第66話「お姉さん」
「おねーちゃん! これちょーだい!」
ハナミズたらしたガキが、錫貨一枚を握りしめた手を、ぐーっと突き出す。
「うん。〝ばーべきゅーあじ〟は、1マンマイねー」
エナはガキにそう言った。
ちなみに〝イチマンマイ〟というのは、なんか定着してしまったダジャレだ。
なんにでも「マン」を付けるのがCマートにおける流行だ。
しかし――。
エナはまだ気が付いていないようだが――。
ガキの欲しいのはお菓子。
値段は1マンマイ――つまり銅貨1枚。しかしガキが握りしめているのは、錫貨であって――。
「たりるー!」
ガキが言う。
エナは、いま気付いたのか、一瞬、ぴくっとなったが――。
「うん。足りるよ」
何事もなく平静に、そう言って返す。
「わーい! ばーべきゅー、ばーべきゅー♪ おいしーあじのー♪ ばーべきゅー♪」
「バーベQあじ」の小袋を手に、ガキは揚々と引き揚げていった。
作詞作曲:ガキ。――の歌を口ずさみながら、笑顔になり、ぶんぶんとお菓子の小袋を振り回しながら、帰って行く。
指先をひらひらと振って、エナはガキを見送っていた。
――と。
じーっと見ている、俺の視線に気がついた。
エナの顔に浮かんでいた薄い微笑が、さあっと引いていった。
「ご……、ごめんなさい……」
なんでか――エナは、顔色を変えて、俺に謝ってきた。
「ん? なんで謝る?」
「だって……、お店に損をさせちゃったから……」
「ん?」
俺は考えた。なんか損なんてしたか? ガキは笑顔で帰っていって――。
ああ。
なるほど。
錫貨1枚で、銅貨1枚の値段のお菓子を売っちゃったから、それで〝損〟をさせたと思っているわけか。
「エナ。おまえは、まだ、〝Cマート魂〟をわかっていないようだな」
俺は腕組みをすると、重々しい声で、そう言った。
「えっ……?」
エナはまじまじと目を見開いて――俺を見てくる。
「Cまーと……、たましい? ……って?」
「はい。おまえ。――教えてやれ」
俺はバカエルフに顎をしゃくった。
「いつもニコニコ。店主も店員もお客さんも、みんなニコニコ。スマイルはいつだって0円です」
バカエルフは立て板に水で、つらつらと、そう口にした。
「えっと……?」
エナは体の前で手を揃えて、指をもじもじ……。
わからない、という顔を、俺に向ける。
「つまり。お客さんが、笑顔になっていれば、それでいい。――しょんぼりさせて帰らせてしまったら、それが俺たちの〝損〟だ。――わかるな?」
「えーっと……?」
エナは、まだちょっとわかっていない様子。
俺は手を伸ばすと、その頭を、くしゃっと撫でた。
「……?」
「つまり、いいんだよ。……錫貨と銅貨の区別も付かないガキには、にこって笑ってやって、お菓子をくれてやるのが、正解だ」
「……そうなの?」
「ああ。そうともさ」
まだちょっと自信なさげに首を傾げてくるエナに、俺は力強くうなずいてやった。
「マスターも前は区別ついていませんでしたけどね。銀貨とプラチナ貨を間違えたり、錫貨だって、最初、銀貨と間違えてお釣り山ほど渡してましたよねー」
「うるさいな! おまえは! いいシーンなんだから! 茶々いれんなよ! ばーか! ばーか! ばーか!」
「ばかといったほうが、ばかなんですよーっだ」
「あははっ……」
俺たちがいつものやりとりをやっていると、エナはようやく笑いを見せた。
「それだ。その笑いだ。――お客さんに、その笑顔だ。――忘れんな?」
びしりと指差して、俺は言った。
エナは笑った顔のまま驚いて、表情が固まったままで――こくこくと、うなずいてきた。
「これくださーい!」
「くださーい!」
「きれいなのー!」
またもやガキたちがやってきた。こんどは集団だ。
銅貨だか錫貨だか、よくわかんない低額貨幣――なけなしのお小遣いを握りしめて、お菓子を指差している。
最近のCマートは、すっかり駄菓子屋と化してしまっている。
「ほら。エナ。また出番だぞ」
俺のエナの背中を押してやった。エナは、「うん!」と力強くうなずいてから、ガキたちのところに行った。
「おねーちゃーん! これー! これー!」
「ぼくこれー!」
「あたち、これー!」
ガキたちが群がる。
亡者のようなガキどもに群がられても、エナは慌てず、脅えず、物怖じせず、毅然と振る舞っていた。
「はい。並んで。順番だよ」
わんぱくなガキどもを、調教済みのよく訓練されたガキどもに仕立てあげ、順番にお菓子を渡してゆく。
「エナちゃんも、すっかりお姉さんですねー」
「ん。そうだなー……」
俺は感慨深げに、そう言った。
最初に出会った頃のエナは――じつを言うと、本当の最初は、ろくに覚えちゃいないのだが――。なにしろ、ガキどもの中に混じっていたものだから、個体識別さえできていなかった。
〝エナ〟という名前を知ったのは、すこし経ってからのことだ。
その頃のエナは、皆のいちばん後ろにくっついてきていて、いつも遠慮がちな顔をしている女の子だった。
俺が〝ガキども〟の中から、エナの名前だけを覚えたのは、その人様の顔色ばかりうかがっている女の子が、「わたしも遊びたい」と、はじめて、自分のしたいことを口にしたときだった。
その女の子が、いまや、ガキどもの隊長さんだ。
もともとガキどものなかでは、歳が上のほうで、年長さんだった。
お姉さんポジションになっておかしくないはずなのに、自己主張の激しいガキどもに押されて、脇にのけられていた。そして最後尾にひっそりと目立たぬように、くっついてきていたわけだ。
「エナちゃん。〝お姉さん〟が似合ってますよねー。……マスターは、どう思いますか?」
似合っているとは思ったが、聞かれて肯定すると、なんか負けな気がしたので――。俺は黙っていた。
――が、ふと、別なことが気にかかる。
「そういや、ガキども……。なんか、見慣れない顔が多くないか?」
ガキどもの個体識別は、なかなかできていない俺であるが……。見た顔とそうでない顔くらいは、そこはかとなく、区別はつく。
エナにまとわりついてるガキどもは、あんまり見ない顔のほう。
「孤児の子たち。増えましたからねー」
「ああ……。そういえば、そうだっけか」
このあいだ、遠くの二つの街の間で、争いが起こりかけた。こちらの世界にも〝戦争〟のあることが、俺には驚きだった。
原因は、なんと〝塩〟――。
塩の不足が、二つの街の間で〝戦〟の起きようとしていた理由だった。
「マスターが止めましたけどね」
「俺じゃないよ。止めたのは商人さんだよ」
「でも塩を運んできたのは、マスターじゃないですか」
「それもほとんど俺じゃないよ。ほとんどジルちゃんと、ジルちゃんのお姉さんと、ジルちゃんのカレシっぽいオスガキが90パーセント運んだし」
「ケンケン君は、カレシじゃないって、ジルちゃんもの凄い勢いで言ってますよ? 〝カレシ〟ってどんな意味なんだか、わたしには、さっぱり、わからないんですけど」
「それはともかく――」
俺は話を切り替えた。
「あれは、なにか? みんな孤児なのか?」
「今日の子たちは、そうみたいですねー」
バカエルフが言う。
「ふーん……」
エナは買い物の終わったガキどもと話しこんでいた。
なにを話しているのかは、ちょっと遠くて、よく聞き取れないが……。聞こえてくる単語の端々から察すると、孤児としての身構えみたいなものらしい。
「なるほど。先輩孤児だな」
「そうですねー。超先輩ですねー」
俺が言うと、バカエルフもうなずく。
もうエナは孤児ではなくて、Cマートの子だった。
そういや、エナが出ていこうとしたときに、大騒ぎになったっけなぁ。
「マスター。ハナミズ垂らして泣いてましたっけ」
「泣いてねえし。――てゆうか。マジ泣いてねえし。捏造カンベンだし」
「そういや、こっちの世界には、あれ……、ないのか?」
「〝あれ〟じゃあ、わかりませんよう」
「あれだよ。あれ。なんつったっけ……?」
「だから、わかりませんってばー」
「ほら。身寄りのない子供を引き取って面倒をみる場所。そういう施設」
「はて?」
「ほら。あるじゃん?」
「はて? マスターの世界では、そういう場所があるんですか? こっちでは、街全体で面倒をみることになっていますけど? ひとつの家で、1ヶ月から6ヶ月くらいご厄介になって、次々と、色々な家を渡り歩いてゆくんです」
「それもそれで優しくて素敵なことだと思うが。ひとつの場所にずっと住んで、親がわりの人と一緒に暮らすっていうのも、いいんじゃないかな」
「マスターの口から〝優しい〟とか〝素敵〟とかいう言葉を聞くと、ちょっと違和感がありますねー」
「おまえは俺のことをどんな人間だと思っているんだ」
「マスターはマスターですよぅ」
バカエルフのやつは、俺を見て、ニコニコと笑っている。
バカめ。このバカエルフめっ。
「ああ。そうだ。思いだした。……〝孤児院〟って、たしかそんなふうな名前だ」
「へー。〝こじいん〟ですかー。じゃあエナちゃんが、そこで、孤児たちの面倒をみるんですねー」
「あっ……、そっか」
俺は気がついた。
ガキたちの隊長さんになっているから、いいんじゃないかと思ったわけだが……。
そうすると、エナはCマートを辞めないとならないわけか。
体はひとつしかないわけだし……。
「まあ……、もうしばらくは、このままでいいんじゃいですか?」
「そうだな」
ガキたちと遊びはじめたエナを見つめながら、俺たちはそう言った。