第67話「醤油さし無双」
いつもの昼食時。いつものCマートの店内。
いつものように俺たちは、昼ごはんを食べていた。
店内にはテーブルもあるが、なぜか三人で、床のうえにぺたりと座って食べるのが、いつもの光景となっていた。
むか~し、むかし……といっても、そんなに昔でもないが。
まだバカエルフと二人で店をやっていた頃。棚もろくになくて、そこいらの床に適当に商品を置いているだけで、テーブルなんて、もちろんなかったような時代があって――。その頃には、床に直に座って、バカエルフと差し向かいで二人で食べていた。
そして三人で食べるようになっても、なんとなく、その頃の習慣が続いてしまっている。
「おっふ! おいしいです! おっふ!」
バカエルフのやつが、おっふおっふ言いながら、肉缶を食べている。
今日のおかずは缶詰めだ。
主食のほうは、ごはんだったりパンだったり、各人でまちまちだ。
俺はごはん党だが、最近、パンに浮気していて……。
バカエルフはパン党だったが、最近、ごはんに浮気していて……。
エナは放っておくと主食が「おかし」になってしまうので、俺とバカエルフと二人して、「めっ」とやって、パンかごはんか、どっちかを主食にさせるようにしていた。
おかずの缶詰めは、毎食ごとに、いくつかを開けている。
バカエルフのやつは、大きな缶詰めを、一人占めして食べている。取ろうとすると、野生化して「がるがるがる」と襲いかかってくる。
やつが美味しそうに食べる、その缶詰めが、じつは犬用であるということは――。もうとっくにカミングアウトして、伝えてあるのだが……。
委細かまわず、ぱくぱくと、いかにも美味そうに食べている。
あまりに美味そうに食べるものだから、エナがワンコ缶を食べたがってしまって、しかたがない。犬用とかペット用なのだと説明しても、どうも、よくわかってくれない。
世界観ギャップが茫洋と横たわっている。
この世界には「犬」はいないのだろうか? そういや見たことないな。
あと「ペット」もいないのだろうか? そういや見たことないな。
猫なら、歩いているんだがな。猫という生き物は、あちこちの世界を渡り歩く生き物らしく、たまに見かける。
「おっふ! おっふ!」
「………」
バカエルフもエナも、食事のときには、わりかし無言。
かなり食事に集中している。一心不乱になって食べている。
どうも異世界人的には、〝缶詰め〟は、大変なごちそうとなるらしい。
現代人的な感覚の俺からすると、妙な感じではあるのだが……。
まあたしかに、うちの店でも缶詰めは人気商品だし。うちの店でしか手に入らないし。なんだか噂が噂を呼んで、遠くの街から、わざわざ買いに来る人がいるくらいなのだが。
現代人的な感性からすれば、毎度毎度、缶詰めとインスタントごはんという食事は、質素極まりないものなのだが……。
毎食毎食、カップ麺よりも、ちょっとだけグレードが上という程度の感覚である。
しかしこちらの世界においては、滅多に食べられない贅沢品となってしまうわけだ。
「なー。醤油とってー」
「………」
「………」
二人とも食うのに夢中。
「なー、醤油ー」
俺は足でバカエルフを蹴飛ばした。
「おっふ!」
バカエルフはびっくりしたように俺を見る。
あげませんよ、とばかりに、犬缶をかばう。
「取らねーよ。だから醤油」
「あっ。はい」
ようやく醤油差しがパスされてきた。
最近は空気の入らない密閉ボトルが出回っているが、我らがCマートの醤油差しはは、伝統的な〝アレ〟である。
いかにも〝醤油差し〟といったカタチのアレであった。
官能美すら感じるデザインの〝マイ醤油差し〟を手に取ると、俺は、鮭の缶詰に、たっぷりと醤油を掛けた。
「マスター。塩辛いの好きですねー」
「いいだろ。うまいんだ」
こちらの世界の人々は、もともと塩が貴重品だったせいなのか、味覚がだいぶ薄口のほうに寄っている。
俺が醤油を、現代人的にドバドバかけると、えーっ、てな顔で見てくる。
味のついていない鮭缶なのだから、2周ぐらいかけるのは、ぜんぜん普通だと思うのだが……。
「おまえもかけてみろよ」
バカエルフの食べているのは、卵かけごはん。
醤油をかけないでアレを食べることは、人生の半分を損してしまう行為なのだが……。
「じゃあ、ちょびっとだけ……」
バカエルフは醤油差しを受け取って――。
「……? あれれっ? あれー? あれあれーっ? 出ませんよー……?」
「んなわけないだろ。かしてみろ」
俺は醤油差しを返してもらうと、自分の鮭缶に、ちょろろと、かけた。
「ほら。出るじゃん」
「あれー?」
バカエルフは首を捻っている。
もういちど自分の手でとって、やっぱり出なくて……、また深々と首をかしげている。
「なにやってんだよ。どんくさいやつ」
「マスターはいつもヒドいですが。たまにすごくヒドいです」
「わかった。〝どんくさいやつ〟は訂正してやる。〝面倒くさいやつ〟――これでいいな?」
「なにかグレードアップしたような気がします。ですからこれは、出ない出ない詐欺とかじゃなくてぇ~。本当に出ないんですってば~」
俺とバカエルフが、いつもの軽口の叩き合いをしていると――。
「わたしも。オショーユ。……もらっていいですか?」
エナが指先を小さく挙げて、そう言ってきた。
「おう。もちろんだぞー」
俺はエナの小さな手に、醤油差しを渡した。
「ちゃんと出るよなー?」
「……でません」
やってみたエナは、そう言った。
自分のツナ缶にかけようとするのだが、いくら傾けても、ぜんぜん、醤油は出てこない。
振り振りすると、ようやく、一滴、二滴……、ちびっと、出た。
「なんでだろう……?」
「それはこちらが聞きたいのです。マスターがやると、なぜ出てくるのですか?」
「それは……、ひょっとして……、俺は……、選ばれし者だったりするのか……?」
「バカ言ってないで、イジワルの種明かしをしてくださいよ」
「あっ! おまえいまバカって言った! バカって言ったほうがバカ! すごくバカ!」
「マスターだって、いっつもわたしのこと、バカバカ言ってるじゃないですかー。バカって言ったほうがバカなら、マスターはバカバカですよー」
「あっ! おまえ2回も言った! バカメ! バカメ! この大バカめ! 誰がおまえなんぞにイジワルなんかするか。イジワルってのは、好きな子にするもんだって、相場が決まってんだ! ぺーっ、ぺっぺっ!」
「マスター。わたしのこと。好きなんですか?」
いきなり素に返って、バカエルフは言う。
「うわっ! ぶぅわか! ほんとバカ! バカメ! しんじゃえ!」
俺は唾を飛ばして罵った。
「あ。……わかった」
俺たちが言いあいをやっていたあいだ、ずっと、醤油差しの研究をやっていたエナが、ぽつりと言った。
「ここ。押さえてると……。でないよ。でも。押さえなければ……。でるよ」
醤油差しには、前と後ろ、二つの穴が空いている。
注ぐのと反対側の穴を、エナが指で押さえると、醤油は止まった。指をはなすと、ちょろ~っと流れた。
なるほど。
二人とも、醤油差しに慣れていなくて、がっしりと握ってしまっていたので、穴を手で塞いでしまっていたわけだ。
「おー。おー。おー。止まるな。出るな。止まるな」
俺は、出したり止めたり出したりした。
「あのマスター。わたしの卵かけごはんが、醤油、だびだびなんですけど……。これ、いじわるですか? これはまた、いじわるなんですか?」
「ばーか。んなわけあるか。このくらいかけるのが普通なんだって。いいからいっぺん食ってみろ」
「まれびとさんは、なぜ、わたしには、いじわるしないんですか?」
「ん? なんだ? エナ? なんか言ったか?」
エナがなにか言ったので、俺はバカエルフからエナのほうへと、顔を向けた。
しかしエナは、そっぽを向いてしまって……。
「なんでも、ないです……」
へんなエナー?
◇
バカエルフのやつは、醤油たっぷり卵かけごはんを気に入った。
本日のCマートは、醤油差し無双だった。
一ヶ月ぶりの更新です。すいません。