第63話「耳がぴこぴこ」
いつもの昼下がり。いつものCマートの店内。
「なー。おい」
店の品物の在庫整理をしていた俺は、バカエルフに声をかけた。
……が、しばらく待ってみても返事がない。
なので、もういちど、声をかけてみた。
「なー。これなんだけどー。在庫なかったっけー」
「………」
返事がない。
顔を向けて見てみれば、バカエルフは手元のなにかに夢中であった。
ああ……。あれは「ナンプレ」だな。
このあいだ、100円ショップで何十枚パックで100円で売っていたので、いくつか買ってきておいた。
ナンプレは、数字でやるクロスワードパズルみたいなものである。
クロスワードパズルは、さすがに異世界に持ってきてもダメであろうということは、さすがに俺にもわかった。数字のほうならいけるだろうか。――そう考えて、試しにいくつか買ってきたわけだが……。
ちょこちょこ売れるが、ヒット商品とはならず、おもにうちの不良店員が暇つぶしで消費している。
「おーい、あのさー」
「………」
ぜんぜんだめだった。うちのバカな不良店員はナンプレに夢中である。
「おーい……」
「………」
ぴくぴく。
あいかわらず、こちらに気づきもしないのだが、その耳だけが、ぴくぴくと反応を返してくる。
声をかけると、エルフの長い耳が、音の方向を探るように動く。
「おーい……」
「………」
ぴくぴく。
俺はなんだか面白くなってきた。
もうすこしバカエルフの近くにいって……。そして近付いたぶん、声のほうは小さめに抑えつつ……。
(おーい……)
ぴくんぴくん。
ふはははは。おもしろい。
(おーい……)
ぴくぴく。
目の前で動く、エルフの長い耳を――俺は思わず、はしっとつまんだ。
「わっ! わっ! ――ひゃっ!」
バカエルフはびっくりしたような顔で、俺を見てくる。
「ふはははは。ばーかーめー。おーどーろーいー、たーかーっ?」
「なっ、なっ、なっ……、なんですか? マスター? 耳さわるの……、なしですよぅ?」
「さっきから呼びかけてるのに、返事をしない、おまえがいかんのだ」
「えー? ……なんか言ってました?」
「これだからな。だからおまえはバカだと言われるのだ」
「バカっていったほうがバカ。わたしのことバカっていうの、マスターだけですよ」
「いや。みんなだって呼んでるだろ。バカエルフって。ごく普通に」
「言ってませんってー。ねえ――、エナちゃん」
急に話を振られて、エナは、どぎまぎとしている。
「エナを巻き込むんじゃねえよ。じゃあ、エナ、ほら――こいつのこと、呼んでよそ? ――いつもみたいに」
「えと……、エルフさん」
「ほら。バカって付けてないじゃないですかー」
「あれ? エナも言ってないっけ? いつもは、ほら……?」
「いや。言ってないですって。……ねえ?」
「言って、ないです」
「あれー? あれー? おかしいな? ……まあいいか。そんなことより。おまえが呼んでも返事せんから、いかんのだ」
「なんの用なんです?」
「えっと……、なんだったっけ?」
「マスターは用もないのに人を呼びつけて、返事をしないとバカ呼ばわりするんですか。そういう人ですか」
「いや待て。確かに、なにかあったんだ……」
「だから、なんですか?」
「いや待て。思いだす。……ええと、なんだっけ?」
「早く思いだしてくださいよ」
「急かすな。思いだせなくなるだろ」
「はやく! はやくはやく! はやくはやくはやく!」
「あーっ! もう! うるせーっ!! ――ばか! ばかバカっ! バカエルフっ!!」
「バカって言ったほうがバカなんですよーっ!!」
俺とバカエルフは、いつもの言いあいをやった。
――と。
「あはははは」
ほがらかな笑い声が聞こえてくる。
二人で顔を向けると、エナがお腹を抱えて笑っていた。
ここに来た当初は、ほとんど笑わなかったエナも、最近は、たまに笑いを見せる。
いまみたいに大笑いすることもあるほどだ。
「……ごめんなさい」
俺たちの視線に気がつくと、エナは笑いやめて――謝ってきてしまう。
こういうところは、まだ直っていない。
べつにいいんだぞー。笑いたいときには、笑ったってー。
「それで……、なんだったんですか?」
バカエルフが言う。
「ああ。思いだした。……ほら。こんにゃくゼリー。まだいくらか在庫なかったっけ?」
「〝こんなく〟……というのは知りませんが、色のついてる綺麗なぷるぷるしたお菓子なら、私がおいしくいただきましたが」
「おまえか? 食ったのか? まーたおまえ、売りもん、食いやがって……」
「あれ売れてなかったですよ? 私はヘロペン湖でクラゲを食べたことがありますので、慣れてますけど。このへんの人には、あのつるつるした食感は、馴染みがないんじゃないでしょうか」
「減ってたのは、ぜんぶ、おまえかよ……。俺……、売れてると思ってた……」
俺はがっくりと膝をついた。
「あははは」
エナの声が聞こえてきたが、さっきのことがあるので、俺たちはそちらを向かなかった。
そのまま、ふだんのやりとりを続行する。
「そういうやつには、こうだー!!」
俺はバカエルフのやつの耳をつまんだ。
こいつはドヤ顔して得意になってるときにも、耳がぴくぴくと動くのだ。その動きを止めてやった。
「耳っ。耳いぃ。――耳はだめですってばー」
「こうで、こうで、こうだーっ!!」
「ふわん……、だめですってば……、ふわん」
へんな声をあげるエルフの娘を、俺がますます責め立てていると――。
「いててててて――! 痛い、痛い、痛いですよ? ……エナさん?」
なんでか、エナのやつが、俺のお尻をつねりにきていた。
俺はぎょっとして振り返って、エナを見た。
黒目がちのエナの目が、「めっ」という目で、俺をにらんできている。
ケンカしちゃだめかってか?
はい。ごめんなさい。
だからもうつねらないでください。それ、地味に痛いんですけど。
「マスター~……。耳~、触るの~、なしですよぅ」
「なしです」
女たち二人から、俺は怒られた。
はい。なしですね。
◇
後日――。
「やります」
エナがまなじりを決して、そう宣言する。
俺たちは固唾を飲んで、見守った。
…………。
…………。
しばらくは、なにも怒らなかった。
だが、やがて……。
ぴく。
「動いた! 動いたぞ!」
俺は叫んだ。
「うごきましたねー。人間も、耳、動かせたんですねー。びっくりですー」
「すごいなー。エナ。がんばったなー。すごいぞー。練習してたもんなー」
俺とバカエルフ、二人でしきりに感心しあう。
人間も、努力して練習すると、耳を動かせるようになるんだ。
ぴくぴく。
……ほら! 動いてる! 動いてるよ! エナの耳!
「……さわらない?」
じーっと耳を見ている俺に、エナは、そう言ってきた。
え? なんで?
耳を触ると、いっぱい、つねられて……、めっ、とやられてしまうので、俺はトラウマになっていた。
「いててててて――! 痛い、痛い、痛いですよ? ……エナさん?」
あっれー?
触らないでいたのに……、つねられたーっ!!