、こいつは〝エルフ〟という生き物なのだった。
「じ、じゃあ……。ババ臭くても、オバハン臭くても、い、いいわけだな……」
「けどエルフとしては若いほうみたいですよ。ぜんぜん娘っ子あつかいでした。エルフの里には、あまり長くいなかったので、そのへん、よくわかりませんが」
「どっちなんだよ」
俺は言った。ババア扱いすればいいのか、若い娘扱いすればいいのか。どっちなのか。そこんとこ。はっきりしろ。大事なところなんだから。
「マスターの世界の、ふぁっしょん? ――ですか? これ、見ていると飽きないですねー」
「ほーへーはー。おまえが服に興味あったとは、意外だなー」
「服。というよりも、どっちかっていうと、髪でしょうか」
「ほえ? 髪?」
「服のほうは、マスターの世界でしか、手に入らないじゃないですか」
「そりゃ、まあ、そうだな」
こちらの世界で、ファッション誌にあるような服を入手する方法は、ちょっとないっぽい。
こっちの世界の服は、あまりにも実用品すぎるので、まえ、不思議に思って、ちょっと街中で尋ねて回ったことがある。
服を作っている仕立て屋さんの人は、街全体で、一人二人、いないこともなかったが……。
誰もが皆、先祖代々おんなじデザインのシャツとズボンを作り続けていて、デザインの改良とかしないんですか? と聞いたら、なんで? ――と、逆に問い返されてしまった。
じつはバカエルフあたりは、この異世界においては、オバちゃんと並んでファッションリーダーなのかもしれないのだ。
綺麗な緑色に染めたシャツ? チュニック? そんなものを着ている。
もともとバカエルフのやつは、旅人だったからなのか――。そんな色鮮やかな服を着た女性は、街中には、あんまりいない。
「服は手に入りませんし、作るのも大変ですけど」
エナの服とか、このあいだのメイド服だとか、予備があると洗濯のときに便利だなー、と思って、仕立て屋に持ちこんでみたのだが……。どうやって作るんだ? と、首を傾げられてしまった。
どうも、異世界の――あちらの世界の〝服〟というものは、こちらの世界の水準を遙かに超えた、オーバーテクノロジーになってしまってるっぽい。
とはいえ、いくら服を持ちこんできても、〝服無双〟とはならないことは、以前にも試してみた通り――。
こちらの世界の人たちは、服飾にほとんど興味がないのだ。工場の作業員の、作業服に対する〝それ〟ぐらいしか、マジで、興味を持ってない。
「ですけど。髪だったら、真似れば、できそーじゃないですか」
と、エルフの娘は、ファッション誌の一面を指さす。
ポニテ。ツインテ。ふわふわセミロング。ゆる巻きカール。――様々な髪型があった。
「ほらほら。みーんな、ちがう髪のカタチをしてますよー」
たしかに、そうだ。
どのページに写っている、どのモデルの娘も、一人として、同じ髪型なんて、いやしねえ――ってぐらい、バリエーションに富んでいる。
まあ、モデルでもない、普通の女の子にしたって、街中歩いている娘のほとんどは、ちがう髪型してるくらいだしな。
「ほんとだ」
エナも横から覗きこんで、ぽつりと言う。
いま気づいたんか。いま気づいたんだろうなー。
「ねーねー。マスター。この髪型って、いったい、これ、どうやってるんでしょうかー?」
「ん? どれだ?」
「これです。これ」
エルフの娘が、その細い指先で指し示すのは――。
なんだろう。この髪型?
本当は長いんだろうけど、頭の後ろでくるくる巻きあげている、不思議なカタチ。
「これどうやってるんでしょう?」
「なぜ俺に聞く?」
「そりゃマスターの世界のことだからですよ」
「俺の世界のことだって、んな、女の髪型の話なんか、わかるもんかよ」
自慢じゃないが。ファッションなんて。詳しくない。
「うーん。難易度高そうですねー。これはー」
「そういえばー、こんなのー……? 美津希ちゃんがやってたことがあるような気もするなー?」
「えっ? どうやるんですかー? ですかー? ですかー?」
「だから知らねえってーの」
「わたしも長さ、足りるですかね?」
「知らねえってーの。足りたらどうだっつーの」
バカエルフはバカなことを言っている。なんで俺に聞く。
「こんど、美津希ちゃんが来たときに、教わりゃいいだろ」
こちらの世界と、あちらの世界との垣根は、最近、わりかし、壊されぎみだ。
中学生と高校生と、もう大学生でもないやつとが、団体で遊びにやってくるくらい、敷居が低くなってしまっている。
「そうしますー。あっ……。こっちのなら、できそうですー。これならわたしにも、わかります。わかります」
「そりゃわかるだろうな」
エルフの娘が「できる」と指差して、ドヤ顔しているのは、ポニテ。
そりゃ、できるだろ。あんなん。後ろで縛るだけだろ。
「色つきの。ゴム。……あったろ」
前に輪ゴム無双をした。〝ゴム〟というものが、こちらの世界では無双できるとわかって、店の常備在庫となっている。
オレンジ色の素の色だけでは面白くないので、何色も用意してある。
「ごむ。あるよ。あったよ」
エナが、たたたっと走って、取ってきてくれた。
うん。かーいー。かーいー。
「ほんとは、髪ゴムっていう、専用のがあるんだけどな。輪ゴムで縛ると、取るとき、ちょっと絡んで、痛いかもしれないんだけど……、って、なんで、おまえ? 俺に背中向けてんの?」
なんでか、エルフの娘は俺に背中を向けている。
「はい? 縛ってくれるんじゃないんですか?」
「ば、ばかっ! なんで俺が! 自分でやれ自分でやれ自分でやれ!」
「マスター。ケチですねー」
「ケチとかそういう問題じゃない」
エルフの娘は、髪を後ろでまとめる。輪ゴムで縛る。ポニテになる。
どこからどう見ても、見事なポニテとなった。
「にあいますかー?」
「ぜんぜん似合わねえよ、ばーか」
「じゃ。やめます」
エルフの娘は、せっかく結びあげた髪を、ほどいてしまおうとして――。
「あ……、ま、まあ、せっかくやったわけだし、もうすこしそのままでもいいんじゃないのか」
「はい。そうします」
俺が止めると、こいつは、あっさりと引き下がりやがった。
なにか謀られてしまったようで、面白くない。まったく面白くない。
しかし自分にポニテ属性があったなんて、たったいま気づいたのだが――。ちょっとビックリだった。
そういや、翔子のやつもポニテだったっけなー。
ポニテになってりゃ、好きになるとか、そんな安っぽいこともないがな。
……ないよな?
俺がそんなふうに、深遠な問題に悩んでいると――。
くいくい、と、俺の服の裾が引っぱられた。
「ん?」
俺は振り向いて――。
「ん? エナ? どしたん?」
「わたしも。ぽにて。……できます」
ん? ん? ん?
間違い探しの要領にて、よーく、見てみれば……。
エナの後ろ髪に、なんだか、違いがあった。
エナは……。
おかっぱの髪を、後ろにぎゅーっと集めて持っていって――。なんとか、かんとか、ほんのちょっとだけ、ゴムで縛ってあった。
「ぽにて。……できます」
「お、おう」
俺は、ようようのことで、そう言った。
ポニーテール(ウマの尻尾)というよりは、せいぜい、ピッグテール(ブタの尻尾)といったあたりなのだが……。
「あっ!」
無理やり髪を留めていた輪ゴムが、ぴょんと、飛んでいってしまう。
「あーっ……」
床に落ちたゴムを見て、エナは残念そうな顔。
それよりも俺たちのほうが、どんな顔でいればいいのか、困り果てていた。
「いやー。だ、だいじょうぶだぞっ……。俺っ。ポニテ属性とか。ないからなっ」
俺はそう言いながら、ぜんぜん、フォローにもなんにもなっていないと、そうも思っていた。
だめだー。俺ー。だめだー。
「エナちゃん。ほら。こっちの髪型なら、できるんじゃないですかー? サイドテールっていうらしいですよー」
エルフの娘が本を持ってきて、ページを指差す。
「うん。でも、ぽにてじゃないと……」
エナの目が、俺に向く。
「マスターは、好きですか? サイドテール?」
エルフの娘は、俺にアイコンタクト。
俺は、すかさず――。
「お、おう! 好きだぞ! ポニテと同じくらい――いや! それ以上に好きだぞ!」
「そうなの?」
「そうだ! そうに決まっている!」
「ほんと?」
「うん。ほんとほんと。横っちょで縛ってる、短いのが、大好き。たまらんのだよ。えらい奴にはわからんのだよ」
「そうなんだ」
エナは横っちょで髪を縛った。今日は、一日、その髪型でいた。
連載再開でーす。こんどは止まらずに、ゆるゆる、週2~3くらいで連載予定であります。